第345話 ラストダンス

 白雪の体調不良により、MNRは年内を最後に活動休止。

 この休止というのは事実上の解散だったりするのは、よくあることである。

 白雪としては解散のつもりであったのだが、他の二人が反対した。

 年が明けて白雪は紫苑についてアメリカに行くが、その時についでに有名な病院で診てもらう、という話になっている。

 アメリカなら画期的な治療があるのではないか。

 そんなことを想像してしまうのは、アメリカに対する幻想であるだろう。


 本気で根本的な治療があるなら、すぐにでもアメリカに行けばよかったのだ。

 もしも悪化の兆候が見えたら、すぐにでも手術が必要なのだから。

(いつかは死ぬんであろうし、他人よりも多分早く死ぬんだろうけど)

 そういう境地に入ったからこそ、自分には書ける歌詞が増えている、と白雪は感じている。

 他にゴートや徳島も天才の類であるが、ゴートは他人の上手いところをパクると言うよりさらにブラッシュアップし、徳島は同じ路線の曲は作らない。

 後者の難しさは、作曲や作詞をやってみれば、絶対に分かるであろう。


 それに比べれば俊は、分かりやすい俗物だ。

 しかし俗物であるのに、その中心にあるのは、ロマンチシズムに溢れたもの。

 そんなことはないはずと思っていながらも、音楽の力を信じたいと思っている。

 逆にあれほど音楽に没頭できるのも、才能の内には入るのだろう。

(こういうことを考え始めるのは、年を取ったからかなあ)

 見た目はいまだに少女のような雰囲気を持つ、白雪は準備完了している。


 これがおそらく最後のステージだ。

「MNRさん、お願いします」

「よし、行こう」

 年末年越しフェスのおいて、MNRの最後のライブが始まる。


 何か出来ることはないか、と俊は尋ねた。

 しかし何もやってもらうことはない、と白雪は思っている。

 細かいことを考えれば、それこそやってもらうことは色々とあるだろう。

 だがMNRは、ここで終わらせるのだ。


 ヒートの色を少しだけ感じさせるバンドになった。

 それならばあと一人、必要だったはずだが。

 スリーピースバンドであっても、上手く機能していた。

 そしてほぼトップレベルの評価を受けて、メンバー二人の行く末もおおよそ決まった。

 人を残してこそ一流、という言葉がある。

 そういう意味では白雪は、自分以上の弟子を育てることは出来なかったと言っていい。

 しかし別に一流と言われなくても、自分の中にはずっと音楽が鳴り響いている。

 この多幸感に抱かれているなら、何を言われても怖くはない。




 一日目のヘッドライナーというのは、解散に相応しい舞台になった。

 いや、あくまでも活動休止、なのであるが。

 一応休止扱いなのは、二人がもう一度一緒にやりたくなったら、この名前を使えるように。

 もちろん他のメンバーを入れれば、また名前を変えてもいいのだが。


 楽屋にはノイズのメンバーも来ていた。

「お疲れ様です」

 そして差し出されたケーキを、素早く奪い合うのが白雪と紫苑だ。

 孤児院時代は何事も遠慮する子供だったというが、今ではすっかりと奪い合えるほど気安くなった。

 衣装が地味と言うかゆったりしているので気付きにくいが、紫苑は相当に胸部装甲がふくよかだ。

 アンダーバストが暁の方が小さいため、分かりやすく大きく見えるが、サイズ自体は変わらない。

 しかしお腹の方は、ステージで平気で見せる暁と違い、おそらくそこもふくよかなのだろう。


 実際は下世話な話をするでもなく、ノイズのメンバーと今年のステージの暖まりようについて話し合う。

 やはり休止宣言を事前にしていたため、これが最後と見に来る人間が多かった。

 ライブの内容自体は、普段と変わらないもの。

 変わらなくていいもの、というものがある。

 逆に変わらなくてはいけないもの、というものもある。

 MNRは最後に、変わらない演奏を聞かせてくれた。

 それがファンにとっての一番のパフォーマンスとなるのだろう。


 ノイズは変わらなければいけない。

 アメリカのフェスで成功し、ここからがまた変化して行く場面となっている。

 ポップスシーンをリードして行く存在となる。

 その野望はおおよそ果たされたと言ってもいい。


 シンセサイザーを使うことが、表現の幅を広げている。

 そして月子の三味線というのも、他にはない特徴だ。

 女性のツインボーカルを使っているので、上手くコーラスも組み入れられる。

 表現の幅が広いというのを、むしろ上手く扱えない人間もいる。

 しかし俊の場合は、ボカロPとして散々に曲を作ってきた。


 生音の方がいい、というのはもちろん当たり前のことではある。

 だがサントラを今回担当してみて、単純にBGMとして使う分には、生音ではない無機質感があった方がいいかな、とも思えた。

 劇場版作品は、確かにそこを盛り上げるために、必要な曲というものがある。

 そこはしっかりと確認した上で、俊は曲を作っていくのだ。

 アコギが必要と思えば、暁に弾いてもらったりもした。

 激しい曲ではないので、胎教に悪いということもないだろう。


 複雑になっていって、単純に戻るのが音楽の流れの一つだ。

 これはもう随分と前から、アメリカのムーブメントとして存在する。

 だが複雑化を、さらに強めていくというバンドもある。

 もっとも今はアメリカではなく、イギリスですらない北欧や東欧の世界から、そういった定番の曲が復活したりする。

 プログレが好きな人間は、いつでも一定数はいるものだ。

 ただロックにおけるパフォーマンスという点では、カートが拳銃自殺をした時点で、既に究極の形になったと思うのだ。




 このフェスは人混みが多いので、有名人が身バレしにくかったりもする。

「つまんない」

 暁はそう言うが、妊娠中にそんな人混みの中へ入るわけにもいかないだろう。

 もちろんダイブなどもしてはいけない。

 二日目はお留守番で、三日目は楽屋を中心に関係者通路で移動。

 それでもある程度は、見ていくことが出来たのである。


 屋内のフェスであるため、二階の通路は関係者用になっていたりする。

 だがそこから聞くというのも、乙なものである。

 ノイズのメンバーは基本的に、それぞれの興味がある方向へ向かった。

 しかし俊と月子の二人は、暁の傍にいる。

 結成時の三人が、こうやって一緒にいるのだ。


 音の氾濫が、空気の中を貫いていく。

 不思議なものだ。これだけはっきりとあるのが分かるのに、触れることもなくどこかへ消え去っていく。

「一応来年はさいたまアリーナでやろうと思ってたんだけどな」

「いいじゃん」

 暁はそう言うが、タイミングの問題である。

「生まれてまだすぐの時期になるから、ちょっと難しいだろう。

 なるほど、そういうことか。


 紫苑も確かに、暁の代役をやってくれている。

 しかし次の予定も入っているのだから、やがては復帰しなければいけない。

 まだ親になるという感覚が、持てていない二人である。

 月子の場合は近所の遠い親戚などが、よく赤ん坊の面倒を任せていた。

 田舎というのはいまだに、そういうところがある。


 俊が月子と出会ったのは夏。

 あれからまだ五年も経過していない。

 だが当時のミュージシャンはかなり、もう表に出てこないようになってしまった。

 そう考えると永劫回帰などは、充分に長く活躍しているのであろう。

 古さで言うならパイレーツなどは、本当にレジェンドなのであろうが。

 ノイズ関連で言うなら、信吾や栄二と関係の深い、アトミック・ハートやジャックナイフは、かなり影が薄くなっている。

 この世界では知名度が高いということが、それだけ金になるのである。


 タイムテーブルは順調に消化されていっている。

 今回はステージ脇から、ライブを見守る暁。

 やはりあそこで暴れられないのは、ストレスのたまることである。

 最初から見なければいいのだが、それはそれで心配にもなるのだ。


 ここまで既に二回、紫苑のギターのライブは見てきた。

 ノイズのカラーとは違うというか、ノイズの印象が変わるギターだ。

 しかしセッティングから何から、しっかりと基礎がしている。

 暁も音作りには、ちゃんとこだわるタイプなので。

 セッティングがしっかりしていれば、演奏でちょっとぐらい無茶をしても、外れてしまうことがない。




 今年はこれが最後の仕事になる。

 その様子を阿部と春菜も、しっかりと目に焼き付けていた。

 来年はいよいよ、アメリカでのツアーとなる。

 ただツアーと言うには、それほど多い場所でもないのだが。

 冬場にやるということも考えて、あまり北部では行わない。

 八ヶ所というのはそれほど多くないが、ハコの方はかなり大きなところを抑えている。


 アメリカにはいくつも、小さいが伝説的なライブハウス、というものが存在する。

 伝統のないアメリカだからこそ、伝説の場所というのは大切にするのだ。

 伝統コンプレックスの国だから、おかしな思想がどんどんと出てくるのかもしれない。

 禁酒法をしたり、巨額賠償をさせたりと、おかしな国でもある。

 それでもパワーだけはあったはずなのだが、それも危うくなっている。


 法秩序の崩壊というのは、現代国家における最大の失敗のはずだ。

 しかしアメリカでは完全に、これが崩壊していると言うか、法律がおかしくなっている州が存在する。

 まあ日本も人のことはあまり言えず、法整備が進まないところはある。

 その理由をどこに求めるかは、人によるが。


 俊はアメリカを巨大な市場とは考えても、スターダムでのし上がる場所とはあまり考えていない。

 確かに金さえあればそれなりに快適なのだろうが、夜中にふらっと出かけられる、今の日本の方がいい。

 それも東京では場所によっては、危険なものとなっていたりする。

 政治問題に関して、俊はあまり意見を述べることはない。

 だが頭がおかしいのは野党、という認識がある。

 ただ与党の中にも、相当に頭のおかしな人間がいて、それでも与党の方がマシ、というのが現代の情報化で分かった内容である。


 アメリカに行く前に、もう一度年が明けてからライブは行う。

 しかしその後はもう、アメリカでのツアーとなる。

 ちなみに暁は、そちらを見る側にも参加しない。

 距離のある移動に関して、飛行機などはベルトを使う。

 念のために避けておいた方がいいのは、確かなことであるのだ。


 そしてノイズのメンバーがいない間は、実家にしばらく戻ることになる。

 考えてみればあちらも、今は妊娠中である。

 ただ仕事の方は、まだ産休に入る前である。

 安静にしておいた方がいいのは確かだが、逆に全く運動をしないのもまずい。

 暁としては運動というのは、ギターの演奏であったりする。

 やりすぎないように、という基準が謎であるが。




 それよりも気にしているのは、結婚披露宴のことである。

 なんとかホテルのホールが取れて、そしてドレスを選びに行ったりもした。

 妊娠中であるので、あまりスタイルが出ないドレスを。

 本当にこんなのを着ていいのかな、などと暁は思ったものだ。


 ノイズが行うライブとしては、かなり大規模なもの。

 思えば普段は、かなり小さなところでもやっていた。

 しかしギターそのものはともかく、ライブからこれほど離れることになるとは。

 もっともライブ中の自分を考えれば、確かにそれも無理はない。

 全力疾走が終わった時のように、いつも息が切れてしまっている。

 練習では行えないパッションを、ライブでは発揮するからだ。


 今日のライブは、ノイズのカラーとしては珍しい。

 ただダブルボーカルは、やはり目立つものである。

 表現としても、この二人が揃っていると違う。

 千歳のバンドボーカルと、月子のシンガーとしての色。

 この二人が合うと、よくも俊は分かったものである。

 俊は自分のことを、あまり才能がないと言う。

 しかし確かなことは一つ、才能を見抜く才能は、確かに持っている。


 才能を見抜いて、それを適切な環境に置く。

 プロデューサーとしての重要な才能だ。

 暁はそんなノイズのステージを、外側から見つめる。

 後に録画されたものなどをみるのではなく、まさにライブで体験しているのだ。


 ライブは視聴ではなく体験である。

 五感でもって、そのフィーリングを受け取る。

 こんなノイズも悪くはないな、と暁は思ってしまう。

 ただ自分が入っている時と、客観的な比較をするのは難しい。

 千歳のボーカルは、オーディエンスを煽るところがある。

 対して月子の場合は、圧倒したり導いたりと、とにかく存在感が凄い。


 月子の声でボーカロイドの作成。

 俊はそのアイデアを、既に発表していた。

 これが本当に成功すれば、ソフトが売れれば月子にも金が入る。

 悪いことでないはずなのは間違いがない。

「けれど人間の声の、本当の魅力はノイズだからなあ」

 打ち込みやボーカロイドよりも、アナログ存在を心地いいと感じてしまう理由。

 それはデジタルでは表現できないレベルのものが、その中に含まれているからか。


 あるいは遠い未来には、いや近い未来にでも、それを再現出来るようになるのかもしれない。

 そうなれば多くのミュージシャンが、廃業することになるのか。

 もっともそれは打ち込みがメジャーになった時も、普通に言われたことだ。

 ボカロPの文化の中には、打ち込みを基本としながらも、ギター演奏などの一部は生音を使っていたりする。

 結局はデジタルだけでは足らず、アナログをフォローするのに丁度いい、というのが今の状況なのだろう。




 万規模のオーディエンスに向かって演奏する。

 これはMNRも既に、何度も経験していることだ。

 ノイズ側だけではなく、MNR側も白雪は来ている。

 なお紅旗は永劫回帰に連れられていくところを、ノイズの演奏を見ないかと提案し承諾されたらしい。

 違う場所で、このステージを見ているのだ。


 やはりノイズの音楽は、受け皿が広くて深い。

 紫苑は確かにいいギタリストであるが、彼女ではなくとも並以上のギタリストであればどうにか、ノイズという存在は受け止めていたであろう。

 俊はとにかく、世界を広げていった。

 表現の世界をである。

 ピンポイントに作る徳島などとは、そこが違うと言える。

 徳島の作る曲は、どれにも熱心なファンがつく。

 しかし全体的に見れば、売れるのはノイズの音楽である。


 マニアックであることが、逆にいいという世界はあるのだ。

 少なくとも徳島の音楽は、長く残り続けるだろう。

 対してノイズの音楽は、長く残るものもあれば、忘れられるものもあるだろう。

 その程度の覚悟はして、俊は音楽で商売をしている。


 紫苑の入ったことによって、演奏には安定感が生まれた。

 こうなるとボーカル二人は、好き放題に暴れることが出来る。

 月子の声の音圧が、明らかにいつもよりも高い。

 千歳の声のざらりとした感じも、いつもよりも顕著である。

 これは紫苑がギターであるから、というわけでもないだろう。

 別に暁でも、こういう演奏は出来なくないのだ。


 ただ少しだけ、気になることはある。

 このノイズの演奏を聴いたことによって、紫苑時代のノイズの方が良かった、などと言い出す輩が出てこないか、ということだ。 

 おそらく絶対に出てくるだろうな、と思っている。

 基本的に紫苑は個性を消して、技術で演奏をしている。

 そこにパッションが足らないのだが、正確であることが正しい、と芸術を受け止める感性のない人間はいるものだ。


 俊はもちろん、少数意見のそういうものは、どうでもいい。

 そもそも使っているギターの種類も違うのだから、演奏が変わるのは当たり前だろう。

 暁の使っているのは異常個体。

 世界中を見ても、あんなものがあるのかどうか。

 本来なら不良品に近いレベルで、ピックアップの音が違うのだ。


 紫苑の音は自己主張が激しくない。

 だから調和の取れた音に聞こえるのだろう。

 しかしミュージシャンとしては、ステージの上では目だってなんぼである。

 暁も普段は、フィーリング全開で弾いている。

 紫苑の音が退屈だとかは思わないが、ノイズに合わせてくれているというのは分かるのだ。


 これがやがてフラワーフェスタに行く。

 あそこは色々なフェスに出て、ちゃんと認知度を上げてきている。

 その動きはむしろメジャーシーンではなく、ノイズのような活動に近い。

 その気になれば一気に有名になれたはずだ。

 しかしそれをしなかったのである。

(あと少し足りないのか、それとも自己主張が激しすぎるのか)

 暁もフラワーフェスタのヘルプには入ったことがあるだけに、印象はしっかりと持っている。


 ノイズの今年のステージが終わる。

 オーディエンスを熱狂させ、ちゃんと期待に応えるものではあった。

 しかし自分なら、と暁は考える。

 もっと意外性のある演奏を、どこかでしていたであろう。

(もどかしい)

 世の中の妊婦さんは、皆そういう思いであるのか。

 もちろん暁の場合は、かなり特殊な例外であるのだった。

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