第344話 クリスマスの集まり
12月に入ってもう、俊は断念した。
「無理だ。税理士に頼もう」
結婚したことによる、確定申告の複雑化。
国民年金とは別の、年金というものが実はアーティストにはあったりもする。
ただ俊はどちらも信用していない。
下手な資産運用などよりも、作曲作詞の不労所得を狙う。
スポーツ選手と違って、著作権が残る作家などはそこが強い。
ノイズ全員の確定申告をちょっと調べたところ、一時期は会社所属でサラリーマンミュージシャンだった栄二はともかく、信吾はかなり危険である。
月子は元から自分ではやっていないし、千歳は叔母の方に頼める人間がいた。
ノイズというものを完全に、事務所と一体化させたらどうなるのだろうか。
これはマンガ家のスタジオ化による節税と似ているので、悪いことではない。
ただしまだこれから、活動するステージが変化することを考えれば、今はまだ動かなくてもいいのかもしれない。
俊はかなり儲けることに関しては、状態を把握出来ている人間である。
しかし税金関連のあれこれは、複雑にすぎる。
そもそもアーティストというのは、金銭の収支を度外視しすぎるところがある。
白雪にさえその傾向はあり、色々と止められるところがあるのだ。
ゴートの場合は自分ではなく、他人に金を出させるのが上手い。
プロデュースの能力でも色々とあるが、ゴートはまさにその方面の力も強かった。
年末にはフェスがあるし、賞レースも存在する。
ノイズはノミネートされていて、おそらくあまり重要ではない部門を与えられるのだろう。
ただしそんなものに出席する義理はない。
実際に視聴率は下がっているのだし、むしろネットでは鼻で笑われていたりする。
昔はちゃんと権威があったものだが、公の権威がなくなったものは、他にも色々とある。
たとえば本なら直木賞なども、今では完全に本来の意義を失っている。
意外と言うべきか、若者の感性に触れることが多いためか、マンガの賞はけっこう人が納得するものが多い。
そんな中でノイズのメンバーはプラスワンと共に年末の年越しフェスの準備をしているのであった。
「ここいいな。私の部屋も用意してほしい」
「あんたはマンションの最上階を、丸々自分ちにしているでしょうに」
景観の問題もあって、白雪の持っているマンションというのは、それほどの高層階ではない。
だがその最上階を丸々というのは、色々と出来るように設備を整えたのだ。
俊の住むこのあたりも、普通のマンションならともかく、タワマンなどを建てられないように条例で定められていたりする。
ちなみに大昔の話、東京タワーが法律関係で建てられないと頓挫しかけた時、田中角栄が無茶な理屈であれは建物じゃない、で通したのは有名なこと。
まあマンションをどう考えても、建物ではないとは言えないが。
マンション経営もまた不労所得。
ただし設備の維持や建て替えなど、やらなければいけないことは多い。
まあ同じく中抜きはあるが、作詞作曲の著作権の方が、ミュージシャンにとっては分かりやすいものである。
芸術の世界にあまり、金の話ばかりをするのは野暮なものであろう。
だがイリヤなどは死後にも、毎年200億ほどの収益が出ていたりする。
それをそのまま使うだけでも、フラワーフェスタは一気にブレイクする道を作ることが出来るだろう。
しかしそれを花音が自分で使えるようになるには、来年を待たなければいけない。
現在はその管理をしているのは、イリヤの生前から交流があった、四人の人間によるのだ。
資本力という面でも、フラワーフェスタには敵わなくなるのか。
そもそもケイティの後ろ盾があるのだから、最初からアメリカでやった方が、成功したのかもしれない。
もっともそれはアメリカ社会の危険性を極度に知っている保護者が、許可しなかっただろうが。
数日間のフェスに参加するだけでも、随分と心配されたらしい。
国外恐怖症なのである。
目の前の成功だけを見るならば、日本だけを見ていてもいい。
ただ今後の日本は、かなり衰退モードに入っている。
将来的にも稼ぐつもりなら、アメリカで有名になっておくべきである。
あそこは覇権国家という立場を使って、多くのプラットフォームを作ってしまった。
いくら稼ごうとそこに音楽を流す限り、むこうは勝手に儲けを持っていくのだ。
それだけの巨大なプラットフォームを作るのに、金も必要であったし、まずは最初に飛び込んで市場を作る必要もあったのだが。
発想から富が生まれる。
その意味では日本にも、巨大なコンテンツ産業が存在する。
アメリカの表現業界が、自家中毒で崩壊している今、日本は文化的な侵略を仕掛けている。
しかしアメリカ人はこれを、侵略とは思わないだろう。
日本のマンガなどは、あまりにも多様性に富んでいるからだ。
下手なロビー活動などは必要ない。
好きなものを選んで、これが好きだと発信すればいい。
今はそういう時代であり、個人の好きの影響が、とんでもなく大きくなっているのだ。
そして幸いなことに、日本の文化にはタブーが極めて少ない。
キリスト教文化から離脱しているからだとも言えるが、仏教の教えは受けても煽動されることはない。
これは信長がやったことで、政教分離がかなり進んだからだ。
その政策をおおよそ、家康も引き継いでいる。
江戸時代からは近世に入る。
鎖国していた日本は、今につながる文化を多く生み出した。
日本の文化をガラパゴス、などと笑う人間もいるが、それはその人間こそが笑われるべきであろう。
こと文化においては、ガラパゴスというのは独自性である。
文化や芸術というのは、他者から違うものであってこそと言える。
100年後に自分の音楽が残っているか。
それを不安に思うことが、俊は少なくなってきた。
理由としてはおそらく、自分が親になるからだ。
音楽という情報ではなく、遺伝子という情報で、後世に残す存在が出来てくる。
別に自分と同じ音楽の道を行かなくても、それはそれでいいことだろう。
もっとも自分の子供という、一番近くの存在にさえ、影響を与えないというなら、音楽の力はそれほどでもないのかもしれない。
MNRと共に参加する、最後のフェスが迫ってくる。
紫苑は当たり前だろうが、あまり元気がない。
レコーディングはこれからもするかもしれないが、MNRとしてステージに立つのはこれが最後。
白雪は体力が落ちており、それも心配の原因となった。
「ボカロの声ってどうやって作るの?」
そんな中で、白雪が問うてくる。
「多分……ものすごいサンプルを集めて、それで作るんだと思うけど」
中の人がいること自体は知っていても、どういう過程で作られたかは知らない俊である。
ミクさんやGUMIさんは、それがそれとして独立した存在になっている。
中の人、のことなどあまり考えなかった。
そもそも人間そのままであれば、あれほどの高音などは出るものではない。
「しかしまたどうして?」
俊としては当たり前の疑問である。
「私がいなくても、MNRの音楽が作れるように」
「いや、白雪さん本当に、まだ死なないんですよね?」
「それはそうだけど、昔のようには動けなくなるから」
まだアラフォーの白雪に、そこまでの体力の低下はないと思う。
だが入院生活は、かなり延びてしまったのだ。
元ボカロPとしては、ボーカロイドの種類が多いというのは、面白いものなのだ。
特にコーラスとして使うならば、セルフコーラスとして使えたりもする。
千歳の場合は歌い方に、相当の個性があって難しい。
だが月子の場合なら、声質そのものが独特である。
(コーラス用にボカロにしておきたいかな)
多重コーラスを簡単に出来るかな、と俊は思ったのである。
将来のことは別にしても、これは面白い試みである。
月子の特徴的な声を元に、ボーカロイドを作成。
本人に来てもらわなくても、ある程度のイメージは掴める。
今の忙しい時期ならともかく、来年になったらどうにか。
新しい技術については、かなり好きな俊である。
今でこそボカロPの活動は休止しているが、随分とお世話になった世界ではあるのだ。
白雪としては、サンプリングに多くの声が必要というのが、面倒ではあったらしい。
「でもこれを突き詰めていけば、やがては人の声は必要なくなるんじゃないかな」
機械音痴はすぐにそういうようなことを言う。
俊からするとライブにおける計算出来ない歌など、ちょっと合わせるのは難しいだろう。
だがそう言っていればAIの文章や絵は出てきたのだから、必要にはなるかもしれない。
多重コーラスを作るためには、丁度いいものだ。
今でも普通に、録音やハウリングなど、そういった技術はあるのだが。
本人がいなくても、おおよそのイメージが作れる。
白雪には否定的に返したが、ひょっとしたら10年もしないうちに、ボーカロイドは更なる進化を遂げるのかもしれない。
それが果たして、いいのかどうかは分からないが。
今でもボカロPの中には、調声といってより人間らしい声に調声のに熱心なボカロPがいる。
完全に道具の一つとしては、使わないものであるのだ。
まあ世の中にはミクさんと結婚してしまった人もいるのだから、そこに何かをいうのは野暮であろう。
ただ俊としては、代替物として考えていた。
しかしクセが味になっている千歳はともかく、月子の声はサンプルとしても、面白い使い方が出来ると思う。
メインボーカルが月子であるからには、そういったボーカロイドを作っても面白いのではないか。
月子の声が、他のボカロPにも使われるようになる。
それが世界に広がれば、まさに世界制覇になるのではないか。
(考えてみたら面白いか)
こういうことには日本の技術者の方が、色々と積極的であったりするのだ。
あの日、俊が場末のライブハウスで見つけた、使い方を間違えていた才能。
それが世界中のコンポーザーが、耳にすることになるのか。
考えてみればそれは、かなり痛快な話でもあると思う。
それにボーカロイドとして残せば、100年後の死後にであっても、月子の歌の新曲が出るということだ。
文明が崩壊しない限り、月子の声が永遠になる。
過去にあった偉大な存在ではなく、これからも生まれ続ける偉大な存在。
やってみたらかなり面白いかもしれない。
ただ下手なことをしてしまうと、希少価値がなくなってしまう。
あとは月子自身に、どれだけのマージンが渡るのか。
少なくともまだしばらくは、生歌が負けることはないと思うのだが。
アーティストは永遠を残したい生き物である。
しかし音楽というのは、かなり近世に至るまで、譜面でしか残す方法がなかった。
コンピューターの原型があって初めて、それが可能になったのだ。
そしてCDなどは半永久的に、保存が可能な存在である。
実際には経年劣化がどうしても出てくるのだが。
デジタルな信号の音によるCDは、聞く者によってはLPの方がまろやかであるという。
理屈の上では、俊もそれは分かるのだ。
ただデジタルの0と1の間を、本当に聞き分けられる人間が、そんなにもいるのだろうか。
もっとも現在やCDではなく、今さらLPを集めている人間もいるという。
音楽がデータ化されるとうい時代。
これに抵抗していたら、商業的な成功はありえないだろう。
しかし自分で楽しむ分には、LPなどの方がいいのである。
このあたりはあの徳島なども、こだわりを持っていたりする。
それだけこだわっているのに、打ち込みには躊躇がない。
元々楽器は出来ても、下手であったりするとそうなるのか。
少なくとも俊は、色々な楽器をやってきたが。
アメリカツアーにおいては、月子にはちょっと調べたいことがあった。
前から言っていた、障害に対するものである。
日本の病院で診ても、ある程度の診断はしてもらえる。
そして注意されたのだが、解決策は日本にはないというものであった。
魂がロックである暁が、普通の女の幸せを掴もうとしている。
それと月子は対照的な存在だ。
暁も孤立していたが、それはあくまでも性格的なものであるし、普通にコミュニケーションを取れる集団はあった。
そこに帰属することによって、学校では孤立していても、それを寂しいとは思わなかった。
そもそも父親が出張にでも出なければ、二人だけの時間を過ごすことになる。
音楽との対話が、暁を慰めてくれていた。
月子は音楽を、好きでやっていたわけではなかった。
しかし妥協を許さない厳しさを、祖母は持っていた。
結局はこうやって、生きていくための術の一つになっている。
生活力をつけるという点では、必要なことであったのかと、今ならばどうにか思える。
だがそれは月子が、人生において成功したから言えるものだ。
成功者は基本的に、自分の人生を全肯定出来る。
だから成功者の書いた本は、何も参考にならない。
成功者の書いた本で、どれだけ失敗したかを書いていたら、それこそ本当に役立つ本となる。
だが基本的に成功者とは、成功するまで失敗を続けた人間のことであるのだ。
そういったメンタルを持っているというのは、今ではそうそういるものではない。
日本人は保守的であるという。
俊も保守的であったが、挑戦は全くやめなかった。
ただひたすらに、同じことを繰り返す、ということはしていない。
バンドでは失敗して、ボカロPではそこそこの成功。
ならば次にはどうするか、というように違うことをどんどんと試してみる。
日本人の失敗者には、なぜか何度失敗しても、同じような失敗を繰り返す人間がいる。
失敗したのに学ばないというのが、本当の失敗であるはずだ。
俊はその点で、失敗したことから色々と分析をしている。
基本的には力量が足りていない、というのが正しい認識だ。
しかしネタ曲が受けたことによって、その方向性にも疑問は持っていた。
12月のフェスが近づいてくる。
その前にはクリスマスがあるな、とも思うがノイズのメンバーには特定のイベントは入っていない。
こういう時にこそ寂しい人間たちに向かって、コンサートをやってやればよかろうに。
そんなひどいことを考えるほど、趣味が悪くないノイズである。
千歳は独り身の友人たちと、やけくそパーティーをするらしい。
一人ライブのためにギターと、ミニアンプを持っていった。
信吾は三人の愛人を公平に扱うために、仙台に帰る。
妹へのプレゼントなどを、先日は選んでいた。
栄二は普通に、家族で過ごすクリスマスだ。
すると俊の家に残るのは、月子と暁だけになる。
佳代は引越しがまだ決まっていないが、出版社のパーティーに呼ばれていった。
三人で過ごすのかな、と微妙な気分になっていたところに、MNRの三人が直前で予定を入れてきた。
酒と料理を手にして、三人と三人のパーティーもどきが始まる。
かといって何か、めでたいイベントを用意しているわけではないのだが。
適当に食べて飲んで、あーだこーだと語り合うクリスマス。
まあ来年はここに赤ん坊が加わるはずなので、もっと騒がしいものとなるかもしれないが。
話題としては、徳島が例のサントラの件に、苦心しているという話が伝わってきている。
そもそも徳島は多作な人間ではないし、一曲作るのにも時間がかかる。
本人は全力でやっているのだが、同じ部分を何度もやり直したりする。
予算や納期を言われている方からすると、やきもきするのも無理はないだろう。
俊はそのあたり、雰囲気を掴んで上手くこなしてしまう。
白雪も似たようなものだ。
そういう点では徳島は、本当の意味でのアーティストなのかもしれない。
もっとも業界では高く評価されても、曲を出すタイミングが長すぎる。
ミステリアスピンクの曲の中には、徳島の関わっていない曲も混ざっている。
しかし人気があるのは、全て徳島の作った曲なのだ。
早死にしそうだな、と業界の中でも言われている。
なにせ創作中は、眠らなかったり食べなかったり、作業に没頭し一日が過ぎていたりするのだ。
商業主義と言われようが、俊は売れる曲、必要とされる曲を作るのみ。
そのあたりは割り切っているのは、白雪も同じであろう。
昔であれば徳島は、ちょっとメジャーな場所にやってくることも出来なかったであろう。
今のようにネット発信の時代だからこそ、その才能を認められたと言っていい。
ただそれを許容するにも、限度というものがあるだろう。
昔のレジェンドミュージシャンは、それこそレコーディングに数ヶ月もかけていたりしたそうだが。
クリスマスが終わると、すぐに年末のフェスである。
シャンパンやワインを、他の面々が空けていく中で、妊娠中の暁はオレンジジュースやぶどうジュースで我慢していた。
「いいんだ。あんなおいしいぶどうジュースを、苦いアルコールに変えるなんてほうが、意味分からないんだから」
酸っぱいぶどうと似たような理屈で、暁は酔わないクリスマスを過ごしたのであった。
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