第379話 永遠の輝き

 時間の過ぎるのが早い。

 何かを作っている時は、本当に瞬時に時間が過ぎていく。

 それこそ全く、もう無駄な時間などないように、時間が過ぎていくのだ。

 ……本当だよ?


 練習に飽きたら、気分転換に気合を入れて、レコーディング作業をしていく。

 そして何か気分が切り替わり、食事でもしたらまた練習に戻る。

 音楽に飽きたら違う音楽をやって、たまに千歳が持ってきたアニメを見る。

「何度見ても進撃の巨人はいいよね」

「当たり前のことを言うな」

「わたしはヒンメルがいい」

「いや、タイトルはフリーレンだから……」

 でもヒンメルだったらそうする、と呟く月子である。


 練習に飽きたら今度は、作曲や作詞に入ったりする。

 作曲はともかくアレンジは、ややこしいところは全て、俊がやらなければいけない。

 千歳もDAWで作曲自体は出来るようになったのだが、作れるのと、それが素晴らしいのとでは、全く意味が違ってくる。

 ミクさんやGUMIではなく、MOONを使っている。

「普通に歌ってあげるのに」

「いや、あたしの駄作をツキちゃんに歌ってもらうのは、ちょっと天罰が下りそうだから」

 分かる~、と背後で頷く俊である。


 現役トップクラスのボーカル、あるいはシンガーとも言われる月子の声は、それはもうたくさん使われている。

 最近ではたまに配信でしか曲を上げない、文字通りライブ活動は完全休止の白雪の、SNOWと双璧ともなっている。

 バンドとなると結局、ボーカルが最後にはものを言う。

 なのでMOONを使って作曲し、それを本人の月子が「歌ってみた」をすることを目標とするボカロPは多い。

 もっともボーカロイドは、本人でもそこまで出ないよ、という高音や低音まで出してしまうのだが。主に高音。


 レコーディングまで自宅で出来るという、この俊の環境。

 少なくとも俊は、ものすごいスピードで動いている。

 以前のように狂気じみた、作曲の途中で失神するように眠る、ということはなくなっている。

 だが時間を上手く使おうというのは、以前よりもさらに効率を重視しているだろうか。

 そしてあっという間にアリーナ三日間連続コンサートはやってきた。


 だいたいどんなミュージシャンでも、本番前には緊張するものなのだ。

 緊張しないというのはどこかおかしいか、もしくはやる気がないかのどちらかでしかない。

 大御所になったミュージシャンが、手を抜いたプレイでも拍手を浴びれば、ますます手を抜いていくであろう。

 そういうものはどんどんと、クオリティが落ちていくのだ。


 ノイズにしても緊張と言うよりは、わくわくしている人間もいたりする。

 暁などは典型的なそのタイプで、緊張感を上手く高揚感に変えている。

 月子などもいつからか、プレッシャーを上手く集中力に変えるようになった。

 ちょっと語弊はあるが、そういう意味で手を抜いているのは、俊なのであろう。

 もっとも俊は手を抜いているのではなく、上手く力を抜いているのだ。




 ノイズのライブコンサートに関しては、月子の仮面や衣装も注目のポイントである。

 スポンサーがついてそのあたりに、自分の金をかけなくてもいいようになった。 

 むしろあちらの方から、モニターとして契約金を持ってきたりする。

 こういう時の契約には、さすがに事務所を通すことになる。

 そして事務所は一割から三割を、持っていくのである。


 ノイズとその事務所陸音は、ずっといい関係を築いている。

 お互いになかなか正式に所属はしなかったが、その期間がお互いを見極めるのに、いい準備期間であったのだろう。

 だいたい音楽関係は、ギャラの取り分で決裂することが多い。

 音楽性の違いはメンバー同士だけではなく、事務所との関係も重要なのだ。


 自分自身をプロデュースする時代である。

 また事務所に対してもプレゼンを行う時代だ。

 しかし重要なのはこちらからお願いするのではなく、相手に選ばせること。

 これを売りたい、とプロデューサーに強く思わせることが、成功のために最低条件だ。

 厳しく当たりもするが、プロデューサーなどは一番、そのミュージシャンの成功を求めるからだ。 

 もっとも売れることと成功することが、同じと考えなくてはいけないのが、プロデューサーというものである。


 今はこのあたり、かなり複雑な世の中になっている。

 それはやはりネットでの配信があるからだ。

 かつては音楽をやっていても、聞いてくれる人間がいなければ、それは自己満足でしかなかった。

 だが今は普通にスマートフォンで、世界中に発信していくことが出来る。

 ボカロPなどであれば、ボーカルさえ必要とせず、自分一人で完結する。もちろん初期投資は必要になるが。


 普通のボカロPでも、1000人やそこらのフォロワーがいる人間は、全く珍しくない。

 発信している媒体によっては、それでお小遣いぐらい稼げたりもする。

 昔はとにかくライブをするのが必要で、そのための金が必要であった。

 チケットも売らなければいけないし、スタジオを借りるのにも金がかかった。

 つまり音楽をするために初期投資だけではなく、継続投資が必要であったのだ。

 さらに自分一人でやるのは難しい。


 本業をもって趣味でやって、そして聞いてもらうことが出来る。

 供給する側もそうだが、需要の側も色々と、探していけばいいのである。

 売れたい、成功したいと思うのではなく、ただ続けたい、届けたいと考えるなら、充分な環境。

 それが現代であるので、パイはむしろ小さくなっているのではないか。

 発信媒体次第では、広告で収入が発生する。

 ノイズも最初は、オリジナルはそれでやっていたのだ。

 歌ってみたなどのカバーは、撒き餌のようなものである。


 デビューさせるという上から目線は通用しない。

 今の世の中デビューしても、その先がどうなるか分からないというのは、既に周知されているからだ。

 だからこそ信吾は、アトミック・ハートを抜けたのだ。

 強い飢餓感を持っていた。

 自己肯定感をさらに強く持っていたがゆえに、駄目だと先が見えていた。

 実際にもうアトミック・ハートは、解散したかどうかさえも分かっていない。

 信吾が確認すらしていないし、連絡も取っていないからだ。




 ライブの始まりの前に、当然ながら舞台の設営が始まる。

 これをノイズのメンバーは、一度は全員で見ることを、義務としている。

 自分たちのステージを作るのには、多くの人が関わっている。

 それはプレッシャーにもなるかもしれないが、同時に進むための勇気にもなる。

 支えてくれる人間がいて、背中を押してくれる人間がいて、自分たちを待ってくれている人間がいる。

 ここまでお膳立てされていては、むしろ失敗する方がおかしい。

 どれだけのパフォーマンスが出せるか、だけを考えていけばいい。


 ライブというのメンタルや、精神力がものをいう。

 スタジオでいくら上手く演奏出来ても、それは重要ではないのだ。

 実際の本番でどれだけの演奏が出来るか。

 むしろ本番のステージの方が、より強い演奏が出来る。

 ライブバンドというのはそういうものなのである。


 バンドメンバーの中で、一番仲間の姿を見られるのは、やはりドラム。

 だが左端の俊や、右端の暁も、見れないことはない。

 もっとも暁の場合、前に出てくることが多いので、やはり見れないのだが。

 俊は左端から、メンバーの様子を見ることが出来る。

 ただ栄二に関しては絶対的な安定感があるため、あまり見ていることはない。


 設営の終わったステージで、前日のリハを行う。

 設備もおおよそは本番と同じで、時間がどれぐらいかかるかも確認して行く。

 MCの時間については、計測するだけでいい。

 煽っていくならば千歳の方が、咄嗟のアドリブは上手いのだ。


 そしてアンコールである。

 二曲目まではちゃんと用意しているが、たまにそれで収まらない時もある。

 基本的にアンコールは二度、というのが暗黙の了解になってはいる。

 だが煽りすぎて盛り上がりすぎたら、三回目をやってしまってもいい。

 やれるなら何度でもやってしまいたい、というのが暁と千歳の本音である。

 しかし問題は、スケジュールの管理にもあるのだ。


 設営の後には当然ながら、撤去の手間もかかる。

 スケジュールにもよるがその日は徹夜に近い時間で、終わらせなければいけなかったりもするのだ。

 そういうことを考えると、やはり二曲目あたりを基準にする。

 これがフェスなら後ろのミュージシャンも含めて、微調整をしていくのだが。

 そちらはそちらで最終セッティングを行うので、よりタイトなスケジュールであったりする。

 場合によってはタイムテーブル通りに開始し、演奏の途中でアジャストしていくこともあるのだ。


 今回は三連日という日程になっている。

 昼の部と夜の部に分けていないのは、やはり月子の体調を考慮したものだ。

 単純に収益を考えるなら、昼と夜で動員人数を多くした方がいい。

 しかしそんな時間まで演奏すれば、息切れしてみっともないところを見せるかもしれない。

 そういったことを考えると、やはり余裕を持っておくのが重要なのだ。

 ライブのパフォーマンスがしょぼかったりすると、一瞬で離れていくファンはいるのだ。




 ライブは一期一会。

 たとえそれを録画しておこうと、その瞬間の熱気までは分からないものだ。

 ライブの音源を元に、クリアにしていって販売するアルバム、というのもあったものだ。

 加えて今は、映像を残すことも重要になっている。


 どうせなら聞くだけではなく、見てもおきたいと思わせる。

 ライブパフォーマンスというのは、確かに映像も伴ってのものだ。

 ロックバンドと暁は自分たちを定義するが、そこまで派手なパフォーマンスはしない。

 そもそも歯ギターやウインドミルなど、別にやっても音が変わらないのだから、やる必要はなるではないか、という考えだ。

 むしろ今は、逆に派手なパフォーマンスが、かっこ悪いという風潮である。

 だから暁は脱ぐだけで済ませているのだが。


 出産前は水着のトップスであったものだが、年を重ねてビスチェになってきた。

 黒歴史というほどではないが、子供に見られたら調子に乗っていてちょっと恥ずかしいな、という程度の羞恥心は持っているのだ。

 今回のライブにしても、別に特別なパフォーマンスをするつもりはない。

 だが演出に関しては、モニターや設備を使って、色々と出来るのだ。


 演奏しているメンバーの表情などを、モニターに映すこと。

 そういうこともライブでは、はっきりと分かることだ。

 数万人のステージともなれば、その姿が見えない人間もいるだろう。

 そちらに向けた演出というのが、ここでやるべきことなのだ。


 この演出に関しては、暁と栄二の要望を取り入れながら、俊と千歳で考えている。

 千歳の才能というか、素質として出てきたのが、こういった演出の問題だ。

 やはり映像作品を見てきたのが、ここで活かされているのか。

「ツキちゃんが一番目立つのは変わらないけどね」

 あとはギターソロでは、暁の表情と手元を、上下二段に分けて映す。

 弾いてるフリなどをしていては、出来ないことである。


 昔からバンドというのは、ライブ感というのは確かにあっても、音源の方が上手いのは当然であった。

 何度も繰り返してリテイクするから、というのも確かにある。

 しかし音源で演奏するのは、専用のスタジオミュージシャンであったりするのだ。

 今でも実はそれは変わらず、下手くそなバンドのボーカル以外は、レコーディングのたびに打ちひしがれている。

 さすがにボーカルだけは、演奏をどうすしようと、代えなどはいないものなのだ。


 ノイズは全員が、ちゃんとレコーディングでも演奏出来るバンドである。

 そういうメンバーでなければ、俊は集めなかっただろう。

 今はともかく昔の千歳など、半泣きになりながらも、みっちりと教え込まれたものだ。

 暁が代役をすることは出来ないが、俊や信吾でも適当に入ることは出来たであろうに。

 暁の場合は特別なレフティなので、音が全く違うものになってしまう。

 最近はようやく、長年かけて作り出した、イエロースペシャルをステージでも使っているのだ。




 設営が終わって、本番リハも行われていく。

 基本的には一発流して、そこから細かい部分を詰めていく。

 こんなことをしても、本番ではより勢いが強くなる。

 だからステージは、一期一会なのである。

 そうやってリハを終えると、あとは直前のステージで、また微調整するだけとなる。

 近隣にホテルを取ってあるので、そこで眠ることになるのだ。


 東京からでも普通に、やって来れる距離ではある。

 だが何かがあって事故に巻き込まれれば、それだけ大きな損害になる。

 もちろんそういった場合に備えて、保険に入ったりはしている。

 しかしどんな事情があっても、ファンの前でライブが出来ない、という事実だけは変わらない。


 ライブはやはり、見てほしいものなのだ。

 せっかく準備をしてきて、それが何かの理由で無駄になる。

 これほど残酷なことはない、とそれはやる側も分かっている。

 かつては聞く側であったのだから。

 暁と千歳はあまり、他のライブを見ることは、自分たちでもやるまではなかった。

 だが他の四人は、あくまでも誰かのステージを見たからこそ、この世界に飛び込んだと言っていい。

 暁もその意味では、父がバックミュージシャンをしているバンドなどは、よく見たものだが。


 千歳は歌だけの世界で育った。

 母と一緒に歌っていて、やがては少しカラオケなどでも歌って、喝采を浴びたものである。

 今の千歳の理解者は、音楽関係者以外としては、当然ながら叔母である。

 文乃は千歳の活動を、そうそう見に来ることはない。

 彼女は彼女で忙しいからだ。

 だが同居していた頃は毎日のように顔を会わせていたが、今となっては別々の暮らし。

 お互いにたまに訪問する、という間柄である。


 今回も久しぶりに、ステージを見ないかと尋ねてみた。

 すると友達の分も合わせて、二枚ほど用意してくれと言われた。

 叔母は友達が少ないように見えて、高校時代の友人や、作家仲間はそれなりに多いのだ。

 一緒に住んでいた千歳からしても、偏屈なところがある人ではあった。

 だが他人の尊厳を守るという点では、筋の通った人であったのだ。


 月子の方の叔母は、ちょっと今回も来れそうにない。

 年に二度ほどは、東京に用があるので、やってくることもあるのだが。

 出来ればその時には、ノイズのライブも見てみたいと思っている。

 だが彼女の都合に合わせて、日程をずらすことはさすがに不可能なのだ。




 東京の首都圏に入っている、このアリーナ。

 主に首都圏からの人間が、客の大部分になるであろう。

 しかし全てというわけではなく、わざわざ交通費や宿泊費までも使って、生のライブを見に来る人間がいる。

 そういうことを考えれば、気合の入ったライブをしないわけにはいかない。


 公演の前日、眠れる人間と眠れない人間、二種類がいるであろう。

 ちなみに俊は睡眠薬を持っていって、それを使って眠ってしまうタイプの人間だ。

 こういう日は暁とは、別の部屋にしている。

 前日に励んだりなどはしないが、普通に眠る前に、ちょっと気分が盛り上がらないようにするためだ。


 千歳は同居人に対して、メッセージを送ったりする。

 あちらはあちらで、普通に深夜まで色々とやっていたりする。

 こういう創作系の人間というのは、なぜか夜型の人間が多い。

 俊などは睡眠時間が短く、朝焼けの町を見に行ったりするが。


 何かの創作物だけが、インプットになるわけではない。

 そもそも創作と考えるなら、この人間社会の全てが、なんらかの意図や必要によって作られたものなのだ。

 他のメンバーも初日の前日には、ある程度の緊張感がある。

 ただもし睡眠不足であったとしても、最悪ステージの二時間ほど前までに、眠ってしまえばいいのだ。

 そこから体調を戻して、ステージを開催する。

 そういう経験をこの六人で、もう何度もおこなっているのである。


 当日の朝は、かなり早くに目が覚める俊である。

 実は低血圧の暁は、こういう時に食事など作ってくれない。

 そういうサービスは利用しているし、もしも足りなければ少しぐらいは、何か野菜なり果物なりを食べればいい。

 近辺には朝から、あるいは24時間、営業している店もあるのだから。

 このホテルにおいては、朝のビュッフェが料金に入っている。

 そこで顔を合わせたり、合わせなかったりするものだ。


 海外の場合はこれが、男組と女組分かれて、寝室が三つあったりする。

 この当日になってしまうと俊や暁は子供たちのことも気にしなくなる。

 完全に忘れてしまって、目の前のステージに集中する。

 それこそまさに、芸の鬼と言えるのであろう。

 全力をもってして、ステージで演奏することに専念する。


 本番前の最後のセッティング調整。

 短いリハをやっていって、お互いのリズムも調整する。

 これがぎりぎりまで、時間を使ってしまいたくなる。

 阿部から止める声が入って、ようやくステージを降りるのだ。

 何度やっても、これに慣れることはないだろう。

 だが慣れてしまったら面白くないな、と思うメンバーもいたりするのだった。

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