第110話 共作

 自分で金が稼げるようになった。

 事務所からの固定給は、全員が一律の五万円である。

 今日日高校生のアルバイトでももっと稼げるものだろうが、これは最低保証とでもいうものだ。

 ミュージシャンというのは歩合給なのだな、とその言葉まで含めて、千歳は教えられたものである。

「本当に才能あったのね……」

 契約書に保護者の印鑑が必要であったため、叔母の文乃を交えて、俊との三者面談である。

「一応契約は一年更新ですが」

 一度契約書を預かって、知人に確認してもらってから戻す、という手間をかける文乃である。

 彼女自身も個人事業主なので、そのあたりのことはしっかりと考えている。


 千歳からすると、自分で稼いだ金なので、文乃に何かプレゼントでもしようか、などと考えている。

 だが文乃としては、千歳には遺族年金の他に、賠償金や生命保険など、実は多くの金銭があって、彼女の生活費は普通にそこから出ている。

 大学まではおそらく、特に問題もなく進学できる。

 しかしそこで何かをするためにも、自分の金は自分で管理しておくべきだと思うのだ。

「なんだか小金持ちになっちゃったなあ」 

 ここで金銭感覚が狂うと、ちょっとまずいであろう。

 だが一緒に暮らしている文乃が、そもそも金を使うことに関心がない。


 ともかく千歳は、契約金まで含めて、ちょっと使える金が入ってしまった。

 貯金をしておくのも悪くはないが、何かを買ってみたいとも思う。

 たとえばPCなどはどうであろうか。

 俊のような作曲をするなら、PCは必須である。

「そろそろ新しいギター欲しくなってない?」

「う、それもある」

 暁が妖怪ギター薦めになっているが、そもそも千歳が最初に買ったギターが、無難すぎたというところはある。


 確かに多彩な音が出せるのだが、このギターならではの音、というのがあまりない。

 リズムを刻んでいる今は、もっとジャキジャキとした音が欲しかったりするのだ。

 それが分かる程度には、千歳も成長している。

「曲を作るのって、あたしだけだと無理だしなあ」

 まだ千歳は、インプットが足りていない。

 アウトプットするならば、何かを表現したいという動機が必要なのだ。

 もちろん千歳の中にも、吐き出してしまいたいものはある。

 だがそれが、しっかりと曲になるかは別である。


 千歳も一度は作詞の方に、挑戦してみようとしたのだ。

 だが書いてみた詞を文乃に見られて、真っ赤な顔で「いいと……思うよ?」などと言われればとても見てもらうことなどは出来ない。

 作曲や作詞というのは、特殊技能だと千歳は思う。

 暁などはだいたいその日のノリで、アレンジしてギターを弾く。マスター通りに弾くことなどほとんどない。

 そして曲っぽいものは、コード進行で簡単に作ってしまう。


 アレンジぐらいであれば、簡単にしてしまう才能がノイズの中にはいるのだ。

 ボーカルの月子でさえ、ある程度の作曲能力がある。

 ただそれを編曲し、ちゃんと作り上げる能力というのは、ほとんど俊にしかないと思う。

 天才の仕事だと思うのだが、その言葉を使うと俊は不機嫌になる。

 信吾などは気安く、それぐらい流せと言ったりしているが。




 千歳は今でも週一で、ボイストレーニングには通っている。

 ここは違うジャンルの人から、アドバイスでも貰えないかな、などと思ったりもした。

「作曲……」

 ここはボイストレーニングの場所であるので、そう言われても困ってしまう。

 ただ、知り合いに作曲をしている人間はいた。過去形である。

「私の友人が、現代音楽の作曲はしていたけど」

 教えられるのは基本的に、声の質の底上げである。


 基本的に現代音楽は、黒人のブルースなどから始まったものだ。

 それを白人が取り入れて、ロックなどの原型となっている。

 ロックが発展してメタルになったり、そこから原型を目指してむしろオルタナの方向に発展したりと、ジャンルは広くなりすぎた。

 今などはEDMやヒップホップが全盛であるが、日本は比較的ヒップホップの市場が少ない。

 また日本の音楽は意外なほど、形式がしっかりとしている。


 Aメロ、Bメロ、サビといった感じの曲が、かなりの部分を占めている。

 欧米の流行曲でも、この形式のものが日本では受けることが多い。

「私もギターは素人に毛の生えた程度なのだけど」

 グランドピアノが置かれたこの部屋には、ドラムセットやギターなども置いてある。

 ギターにしても何本か、違うタイプの物があったりする。


 それを「素人」レベルで弾いてもらうと、コード進行がばっちりといってしまう。

 確かにプロとまではいかないが、素人というにはレベルが高い。

「作曲をするのに、譜面だと上手くいかないものがあるのよね。特にギターは」

 スムーズに弾いていくが、確かにわずかに違和感がある。

「ギターはピアノと違って、弾きながらでもチューニングをずらせるから」

 ピアノの12音に、ギターだけではなく他の楽器も従っている。

 だが次に手にしたヴァイオリンは、弦楽器なのである。


 ギターも弦楽器であり、歪ませる音は使う。

 だがヴァイオリンなどは特に、中間の音を伸びやかに使うことが出来る。

 弦を押さえるのと、弓で音を調整する。

 中間の音をどうやって使っていくのか、それが問題である。

「歌でも、わざと音程をほんの少し外すことがあるでしょ」

 音階と音階の間の、ドやレに♯や♭では表現できない音というのはあるのだ。


 もっともそういった音を使っていくと、違和感があるのは間違いない。

 いわゆるヘタウマという領域に入ってしまうことがある。

「いわゆるフィーリングというものらしいけど」

 暁がよく口にしていることだ。

 正確に弾くだけでは、発生しないものがある。

 デジタルよりもアナログを好む人間がいるのと、根本的には変わらないのかもしれない。

 人間の脳はデジタルとアナログを本当に聞き分けるほど、出来がいいわけでもないらしいが。




 ライブハウスなどの熱狂状態では、人間の脳は正常な働きをしていない。

 そこに強烈な音楽を伝えられると、一種の催眠状態に陥ってしまう。

 また状況によっては、強力なトリップ状態になったりもする。

 因果関係が逆転して、70年代のロックミュージシャンは、LSDやアルコールに依存していたらしいが。

「というわけで、曲を作ってみたんだけど」

「へえ」

 千歳から渡された音源を、暁はヘッドフォンで聴いてみる。

 場所は軽音部の部室であり、この二人はちょっと他から離れたところにいる。

 千歳の場合は、普通に友達もいるのだが、暁は基本的に遠巻きにされているのだ。


 何度か聴いてみた後、暁はレスポールを弾き始める。 

 それは確かに千歳のメロディを元にしていたが、明らかに別物になっていた。

「カノン進行なんだ」

「そうそう。どうかな?」

「メロディラインはいいと思うけど、ちょっとつなぎ目をどうしようかな」

 そして暁はメロディラインのキーを変えたりして、コードを色々と入れ替える。


 まるで即興のように、新しい曲が出来ていく感覚。

 基本的に暁は、譜面よりも耳コピで曲を習得する方が早い。

 それでも最終的には譜面にしなければ、マスターがいつまで経っても出来なかったりする。

「歌詞なしでいいから、ちょっと歌ってみてよ」

「じゃあ、ラーラーラーで」

 レスポールではなく、部室に置いてあるアコギを使って、暁は主旋律を作る。

 それに従って、千歳はメロディーを声にする。


 エレキギターであると、色々と出来すぎてしまうため、あえてアコギで演奏を制限する。

 そこから千歳は声にしていくわけだが、歌詞がなくても声に満ちた表現力がすごい。

 この二人が学外のバンドに所属していることや、それなりに大規模なフェスに出ていることは、軽音部の人間は知っている。

 一年生ではあるが、圧倒的に実力があるのだ。

 特に千歳などは、まだギター歴も一年にならないというのに。


 音楽というのは、確かにどれだけの時間、それに浸ってきたかということも関係する。

 だがそれ以上に浸ってきた濃度なども関係する。

 人生の全てをぶつけて、音にして出すのが音楽だ。

 そこに調和があるかもしれないし、逆に一方的な破壊があるかもしれない。

 ともあれ二人は、そうやって曲を作っていく。




「というわけで、作ってみたんだけど」

 信吾が一曲作ってきたのに続いて、高校生の二人が共作という形で曲を持ってきた。

 実のところ共作というのは、著作権の関係が面倒であったりする。

 だが出来てきた曲は、確かに自由な発想から、ギターのテクニカルな部分が目立つ曲にはなっている。

 もっとも、月子が歌うことが前提となっているような、レベルの高いボーカルが必要な曲になっているが。


 これをアレンジして、ちゃんと他のパートまで作る。

 それが俊の役目であって、少し余裕がある休みの期間だが、自分の作曲も俊はしているのだ。

 ただ創作というのは、他人の作品に当たった方がいいものが出来たりもする。

 最近の俊は、ロックバンドの典型的な音楽からは、少しずれていってしまっていたので、こういうものを聴くのはありがたい。


 どうにか三月中には、アルバムを作るだけの新曲を揃えたい。

 それに四月になれば、ツアーというのも企画されている。

 せっかく事務所に所属するようになったのだから、その機能は存分に利用したいと思うのだ。

 より知名度を上げて、より音楽を届けていく。

 まだ形になってすぐのノイズは、相変わらず雑音混じり。

 それぞれが新たな役目を、自分なりに探そうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る