第343話 冬がやってくる

 気温が随分と下がってきた。

 今年は冬が早いのかもしれない。 

 そんなわけであまり外出することなく、スタジオで作曲活動を続ける俊。

 依頼されていた曲については何曲も、少しずつ変わったイメージで作っている。

 どれが採用されるかは分からないが、それとは別に冬のフェスで発表する曲も作成している。

(パッションじゃなく技巧だからな)

 俊は今のノイズを、そういうものだと考えている。


 ノイズの音楽は電子音なども多く使っているが、リードギターが走るのがやはり、最大の特徴であった。

 メロディを奏でるのも、ギターであることが多い。

 しかし紫苑のギターは、そういうタイプではない。

 だからそれに合わせて、今までは作ってこなかったタイプの曲を作る。


 ボカロP時代を思い出す。

 なんでも作れるからこそ、逆に何を作ればいいのかはっきりしなかった。

 それでも蓄積してきたものが、ここでは活かすことが出来る。

 単調な繰り返しに少しだけ変化をつける。

 BGMというのは、それが前面に出て来すぎるといけないのだ。

 ボーカルのついた楽曲でもないし、インストの曲でもない。

 その場面を活かすというのは、案外クラシックの要素が上手くはまったりする。


 演奏して合わせているのを見ると、暁も指がうずうずしてくるらしい。

 練習で演奏する程度には、運動しても大丈夫であろう。

 アコギを使って、BGM用の音を出したりもする。

 紫苑は音に叙情を乗せることが、あまり上手くないのだ。

 興奮しすぎると胎教に悪いが、何もしないのもギター中毒が発症する。


 11月のライブまで、練習の日が続く。

 紫苑に加えて白雪まで一緒に来ると、紅旗までが一緒に来てMNRのメンバーが総揃いする。

 それぞれ刺激を与え合うことになる。

 栄二は10歳ほども若い相手に、ドラムの叩き方を教えたりする。

 ただ技術的なことはともかく、パワーでは明らかに紅旗の方が上だ。

 何かやっているのかと尋ねると、実は総合格闘技もやっているらしい。

 どちらかといううとおとなしく、ステージが始まるまでは震えが止まらないなどと言うが、ポテンシャルは確かに高いドラマーなのだ。

 そうでもなければあのゴートが、自分の代わりになどするはずもなかったか。


 こうやって日々をすごしていけば、やがて11月のライブの準備も始まる。

 300人規模のライブハウスとなると、地方都市ではほぼ限界の容量だ。

 もっともコンサートホールなどを使うなら、話はまた別になる。

 ただああいったホールは地元の人間を優先するため、なかなか予約が取れなかったりする。

「そういえばMNRは国内ツアーとかしませんね」

「やってるよ。大きいところだけ」

「それはツアーと言わないのでは」

 実際にMNRは、大阪に福岡、そして在京圏ぐらいでしか活動していない。


 今はもう、地方まで出て行く必要があまりないのだ。

 ネット配信によって、ある程度の拡散は出来てしまう。

 それで人気が出たならば、東京まで見に来るか、あとはわずかな地方公演のチケットを買えばいい。

 在京圏の人間だけで、おおよそは成立するのだ。




 このあたりノイズとは、考え方が圧倒的に違う。

 成功のための方程式を知っていた白雪と、それを疑った俊の差であろう。

 そもそもMNRは、白雪という存在がいたため、レコード会社も積極的に売り出した。

 ノイズの場合はもし俊が何かをやっても、親の七光りと逆に低く評価されたであろう。

 ボカロPのサリエリは、どこからか普通に湧いてきた人間。

 そしてノイズが有名になってから、自然と情報が洩れるようにした。


 ただこれについても、世の中の暇な人間は、叩く材料にしたものだ。

 親の力があったからこそ、こうやって売っていけるのだと。

 もっともその段階になれば、ファンの多くはノイズが、どうやって売上を伸ばして行ったか知っている。

 叩こうとした相手に対して、事実の羅列で逆に叩き返す。

 そういったやり取りがネットの中ではされていたのだが、俊はSNSでもネットでも、全く自分たちのエゴサはしないのだ。


 自分たちの音楽をやる、と決めていた。

 そして徹底的に、売れ線の音楽をやっていた。

 実は売れ線に見せながら、かなりハードロックな部分もあったのだが。

 売れる音楽というのは、共感するところがないといけない。

 しかし同時に、想像を超えたものでもある必要がある。

 

 ノイズのイメージを最大限に込めたのが、ノイジーガールであった。

 そしてその世界を大きく広げたのが、霹靂の刻であった。

 あとはタイアップなどによって、テーマに沿った楽曲を作ることもやってきた。

 そして今は、色々な経験を積んだ末に、世界展開しようとしている。


 ノイズは順調に人気を得たようにも思えるし、実際にそれは間違いないであろう。

 だがヒートなどは、あっという間にスターダムをのし上がったのだ。

 ほんのわずかな活動期間に、どれだけの影響を残したことか。

 白雪以外の他の二人は、もうプロとしては音楽に携わっていない。

 それが白雪には、少し悲しい。

 死んでしまった仲間に対して、他の誰かと一緒になど出来ない、と言っているようで。


 白雪としても、もう一度誰かと組んで表に出て行くなどとは考えていなかったのだ。

 しかし昔の戦友から、頼まれてしまったならば仕方がない。

 MNRというバンドの名前は、死んでしまったかつての仲間に対するもの。

 白雪としてはいつか、発展的な解散をすることを考えた上で、MNRを作ったのだ。


 ボーカルにベースを見つければ、ある程度形にはなるだろう。

 そう思っていたところ、自分の病気が発覚したわけである。

 月に一度は経過観察。

 そして悪化したと判断されたら、すぐに手術という手順になっている。

 この病気は遺伝の要素があるが、確かに白雪の母も、比較的若くにこの病気で死んでいる。




 11月はワンマンのライブなので、練習でも通しで練習したりする。

 そして俊は気がついたのであった。

 紫苑は常に、余裕を残して演奏を終わらせるようにしている。

 それはそれで凄いことなのだろうが、自分の限界を、ここのところは超えていないということでもある。

「そうなんだよね」

 白雪は俊と二人で、そんなことを話し合った。


 アーティストというのはライブにおいて、オーディエンスの期待に応えて当たり前。

 期待以上のパフォーマンスをしてこそ、まさにアートとも呼べるライブ感につながるのだ。

 今でもレコーディングをするならば、暁よりも紫苑のほうがずっと、パートを素早くこなしてくれるだろう。 

 こちらの意図を正確に読み取り、しっかりと合わせてくる。

 優等生のギターであり、調和が取れているが、それだけにもっとと思わされる。

「紅旗のドラムとなら、相性がいいんだけど」

「フラワーフェスタに入れると、余計に埋もれませんか?」

「あの中では一番年長であるし、何かが起こると期待してるんだけどね」

 このあたり白雪は教え子のことを考えてはいるが、スパルタ的なところもある。

 根本的には人に教えるのが苦手なのだろう。


 バンドの中で恋愛があると、関係がぎくしゃくする。

 それは昔から言われることで、白雪もかつてはそう思っていたのだ。

 メンバーに関しては、男だとは思わない。

 また自分が女であることも、意識しないでおこう。


 ただ結果として、自分は少しだけ後悔をしている。

 他に選択肢がなかったのではないか、というものだ。 

 もっともミュージシャンに限らず、女性のキャリアというのは、本当に構築しにくいものがある。

 常に仕事を第一に考える、というのが大前提として存在する。

 もっともそれが嫌であるから、自分で会社を作ってしまった、などという人間もいたりするが。

 基本的に日本の企業では、女性経営者はまだまだ少ない。


 そんな深いことを考えているわけではないが、白雪のMNRの解散というのは、発展的解散だ。

 音楽的な発展ではなく、二人の関係を発展させるため、ここで解散させるのである。

 将来的にはフラワーフェスタに入る、というのでもいいだろう。

 しかしその前の段階で、子作りから出産、育児までをやってもいいのではないか。

 白雪はお節介な大人として、そんなことを考えている。


 別に二人に限ったわけではなく、白雪は大阪のおばちゃん的に、ゴートにまで世話を焼いている。

 それが紅旗を送ったことで、ゴートはプロデュースに専念出来るようになった。

 紅旗の存在は大きく、仲が悪いわけではないが、すぐに手が出るボーカルのタイガとギターのキイを、物理的に止めていたりする。

 ゴートもあれで喧嘩は強いのだが、紅旗の場合は本当に頑丈なのだ。

 育ててくれたドラマーが、ドラムは体力だ、ということでいろいろな格闘技をやらせたのだから。

 

 内輪もめの時間が減って、練習の時間が増える。

 永劫回帰とすれば、それだけでもありがたいことだろう。

 むしろフラワーフェスタに、ちゃんと合うのかどうかが問題だ。

「あの二人に子供が出来たら、私にとっては孫みたいなもんかな」

 そんな年ではないだろう、と俊は思う。

 しかし昔であれば、30代で祖母になるのも普通であった時代がある。

「私は多分、今回の病気こそ手術でなんとかなるけど、あんまり長く生きられないんじゃないかな、と思ってるんだ」

 確かに白雪は、昔から儚げな雰囲気をかもし出す人間ではあった。

 ただ性格はいい性格をしている。


 俊は自分の死をイメージすることがない。

 ただ自分の死後も、音楽は残ってほしいと思っている。

 しかし音楽以外にも、自分の痕跡を残す存在が生まれようとしている。

 暁の胎内にいる、自分の子供。

 人間が子供を作るのは、種の保存欲求や性欲ではなく、もっと社会的な欲望からくるのではないか、と思ったりもする。

 即ち社会に、自分は何かを残した、という欲求である。


 多くの人間は凡人である。

 それでも才能の有無と、子供を残すこととは関係がない。

 種族としてこの世界に、自分の足跡を残すこと。

 子供を作るというのは、社会的な欲求の一つであるのかもしれない。




 作曲だけではなく作詞もする人間は、そんな面倒なことも考えたりする。

 哲学的に苦悩を語るのではなく、歌詞として他人に伝えることが、音楽であろうに。

 しかしそれは正しい語彙を選択しなければ、聞いてもらっても分からなかったりする。

 英語の歌詞を日本語訳して、再び英語にした場合、全くニュアンスが変わってきたりする。

 歌詞を英訳する時には、どうしても専門家の助けが必要であった。


 英語の歌詞をそのまま日本語に訳せば、とんでもなくダサいものになったりもする。

 だが日本語ネイティブの人間は、基本的に日本をそのまま使った方が、日本人には上手く伝わる。

 三味線を使う曲などは、俊は積極的に日本語以外を排除して行く。

 そのため今の受けている仕事では、月子に演奏してもらう機会がない。


 ふと考えるのは、和風の作品の音楽であっても、普通に西洋の楽器は使うということ。

 これはもう完全に、日本の生活の音楽として、西洋の音楽が浸透しているということだ。

 それでも時代劇であったり、和風の中でも特にそれが顕著である場合は、和楽器を使った曲を作ったりする。

 そちらは俊としては、基本的に知識が少ない。


 実はこういうことについても、月子は色々と知っている。

 伝統音楽の世界というのは、横でかなりつながっているからだ。

 いずれはそういう音楽もインプットして行くかな、などと俊は考えたりしている。

 音楽のインプットということに関して、彼の欲求にはとどまるところがない。


 日本は洋楽を取り入れた上で、上手く消化してJ-POPやJ-ROCKという存在にしている。

 その中にはコード進行が多かったり独特であったりと、充分に独自性があるとも言われている。

 しかしどうせならば、和楽器を使ってロックをやってみたい。

 もちろんギターやドラムを捨てるわけではないが。

 そういうことも可能なのが、シンセサイザーであるのだし。

 もっとも全ての和楽器をフォローしているわけではない。


 三味線一つにしても、ギターのようにフレットがしっかり分かれているわけではない。

 もちろんギターも、あえてそこを曖昧にする弾き方もあるが。

 三味線は三つの弦で、唸るような音を生み出す。

 弦楽器と言っても、やはりその違いというのはあるものなのだ。


 今回の作曲についても、電子音であったり、またエレキギターであったり、オーケストラの音であったりと、色々と作った。

 そしてその間にも、しっかりとライブの準備はしているのである。

 フェスに向けて、また新曲を作らないといけない。

 せっかく紫苑がいるのだから、彼女がいる間にやりやすい、そんな曲も作ってしまおう。

 おそらく暁が弾くと、解釈が変わってしまうものだ。


 そんなことを考えている間に、まだライブがやってくる。

 この間と違うのは、ワンマンの二時間ライブであるということだ。

 MNRもこの長さのライブは、アリーナ公演などでやっている。

 ただ紫苑としては、だんだんと条件が厳しくなっている。


 正確なプレイから誤解されるが、紫苑はそれなりに緊張もするのだ。

 そしてちゃんと白雪は、それを知っていた。

 他の用事もあるが、ノイズの来年のアメリカツアーにも同行する予定である。

 MNRは年末に解散し、今の仕事も一月中には終わる。

 なのでそこで、やらなければいけないことをやるのだ。




 楽屋には阿部に春菜、そして暁に白雪と、関係者がしっかりと集まっている。

 なお紅旗は呼ばれていない。差別である。

 プレッシャーを感じないというのは、どんな人間でも嘘であろう。

 ただその感じ方に、色々な差があるだけだ。

 いざとなれば肝が座るタイプや、むしろプレッシャーが集中させるタイプ。

 開き直って他の誰かに任せてしまうタイプ。

 そしてプレッシャーを楽しむタイプが、おそらくは一番強いのだ。


 紫苑としても舞台袖から、白雪が見ていてくれるというだけで、ある程度はそれが軽減される。

 しかし一緒にステージに立つほど、白雪に任せられるわけではない。

 ノイズにおけるリードギターは、本来はかなりプレイを引っ張っていくものなのだ。

 だが紫苑はそういうタイプではない。

 なので楽曲にも、ある程度のアレンジが必要になっている。


 全体の音のバランスのために、千歳はまた俊のヴィンテージテレキャスを借りていたりする。

 紫苑のギターはストラトタイプであるので、やはり音は違うのだ。

 暁が普段使いしている、狂ったピックアップのレスポールのような音は出ない。

 印象的な音をカバーするために、千歳はギャリギャリするテレキャスターを使うのだ。

 総合的に見ればストラトキャスターの方が、色々な場面で使いやすくはある。

 ただ俊が作ってきた曲は、暁のレスポールを基準にしたものなのだ。


 この間のライブもそうであったが、やはり音が違う。

 なのである程度のアレンジが、どうしても必要となる。

 紫苑は技術的には、確かに暁にも匹敵するのだろう。

 しかしノイズというバンド自体が、暁のレスポールを基準として作曲をしている。

 もちろん一般人の耳には、そうそう変わったものとは分からないのであろうが。


 ライブが始まれば、紫苑は無表情のままでギターを奏でる。

 この無表情なのは緊張ではなく、集中によるものだ。

 ステージ中はどんなアクシデントが起こっても、もうこの集中が途切れることはない。

 そうやってこの二時間のワンマンライブも、しっかりと乗り越えていく。


 やはり紫苑で良かった。

 俊としては最初、白雪にまたギターを持ってもらえないか、などとも考えていたのだ。

 ベースボーカルの彼女であるが、元はずっとギターを演奏してきた。

 ただ現在の病状からすると、症状が悪くなればすぐ、手術をしてしまう必要があった。

 これでは作曲まではともかく、ライブは難しいし、ツアーは不可能である。


 それでも最後に、解散のステージをやるというのは、彼女なりの選択なのであろう。

 ぶっちゃけレコーディングバンドとしてなら、今後もMNRは存続できる。

 ここまで一度名前が売れれば、それでも成立するはずなのだ。

 しかし白雪はそれを選ばなかった。

 自分が育てた二人が、どのように羽ばたいていくのか。

 まだ確実に確認できる間に、それを確かめておきたかったのだ。


 12月には最後のフェスが待っている。

 なおノイズもMNRも、そして永劫回帰も紅白には出ない。

 そして予想されていた通り、ノイズは賞レースに興味がないのに、普通にエントリーはされている。

 関係性の強いMNRは、ばっちりと本命である。

 こちらは今年で解散、という宣伝の仕方も上手いのであろう。


 年が明ければ、また色々なことが起こる。

 音楽業界だけではなく、それぞれの生活においても。

 アメリカに行った時には、ライブだけを行うわけではない。

 そこで改めて、ノイズは時間を取っているのだ。

(まったく、今年も忙しい年末になるよな)

 ただ今年からは、一緒にすごす伴侶がいるというのが、不思議な感じがする俊であった。

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