第380話 夏の鼓動

 アリーナの控え室からは、外が見えないようになっている。

 別にそれは珍しいことではないし、ライブハウスなどは多くが地下で、そしたら外が見えないのも当たり前だ。

 ただ客がちゃんと入っているか、ということは重要なのである。

 どれだけネットで不正などをして、数字を誤魔化したとしても、ライブを埋める客の数は正直である。

「どうでした?」

「早めに入場してもらった方がいいかもしれません」

 開場してから開演までには、30分の余裕を持たせている。

 その間にちゃんと、座席に移動してもらうためだ。

 ただアリーナによっては、初めて訪れた人間には、座席への通路が分かりにくかったりする。


 音響に気を遣った、立体的な構造。

 フラワーフェスタなどはライブハウスではなく、最初からもっと音響を考えた、コンサート会場を手配するようになっている。

 もちろん音響がよければ、ライブハウスの形式でも使っているが。

 芸術家肌の人間が揃っているのがフラワーフェスタであった。

 紫苑が入ってから完全に売れ線に乗ったのは、彼女が年長であり、成功の道を既に一度歩いていたからと言えよう。


 ただそのフラワーフェスタも、また一時的に休むのではないか、と言われている。

 ミュージシャンというのはツアーなどを行うと、ものすごく体力や気力が削られる。

 また人間関係にも問題が起こったりして、それを冷静にさせるための時間が必要なのだ。

 ノイズの場合は性格が、いやそれよりは立ち位置が、優れていたと言えるであろうか。

 男性陣が比較的年上で、高圧的な人間がいなかったこと。

 また女性陣が千歳を育てるのに、不満を抱かなかったことなど。


 千歳がいない五人のままでも、そこそこは成功していたと思う。

 だが今ほどの規模になるとは、全く思えなかった。

 俊の才能というのは、むしろ他者の才能を見抜くこと。

 そしてバランス感覚なのだろう、と暁などはようやく本質が分かってきている。

 結婚して一緒に生活していようが、夫婦でさえ分からないところはある。

 俊はメンバーの尊厳を守る人間だが、暁に対して変にベタベタはしてこない。

 やることはやっているのだが。


 フラワーフェスタが休むのは、色々と理由はあるだろう。

 その中の一つとして、花音と並んで年下の玲が、リーダーをしているということがある。

 日本での動きにおいては、玲がイニシアチブを取るのを、自然と感じていた他のメンバー。

 ただし紫苑の実績が、人間関係を複雑にしている。

 もっとも紫苑もMNR時代から、おかん体質であったことは確かだ。

 しかしおかんであっても、誰かを引っ張るというわけではない。


 信吾や栄二にも、またバンドに入ることや、元のバンドを抜けた理由を、尋ねてみたのは千歳である。

 俊はそんなデリケートな問題は、とても問えることが出来なかった。

 ただ二人に関しても、見る目と必要とされる場所を、はっきり理解していたのは確かである。

 ノイズは確かにフロントが強力だ。

 しかし強力すぎて、あまりに主張する人間であると、かえって状況が悪くなると俊は思っていた。




 栄二からすると、いいタイミングであったのだ。

 それに最初は、ヘルプとして入っていたものである。

 月子と暁の才能は、確かに俊一人では支えるのが難しかった。

 打ち込みではない生のドラムとベースが、どうにか支える必要はあったのである。


 信吾は単純に、元のバンドの未来がおおよそ見えていた、ということがある。

 とは言え移籍してしばらくは、メジャーデビューした仲間が羨ましくはあった。

 しかし判断力と決断力は、やはり備わっている人間であったのだ。

 今はあれが最短のルートであった、と断言することが出来る。

 いや、最短を選ばなかったからこそ、より高みへ至ることが出来たのだが。


 俊は栄二が他へのヘルプに行くにも、信吾の女癖にしても、優先順位さえ間違わなければ、変に管理しようとはしなかった。

 ただ女性陣に関しては、特に年少組の二人に対しては、保護者であったが。

 明らかに月子を特別視していたが、変に手を出すこともなかった。

 その気持ちは男二人には、なんとなく分かるものだ。

 自分のものにしてしまうのは、父親と同じことである。

 それを避けたかったのであろうが、暁とくっついたのは意外であった。


 控え室にまで振動が伝わってくるのは、開場時間になったからであろう。

 大きなアリーナホールが、わずかに巨大な生物のように感じる。

 以前にもここではやっていたが、三日間というのは初めての試みだ。

 俊が気にかけているのは、やはり月子が三日目の最後まで、しっかりと歌うことが出来るか、である。


 東南アジアツアーに関しては、九月以降を予定している。

 あちらは沖縄よりもはるかに南なので、夏はおろか春も秋もない。

 気候に関しては色々と、アメリカの南部に近いであろう。

 また日本の夏の暑さに慣れていれば、それなりに耐えられる。

 もっとも一日のあたりに、色々と気候は変化するが。


 時期を選ばなければ、屋内でやらないと雨季に当たったり、そうでなくても突然のスコールがあったりする。

 海の中にある島国であっても、日本とフィリピンは違ったりする。

 冬のある国と常夏の国で、大きな違いはあるのだろう。

 本質的には常夏の国の方が、生活はしやすいはずだ。

 だが東南アジアからの人間は、日本によく出稼ぎに来ていたものだ。

 現在では色々と問題になっているが。




 まずは目の前のステージだ。

 ほどよい緊張感が、控え室に満ちていた。

 本番であっても練習と変わらないように。

 俊はそう考えて、いつもステージに立つ。

 普段と変わらないように、抑えた演奏をするのだ。

 むしろ裏で音だけを作って、ステージには立たなくてもいいのでは、ということまで考えたりする。


 そうなると自分も緊張しているのかな、と考えないこともない。

 俊はリーダーなので、取材などでは一番表に出る。

 だが表現という意味では、曲と歌詞を使った時点で終わっている、とも思うのだ。

 ライブのクオリティは、阿部やマネージャーが調整してくれる。

 俊としてもプライベートな時間が、わずかに必要にはなっているからだ。


 子供の頃から、父とはそれなりに接していた。

 だが今から思えば、既にあの頃は下り坂であったのだ。

 どれだけ売れていても、一生売れ続けるということは、ほとんどない業界だ。

 まだしも作曲や作詞の方が、業界には長くい続けることが出来る。


 最近は作詞についても、かなり千歳が育ってきた。

 昔から言われる、ボーカルなんて言っているのか分からない問題。

 逆にそれを売りにしたりもするが、千歳は特にはっきりと、発音に気をつけて歌っている。

 歌詞にはちゃんと意味があるのだ、と分かっているからだ。

 月子の場合が全体のイメージさえ合っていれば、それで問題はない。

 そもそも歌詞を読むというところから、彼女には難しいものであるからだ。


 平仮名にしたものに加えて、イメージを補足して伝える。

 そのため声の表現では、突出したものがある。

 千歳の場合は歌詞の、メッセージ性を強く届けるのだ。

 ボーカル二人というのは、そういった使い分けが出来てしまう。

 もちろん二人が一緒に歌えば、また表現は重なっていく。


 ボーカル二人に加えて、月子のMOONを使う。

 本人でさえ出ない高音でも、機械的に使うことが出来る。

 ただこれをメインにしてしまうと、曲全体が浮ついたものになる。

 俊は必ず、人間の演奏をメインに置く。

 打ち込みは手が足らない時に、あるいはどうしても電子音が必要な時に、最小限使っていきたい。

 だが実際に作りたいように曲を作っていくと、そういうものが満載になることもある。


 人間の音だけで表現したい曲。

 あるいはもっと挑戦的な、それこそ人間では出来ない正確さを、あえて必要とする曲。

 ラップ調だと案外、千歳の方が微妙な感情表現が出来たりする。

(色々と金がかけられるようになったもんだ)

 感慨深く思いながらも、俊はステージへと向かっていった。




 フェスには参加していたし、そこで数万のオーディエンスは見ている。

 だが活動再開後のワンマンライブとしては、完全に最大規模のものである。

 ステージの脇から登場して、自分の場所に移動する。

 既に楽器は設置しているのだが、暁だけは常に、自分のギターを持って、ステージにまで上がる。

 もしも不慮の事故で死んだ時など、ギターも一緒に別れることになるだろう。

 さすがに夫や息子よりも大切なものではないが、おそらく一番大切な「物」であるのは間違いないだろう。


 どういうMCから入っていくのか、注目されていたりもする。

 歓声の中で暁は、ギターをつないでべんべんと鳴らす。

『元気ですか~!』

 千歳が叫んで、しっかりと歓声が返ってくる。

『あたしも元気だよ~!』

 まあ千歳が元気なのはいつものことである。


 頭の悪いやり取りが、ほんの少しだけ続いた。

『行くよ~!』

 そしてステージが始まる。

『ノイジーガール!』

 かなりのワンマンライブで、これを最初にするというのが、ノイズのパターンである。

 そしてこの場合、ライブの盛り上がりはある程度、必ず保証されるのだ。


 一番多くやってきた曲であり、反応もだいたい分かっている。

 三日間のステージの最初にするには、確かにいいものであろう。

 ギターの調子もいい感じで、暁も指先に集中している。

 むしろ何も考えず、フィーリングだけで弾いている。

 そしてその方が良かったりする。


 今日も安定した入り方だ、と俊は思っている。

 安定しているだけではつまらないのだが、入り方は安定していた方がいい。

 求めている「いつもの」をまず出していくのだ。

 そこからどんどんと変化して行くのは、もちろん悪いことではない。

 ただ最初には、希望を与えていかなければいけない。

 入りが悪いのは、今では通用しないのだ。


 月子の声も完全に、オーディエンスを魅了していく。

 大きな舞台を何度も踏めば、それだけステージの大きさによって、上手く助走がつけられる。

 大きければ大きいほど、そこから飛び出てくる歌も大きくなる。

 ハコの大きさが人を育てるのだ。

 無理にドームでやるというのも、それはそれでありなのだろう。

 俊にはとても出来ないことであるが。


 月子の歌に千歳の歌は、負けずに付いていく。

 主導するのは月子だが、千歳の声にも印象的なものがあるのだ。

 ディーヴァと呼ばれるような歌姫は、一人でステージを包む力がある。

 だがノイズの場合は、さらにその力を増幅して行く。

 そのために必要な相棒が、千歳のようなタイプなのである。


 月子のようには、そう誰もが歌えるものではない。

 だが千歳の場合は、誰が歌っても千歳のようにはならない。

 凄みと個性によって、ツインボーカルは成り立っている。

 それを最初から聞かせていくのだ。




 ライブに来る人間というのは、もちろん音楽を聴きに来ている。

 だがライブという、一種の非日常空間の体験でもあるのだ。

 そこで日常的なことなど、MCで口にしてはいけない。

 まさにアイドル的な存在で、月子はそこにいなければいけないのだ。


 激しいビートのロックから、叙情たっぷりのブルースへ。

 こういった曲に関しては、ちょっと千歳が歌っても、あまり響くものではない。

 ただ千歳の歌であっても、成立する曲は存在する。

 千歳が月子を上回る部分があるとすると、それはノリのよさである。

 月子はいまだに人見知りの傾向があり、それはどうしようもないものである。

 千歳はなんだかんだ、友達の多かった人間だ。

 そのまま陽キャとして育っていたら、ただの歌の上手い社会人、になっていたであろう。


 不幸な環境は芸術家を育てる。

 無茶な言い方かもしれないが、普通に生まれて育ってきた人間が、普通でないことをするのは難しい。

 自分の人生は既にマイナスだ、と思っているからこそ千歳は、まだまだ貪欲に幸福を求めていく。

 ハングリーであることは、ほとんど変わらないのだ。

 ちょっとばかり恋人が出来たとしても、売れない小説家になど社会的価値はない。

 でも千歳はそれでいいのだ。


 ギターメインの激しい曲になると、千歳がリードボーカルとなる。

 その後ろで月子はコーラスを入れてくるが、それに負けまいと千歳は叫ぶ。

 感情の言語化というのが、月子よりも得意な千歳。

 しかし歌ってしまうと、ただ言葉だけでそれが、伝わらないのが分かってくる。


 魂を燃焼させるのだ。

 そういう暑苦しい理論は、暁の大好きなものである。

 ただ千歳もちゃんと、それは理解出来る。

 共感までしてしまうには、ちょっと人間として恥ずかしい領域にまで、理性を引っ込めなければいけないが。

 それでもミュージシャンが、アーティストばりに表現するには、それぐらいの覚悟が必要なのである。


 ギーターソロで、二つのギターが絡み合う。

 そこを支えるのが、ベースの響きであったりする。

 ボンボンと鳴らされるベースの音は、普段の演奏ではかなり地味だ。

 しかしこの低音がないと、音が薄っぺらくなったりもするのだ。

 特にこのギターソロと合わせていると、深みがよく分かったりする。


 歌唱パートにまた戻って、ソロの楽器は役割を伴奏に戻す。

 もっとも歌が中途半端だと、主役を奪ってやるぞ、という演奏をするのが暁だが。

 そのあたりの手綱を上手く、引くことは出来ない俊である。

 それぞれの演奏と歌唱のぶつかり合いで、本当にいいステージというのは作れるものなのだから。




 何人かが興奮しすぎて失神したり、過呼吸になったりするぐらいで、むしろステージというのは成功である。

 盛り上がりすぎて人が死ぬ例は、警備上のミスを除けば、そうそうありえることはないのだが。

 思えば海外のフェスでも、何人かが怪我をするようなことがあった。

 もちろんあれはノイズが、何か悪いというものではなかったが。

 今日のステージにしても、上手くオーディエンス側も、疲労させるぐらいの演奏をしなければいけない。

 ロックというのはそういうものなのである。


 セットリスト通りの曲は終わる。

 そしてアンコールに入っていく。

 しっかりと二時間は楽しませているが、充分ならばそれはまだ足りていない。

 もうやめてくてと思うぐらい、興奮させてなんぼなのだ。

 ロックのライブというのは、とにかくパワーが必要なのは確かであるので。


 二曲目のアンコールが、緊張を弛緩へと変えていく。

 盛り上がっていた熱気を、平熱へと戻していく。

 もっともアリーナを出れば、そこはまだ夜においても灼熱の八月。

 観客がふらふらと、倒れてしまわないことを祈るのみ。

『また来てね~!』

 千歳がそんなように叫んで、まず一日目は終わった。


 ぐったりと倒れこみそうになりながら、それでもどうにか椅子に座るノイズのメンバー。

 復帰後も二時間のライブはやっていたが、やはりハコが広いと遠くに音を届けるため、普段よりも力が入っていく。

 疲労感はマックス状態。

 だがそれでも少し休めば、腹が減っていたことに気付くのだ。

「とりあえずエネルギー補給しなさい」

 そう言って阿部は、さほどお高くもないテイクアウトを、メンバーに食べさせる。


 運動の後の速やかなエネルギー補給である。

 エネルギーの補給は早ければ早いほど、しっかりと体に吸収される。

 一度肉体を壊して引き出したエネルギーは、そう簡単に元に戻るものではない。

 なので適度に水分や糖分を補給しないと、人間は駄目になるのだ。

 ガリガリのミュージシャンなどはいたりするが、あれがどうして凄まじい演奏になるのか、不思議に感じることはある。

 おそらくあれは、魂の方を燃やしているのだろう。


 わずかなエネルギー補給と休憩で、どうにか動けるようになる。

 なんだかんだ言いながら、ペース配分が出来ているからだろう。

 ここからはしっかりと、満腹になるまで食べないといけない。

 もっともバンドというのは、ドラム以外のメンバーが太っていることは、余り許されない風潮がある。

 腹の出たロックスターというのは、それだけで興ざめなのである。


 ようやくこれで、一日目が終わったところ。

 もちろん昔のように、昼と夜の二回公演よりは、マシな間隔と言えるだろう。

 ただあの頃は本当に、皆が若かったのだ。

 肉体の本当の限界が、見えていなかった若さである。

 さすがにもう無理は出来ないし、するべきでもない。

 明日のパフォーマンスを考えれば、アルコールも入れずにさっさと眠ってしまうべきなのである。


 一日目としては、上手く出来た演奏であった。

 オーディエンスの中には、三日間の開催の中で、複数の日のチケットを買っている人間もいたりする。

 そういう人々は少ないのだろうが、それでも満たすためには、セットリストをある程度変えていく必要がある。

 三日分のセットリストで、順番に練習していたものだ。

 ただ練習ならば、三日分を一日でやっても平気なのに、本番ではそうもいかない。

 やはりライブというのは、演奏する側だけでは成り立たないのだ。

 ノイズのメンバーはみっちりと練習をしてきた。

 そしてステージに立った数も、相当に多いものである。

 これはもう経験を積まないと、分からないことだけである。

 アーティストというのは言語化も必要なのだろうが、音楽に重要なのはそれよりもパッションである。

 月子よりも言語化の上手い千歳すら、それを理解している。

 残り二日に、そして月末のフェス。

 ノイズの夏はまだまだ終わらない。

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