第377話 記録と記憶

 CDの枚数を売るとか、人数を集めるとか、そういった記録はもう更新されないであろう。

 人間が一箇所に集まるということが、世の中にはリスクになっているのだ。

 だからこれから記録が出来るとしたら、ネットによるものだけのはすだ。

 それもいくらでも誤魔化しが利くので、アテにはならないものとなっている。


 記録というのはもう、更新できなくても仕方がない。

 数字でしか評価できないなら、それは悲しいことである。

 野球やゴルフでないのだから、数字で勝敗が決まるわけではない。

 商売の成否は決まるかもしれないが。 

 あとは実際にどれだけの優れた音源を残し、どれだけの人の記憶に残ったかだ。

 晩節を汚すと、それだけで評価が落ちたりする。

 若年で死亡したり、自殺したりした人間が、評価されてしまう理由にもなるだろう。


 八月の前半に、埼玉のアリーナで三日間の公演を行う。

 昔なら昼と夜とで二回公演もしたのだが、まだ月子の体調を考えて、夕方からのみの公演としている。

 あとは今回は、かなり本格的に、映像も残すこととした。

 映像も視覚的情報としては、重要なものである。

 音楽は確かに聴覚で楽しむものだが、原始の時代からそれは踊りと共にあった。

 ライブでのオーディエンスは、踊るために存在する。

 そういった光景を、これから残していくのだ。


 ライブでは、ファーストインパクトが一番激しい。

 だが何度も見ることによって、何がいいのかを確認していく。

 ジム・モリソンやフレディというのは、ステージの上での存在感が、一般的なボーカルとは違ったという。

 もちろんカリスマを言うのなら、それこそプレスリーも持ってくるべきだろう。

 日本人の中にも、ステージで世界を演出するような、そういう存在もいるのだ。

 月子や花音あたりは、その領域に入ってきている。


 アメリカにもディーヴァと呼ばれる存在はいる。

 ケイティなどはその代表格で、年齢を重ねてもまだ歌声が衰えることはない。

 深みを増していくのだが、彼女の声質は月子にある程度似ている。

 ソロでやっていけるだけの存在を、バンドボーカルとして使う。

 しかしこちらの方がより、月子の力を発揮出来るのだ。




 セットリストは皆で話し合うが、おおよそは俊の意見が通る。

 演出の意図が明確であるからだ。

 その演出の意図というのはやはり、どれだけ月子の力を引き出せるかということ。

 ツインボーカルと言うよりも、今の千歳はサブボーカルに収まっていると言ってもいい。

 ただ彼女メインの曲も使わないと、上手くステージで表現しきれない。


 今どきの音楽であるのに、やたらとギターソロはあるし、ベースソロやドラムのソロを入れたりもする。

 ギター二本によって、語り合うように音を重ねることもある。

 電子音も使えば、キーボードも使う。

 表現の幅が広く、そしてただ奇抜なわけではない。

 多くの楽器の音を使うだけに、総合的に俊が一番理解している。


 千歳も俊と同じ大学には進んだが、俊ほどの技術や知識を得ることはなかった。

 また作曲に関しても、とてもアレンジまで持っていくことが出来ない。

 我流に近いところのある信吾の方が、そこは上手く生み出してきたりする。

 作曲の基本のようなものが、かえって邪魔をすることがある。

 センスだけでインプットからアウトプットするというのが、まさに才能なのであろう。

 そしてそれだけでは足らないので、数で補うのが俊である。


 一つの曲をこねくり回して、完成に持っていく。

 普通に人間の思考である。

 俊はインプットが多い分、アウトプットのアイデアも多い。

 そのためどんどんと曲を作っては、感触のいいものをアレンジに回していく。

 ボカロP時代にやり始めたことだが、案外最後まで作ってみると、自分ではピンと来なかったものも、それなりに受けたりするのが難しい。

 作曲も作詞も、確信を持って作れたものなど、半分もないのだ。

 ただ他人の作った曲であると、これは受けるなと分かったりする。


 俊は出来るだけ客観的に、物事の価値を見極めて聞き分けたい。

 ただどうしても感情が、そこを邪魔するのだ。

 そもそも感情を動かせるのが音楽なのだから、本当に理屈だけで曲が作れるわけもない。

 初めてのジャンルというか、カラーの曲を作る時は、不安と共に大きな期待があるものだが。

 変わらないことと変わっていくこと。

 どちらにも大きな価値がある。

 しかし変わってはいけないことと、変わらなくてはいけないことも、やはりあるのだ。


 俊は自分の能力を、小器用と定義している。

 あふれる才能などとは思っていない。

 これまでに作った中で、名曲と呼ばれるのも全て、外からの影響を受けて生まれたもの。

 月子に会わなければ、ノイジーガールも生まれていない。

 そして月子は霹靂の刻を作った。


 俊の意見が通るのは、メンバーの様子をちゃんと観察しているからだ。

 そして通しやすいように、言葉の使い方も考える。

 歌詞を作る時だけに、その語彙力を使うわけではないのだ。

 実際に俊は気難しい徳島ともそれなりに話すし、年上の人間にも悪感情を抱かれることは少ない。

 もちろんそれは、ちゃんとリスクのない人間を選んでいる、ということもあるのだが。 

 音楽だけで勝負したいのに、他の部分で足を引っ張られたらたまらない。

 昔のロックスターのような、破天荒な部分は誰かに任せる。

 自分はひたすら、音楽そのものを純粋に続ければいいのだ。




 映像を残すということ。

 しかもMVでもなく、ライブ映像を残すということは、どういうことなのか。

 音源でもMVでも、何度もやり直したり、作り直して完成するものだ。

 基本的にはそこに不純物はなく、あったとしてもわざと計算して残す。

 だがライブの音源や映像であれば、ノイズをある程度取り除いても、そこにあった何かが残る。


 アリーナでの二時間三日間の公演。

 フェスでの反応は見ていたが、よくもちゃんと埋まったものである。

 俊は基本的にSNSなど気にしないが、ファンはそれなりに気にしているものなのだ。

 そこで仕方なく確認すれば、客観性と言うよりは、無責任な意見が多く見られる。

 ただ圧倒的に多いのは、支持するメッセージであるが。


 ライブで歌ってこそのもの、とは言われる。

 ビートルズなどはその早い晩年、レコーディングバンドとなったが。

 ロックバンドはとにかく、ライブでどれだけのパフォーマンスをするかなのだ。

 そのパフォーマンスを残すのは、やはり映像も含まれていた方がいいだろう。


 ラジオとテレビの熱意の差、とでも言えようか。

 全てを解説されるよりも、実際に目にした方がいい。

 ラジオはラジオで上手く、音声だけというのを活かしているところはあるのだが。

 何かを伝えるためには、音だけでは足りないこともある。 

 音楽と共に踊りがあるように、視覚的情報で楽しませることも重要なのだ。

 MVが全盛になった時、マイケル・ジャクソンはとんでもなく売れた。

 彼の歌だけではなく、ダンスもまた突出していたからだ。


 これまでのステージでも、映像を含めて録画したものはある。

 特にアリーナレベルの会場では、ずっと撮影していたのだ。

 その映像を使って、MVを作ったこともある。

 だが今回は完全に意図的に、ライブ映像を作る。


 カメラも数箇所から、そして撮影対象も複数。

 月子や千歳のボーカルに、ソロパートの多い暁だけではなく、ドラムの動きやベースさえ、しっかりと撮影する。

 ドラムはそれなりに派手だが、ベースはかなり地味に思われてしまうが、ベースソロのある曲もやるのだ。

 不遇なパートであるが、実際はベースがないと、音がスカスカになってしまうものである。

 ロックの曲はドラムから始まったり、ドラムで終わったりという曲も多いが、ベースは少ない。

 ポップス寄りにしても、それは同じことである。

 ただノイズのメンバーの男では、信吾が一番ルックス売りをしている。

 なんとなれば意図的に演出している月子よりもだ。


 芸能界の爛れた部分を、もっとも理解している信吾。

 一般人のサポート三人と別れてから、俊は何気に心配している。

 栄二のように姐さん女房でよかったのでは、などとも思う。

 もっとも栄二にしても、子供が出来たからこそ、選択が必要になったわけだが。




 三日分のセットリストだが、まずは一日目だけを作る。

 二日目と三日目は、まだ完成させない。

 ここからリハとして、一日目を全て演奏してみる。

 その感触を元に、二日目以降を考えるのだ。


 本番ではMCが入るが、リハではほとんどぶっ続けで演奏をする。

 なぜならば本番では、練習以上のパフォーマンスを発揮して、それだけ体力も消耗するからだ。

 想定上は本番以上に疲れる演奏をしておかなければ、実際の本番では途中で息切れしてしまう。

 もちろん喉を痛めたりしないように、最低限の準備はしておくが。

 あとは水分の補給も、絶対に必要なことである。


 月子の体調は、徐々に戻ってはきている。

 ただし肝臓のような機能が回復するところはともかく、大腸は水分の吸収に関係する器官である。

 そこのかなりの部分を取っているので、小まめな水分補給は必要だ。

 あるいは頭から被ったりして、熱を冷ますのでもいい。

 水分を補給するのもいいが、あまり暑すぎると屋内でも倒れる人間が出かねない。

 実際に野天のフェスでは、毎年のように倒れる人間は出ているのだから。


 一日目のセットリストを、全て演奏終了する。

 これでいいのか、という最終確認もする。

 それから二日目のセットリストの作成を調整していく。

「やっぱり他のところの定番曲を使うか」

 ノイズも活動の初期、持ち歌がまだ充分でなかった頃は、ステージでもカバーしていたものだ。

 夏の嵐、secret base~君がくれたもの~、打上花火あたりは何度もやった。


 時期的なことを言うなら、夏の嵐は今年もまた、甲子園で演奏されることになるのだろう。

 天才の作ったあの曲は、もう定番曲となっているのだ。

 ただ俊は口にはしないが、secret base~君がくれたもの~は、不吉なものを感じてしまう。

 10年後の八月。

 その時まだ、全員が揃っているのか。

 ノイズは今が全盛期と言える。

 もっとも二年ほど前から、ずっと全盛期と言われているのだが。

 月子が離脱している間、活動が控えめになって、それがかえって大きな飛躍へとつながった。

 世界はノイズの音楽を待っていたのだ。


 今も月子の体調が、完全ではないことは皆が知っている。

 詳しいことまで知っているのは、他に俊と阿部ぐらいであるが。

 いざとなれば、ということも考えてしまう。

 一番そんないざという時が、来て欲しくないと考えているのに。

「打上花火はずっとやってるよな」

 ギターを二つ必要とするし、いい感じで自分たちの持ち歌に出来ているのだ。




 夏というのはどうして、これだけ輝いているというのに、別れの感覚も含まれているのだろう。

 いや、むしろ夏というのは、その夏だけの輝きがあると言えるのだろうか。

 フェスにしても夏には、集中して大規模なものがある。

 また学生には夏休みがあり、ひと夏の恋などというのもあったりする。

 俊と暁が勢いでこさえてしまったのも、夏の終りのことであったし。


 夏場はイベントが多いのだ。

 別れがあると言うよりは、本当に一期一会の思い出が作りやすい。

 本当の別れの季節は、命が枯れ行く秋や、死に絶える冬に、別れの春の方が多いだろう。

 もっとも春の場合は、出会いの季節でもあるのだが。


 俊と月子が出会ったのも、夏と言っていい季節であった。

 この熱い夏の間に、燃焼しきる何かがある。

 甲子園で盛り上がりを見せるのも、この時期の話である。

 俊はあまりスポーツに興味はないが、それでも有名選手ぐらいは知っている。

 学生のスポーツイベントとしては、甲子園は最大のものであるだろう。


 燃え尽きるのは早すぎる。

 だが完全燃焼するぐらいの勢いで、ライブというのはやらなければいけない。

 明日という日がもうなければ、人はどうやって生きるだろう。

 それぐらいのつもりでもって、今日を生きなければいけない。

 もちろん将来の目標や予定も、しっかりと持たなければいけないのだが。


 この数年で俊は、ミュージシャンを目指していた知り合いが、死んだという話を聞いている。

 そこまで深い仲ではなかったものの、対バンをしたことがあるぐらいの関係である。

 音楽的には成功せず、それでも業界から去ることは出来なかった。

 毎日働きながらも、練習もしていく。

 そうやっていつかは、と考えていてもただ、夢見るだけでは至らない。


 必要なのは才能とか実力だけではない。

 運もまた必要である。そもそも月子も暁も才能はあったが、俊を含んでつながったのは運の要素が強い。

 信吾はあのままであったなら、潰れたバンドと一緒に、パッとしない人生を送っていたかもしれない。

 栄二はむしろあの頃の方が、安定はしていたかもしれないが。

 娘の反抗期がひどかったのは、こちらの仕事で忙しい栄二が、家庭内のことを妻に任せることが多かったからであろう。

 とはいえそれも、ここのところかなりマシになってきているらしいが。

 なお陽鞠ちゃんは永劫回帰の方が好きであるらしい。

 最近はゴートがプロデュース側に回って、ちょっと活動内容が変わっているが。


 最終的に成功するには、運の要素も必要なのだ。

 そして運と言うよりは、運命のようなものも存在する。

 俊と月子が出会ったのは、月子が特に目標もないながらも、東京に出てきたから。

 自分の人生を変えたいと思って、そして彼女はそれに成功した。

 俊や暁にしても、他のメンバーにしても、月子がいなければ成功はしなかっただろう。

 少なくとも今のような形での成功はなかった。




 三日目までのセットリスト作成が終わった。

 重要なのはまた、アンコールで何をやるかである。

 このコンサートライブが終わったら、次は八月の終盤にフェスがある。

 ある程度の夏が終われば、国外に出てもいいかもしれない。

 台湾、フィリピン、タイあたりに実は、けっこうノイズのファンはいるのである。

 台湾以外はちょっと、不思議な感じがしないでもないが。


 台湾などは沖縄よりも、さらに南にある島だ。

 色々と政治的な面では、大陸と日米関係の間に挟まれ、難しい舵取りをしている国だ。

 ただ日本文化への愛着はあり、かなりその国民性も近い。

 一時期日本領となっていたため、それも関係しているのだろうが。


 東南アジアは基本的に、今は海外からの文化を取り入れている。

 大陸から離れていなくても、大陸でも独立している国は経済力が増している。

 特に阿部などが言うのは、タイがいいのではないか、ということだ。

「まあ夏が終わってからだな」

 そんなに先のことまで、考えているほど時間は残っているのか。

 月子は内心でそう思ったが、言葉には何もしなかった。

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