第378話 灼熱の季節へ

 早世した人間は、伝説化されやすい。

 現実では微妙なものでも、早死にしたというだけで評価が高くなる。

 確かに画家などであれば、作品も少ないであろうから、高値をつけるのは分かる。

 だがミュージシャンの評価が高くなるのは、ただの感傷だと俊は思っている。

(まああの天才は本当に天才だったけど)

 ジミヘン、カート、ジム・モリスンあたりは確かに天才だろう。

 ジャニス・ジョプリンは好みが分かれると思う。

 シド・ヴィシャスは単なるジャンキーでパフォーマーだった。

 あくまでも俊の考えであり、ポジティブなことは広言しても、ネガティブなことは身内の場でしか言わない。


 思えばその頃のミュージシャンは、確かにアーティストであったのだろう。

 俊は自分は芸術家ではなく、職人になりたいと思っている。

 そして棟梁となり、バンドの経営を行っているのだ。

 アーティストというのは徳島のような人間のことをいう。

 ゴートなどはもはや、プロモーターとしての面の方が強い。


 日本において一番最近の、アーティストともアイドルとも言える存在は、ヒートであろう。

 表に出てきた活動は、おおよそ一年だけ。

 しかしその一年で、強烈な印象を残していった。

 リーダーの死後、他の三人は前面に出てくるのをやめた。

 白雪だけは音楽業界の中で生きているが、他の二人は音楽を続けても、商業の中ではやらなくなった。


 そのヒートの伝説を受け継いだのがMNRで、だからこそノイズよりも後発ながら、先にメジャーになったというのはある。

 俊としても父親の件を前面に出す、というのは考えはしたのだ。

 ただそれはなんとなくまずいなと思ったし、岡町なども賛成しなかった。

 マジックアワーも東条高志も、時勢の流れの中で売れたのだと、暁の父の保も含めて思ったのだ。

 残りドラマーは、音楽業界自体から去っていった。


 音楽の世界で売れ続けるというのは、本当に難しいのだ。

 特に作詞や作曲は、いずれ通用しなくなる時がある。

 作曲家が年を経て、アレンジだけは他の人間に任せるようになった、という話もあるのだ。

 それまで数多くの名曲を生み出していながらも、編曲の部分は通じなくなっている、と時勢を感じたのだろう。

 インプットを延々と続けて、まだまだ時間が足りない俊とは、ちょっと話が違う。

 ただ俊はまだ20代である。

 これが40歳ぐらいになれば、もう表には出て来れなくなるのかもしれない。




 俊は自分が創作よりも、評論の方に向いているのでは、と思うことがある。

 だからインプットを上手く行って、アウトプットも的確に行うことが出来る。

 自分自身に熱狂するのではなく、俯瞰的に物事を見る。

 それはステージでパフォーマンスを行う人間としては、致命的な欠陥であるのかもしれない。

 しかしそんな俊から見ても、月子は何か己を、燃やし尽くそうとしているような気がしてならない。

 悪い予感ほど当たるものなのかもしれない。

 ただ本人は何も言わず、検査の結果も悪いことなど出てきていないのだ。


 杞憂であるならばそれでいい。

 今の月子の歌唱のクオリティは、手術前よりもさらに上がっていると感じる。

 これをそのまま記録出来たならば、と思うぐらいだ。

 今まで映像としては、ライブ撮影をしたものを、ネットで配信したぐらいであるか。

 だがライブ一つを丸々残す、ということもデータだけはあるのだ。


 今度のアリーナ公演は、三日間を全て残すつもりでいる。

 ノイズという存在がどのようにして輝いたか、誰もが分かるように。

 これまでにもテレビに出演はしたし、月子に関してはドキュメンタリーまで映像として残っている。

 こういったものは全て、後にノイズを語る上で、大きな資料となるのだろう。

 だが当事者である俊にとっては、自分で作る創作物だ。

 何かを残していく。

 今までやっていたそれを、今度はライブの映像として考えるだけである。


 俊はオーディエンスの反応も、わざと見せる必要がある。

 ある程度スモークなども使うが、顔が出てしまうことも考える。

 そのあたりをチケットの販売時から、あらかじめ通知しなければいけない。

 ただこれを伝えることが、映像として発表することを、かなりあからさまにすることにもなる。

 以前からライブの映像のDVDやBDを発売してほしい、という声はあったのだ。

 しかしそういう映像をしっかり作るのは、二時間の映像を作ることになる。

 さらにカメラの数も、膨大なものとなってしまう。


 俊は以前に、自分でMVを作ったものだ。

 素人にしては上手く出来たと思ったが、周囲からの評価は想像以上に高かった。

 しかしそこで映像の方にまで手を出さないのが、俊が己の身の程を知るところであると言えようか。

 ライブ映像の編集は、専門家に任せることになりそうだ。

 そちらの方は以前に映画音楽を担当したことから、伝手がちゃんと出来ている。

 上に行けば上にいくほど、出来ることも増えていく。

 変なしがらみを受けないように、細心の注意が必要になってくるが。


 練習を終えると俊は、街に出て行ったりする。

 何か目的があってのことではなく、見つかるものを目にするのが目的だ。 

 それでも一応の目的地としては、図書館や本屋を考える。

 CDショップはこの数年でも随分となくなってしまった。

 さすがに東京には何軒も残っているが、下手をすれば通販やコンサート物販の方が多いのでは、とさえ思える売れ行きだ。

 付録を付けたような感じで、それを目的に買っていくという文化。

 だが日本はまだ、CDが売れている方なのだ。


 この件に関しては、大陸側がどうにもならない。

 完全に日本だけではなく、世界中のコンテンツを守るという気がない。

 そもそもこういったものは虚業なので、リスペクトのない消費をされては、売れることが難しくなる。

 稼げなくなったら消えていく時代だが、本業をしながらも高品質の物を作って、発表する人間はいる。

 そう思うとMOONを作ったのは失敗かもしれない。

 視聴者側に劣化したものでも満足する、乏しい感性を育むことになるからだ。




 DAWやボーカロイドは、音楽を始めることの垣根を、かなり下げることとなった。

 もちろん前提として、ちゃんとなんらかの楽器などをやっていた方が、作りやすいのは間違いないのだが。

 裾野が広い方が、頂点も高くなる。

 このジャンルから頂点に上り詰めたのは、TOKIWAであろう。

 徳島もそうだが俊も、人間の力を使っている。

 そういった他人との化学反応で、さらに上に昇っていくことが出来たのであるが。


 運が良かったのだ、と俊は思う。

 運命的に集まったのだが、全ては運であった。

 成功はしたかもしれないが、これほど成功したとは思わない。

 今から過去に戻っても、自分はこの未来を選ぶだろう。

 それぐらいに最短距離で、メジャーシーンにやってきた。

 今でも所属はインディーズなのだが。


 メジャーとインディーズなどは、日本とアメリカでは違いもある。

 日本のメジャーだからといって、アメリカでもメジャーなわけではない。

 そもそも契約の内容によって、そういったものは変わってくる。

 自分たちに有利な契約をしているという点で、ノイズはメジャーのトップとすら言えるのだ。

 永劫回帰などは、メジャーでありさらに契約もいいものであるが。


 音楽という興行で虚業の世界では、派手なプロモーションが必要である。

 それを出来るだけ少なくして、階段を登っていったのがノイズである。

 MNRや永劫回帰は、一気にトップから始まっている。

 フラワーフェスタは一歩ずつと言うよりは、足踏み期間が長かった。

 ただ永劫回帰もフラワーフェスタも、MNRのメンバーを入れてから、バンドが若返ったり、本格的に売れるようになった。


 このあたりの小さな人間関係で、大きく日本の音楽シーンは動いた。

 それとは別に、ずっと30年売れているバンドなどもある。

 だがネットとボーカロイド、歌い手にバンドというあわせ技を決めたのは、ノイズだけである。

 そもそもバックボーンが、他のバンドよりも強かったりするが。


 ただノイズもMNRの紫苑を借りたり、永劫回帰などと合同でイベントをしてと、レコード会社すら超越したイベントをしたりした。

 これはゴートと白雪の力であり、俊の力は膨大な演奏者による演奏を、ちゃんとアレンジしたところにある。

 作曲者であるはずの白雪が、あれは今ではノイズしか出来ない、という曲にしてしまったのだ。

「夏が終わったら秋口に、東南アジアツアーを考えていたりする」

 俊としてはちゃんと、メンバーの理解も求めるのだ。

「採算が取れるのか?」

 気にしたのは栄二であり、普段から金儲けにうるさい俊に対し、こう尋ねるのはおかしくない。

 栄二は俊よりそこそこ年上なだけに、そのあたりの市場の大きさに懐疑的なのだ。


 台湾、フィリピン、マレーシア、タイの四国を予定している。

「本当はシンガポールも入れたいんだけど……」

 どうも許可を取るのが難しいらしい。

 シンガポールは富裕層が多いので、確かにファン層を作れれば美味しそうだが。

 しかし意外と保守的なところがあるので、興行は難しかったりもするらしい。


 ほとんど都市国家じゃないのか、というシンガポール。

 300万人の都市であるので、美味しそうな場所ではあるのだ。

 実際に日本のライブに来ていた中に、シンガポール人がいた。

「今ならベトナムとかはどうなんだ?」

「反日感情が高まっているというか、昔ほどの親密さは感じていないらしい」

 日本国内でもそうなので、逆もまた然りと言えようか。




 海外ツアーはこれまで、アメリカとヨーロッパで行った。

 アメリカでは好評であったが、ヨーロッパは当たり外れがあったと言える。

 ヨーロッパではラテンのあたりでは、それなりに受けた。

 だがフランスにおいてはアニソンのバンド、という扱われ方をしていたりもした。

 またイギリスではどうにも、扱いが悪かったと思う。

 ドイツではかなり良かったのだが。


 ヨーロッパなどと一言で言っても、国によって大きな違いがある。

 それを共同体などとしてしまったのが、今の政情不安につながっているのではなかろうか。

 フランスの場合はマンガやアニメが先行してくれていたため、そういう面を見せられることがなかった。

 イギリスでイマイチであった理由も、推測は出来るが確かではない。

 事前の調べでは、イギリスでもMVなどの再生数は回っていたのだが。


 イギリスというとビートルズを産んだ国であり、大規模なフェスをやっている国でもある。

 だがアメリカには何度か参加したが、イギリスからは呼ばれたことがない。

 フランスで呼ばれた時には、アニメ関連の要素が強かったと思う。

 正確に言うとアニメフェスの一環で、呼ばれたというのが正しいのだろう。

 

 東南アジアはともかく東アジアは、商売にならない。

 大陸の海賊盤文化がひどすぎて、あちらからの接続は切るようにした方がいい、とさえ思うのだ。

 もっともネットは世界を経由すれば、どこからでも接続は出来る。

 それと国外のマーケットに関しては、アメリカを通して行っている。

 日本でも充分に力はあるはずなのだが、どうも流通を抑えられているのが痛い。

 コンテンツがいくら強くても、ネットの大元をアメリカに抑えられているのだ、問題なのである。

 もっともそれも、アメリカのミスと言うよりは、おかしな思想問題で、日本の巻き返すチャンスは来ているのだが。


 クレジットカードの問題である。

 世界的な流通の会社が、特定のクレジットカードでは使えなくなった。

 日本のレーティングと、欧米のレーティングの差によるものだが、馬鹿馬鹿しい話だと俊などは思う。

 妙な思想が入ったり、あまりにも一方的であったりと、ツッコミどころは多い。

 日本の文化の中でも、二次創作文化の強さが、欧米を打ち負かしているという面がある。

 ただ幼年向けであったりすると、二次創作のレーティングが限定されてしまうが。


 音楽とはまた、ジャンルの違う話である。

 しかし日本では普通に見られる年齢無制限の作品が、欧米だとがっつりレーティングされている。

 またLGBTなどとも言うが、日本ははるかに昔から、そちらの文化の表現には寛容である。

 それがゆえにかえって、無駄に多様性を持ち出す必要がないのだ。


 俊が考えているのは、境界をなくしたい、ということである。

 ただこういった境界、いわゆるルールの範囲というものは、欧米は勝手に自分たちの有利に作り変える。

 こういったルールというのは、本来はもっと公正と公平のために作るべきものだ。

 そのあたり日本人とは、ルールというものに対する考えが、大きく違う。

 日本の原作では男のキャラが、なぜか向こうでは女になったりする。

 まあ日本もアーサー王だの信長だのを女体化はしているが、現実に存在する権利者の作品を変えるのは、話が全く別であろう。

 女とも見まがう美しさを、女にしてしまえばそれは、キャラが完全に崩壊するのだ。


 このあたりは俊よりも、千歳の方が詳しい。

 ただし感情的に考えていて、俊はもっと論理的である。

 アメリカを通じて、世界に発信して行くのは、戦略の大前提である。

 だがその過程において、アメリカのおかしな偏りを、自分たちの音楽に取り入れる必要はない。

 時勢を見ても、それを取り入れるかどうかは自由であるべきだ。

 取り入れなければいけない、と考える思想の方が、よほど危険なものである。




 八月に入り、準備はかなり整ってきた。

 また月子もしっかりと検査を受けて、悪い兆候などは見せていない。

 このまま完治するのでは、という望みを他のメンバーは捨てていない。

 今の月子の力を見ていれば、そう考えても当然のものであろう。


 夏場になるとあちこちで、イベントが行われる。

 夏休みにお盆がある限り、ここと年末年始は、日本人にとっては特別な季節なのだ。

 対して欧米圏は、完全にキリスト教の文化圏。

 それに囚われている限り、文化の発展はまた、阻害されていくのではないか。

 もっともあちらでは保守的なのは、キリスト教的であるということ。

 リベラルであっても基本は、キリスト教的であるが。


 政治的な立場ははっきりとしているが、明言はしない俊である。

 思想によって価値が変わってしまうというのは、おかしな話だと思っているからだ。

 興行で虚業であるが、同時に必要な娯楽でもある。

 その中に政治的なメッセージを込めることは、むしろ流行していた時代もある。

 俊も完全に、それを封じようとするわけではない。


 歌詞の中には神や天国といったものが出てくる。

 だが俊はそれを、否定的なものとして考える。

 人間の死後には、何もその人の意識は残らない。

 残るのはやってきたことだけだ。

 だからこそ人間というのは尊い。

 完全な無駄死にが存在しても、それでも仕方がないのだ。

 

 あらゆる生物は、ほとんどなんの意味もなく、餌となって養分となって死んでいく。

 その中で人間だけが、特別な存在でいられるものだろうか。

 人間もまた単純に、消費される存在である。

 戦争で死んだものは、兵士だろうが一般人だろうが、普通に気の毒な存在である。

 だが兵士は、敵を殺すことは許されている。


 俊が音楽にこだわるのは、それが感情的なものであるからだ。

 理屈であったり、変な発明であったりしない。

 おそらく神が生まれるよりも、ずっと前から存在するもの。

 だからこそ残す価値があると、俊は考えている。


 もしも宇宙人とのファーストコンタクトがあったら、科学者よりも学者よりも、ミュージシャンが最初に相互の交信が可能になる。

 そんなことを言った人間もいたはずだが、それは明らかな間違いである。

 聴覚を使わずに、人間は生きることも出来る。

 ただ電波だけは、おそらく全ての知的生命体に、必要なものではあるのだろうが。

 感情を伝える手段として、音楽がある。

 人間は未来に向けて、何かを残していくことがある。

 その中で俊は思想や哲学ではなく、感情を残していきたい。

 それが音楽を選択した理由なのだと、後付で分かっている。


 実際のところがどうなのか、俊は分からない。

 だが分からなくても、自分が選択したものだということは間違いない。

 そして多くの人間に、既に影響を与えてきた。

 ノイズの音楽が生きがいだという人間は、それなりに多くいる。

 言葉が大きすぎると考えたとしても、多くの人に影響を与えたことは、間違いがないはずだ。

 本当はほんの少しでも、誰かの生きる助けになってくれたらいい。

 逆に破滅に導かれても、それはそれで満足してしまうのが、俊の中のアーティストとしての、わずかな部分であるだろう。

 この夏から、また物語が始まる。

 その先がどうなるのか、それは分かっていない。

 分からないからこそ、人生というのは面白いものなのだろう。

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