第376話 彼女の熱量
周囲の人間全てが、月子の体調を気遣ってくれている。
また月に一度は簡単な検査を受けて、状態が悪化していないかを調べていた。
三ヶ月に一度は、さらにもう少し詳しい検査をする。
癌の遺伝子が発見されて、予防治療が出来るようにはなってきた。
次にもしも発見されたら、今度は遺伝子治療をすべきか、という話にもなっている。
だがそれはステージが進んだ場合にやることで、そこまで行ってしまうと薬との相性の問題にもなる。
月子は自分の寿命が、どんどんと減っているのを感じていた。
体力が落ちているとかではなく、五感が鋭くなっていて、第六感的なものまで自覚している。
残された時間があまりない。
許されているのは、その時間をどう使っていくか。
少なくとも娘が小学生になる姿は見られないだろうな、と感じているこの何か。
ただこれと引き換えにしたように、はっきりと分かるものもある。
空気の色が読めるとでも言うべきか。
どこをどう押したら、どういう反応が返ってくるのかが分かる。
普段の練習の中でも、またレコーディングの中でも、何を求めているのが分かると言うべきか。
そしてそれに対して、自分の中に何かが入ってきて、とんでもない力を発散する。
しっかりと届いていることが、確信出来るのだ。
大切なのは単純な生きた長さではない。
そんなことが言えるのは、自分の寿命の短さを知らない、幸福な人間だけであろう。
小児癌の子供たちなどに、病院で歌を聞かせるボランティアなどをやったことがある。
まだ本当に人生を生きてもいないのに、既に余生を過ごしている子供たち。
それに比べれば自分は、まだ何かを残しているだけ、ずっとマシだ。
ひどいことを言ってしまえば、あんなに短い生涯を生きて、果たしてどんな意味があるのか。
何も残せないということが、逆に周囲に影響を与える。
誰かの死というのは本当に、創作者にとっては糧となってしまう。
俊の生き急ぐような生活が、なんとなく分かってしまう。
ただ俊はそんなに早くは死なないだろうな、ということも思えるのだ。
何かを吸収して、そこから生み出しているのが俊である。
魂を削っているような楽曲作りをしているが、自分だけの魂ではない。
過去の人々の残した功績から、俊はその純粋な部分を引き出しているのだ。
ああいった才能の形もあるのだろう。
月子は月子で、俊のことを理解している。
遺伝子を提供してくれたのは、幸いであると言っていい。
また娘の和音に月子の癌遺伝子が伝わっていないのは、本当にありがたいことだ。
50%の確率で伝わるものらしく、それを考えれば母も、早くに亡くなった可能性がある。
それでも月子の発症は、さすがに早すぎるものであったが。
芸能界のスピードが、月子の体力を奪っていたのだろう。
すると免疫力が落ちて、癌なども活性化しやすいという説がある。
これはかなり信憑性のある話で、ストレスの少ない環境で暮らせば、もっと長生き出来るだろうと思うのだ。
細く長く生きるか、太く短く生きるか。
子供を持った月子は、この子の成長を見つめたいとも思う。
自分にあった多くの不遇は、既に昇華されていった。
それでもさらなる成功を望むあたり、月子もこの世界に毒されたということか。
月子はこのままずっと生きていても、やがて無理が来るだろう。
ハンデを抱えながら生きるというのは、健常人が思う以上に難しい。
いっそのこと生まれてこなければ良かったのに、とまで思ったこともある。
ただしそれは自殺を望むのとは、また違った感情である。
もちろん反出生主義でもない。
七月がやってきたが、予定は詰めすぎないようにしている。
月子は定期健診を受けているが、基本的には血液検査だ。
自覚症状はない。
痛みや張りといった、そういうものはないのだ。
しかし命の砂時計が、どんどんと減っているのを感じる。
こんなものが分かる自分が、おかしいのではないかとも思っている。
時間の経過が分かるのだ。
この第六感のおかげで、いいこともずっと分かる。
ライブ中の熱量の変化なども、予測できてくる。
あるいは10年もやっているバンドなどは、こういうことも同じように分かるのだろうか。
そういうことを話そうにも、メンバーに話せば心配されるし、外部にはあまり知っている人間が多くない。
そんなわけで話すのは、白雪になったりする。
酒はもう飲まないが、彼女の行きつけのラウンジで。
月子も彼女のことは、ちゃんと顔の判断がつくのだ。
「分かるよ」
白雪と月子の病気は、基本的に同じものである。
またヒートのリーダーは、病気によって余命宣告をされていた。
「私は長く生きるほうを選んだ」
紫苑と紅旗のことを、出来るだけ長く見守りたいと思ったからだ。
それにもう自分の最高傑作は、世の中に出してしまったと思っている。
生きていればいいことはいくらでもある。
ただ漠然と生きている人間には、なかなかそういうことは訪れない。
月子はもう、輝くステージを知ってしまった。
その誘惑を振り切ることは、もう出来ないだろう。
「QOLの低下を考えても、本当なら長生きを選んだ方がいいんだろうけど」
なんであまり親切でもない自分に、こういう相談ごとがやってくるのか、不思議に思う白雪である。
根本的な病気は、大腸の部分にある。
これを完全に取ってしまえば、だいたい50歳までは普通に生きられるのだ。
あるいは70歳や80歳まで、ちょっと不便ではあるが、生きている人間もいる。
ただステージに立つのは難しいだろうな、と白雪も考えている。
レコーディングバンドに徹すれば、それは可能な話である。
その選択をしないところ、月子が死にたがりなのかと考えたりもする。
だが、月子はもう、我慢したくないだけなのだ。
自分が出来ることを、全力で遣り通して燃え尽きる。
真っ白な灰になりたいのかなと、白雪には思えてくる。
そんな人間の傍で、ギターを弾いていたのが白雪だ。
彼には今の月子と同じく、悲壮感が感じられなかった。
余命は長くとも一年などと言われても、弱さを見せない人間であった。
怖くなかったのだろうか。
表面的にはそう見えていたし、そう見せ続けるところが強さだった。
だからこそ白雪は、生きることを選んでいる。
月子はまだ、心残りがあるはずなのだ。
子供が生まれて、その成長を見たいはずではないのか。
「そう思ったんですけど、それ以上に歌う気持ちが強かったんです」
ああ、なるほどと白雪は納得した。
子供が生まれることによって、長生きする気にならなかった。
自分自身で産まなかった、というのも関係しているのかもしれないが。
子供の成長を見つめるよりも、自分の輝きを優先してしまう。
月子も芸の鬼になったのだな、と白雪はこの世界で、似たような人間がいるのを多く見ている。
季節の過ぎていくのが早い。
ノイズは音源を作りながら、同時にMVまで作っている。
アニメーションのものもあれば、実写のものもある。
基本的にアニメタイアップであれば、アニメーションになる。
実写と見せかけてCGであったりもする。
そんな日々を送りながら、フェスとコンサートの準備をするのだ。
月子の強さを一番感じているのは、やはり千歳である。
ツインボーカルとは言われても、最近は自分が弱いのを感じる。
俊は月子の強さを理解しているだろうが、それは理性であって感性ではない。
月子が強くなったのもあるが、自分が足踏みしているのも感じる。
それが今の千歳である。
少し弱くさえなっているかもしれない。
守りに入っていることを、阿部などは見通していた。
理由についてもおおよそ、原因は分かっている。
千歳の歌に力があるのは、世の中の理不尽に対する怒りが含まれているから。
しかし今の彼女は、幸福になりつつある。
幸福である人間は、どうしても人生を守りに入ってしまうものだ。
俊のような芸の鬼はともかく。
ただ千歳も、堕落することはなく踏みとどまっている。
月子の強さを、目の前で見せ付けられているからだ。
(うちの女子は、子供が出来ても丸くならないなあ)
のんびり考える千歳だが、そもそもまだ結婚する気もないし、子供がほしいとは思わない。
30歳になるまでに、こなしておけばいいかなとは思っているが。
俊のことを生き急いでいるというか、寿命が縮むような生き方をしているな、と千歳は思っていた。
結婚して子供が出来て、それでも相変わらずのスピードで、楽曲を作っている。
昔に比べると今なら、それが使える曲である確率が高い。
しかしその中でも、ちゃんと選んで音源にまでしているのだ。
凡作がないノイズ、とはよく言われる。
だが本当は、凡作は世に出していないだけなのだ。
俊が言うには本当に凡作を作らないのは、徳島のような人間だ。
あれは天才というか、執念の人だと俊は一目置いている。
ノイズはアレンジ部分には、多くメンバーの意見が反映される。
このあたり儲けの取り分をどうするかが、多くのバンドの解散理由になる。
音楽性の違いというのは、ほぼ全てが金銭的な理由の言い訳だ。
千歳もそれをたくさん見てきて、俊がどうして金をしっかり稼げるようにしているか、それが分かったものである。
単純な著作権だけなら、それは俊のものである。
だが音楽の原盤の権利も自分たちで持って、それから収益を配分しているのだ。
実際はレコーディングの設備など、そういったものや技術においては、俊が多くの仕事をしている。
それでも収益を分けているのは、バンド内でのゴタゴタを起こさないためである。
売れてきてその意味が、よりはっきりと分かってきた。
確かに収入が一番高いのは、著作権の多くを持っている俊である。
だが事務所やレーベルに依存しないことによって、そこでちゃんと儲けを出しているのだ。
メジャーデビューだからといって、単純に搾取されているミュージシャンは多い。
ただノイズの場合は、事務所に所属しての給料、というものは全く貰っていないのだ。
音楽を続けるには、生活が続くぐらいには、金が必要になる。
そして練習のためのスタジオなども、本来ならば金を出す必要がある。
知れば知るほど、俊は失敗しないための、そして金がかからないための、儲けが出るための手段を考えている。
千歳はそういうことを、大学でしっかりと学んできたのだ。
金持ちのボンボンに生まれたのは、俊の親ガチャ大成功、と言えるであろう。
しかしそれを活かしているのは、本人の資質であるのは間違いない。
学べば学ぶほど、逆に千歳は俊に失敗を聞きたくなった。
信吾や栄二も色々と、失敗談を持ってはいる。
だが成功が約束されたような俊でも、当然のように失敗の歴史がある。
その失敗を分析したからこそ、ノイズではほとんど失敗らしい失敗がないのだ。
千歳をいきなり勧誘した、あの最初の接触。
あれもまた成功であったのだと、客観的に見ることが出来る。
ハコの選択に自分たちでの小規模ツアー。
またSNSでの通知などを、あえてさほどやらなかったこと。
ただし歌ってみたなどで、しっかりと登録者数を多くした。
ボカロPとしての導線から、一気に増えていったものだ。
千歳はまだ20代の半ばで、いくらでも人生の選択はあるだろう。
音楽の世界で生きていく、そういう実績や知識は身につけてきた。
ただ俊を見ていると、同じ年齢であった頃の彼より、ずっと出来ることが少ないとも分かる。
そもそも俊は幼年期から、音楽的なものに対する蓄積が、圧倒的に違うのだ。
しかしその俊は俊で、千歳に面白いマンガはないかとか、今季のアニメはどうかとか、普通に尋ねてくるのだ。
技術的なことだけではなく、心の持ち方が問題であるのか。
常にインプットしようとする、その在り方がハングリーであると言えるのだろう。
あれだけ恵まれていながらも、ずっとハングリーであり続ける。
金銭的なものばかりが、ハングリー精神につながるわけではないのだ。
もちろん足るを知らないことは、不幸ですらあるとも言えるのかもしれないが。
俊の場合は欲ではなく、上であり希望である。
だからこそ貪欲でありながらも、どんどんと吸収していくのだ。
夏場になって新曲を発信して行く。
MVを普通に作れるようになったのは、ありがたいことである。
なんだかんだ言いながら、金が使えるということは、それだけクオリティにも選択肢が増える。
もっとも低予算でやっていた頃の方が、面白かったという例もいくらでもあるだろうが。
80年代のアニメであると、さすがにもうほとんど今は見るのが厳しい。
しかし90年代の名作であると、いまだにずっと見れるものなのだ。
劇場版であったりすると、普通にガンダムもマクロスも見れたりする。
あとはヤマトなどを見ると、なるほどネタの最初はこれなのか、と思ったりする。
俊は過去の作品から、色々とリスペクトして要素を取り出す。
洋楽にしても邦楽にしても、80年代から90年代というのが、一番発展していった時期ではある。
ただしこれにEDMやDAWの打ち込みが入ると、さらに重厚的な音楽になる。
それが虚飾だといって、過去に回帰するミュージシャンもいるが。
単純な話、人間は最初から、そんな重厚なメンバーや設備では音楽が出来ない。
バンドの時代というのは、何度もこれからもやってくるだろう。
ただDAWとボーカロイドのさらなる発達が、音楽をどう変えていくのか。
また音楽を発信する方法も、ネットでいくらでも騒がれても、それをどう利益にするかは変わっていくだろう。
「ライブでどうにか、稼がないといけないのかな」
それは確かに重要なことだが、俊自身はライブによって、自分の力が引き出されるとは感じない。
最初に三人でライブをした時から、それはずっと変わらない。
リーダーではあってもライブでは、縁の下の力持ちだ。
俊の仕事は九割がた、ライブの本番前に終わっている。
あとはオーディエンスと反応する、他のメンバーに任せるだけだ。
「ライブってやっぱりスポンサーの問題が大きいよね」
「それを理解してくれる人間が増えて、俺は嬉しいよ」
千歳は俊の、プロデュースの苦労を分かっている。
大学では経営の講義なども取ったものだ。
興行において何が重要なのか、はっきりと教えられている。
もっとも50人程度のハコでやる分には、まだまだ普通に演奏のことだけを考えていればいいのだが。
ノイズが音楽的に成功したのは、もちろんメンバー全体の力である。
しかし商業的に成功したのは、俊の力が大半と言っていいだろう。
もちろん阿部などの、メンバー以外の存在も、バックアップとして重要ではある。
だがただ売れるだけではなく、稼ぐという状況を作ったのは、間違いなく俊の力だ。
食い物にしてやろうという人間にとっては、俊は邪魔な存在であったろう。
もっとも俊以外の人間が、月子を上手く使えたのか、それもまた疑問ではあるが。
夏のフェスに加え、三日間の公演。
ざっと数えて三万人が三日で九万人となる。
フェスの方はまた、最大で六万人ほどが集まるのだ。
もっともそちらはノイズのみの力ではないが。
「やっぱり東京ドームやってみたいかも」
「それで利益を出せる予算が組めるなら、別にやってもいいぞ」
俊としてもドームでやるというのは、それだけでも宣伝効果はあるのだ。
「あと、東南アジアでやってほしいっていうオファーが、ちょっと来てるな」
これまでノイズが、公演などをしてこなかったところである。
デビューしてから、随分と時間が経過した。
それでもまだ、10年は経っていないのだ。
思えば遠くにきたものであるが、まだまだ道の先は見えない。
音楽の世界というのは、果てなどはないものであるのか。
千歳はこれで意外と、哲学的な思索に更ける人間であるのだった。
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