第348話 アメリカ行

 シアトルから南下して行く。

 次の会場はサンフランシスコだ。

「たいした距離でもないのに、飛行機なんだ」

 千歳が感心しているが、機材の運搬は地面の上をのろのろと行く。

 そうは言ってもそれほど、苦労するというものではない。

 サンフランシスコの人口などを、ぱっと調べたら100万人には行かない。

 これはシアトルもそうであったが、実は都市圏という概念で考えると、400万人規模が近辺に住んでいる。

 このサンフランシスコもまた、移民に対する寛容さがある。

 西海岸というのはそもそも、山賊の親戚のような開拓の果てに成立したものだ。

 だから東部に比べれば、ヨーロッパの色が薄まっていると言えるのかもしれない。


 MLBのチームやNBAのチームもあり、IT関連の企業も多い。

 意外と人口が少ないのは、その中心部がオフィス街になっていたりもするからだ。

 そして広いアメリカの都市としては当然のように、治安のいい場所と悪い場所がある。

 シアトルもそうであったがサンフランシスコも、比較的新しいライブハウスは、着席型が多い。

 日本のライブハウスも、席を外せるタイプは多い。

 ただ最初から着席タイプ、というのを選んでいたらしい。


 プロモーターの考えていたアイデアは、まさに正解であった。

 南下して、そしてロスアンゼルスに到着したあたりでは、既にハコの大きさが変わっている。

 ネットによる知名度の拡散というのは、確かに世界を狭くした。

 しかし結局はまだ、感覚を忘れることなど出来ない。

 去年のフェスにおいて、確かに大きな知名度を得ることに成功した。

 それでもまだフェスのついでならともかく、ノイズだけを目的に来る客数を、最初は低めに見ている。

 だがステージでの撮影が、基本的にアメリカでは許可されている。

 ネットでそれが拡散されて、どんどんと影響が強くなっていったということだ。


「このあたりはもう、完全に冬の気配はないですね」

 紫苑がそういって、上着を脱いだ。

 彼女は普段から、あまりスタイルが分かる服装をしていない。

 ステージの上でも、フリーサイズのシャツなどをダボっと着ている。

 しかし脱いでみると、かなりその胸部装甲は豪勢である。

 夏場のライブやフェスにおいても、そのスタイルが分からないように、頑なにプロポーションが出ない服を着る。


 女性陣はもちろん、どれぐらいのサイズかを知っている。

 暁は小柄なのに大きくて、だから水着になるとはっきり分かる。

 カップ自体はその暁と、変わらないのが紫苑だ。

 もっともアンダーバスとの差があるので、目立つのは暁であろうが。


 およそ3000人ほどは入るようなハコを、プロモーターは準備してくれていた。

 移動についても飛行機はファーストクラス。

 こんなに金を使っていて、本当にちゃんと利益が出るのか、そこは不思議になる。

「チケットだけじゃないからね」

 阿部が言うにはスポンサーとなる企業が、しっかりとステージのどこかで見えているのだ。

 日本のフェスでも確かに、協賛企業を集めるために、そういうことはしていた。

 それどころかノイズのライブにしても大きなものは、そういうスポンサーをしっかりと使っていたのだ。




 ここらあたりから本格的に、スターのツアーという空気になってくる。

 日本でやったツアーよりも、よほど上手く金を生み出しているらしい。

 そのあたり日本の場合は、まだまだ未熟と言うべきであろうか。

 コンテンツ自体は強力であるのに、まだまだショービジネスが分かっていない。

 むしろアメリカこそが、市場を巨大にしているがゆえに、そういったものが成立しているのか。


 電子書籍やネットによる配信なども、アメリカのプラットフォームに支配されている。

 するとそこに使うだけで、使用料を払わなければいけなくなる。

 欧米が強いのは、ルールを決めることとルールを変えることの、イニシアチブを失わないからだ。

 本当なら日本も、上手く立ち回れば良かったのだが。


 こういうことであるから、アメリカを通さないと本格的に稼げない。

 もっともアメリカの上流にあるシステムが必要なだけで、アメリカという国全体を肯定するわけではない。

 あまりにも高い物価に、思想の乱流。

 治安の悪い部分はとことん悪く、日本よりもはるかに殺人などの凶悪事件は多い。

 既に政府や州が、治安の維持を諦めている場所もある。

 そのくせ死刑に反対している州が多く、刑務所が空くことはない。


 成功者のための国である。

 教育機関や科学機関は、世界でもトップの国である。

 何より軍事力の国でもある。

 ここを通していくと、確かに金がかかる。

 しかし通さないことには、大きな市場に広がっていくのが難しいのだ。


 アメリカのミュージシャンの中には、楽曲を売ることで稼いでいる、という者はあまり多くない。

 いや、もちろんそれでも稼いでいるのだが、それよりはサブスクと独占契約などをして、大金を得ている場合がある。

 ライブハウスのチケット収入なども、もちろん一つの手段ではある。

 だが新しい時代には、新しい稼ぎ方が存在するのだ。


 俊はそこに、フィジカルという昔からの稼ぎ方を、最初から貫いている。

 デビューした頃に比べても、さらにフィジカルは売れなくなっている。

 だが確かな需要がわずかに残っているのも、確かなことなのである。

(人間の贅沢の形が、変わってきてるんだろうな)

 岡町などから昔の話を、俊は聞くことが多い。

 今と比べてみれば、今後はさらにどうなっていくのか、ある程度は分かるからだ。

 PCとスマートフォンが、今後はさらに普及した世界になっていくのだろう。

 情報の拡散をどう考えるかが、重要になってくる。


 このアメリカツアーでも、会場を移動するごとに、ファンの数は増えているように見える。

 わざわざライブに来るという、体験をするだけの余裕がある人間。

 それこそ必死で金を貯めて、チケットを買ったという人間もいるだろう。

 すると演奏する側としては、その期待に応えなくてはいけない。

 そして実際に体験した方が、ただのデジタル化した音楽よりも、鮮烈だと記憶してもらうのだ。


 ファン自身が、大きな発信力を持つ時代になってきた。

 ネットというのはもう20年も昔から、個人が世界に発信出来る時代とはなっている。

 しかしスマートフォンによって、それはさらにリアルタイムになっている。

 アメリカはライブでも撮影OKで、それによって拡散していく。

 日本とは考え方が違うのだ。




 ロスアンゼルスからは、東へと移動して行く。

 ちゃんとアメリカでも通用するんだな、という安心感が、プレッシャーを軽減させる。

 ノイズの中では意外と、月子はプレッシャーに強い。

 暁と千歳はそれぞれ、違う感じでプレッシャーを感じるが、二人ともプレッシャーには普通の怖さしか感じない。

 少なくともプレッシャーに負けたことはない。


 東の果てにはマイアミがあって、そこでもライブがある。

 そこからはもう、北上して行くだけである。

 順調すぎて、何も語るものがない。

 連絡を取っていると、日本の暁は羨ましがっているが。


 前回のフェスが内陸のシカゴであったことから、今回は海岸を南に向かい、そこから東に向かう。

 そして到達して北へ向かうのだが、進むごとに寒くなっていく。

 日本にしても沖縄などは、冬のない場所ではある。

 また北海道は、基本的に積雪の多い場所だ。

 縦に長い日本であるが、アメリカは東西によって気候が違う。

 ニューヨークは明らかに、西海岸よりも寒い。


 このニューヨークで、アメリカツアーは終りだ。

 日程的に完全にゆとりのある、準備も万端に整えられたものであった。

 はっきり言って今までのライブに比べても、かなり楽な方ではあった。

 ただしアメリカのスタッフは、思った以上に雑なところがある。

 あるいはアジア人だからといって、適当に扱われていたのか。

 こういった現場仕事で、そんなことをしていたら拡散する。

 なので本当に、単純に大味な仕事なのかもしれないが。


 日本人との思考パターンには、かなりの違いがあるのは確かだ。

 何かを作る時には、日本人はどれだけ正確にそれを作れるか、と考える。

 アメリカ人の場合は、正確でなくてもどれだけ許容できるか、ということを考える。

 もちろん大雑把な分け方で、個人の特徴とは別のものである。


 プロフェッショナルな職人、というのが意外なほどに少ない。

 ギターにしても暁などは、愛用のレスポールこそアメリカ産であるが、他のレスポールタイプは日本産。

 一時期それこそ日本のギターが、世界を席巻していたこともある。

 あまりにも日本のギターの精度がいいので、メイドインジャパンでギブソンなどは作っていたこともある。

 このあたり木材を使うという点に関しては、日本の職人は凄まじい。

 江戸時代以前、木工が日本の場合は、文化に息づいている。


 世界最古の木造建築、というのも日本にあるのだ。

 東大寺の五重塔などは、修繕の時に解体すると、自然と木材が復元していったという話もある。

 それは別にしても、日本のギターはコストパフォーマンスが高い。

 ヴィンテージのギターを買うのは保だが、暁は自分の音を出すことを考える。

 だからオーダーメイドを作ってもらった後も、イエロースペシャルを夢見てクラフトリペアの店で働いているのだ。




 アメリカからの映像を、暁にはずっと流している。

 やはり行きたかったな、というのは自然な流れだ。

 そろそろある程度は、安定してきた時期でもある。 

 だが本当の安定期にまでは、まだ時間がある。


 基本的には実家に戻って、継母と一緒に出産後のことを考える。

 自分の子供が自分の弟妹と同じ年齢になるというのは、ちょっとおかしな気分を感じる。

 ただ昔はこういうことは珍しくなかった。

 江戸時代などの近世以前は、孫より若い息子というのは、それなりにあったのだ。

 近代になってからでさえ、それなりにある。

 また暁の場合は、異母の弟妹というのもその条件になっているだろう。


 日本では特に何も起こっていない。

 ようやく本格的な冬が弛んで、少し春の気配を感じるといったところか。

 アメリカでは最後、北上してきたから勘違いしていたが、季節は春に向かっているのだ。

 三月の中旬には、日本に帰る予定。

 ただニューヨークに来たからには、それなりに観光もしていく。


 また来年も、いや今年のフェスでも、アメリカには来たい。

 住みたいとは少しも思わない、英語であふれた空間。

 しかしこの広大な大地は、何度も訪れるのにはいい場所であろう。

 もっと有名になって、もっと金持ちになって、多くのインプットをする。

 ずっと飛行機の移動が多かったが、地面を下に見るものばかりであった。

 日本とは根本的に、広大さが違う。


 そりゃこんなのと戦っても負けるわな、と歴史の知識と組み合わせる俊である。

 そもそもアメリカとの戦争など、中国大陸に戦線を抱えていた時期に、出来るはずもないのだ。

 さらにはソビエトにも、ある程度の予備戦力を控えさせていた。

 戦線を拡大しすぎ、というのはあれをこそ言うのだ。


 後から見れば歴史も、そして人生も間違った方向というのは分かる。

 だが正解というのは、絶対に分からないものなのだ。

 ならば成功と失敗は、もっと長期的なスパンで見るものだろう。

 失敗の経験をすることによって、人は様々なことを蓄積していく。

 俊も安全策を出来るだけ取ったが、それでも何度も失敗していた。

 この栄光でさえも、ずっと続くものとは限らない。

 謙虚であるということは、ロックの魂とは異なるものかもしれない。

 そもそもロックというのが、なんであるのかという根本的な問題は別として。


 ニューヨークでの公演が終われば、少し観光をしてから、あとは帰るだけである。

 シアトルからこちら、アメリカには色々と観光の出来る場所もあった。

 そういう文化が存在することが、より強い国の条件であるのかもしれない。

 今度やってくるとしたら、今度は内陸の都市も巡ってみたいものである。




 ノイズの保護者ではなく、紫苑のアドバイザーとして、白雪は同行していた。

 しかし本当の目的は、ニューヨーク公演が終わってから始まる。

 またノイズはノイズで、同じように確認したいことが色々とあったのだ。

「無事に済んだわね」

 ステージ横から保護者よろしく、阿部と白雪はライブの様子を見ていた。


 このアメリカツアーでは、白雪が色々と面倒を見てくれている。

 まだ本調子ではないというが、彼女の存在はコンポーザーや演出家として、俊にとっては大きな刺激を与えていた。

 阿部としてもそちらを任せてしまって、自分は現地のお偉いさんと、しっかりとコネクションを作っていく。

 これからもまだまだ、アメリカで活動することはあるだろう。

 ただノイズが世界で評価されても、まだ満足しないのが俊だろうな、と阿部は分かっている。


 生き急いでいるようにも見えるが、白雪からすると、その活動は特にそうは思わない。

 本当にやりたいことがあると、人間はいくら時間があっても足りないのだ。

 俊は作曲などをするにしても、かなりの時間と手間をかけるタイプだ。

 次々と曲を出しているように見えるのは、それだけ多くの時間を、作曲に使っているのだ。


 これからどうするのかな、と白雪は漠然と考えている。

 自分はおそらく、平均よりは短い寿命の中で、ひたすら音楽に向き合って生きていく。

 俊もおそらくは、そういう生活を送るのだろうが。

 弟子は取ったものの、白雪は一人で生きていく。

 普段は俊と同じように、家事関連は外注に任せていたものだ。

 紫苑が来てからは、一緒にご飯を食べるようになった。

 そして紅旗もそれに加わっていった。


 あの二人が、これまた結婚するのだろうか。

 確かに紅旗は尻に敷かれていたものの、やる時はやる男である。

 紫苑と一緒になることで、また新しい家庭を築いていくのだろうか。

 自分の周りでも一時期、そういう時間があった。

 20代の後半になると、結婚する人間が増えていったのだ。


 白雪とは縁のない話だ。

 もっともコンポーザーとしてずっと活動するなら、家庭内で出来る仕事はいい。

 紫苑はなんだかんだ言いながら、家庭に対する願望がある。

 紅旗も似たようなところがあるので、相性のいいカップリングではあるのだ。

 子供は苦手であるが、あの二人の子供ならば、少しぐらいは面倒を見てやってもいいだろう。

 そのためにも、ある程度は長生きしなければいけない。




 ニューヨークが最後となる、このツアーは盛況に終わった。

 しっかりと知名度を高めて、ノイズは後はゆっくりする。

 もっともこちらに来た理由は、ちゃんとあるのだ。

 月子の検査と、白雪の検査。

 両方とも日本でちゃんとやったものではあるが、アメリカは金さえ出すのなら、しっかりとした検査と治療が受けられる。

 それが目的で、このツアーの日程も組まれていたのだ。


 月子に関しては、以前にドキュメンタリー番組を作った時、病院において指摘されたものだ。

 読解障害に加えて、相貌失認。

 どちらも普通に障害ではあるが、少なくとも後者の方は、かつてなかったのではないか。

 そこで詳しく調べたところ、脳の奥に腫瘍のようなものがあって、それが影響を与えているのではないか、という話になった。

 脳の腫瘍となると、癌のことかと思ってしまう。

 だが詳しく調べると、おそらくはそういうものでもないらしい。


 五歳の時の事故で、月子は奇跡的にも一人、無事に生き残った。

 そしてその時には気づかれなかったのだが、わずかな出血が脳の中であり、それが凝固してしまった。

 圧迫している部分が、記憶などに関する部分であったりする。

 つまりこれを取り除いたら、脳の機能は回復するのではないか、という話だ。

 もっとも脳の奥過ぎて、ちょっと手術をすることは難しい。

 また下手に処理してしまうと、かえって出血を引き起こすのでは、とも思われたのだ。


 アメリカならなんとか、これを出来るのではないか。

 そう思って来たわけであるが、診断は同じである。

 また付け加えられたこともあった。

「将来的に子供を産む時は、帝王切開でするようにしてください」

 自然分娩であると、いきむ時に脳の血種が、破裂する可能性がある。

 なので条件が付けられてしまった。


 ただ、日本ならばともかくアメリカにならば、他の方法もある。

 代理母出産である。

 日本の法律によると、子供の母というのはその子を、産んだ母親のことである。

 しかし他の国であると、代理母が法律で認められている。

 相場もしっかりとあって、ただ産んだ母親が子供を誘拐する、という事件もあったりする。

 自分の子供であるのだと、胎内で育っていった時に、感覚的に判断するらしい。

 もちろん法律的には、契約さえしていれば、遺伝子上の母親の子供である。


 出来れば脳機能の回復を、と考えていた。

 しかし日本の医学というのは、そこまでアメリカから遅れたものではない。

 なので覚悟はしていたが、やはり自分はずっとこのままなのか。

 危険性が高いので、ちょっと治療を行うよりは、現状を維持した方がいいというのが、医者の意見ではあった。


 ただ、将来的な話は、月子に考えさせるものがあった。

 自分が子供を産んで、母親になるということ。

 この障害が先天性のものではなく、事故の後遺症であるというのなら、生まれてくる子供は普通の子供になる。

 また代理母という、アメリカならではの解決法さえ示された。

 父親は普通に、精子提供をしてもらえばいい。

 そこまでは普通に、日本でもやっていることなのだ。

 アメリカではパートナー以外からでも、遺伝子提供は受けている社会なのであった。

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