第346話 やる気のない二人
正月である。
この間のクリスマスに続いて、帰郷する人間は帰郷する。
月子はむしろ叔母の方が、東京の友人に会いに来たりしている。
それと一緒にお出かけである。
「じゃあ保さんのところに行くか」
妻の実家を訪れる俊である。
法的には既に、結婚している二人である。
役所も24時間対応しているが、普通に平日の昼間に行った。
何も問題はなくちゃんと受理されている。
既に夫婦であるが思えばものすごく昔には、年齢差的にもいい感じなので、将来は結婚させようかなどと死んだ父は言っていたらしい。
お前の息子に娘はやらん、と保は言っていたらしいが。
ただ実際に成長してみれば、性格などは似たようなところがあるものの、慎重さがものすごく違う。
そして音楽に対する熱量と言うか、執着心がまるで違うところがあった。
正月は何事もなく終わった。
そして日常が戻ってくるわけだが、その日常で雑事を行わなければいけない。
ただこれも先を見据えてのことならば、やっておいた方が得である。
結婚披露宴の段取りのために、暁のドレスを選んだり、詳細を詰めていったりする。
なんだかとってもロックではないが、こういった冠婚葬祭というのは面倒でも、コネを作ったり伝手を作ったりするのには役立つ。
ちゃんと理由があって行われる、パーティーのようなもの。
披露宴は完全に、花嫁が主役である。
その衣装を選ぶというのは、もう一大作業となる。
「どうでもいいよ」
きゃいきゃい言うでもなく、面倒くさいの精神が先に立つ暁。
一応お色直しも必要なわけであるが、俊の方はすぐに決まる。
「どうせなら片方は着物にするか?」
心底どうでもよさそうに、俊はそんなことも言っている。
これだけやる気のない夫婦を見るのは、ブライダル業界の人間であっても、そうそうあるものではない。
今の若者は確かに、こういった催しをすることなく、結婚届だけを出すのも珍しくない。
しかし結婚披露宴はしっかりとするのに、これだけやる気がないというのも不思議な話だ。
確かに家の事情で、やらなければいけないカップルはいる。
普通にこの二人が、芸能人であることに気付いている人間もいる。
それなのにこれだけやる気がないというのは、いったいなぜか。
普通なら女の子は、いくら興味がなくてもウエディングドレスぐらいは、きゃぴきゃぴと選ぶはずなのに。
暁としては周囲に流されるのが、ロックではないのだ。
俊は単純に交流関係が面倒であるが、同時に新しいコネクションも作れるはずだ。
冠婚葬祭というのは古くから、切れかけた縁をまた結ぶための場所でもある。
そして新しい縁も結べるわけだ。
政略結婚ではないが、この結婚をしっかりと、政治に結び付けようとは考えている俊。
なのでストレスのたまりそうなところは、全て暁の要望を通すようにしている。
暁はそもそも結婚した、という意識が薄い。
俊の家に泊まりこむことは、以前からあったのだ。
共同生活が継続的になっただけで、特に奥さんらしいこともしていない。
ただ今後は、それなりに必要なことになるのかもしれないが。
正直なところ、ずっとこんな感覚のままではないのか。
それはそれで。ずっと仲良くいられるかもしれないが。
問題が出る可能性はある。
俊も暁も、表現の世界の人間なのだ。
それが衝突するとしたら、お互いの人間性すらも否定するようなことになるかもしれない。
もちろん俊は妥協の可能な人間であるし、暁も普段はぶつかることはない。
しかし生活していけば、お互いの中に音楽はあるものなのだ。
千歳などは本当なら、付き合いで見に行きたかった。
いつかは自分もと思いながら、どうしても彼氏が出来ないのである。
もっとも千歳は危険な人間を察知するセンサーが発達しているため、芸能界の中では出会うことはない。
また月子も、やはり好きな方なのである。
「ドレス二着で、お腹周りゆるいの着るから、全力で食べにいく所存」
暁はそう言っているが、挨拶のほうはしなくていいのか。
そう千歳などは考えたが、暁の知り合いは一般人は少ない。
そして芸能界の知り合いは、仕事の付き合いがひどく多い。
暁の知り合いはほとんど、俊とも知り合いである。
だがガールズバンドや、またフラワーフェスタにわずかに参加したことなど、全く人間関係がないというはずもない。
ただ中高の学校関係者で、呼べるような人間が本当にいない。
俊の場合は主に大学時代、芸術系の分野を中心に、伝手を増やしていった。
なお徳島にも招待状は送ったのだが、お断りの返事がきた。
これはタイミングの問題で、今やっている仕事が完全に、煮詰まっているのであろう。
大きな仕事だけに、ミスをしたら痛いことになる。
お色直しは一度だけ、ということになっている。
お腹はまだ目立たないが、かといって圧迫すべきでもない。
「これどう?」
「いいんじゃないか?」
「じゃあこれでいいか」
二人の間の会話は、こういったものになっていく。
ラブラブな空気を全く出さないが、かといって感情が全く通っていないわけでもない。
おそらくは熟年カップルや、友人カップルの関係に近い。
恋愛するよりも前に子供を作ってしまい、そしてどうせならと結婚するようにした。
なんとも刹那的な生き方に思えて、そこはロックなのであろう。
本人たちよりも、お仕事をするお姉さんの方が、むしろ熱心であったりした。
それはこういうことが好きでなければ、やっていけないというのはあるだろう。
あるいは他人の人生を、少しでも彩りたいと考えるのか。
俊たちのような職業であると、人生にイベントが多い。
パーティーに招かれることも多く、ある程度かしこまった場所であれば、月子はともかく暁や千歳も、ドレスアップして行く必要があるのだ。
なのでこういったことを、特別には感じないのである。
披露宴自体は憂鬱だ。
だが料理は楽しみにしている。
花嫁花婿は食べられないとも言うが、暁は対応はほとんど俊に任せるつもりだ。
せっかくなのだから、ホテルの美味しい食事を食べる。
基本的に美味しいお店には、誰かに連れて行ってもらわない限り、あまり行かないノイズの面々であった。
二人の結婚披露宴は、アメリカツアーの前の決起集会めいたものにものなっている。
ただ妊娠中の暁は、日本でお留守番であるが。
まさかこんなことになるとは、本当に思っていなかった。
だが妊娠が判明した時も、堕胎は一瞬も考えなかった暁である。
妊娠したなら産めばいい。
ごく当たり前のように、そんなことを考えていた。
このあたりの直感的なところは、まさにロックなのであろうか。
アーティストのインスピレーションに通じるところがあるのかもしれない。
確かに暁の産んだ子は、また色々と世の中を動かしていくのだが、それはまだ遠い先の話。
それに価値があるからとかどうとか、そういう考えは好まないのが暁である。
アーティストはひどく、思考の海から新しいものを生み出す。
しかしそれは同時に、原始的で本能的で、直感的なものであるのも確かだ。
このバランスが上手く取れている人間が、表現者としては優れているのだろう。
理論と感情、この二つは人間が生きていくためのものだ。
いよいよ始まる結婚披露宴に、気合を入れて臨む二人である。
「おお~、可愛い可愛い」
花嫁の待機室では、月子や千歳たちがきゃいきゃいと言っていた。
元々色白で、髪の色も淡い暁には、こういった白いドレスは良く似合う。
ただもう一つは、カラーのあるドレスであるのだが。
それにしてもしっかりメイクをすると、やはり化けるなと思う月子である。
自分も地下アイドルをやるまでは、そういった身の回りのことには気をつけていなかった。
しっかりと洗濯し、そしてアイロンをかけたものなどを、着るという習慣は定着していた。
身だしなみを整えるというのは、祖母が口やかましく言っていたものである。
その基礎にメイクをプラスすることで、顔面偏差値を上げていたのだ。
ちょっとケバいぐらいの化粧であるが、遠くから見るには丁度よくなる。
やはり花嫁の待機室には、少ないながらも女性のミュージシャンなどが多い。
これに対して俊の方を訪れるのは、おっさんどもが多いであろうか。
ここでは阿部が必死で、新たなコネクションの構築に悩んでいる。
業界内では敵対しているグループが、こういうお目出度い席で手打ちにする、ということもあることだ。
任せきりの俊や暁よりも、よほど阿部の方が忙しいのかもしれない。
扉の前で、白いタキシードの花婿と、白いドレスの花嫁は合流する。
ここでやっと俊は、まともにこの衣装の暁を見たのである。
「どう? キレイでしょ」
「お前は元々可愛いよ」
「いやだなあ、旦那さん。嫁を今さら口説いてどうするんだい」
真面目に言われて、思わず照れる暁である。
昔から普通に、可愛らしい女の子だとは思っていた。
ただ親戚の女の子というか、身内の意識が強かったため、異性としての認識は薄かったが。
それだけにスムーズに、家庭を築くことが出来るのかもしれない。
「うちがそもそも、家庭の中ではあまり仲良くしていない両親だったからなあ」
「それを言うならうちも、早くに離婚してるし」
「父親からは愛されていた記憶があるんだけど」
「普通に仲良くして見せるのがいいんだろね」
友人同士の結婚に近いと、下手に相手に依存しないので、むしろいいのかもしれない。
二人は主賓の席に座り、披露宴が開始された。
こういう場合当たり前だが、花婿は花嫁の引き立て役である。
ロックの魂的には美意識が違うらしいが、想像していたよりもずっと、暁には花嫁姿が似合っていた。
ただ一緒に写真を撮る場面では、悪ノリして中指を立てたポーズで撮影されてしまったが。
後に黒歴史になっても知らないぞ、と他人事の俊である。
この披露宴には、徳島も呼んではみたのだ。
しかし仕事で忙しいため、ミステリアスピンクの歌い手二人のみが参加していたが。
確かにそれも本当なのだろうな、と俊は思う。
徳島は基本的に、いつも忙しい人間だ。
どうしようもないパーティーなどに出席していても、常に頭の中には音楽が鳴っている。
いつかは精神に異常をきたすのではないか、と俊などは思っているが、周囲から見ればどっちもどっちである。
俊の方に年配の人間が寄ってくるのは、父親の縁が関係している。
好感よりもむしろ、嫌悪を抱かれている場合も少なくない。
成功した人間には、どうしても避けられないことなのだ。
ただ損得関係で成り立っていた味方は、ノイズが成功してことにより、また擦り寄ってくる。
それを嫌悪するのではなく、しっかりと利用して行くのが、この芸能界という魔窟を生き抜く手段である。
お色直しでは、暁は淡いブルーのドレスを来ていた。
俊の方はモーニングなどを着て、どうにでもしてくれという気分になっている。
このイベントはあくまで、顔つなぎなどが目的のものである。
妖怪共が話し合っているのとは別の隅で、ミュージシャン関連は話し合っていたりする。
「あいつも結婚なんてするんだなあ」
そうは言っても子供が出来なければ、おそらく結婚などはしていなかっただろう。
音楽的な才能というのは、それほど遺伝しないものだ。
もちろん楽器を弾くのに適した肉体は遺伝するし、環境がずっと子供のために、幼い頃から用意されている。
絶対音感などは、子供の頃から磨いていた方が、絶対に習得には簡単である。
習い事という以前の問題で、身の回りに音楽があふれている。
それは俊も暁も、子供の頃から当たり前のことであった。
普通の結婚披露宴のように、二人の紹介などもされる。
微妙に幼馴染ではあったが、ちょっと年齢差もあったものだ。
なおこの披露宴の直前に、ようやく俊の母と暁は対面しているが、特に険悪な関係にはなりそうもなかった。
「疲れるわよ。こういう人間と結婚すると。まあ父親よりはずっとマシだけど」
母にはそんな風に思われていたのか。
暁の記憶には、俊の父の姿はあまりない。
マジックアワーが解散してから、保が会うのは仕事での現場が多かったからだ。
それでも何度かは、顔を合わせている。
特に俊の父は、色々とパーティーを開催する側でもあったのだ。
そこに子連れで顔を出したことも、何度かはある保だ。
自分の娘の花嫁衣裳に、滂沱の涙を流していたりする。
まあ世間一般の父親の姿であろう。
普通の披露宴のようなものではあるが、人間関係は色々と複雑だ。
そして阿部が仲介しながら、俊はコネを広げていく。
こういったものは実際に、使ってみないとコネにはならない。
人間関係で成り立っているのが、芸能界の面倒なところである。
本当はもっと、たった一人の己の力でもって、業界に影響力を持つような人間を、招待しておきたかった。
だがそういう人間は、なかなか招くのも難しいのだ。
俊の父が生きていたなら、そういうゲストを招くことも出来たかもしれない。
ただ贅沢を言っていてはきりがないのも確かであろう。
無事に披露宴が終わって、これで政治の時間は幕引きである。
業界のお偉方がたくさんいたが、基本的には会社の名前を背負っていなければ、何も出来ないような人間が多い。
もちろん組織を動かせるというのは、強い人間であることは間違いない。
人間は社会的な存在であるので、組織を動かせば人間が動く。
それによって大きく、世界を動かす力が発揮出来るのだ。
二次会は予約していたレストランで、気安いものになっていった。
今の音楽業界で、それなりの成功を収めているミュージシャンが主流。
だが佳代のつながりから、アートの世界の人間も、集まってきたりしている。
(規模の大きな披露宴だったからだなあ)
暁は一応ドレス姿であるが、先ほどまでのどこかぼんやりとした、人外の雰囲気は失われている。
そしてこちらが本来の暁である。
こういう場所では色々と、情報交換がされていく。
徳島が相変わらず、顔色が悪い中で、仕事をしているのは定番のネタだ。
「でもあの人太ったというか、度の過ぎた痩せ方はなくなったよな」
「奥さんの力なんだろうな」
それは確かにそうなのだろう。
徳島は俊と違って、己の生存圏内に、知らない人間が入ってくるのを嫌うタイプであったのだ。
そこにどかどかと踏み込むホリィであったからこそ、まともな関係が築けたと言うべきか。
田舎から出てきた彼女としては、あんな生活をしている人は放っておけない、と感じるのも確かであった。
元から徳島は、上司にあたる女性からも、食事などを散々に食べさせてもらっていた。
俊はまだしも、空腹を感じて食事をする。
しかし徳島は、空腹すらも忘れてしまうのだ。
あまりにも血液の血糖値が足りず、倒れてしまったのもしばしば。
性欲ならばともかく、食欲までも無視をするというのは、ちょっと他では考えられない。
もっとも睡眠欲と戦いながら、作曲の途中で寝落ちするというのは、他の人間でもあることだ。
アルコールやドラッグを使うのは、バレにくくなっただけで未だに業界に存在する。
普通のドラッグがずっとあるのに、芸能界の中からだけ消えるなど、そんなことがあるはずもない。
多くの視線に晒されるというのは、それだけストレスもたまるものだ。
なのでそれを解消するために、薬に逃げるというのも分かる。
俊などはそれが、作品制作に与える影響を考えて、ちょっと試したこともあった。
結局サイケな方向には行ったが、それは自分の求めていたものとは違った。
やはり確固たる意志と、強烈な感情があってこそ、芸術は生み出されると信じたい。
そういう点では充分に、俊は今もまともな人間である。
60年代から70年代は、薬物が当たり前の時代であったのだ。
人間の新たな可能性を開くものとして、むしろ称賛さえされていた。
確かにその通常では生まれない感覚は、新しいものを生み出すのと同じ感覚であったのかもしれない。
しかし自分自身を追い込んで、その結果に生まれるものこそ、まさに合法ドラッグで生み出された、本気の音楽だと言えた。
社会的な成功は、完全に目の前にある。
人間としての幸福は、その兆しを既に見せている。
なんとなくそういったものは、自分とは無縁であると思っていたのだが。
(よりにもよって暁とはな)
実際のところ、俊の女の好みの部分から、暁はかなり合致しているものではあるのだ。
それでもまさか、自分が家庭を持つことになるとは、思っていなかったのが俊である。
一ヶ月ほどの間、アメリカへのツアーが始まる。
それに付随して、ちょっと色々と調べることもあったりはするが。
ともかくここで、何も心配するようなことはない。
最も難しいステージが、本来のメンバーではなく行われるというのは、少なからず不安ではあったが。
(このチャンスを、どうにか掴みたいな)
賞レースで結局、部門別のところでノイズは、表彰された。
もっとも会場には行っていなかったので、かなり異例の受賞にはなったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます