第347話 再びのアメリカへ

 暁のいないノイズである。

 これまでのライブやフェスは、なんだかんだ言って暁が、ステージ近くには控えていた。

 だがアメリカへの移動は、母子の両方の安全を考えて、この時期は避ける。

 よって完全にオリジナルとは違う構成で、ツアーを行うことになる。

 西海岸から回っていくが、時期的に中部から南部を回っていく。

「シアトルから始まるってのが、ちょっと不思議な感じがするな」

 信吾はそう言ったが、シアトルはその都市圏人口が400万人を超える。

 ニルヴァーナの誕生の地であり、即ちグランジ発祥の地と言えるだろう。


 90年代に巨大な影響を残したカート・コバーン。

 彼もまた27歳で死んだミュージシャンであるが、他の死亡した27クラブの面子とは、明らかに違う点がある。

 銃による自殺で、この世を去ったという点である。

 他のメンバーはおおよそが、ドラッグあたりが原因の、事故に近い死に方をしている。

 もっとも60年代から70年代にかけてのロックスターは、むしろ30歳まで生きていたらダサいと思っていたとか。

 シド・ビシャスは象徴としては大きなものだが、音楽的にはさほど影響もない。

 そうも言われるのは、彼が圧倒的な若さで死んだからであろう。


 とにかくこのシアトルから、ツアーは始まる。

 アメリカ北西部の都市であるが、思ったほど寒くはならない。

 それは海流が関係しているためだが、雪が降らないわけでもないらしい。

「シカゴの方が寒いのか」

「ジミヘンのお墓に行ってきてよ」

 暁からは色々と、写真を撮ってくるようにリクエストがある。

 そう、ニルヴァーナもそうであるが、ジミヘンの墓もここにあるのだ。


 毎年何人もの、何十人もの人間が、ジミヘンの墓に参ってくる。

 そうやって忘れられない限り、やはり人の魂は不滅であるのか。

「新しいものを何も生み出さなくなっても、ずっと影響を与え続けるんだよな」

 そういう人間に私はなりたい、と思う俊である。


 ともかくシアトルに、ノイズはやってきた。

 ここから南下して、そして南部の都市を東に向かい、海に到達したらまた北へ、という動きになる。

 最終的な用事が終わるのは、マサチューセッツ州に至ってからである。

 阿部や春菜のプロデューサーにマネージャー、そしてスタッフまで連れて、それなりの大所帯と言える。

 だが現地には現地で、しっかりとサポートスタッフがいる。


 これまでのツアーとは、圧倒的に違う点。

 それは観光するぐらいの、自由な時間があることだ。

 シアトルは基本的に、白人がその人口の多くを占める。

 だが意外と日本人もそこそこ住んでいて、治安は悪くない。

 もっとも最近は移民が増えているため、将来的にどうなるかは分からない。


 アメリカはずっと、移民の国であった。

 だからこそ色々な移民がいても、それが国の力になってきたのだ。

 しかし昨今は、それすらもが難しいこととなっている。

 日本の場合は島国であったので、移民に対する認識は本来厳しくなるはずだ。

 もっとも逆に移民などが少なかったため、過剰に寛容になっていたとも言える。




 日本という国の国民性は、基本的には閉鎖的なのだ。

 ただしそれに過剰に反発し、無茶な取入れをしようとする力もある。

 歴史の教科書で言うならば、明治維新が分かりやすい。

 攘夷を叫んでいた薩長が、結果的には開国を完全なものとさせた。

 後のことを思うなら、あれほどの死者が出た意味はなんだったのか、と考えさせる。

 本当に多くの有為の人材が、維新の前後で失われていった。


 あれだけの人材が失われていったのに、それでもなお人材が払底することはなかった。

 実際には確かに、人材は薄くなっていたのかもしれないが。

 大久保、西郷、坂本といったあたりにさらに前の吉田松陰など。

 このあたりの人材がしっかり残っていれば、後の日本はどうなっていたのか。

 さらに大物であるならば、島津斉彬などはどうだったのか。

 彼は年齢も年齢ではあったが、それでもあと数年生きていれば、大きく歴史は変わっていたであろう。


 日本が過剰に海外の文物を取り入れたのは、次は大戦後のことであろう。

 昭和の時期に日本は、間違いなく驚異的な発展を遂げた。

 それが日本人の、優秀さだと勘違いしている人間は未だに多い。

 特にその時代に生きて働いた人間は、その声も大きい。

 なぜならば単純に、そこで日本は人口が増大し、国力も増大しただけなのだ。

 この時代に作った制度は、人口増が止まりかけた時に、すぐに作り変えなければいけなかった。

 しかしそれを理解している人間が、少なくともその時の政権にはいなかったのだ。


 こうやって日本は、海外からのものを受け入れていた。

 だが今はまた、大きく影響を受ける時代である。

 そしてそれに対して、カウンターで物事が考えられる時期でもある。

 ネットによる情報の拡散は、確かに新しいものであった。

 しかし在野の有識者が、すぐにそれに対して反論を発することが出来るようにもなったのだ。


 アメリカもまた、実は受け入れる国家である。

 その成り立ちからして、外部からの受け入れ、正確には侵略によって国家が生まれた。

 もうどうやっても神話で誤魔化すことが、出来ない近世の誕生である。

 日本にしても実のところ、九州から近畿へと、その政権が移っていったという説が強い。

 しかしそこで血みどろの出来事を、国譲りの神話としてしまっている。


 アメリカは全てを吸収する国なのだ。

 成功者にとってみれば、生活しやすい国であろう。

 だが価値観を更新し続ける国である。

 その過程でとんでもない、おぞましい思想が平気で流出したりする。

 デブを自然とした時点で、その全ての美の基準は、もはや信用できなくなった。

 かつてはふっくらとしていた方が、美人とされていた時代は確かにある。

 しかし明らかに太りすぎは、健康に悪いと分かっている現代。

 それを許容する文明というのは、とてつもなくおぞましい。




 シアトルでのライブは、800人が入る規模となっている。

 日本で1000人単位を簡単に集めているノイズからすると、ちょっと物足りないくらいだ。

 しかしこういったライブハウスが、アメリカにはいくつもある。

 伝統のライブハウス、といったものである。

「当たり前だけどニルヴァーナが演奏したステージもたくさんあるんだよな」

「今さら何を。それを言ったら武道館はどうなんだ」

 信吾が珍しくちょっと緊張していたので、俊が混ぜっ返す。


 外タレ用に準備した巨大なハコと、外タレが使っている伝説的なハコ。

 価値的にはどんなものなのであろうか。

 実際のところもっと、大きなコンサート会場はある。

 シアトルにしても数千人が普通に、動員出来る会場はあるのだ。


 果たしてこのツアーで、どれだけの動員が見込めるか。

 チケットは充分に売れまくっていて、もっと大きなハコでも良かった。

 しかしこのツアーの目的は、知名度をさらに高めることにある。

 ここで成功したら、次こそは本格的に動員出来る、大きな会場を使えばいい。

(ノイズが日本でやってたのと、同じ感じだな)

 俊はそう思うが、つまりプロモーターの思考が、俊と似ているということなのだろうか。


 現地でもスタジオを借りて、練習を繰り返す。

 技術的にははっきり言って、もう何も問題はない。

 あとは実際のステージの上で、どんなライブが出来るか。

 ライブはそのパフォーマンスが全てだ。

 その点では爆発力のある暁がいないのが、不安要素ではあるものだ。

 もっとも安定感では、紫苑の方が上なので、どちらが悪いとも言いきれない。


 シアトルはまず、カートの家やその近くのベンチなどが、聖地となっている。

 多くのファンがいまだに、ここを訪れるのだ。

 現代のアメリカの若者は、むしろロックはこの頃が良かったのでは、と言っていたりする。

 日本も洋楽は、2000年代ぐらいまで、という見方が強い。

 今のアメリカのロックは、一時的かもしれないが停滞期にある。


 外国では基本的に、昼間に動くのが普通になっている。

 慣れれば夜にも動けるのかもしれないが、街で夜中に女性が一人で歩けるのは、日本ぐらいだとも言われたりする。

 それも場所によるので、アメリカでも治安のいいところはとことんいい。

 だが平和な田舎でも、普通に銃ぐらいは持っているのがアメリカだ。

 日本でも昔は、農村なら一人や二人、猟銃を持っている者がいたものだ。


 カートの次はジミヘンの墓である。

 やはりここは外せない場所であろう。

 暁がいたら、絶対に来たであろう場所。

 ここもまた、一つの聖地ではあるのだ。

 暁の場合はレフティのため、余計に親近感があるのかもしれない。

 ただ個人的には、もうちょっと後の世代のギタリストを、暁は好んでいるのだった。




 たっぷりと観光も出来て、やっとライブという感じである。

「そういえば新婚旅行とか行くのか?」

「いや、子供がいるしな」

 信吾に問われても、俊は普通に答えるだけだ。

 重要なのは母子共に健康であること。

 窮屈であるかもしれないが、ここは安全を第一に考えるべきなのだ。


 俊は感情の発露に乏しい人間である。

 そんなことをするぐらいなら、曲や歌詞にそれを込める。

 この場合は優先順位を、はっきりと考えていた。

 妻子持ちになるという感覚が、いまだにない俊である。

 父親になるというのは、果たしてこんな他人事めいたものであるのか。


 確かに暁との関係は、肉体関係こそ少し結んだものの、ほぼイベントなどをすっ飛ばして結婚してしまった。 

 親愛の感情は確かに持っている。

 しかしそれは暁だけではなく、ノイズのメンバーに対してなら、全員に持っているものだ。

 ただ親同士の関係などを考えると、確かに一番暁とは親密であったろう。

 それがこういう関係につながったと考えられる。


 逆方向に考えていったら、意外と意外ではない結論なのかもしれない。

 俊が月子を見つけて、そしてそれほどもかからないうちに、暁は俊を訪れた。

 ずっと一人で弾いてきた暁であるが、俊はそれに合わせられる。

 もっともそれは打ち込みだからであった、ライブは崩壊寸前になったものだ。

 俊の記憶の中では、別に暁に限ったことではないが、ノイズのメンバーのイメージが、昔のままなのである。


 エバー・グリーン。

 ずっと変わらない新鮮さを、感じさせるというもの。

 ノイズというグループの存在は、ずっとそれを感じさせて、俊にインスピレーションを与えてくる。

 このままでいられるならば、それは幸福なことであるだろう。

 だが今回のように、誰かが欠けている場合というのはあるのだ。


 ライブのセッティングも、リハもいつも通りに行われる。

 少なくとも紫苑は、この場では落ち着いているように見える。

 もっとも彼女の場合、感情表現に乏しいところがある。

 抑制された鬱屈の中から、音だけで主張してくる。

 それが普段の紫苑なのである。




 フェスの時に比べれば、ずっと人数は少ない。

 それでも阿部は、心配ではあったのだ。

 もちろんチケットはちゃんと売れているので、大丈夫だとは言われていた。

 しかしチケットが売れていれば、それで問題がないというわけではない。

 二時間のステージを、アメリカの人間を満足させることが出来るのか。

 アメリカ進出に失敗してきたミュージシャンを、阿部は大量に知っている。

 なのでどうしても、楽観的にはなれないのである。


 今回のアドバイザーとして、白雪が同行している。

 阿部よりもはるかに若いどころか、下手をすれば今でも中学生ぐらいに見える合法ロリ。

 白雪はヒート時代も、海外には出ていない。

 出る前に、その活動は終わってしまったのだ。

 ただ世界展開しようとか、そういうことは考えていかなかった。

 目の前のことの全てに、全力で挑戦してきた。

 そんなたったの一年であった。


 白雪は不思議に感じる。

 MNRの活動というのは、ヒートに比べればずっと長い。

 それなのに今から思い出しても、ヒートの時代のことは色々とある。

 自分が若かったから、というだけでもないのだろうか。

 とにかく出来事が多く、ものすごいスピードで過ぎていった。

 カリスマと言えるものが、リーダーにはあったのだ。


 今の日本のバンドに、あれほどのカリスマを持つ人間はいない。

 たとえばマジックアワーの早世したボーカルなども、あれほどではなかったと思う。

 永劫回帰のゴートも、一応はカリスマがあることはある。

 だがヒートのリーダーに比べると、その異色さが普通っぽい。

 もちろん白雪も、そして俊も及ばない。

 せめてあと一年時間があれば、とは今でもよく言われることだ。


 早世したミュージシャンは、天才になりやすい。

 だが彼は天才と言うよりは、まさにアイドル的な存在になったと言える。

 ルックスも良かったため、紅一点であった白雪は、影で色々と言われていたものだ。

 しかしそんなことを気にするには、ヒートの活動はあまりにも早すぎた。


 あの道の先に、こういった舞台が待っていたのだろうか。

 今ではもう、分からないことである。

 目の前にあるのは、教え子の立つステージ。

 アメリカを相手に、フェスの中の空気とも違う、期待感に応えることが出来るかどうか。

(頑張れ)

 白雪は胸中でそう告げる。

 そして照明が落ち、ステージは始まった。




 ハードロックの音なのに、グランジの空気も持っている。

 あとは基本的にテクニカルで、全体的にはポップス。

 多くの人間が、変に身構えることなく楽しめるロック。

 英訳されていない歌詞が多いが、既に予習してきているオーディエンスも多いだろう。

 ネットで流しているMVなどには、英訳した歌詞が付随していたりもする。


 目立つのが好きなわけではない、という紫苑。

 だがノイズの楽曲をやれば、どうしてもリードギターは目立ってしまう。 

 メタル要素を感じさせる、スピードとテクニックのリードギター。

 しかしそれを妙齢の女性が、無表情のままに簡単そうに弾いているのだ。

 そういう簡単そうに難しいのを弾くのは、暁と同じところである。

 なお暁の場合、難しいところこそ弾いていて楽しい。


 自分で弾くなら絶対にしないな、というそういう演奏である。

 テクニックでまず魅せて、いきなり盛り上げていくのだ。

 だがまだ一気に、テンションが上がっていくところにはいかない。

 まずはお手並み拝見と、アメリカのオーディエンスは鑑賞の気分でいる。

 これをどうにか熱狂させなければいけない。


 千歳の声から始まっていく。

 耳に残る、バンドボーカルとしては素晴らしい声。

 変にねっとりとはしない、むしろ鋭さのある声をしている。 

 こういう声質こそは、まさに才能と言えるのであろう。

 そしてその声に、月子の圧倒的な高音が重なっていく。


 聴いていて鳥肌が立つ。

 爆発する直前の、圧力をかけている状態。

 ボーカル二つというのが、これだけ上手く化学反応を起こすのだ。

 俊のシンセサイザーは、これらのバックをしっかりと支える音を出す。

 そしてサビまで終わると、ギターソロに入っていく。


 右手も左手も、とんでもなく早く動いていくソロ。

 テクニカルな商業主義がどうして悪い、と言わんばかりのものである。

 フィーリングだとかパッションだとか、そういうものを大切という前に、まずは練習をしろ。

 紫苑のギターから感じるのは、積み重ねられたとてつもない時間。

 ベースの重低音に支えられながら、ギターソロは終わっていく。

 そしていわゆる二番の歌詞に入るのだ。


 このあたりで完全に、会場は暖まってきた。

 ゆらゆらとわずかに動くだけで、派手なギターパフォーマンスはしない。 

 自分たちはそんなことで、音楽以外の勝負をしなくてもいい。

 そういう自信があるからこそ、出来る演奏なのである。

 また重なっていくボーカルデュオに、歓声が上がっている。




 大丈夫、通用する。

 本当にギリギリになっても、まだ心配な阿部であった。

 白雪は通用するかどうか、あまり気にしていなかった。

 成功しても失敗しても、次がまだあるのだ。

 思えばヒートはそんなことは考えず、突っ走ってどうにかなってしまった。


 ノイズは計算されている。

 保険をしっかりかけて、その上でこんな演奏をするのだ。 

 MCが入って、二曲目が始まる。

 ここでしっかりと準備が必要となる。

 月子が持つ三味線による、霹靂の刻。

 これがアメリカ人には、本当に強く響いたらしい。


 一気に会場のボルテージが上がっていった。

 霹靂の刻は月子にとって、山形時代の厳しさを思い出させるものだ。

 それだけに聴く側にも、しっかりと訴えかけるものがある。

 歌詞を理解はしなくても、この音の厳しさに耐えられるのか。

 オーディエンスに対する挑戦である。

 そして勝負が成立した時点で、ライブは成功しているのである。


 MCをしっかりとやっていく。

 だが暖めた空気が冷えないうちに、どんどんと曲をやっていくのだ。

 バラードに入っても、それはタメになっている。

 本気で歌っていれば、月子の声だけでどうにかなるのがノイズである。

 俊はシンセサイザーの音を、生ピアノ風にしたりもしていた。


 これは大丈夫だ、と確信できた。

 そして最初のハコで成功すれば、後はもうハードルが下がる。

 ノイズの演奏はフルパワーではないが、充分に成立している。

 やはりボーカルがどういうものかで、バンドというのは決まってくるのだ。


 デュオであるし、メインは月子のはずである。

 しかし千歳がメインの曲も、しっかりと作ってくる。

 ただこの組み合わせだと、ツインバードは上手く演奏出来なかった。

 あれは暁と千歳で作った曲なので、どうしても呼吸が合わないところがあったのだ。


 ともあれそれが必要ないほど、既にノイズの楽曲は多くなっている。

 この会場をしっかりと、ノイズの色で染めてしまえる。

 アンコールもしっかりと入る、シアトルでの最初のステージ。

 それは印象的に、間違いなく成功で終わったのであった。

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