第147話 東京のさらに東
千葉県でも東京に隣接した部分は、ほとんど東京と同じと言ってもいいだろう。
最近の大規模な施設は、むしろ千葉にこそあったりする。
ただ今回の遠征先は、千葉市なのでそれなりの距離がある。
「夏コミに参加したりする?」
「う~ん……音楽専門なら、他のイベントがあるしなあ」
ただボカロ界隈はコミケと相性がいいので、時間があったら行くだろう。
時間。今の俊に、一番足りていないものである。
結局金というものの本質は、他人の時間を買うためにあるのだろう。
そして今、俊は自分にしか出来ないことをやっている。
他のメンバーも協力してはいるが、作曲に作詞から、編曲まで持っていく力は俊にしかない。
ただカバーして演奏する洋楽については、比較的簡単に決まった。
また同じくここから、カバー曲も一曲決まった。
俊の演奏が珍しく、かなり大変になるが。
ライブの前は大変だが、ライブ中はそれほど大変ではない、というのがこれまでの俊の多くの立場であった。
今回はピアノと管を使って、かなり原曲に忠実にするのが大変である。
千葉のライブハウスは、キャパが250人。
ここでも対バンしてくれるバンドを、簡単に探すことが出来る。
(成功しつつあるな……)
俊はその実感があるのだが、これで満足することもない。
純粋に音楽を届けるという点でも、世俗的に金を稼ぐという点でも。
また事務所の方も、一人スタッフを増やしている。
ノイズ専属というわけではないが、ノイズを最優先にして動く女の子だ。
女の子と言っても、俊より年上で、他の事務所で働いていた経験もある。
これにアルバイトを臨時で雇えば、地方のハコで働いてもらうにしても、かなり自由度が大きくなる。
使う人間の数は増えていっているが、もうノイズのメンバー自身が、ライブ後に販売スタッフをやるわけにもいかないのだ。
午前中にライブハウスに入って、セッティングを行っていく。
今回も地元のバンドが二組先にやってもらって、ノイズがトリという構成である。
そろそろ物販の中でも、CDは行き渡っているのだろう。
そもそも早くほしい人間は、通販を使っているのであろうから。
しかし再生機器自体を持っている人が少ない、という事実は戦略を考え直す必要がある。
完全にスマートフォンだけでしか聞かない、という人間も顧客としていく必要があるのだ。
3~4分という短い時間さえ、今の人間はタイパが悪いと言ったりする。
無料のコンテンツが溢れている中で、少しでも無駄な時間を使いたくないという、時間に対する貧乏性と言おうか。
ただこれは俊も、人のことは言えないのだ。
時間があれば、インプットをするかアウトプットをするのかどちらか。
またバンドのために企画を考えるなど、とにかくリーダーとしてやることが多いのだ。
ある程度はメンバーに仕事を振っていくが、何をどう振るのかも俊が考えないといけない。
そしてどうしようもない部分は、やはり事務所に頼る。
千葉においてのライブも、しっかりと成功させていた。
地元のバンドと今日は打ち上げとなるが、リーダー同士の交流をしていると、だいたい俊の方が相手に提供するノウハウは多い。
もっともそれは、俊の技術があってこそ可能なことであって、なかなかシンセサイザーまで自由に使いこなすというのは、普通のバンドにはいない。
せいぜいがキーボードぐらいであって、そこはもうボカロPとでもバンドを組むしかないのでは、と思ったりする。
ピアノを弾ける、ギターを弾けるボカロPは、それなりにいるのだ。
そういった音楽の素養から、バンドに発展するという例は、あまりないことだ。
だがプロデューサー的に活動しているボカロPというのはいるのだ。
千葉のバンドということで、やはり俊が尋ねたいのは、夏のフェスの話になってくる。
千葉県の臨海部の公園や施設を使って、巨大なフェスが夏に行われるのだ。
他にも夏のフェスはいくつかあるが、ここが国内では一番大きい。
ノイズとしてはここに出演出来れば、ひとまず目標の一里塚といったところだろう。
だがまだまだ、俊としては目指す先があるのだ。
ノイズはおおよそ、業界の人間であれば、だいたいが知っているというぐらいの知名度になってきた。
ただ地方に行ってみれば、全く知らないという人間の方が多い。
福岡でそれなりにハコを埋められたのは、あの地域の有名CDショップで、大プッシュされていたから。
そういう熱心なファンによって、どんどんと認知度を上げていかなければいけない。
「俊さん、うちの軽音部のメンバー、対バンに呼んであげてもいいかな?」
千歳はそんなことを言ってくる。
どうやら前から、頼まれていたことではあるらしい。
暁ではなく千歳に頼んでいるあたり、よく分かっている。
ただ千歳は、今のノイズお対バンをするということの、意味がちょっと分かっていないと思う。
ライブハウスの客のかなりの部分が、ノイズの客であるのだ。
それが300人規模のハコにでもなると、完全に前座で白けさせてしまうことになる。
ノイズも大阪でやや客層が違った時、飛び道具のような曲で注目させたではないか。
50人規模のハコでも、時々やった方がいいだろうとは思う。
初心に返るとか、そういう考えもあるが、小さいが格式の高いハコというのもあるのだ。
あとはクラブで演奏する場合などはどうするのか、という問題もある。
ダンス・ミュージックもやることはあるが基本的に、今のノイズの音楽性は、クラブミュージックとは違う。
(ユーロビート系でもやってみるかな)
ただそれをすると、俊の打ち込みがしんどいのである。
千葉から東京に戻る過程では、大規模フェスの会場の近くを、通過してみる。
ステージは会場だけではなく、周辺の公園にも設営され、とてつもなく大きなものとなる。
「八月に、ここに出る予定なの?」
「本当なら間に合わないかもしれないけど、直前キャンセルとかもけっこうあるからなあ」
月子の質問に、俊は前だけを見ながらそう返す。
酒を飲んでいない女性陣は鈴なりでそれを見ていたが、信吾と栄二は潰れて眠ってしまっている。
基本的にこのフェスは音楽雑誌が主催となって行うが、実際にはスポンサーの意向がかなり入るものだ。
それでも無視できないほどの人気バンドには、必ずオファーがかかる。
ノイズの場合はメインステージの会場は無理であろう。
だが一番小さなステージでも、8000人が見られるものなのだ。
去年のノイズは、3000人のステージをわずかに埋めることが出来なかった。
ただ後から評判になって、それがCDの売上や、演奏のPV増加につながっている。
単純に言えば、ファーストアルバムは一万枚以上売れたのだから、ファン自体は多いはずなのだ。
今時現物のCDを買うというのは、ただのファンでも敷居が高い。
またフェスのステージなので、お試しでやってくるオーディエンスもいるだろう。
そこからどれだけ、ファンにしていけるかが、ノイズの力の見せ所だ。
「あのさ、皆はどんな会場で演奏してみたい? あたしは横浜アリーナ」
千歳がそんなことを言って、運転していた俊は微苦笑を浮かべる。
あそこは株主がABENOとは違う系列のため、ちょっと料金などがかかるだろうし、いい日程を取るのが難しいのだ。
「私は、ベタだけど東京ドームかな」
月子はそう言ったが、日程的にはまだしも平日などは使えるだろう。
だが東京ドームは使用料などが高額であるため、人気の外タレや超人気アイドルグループが数日公演して、ようやく元が取れるのだ。
まあ横浜アリーナにしても、基本使用料はそれほどでもないように見えるが、実際は付属の設備にも金がかかる。
今の事務所ではとても手が届かないものであり、メジャーレーベルの力がないと無理である。
「あたしは今ならさいたまスーパーアリーナとかかな」
そちらは東京ドームよりはマシというだけで、横浜アリーナよりも基本的に高い。
「俊さんはどう?」
「武道館だな」
暁の声に、すぐに返せる俊である。
「その心は?」
「格式が高いというのもあるし、比較的料金設定が安い。ビートルズもやってるしな」
一番最後のが一番の理由である気もする。
「この話題、前もやってなかったか?」
そんな数ヶ月だか前の話など憶えていないし、何度でもしたくなる話題ではある。
武道館というのは、確かに交通の便もあるし、ペイしやすいのだ。
ただ興行の実績がかなり厳しく査定されるため、1000人規模のハコを今度初めて行うノイズとしては、許可が下りないだろうなとも思う。
昔は武道館に立つことを一つの節目としていたバンドなどもあったらしいが、現在では単純に規模だけなら、ドームの方がずっと大きい。
また野外コンサートであるなら、もっととんでもない動員数が記録されている。
五大ドーム公演などというのも言われたりするが、確かにドームは雨天での延期などは滅多にないため、計画はかなり順調に立てられるだろう。
「五大ドームって、東京、名古屋、大阪、福岡に……埼玉?」
「あ~……もう五大ドームなんて言えない時代か」
元は札幌であったのだが。
音楽の世界を極めるというのは、果たしてどういうものになるのか。
ビートルズは意外なほどに早く、レコーディングバンドになってしまった。
だが今はライブバンドが強い時代。
音楽を鑑賞するのではなく、ライブを体験することが、求められている時代だ。
Vtuberや顔出しNGの歌手でさえ、ライブはしっかりと行っている。
実際のところ俊は、東京ドームなどのコンサートを見に行ったことはあるが、音響なども厳しいなと思っている。
それでも自分で試算したことはあるのだが、まず武道館を埋められるようになってから、ドームというのが順番であろう。
ただドームよりもやはり、他のアリーナ会場の方が、計算としてはペイしやすい。
武道館はその中でも、かなりステータスとして有効なものなのだ。
紅白に出ることは、世俗的なことであり、知名度を高めるために役立つものであった。
だが今ではもう、紅白に限ったことではないが、むしろ選ばれないことを望むイベントなども存在する。
俊としてはノイズのブランド化、というものについて考えてはいるのだ。
だがブランドであると同時に、見える存在でもありたい。
ライブを行うのは、自分の中からだけでは足りない、共鳴するものをオーディエンスから引き出したいからだ。
ライブハウスに限らず、コンサートホールなども利用していきたい。
特に地方都市のホールなどは、使用料金自体は驚くほど安かったりする。
チケットを高くすることは、ブランド化のために必要なことである。
だが完全に手が届かないようにするのは、なんとなくまずいのではとも思っている。
何より重要なのは、自分たちミュージシャンに、ステージを作るためのスタッフ、そして事務所が儲かることだ。
継続して金になっていかないと、いずれは単純に破滅する。
(父さんのようになったらいけないな)
敬愛する父親であるが、成長するほどにそのメッキがはがれていくのを感じる。
反面教師としても学ばせてくれる、稀有な父親であろうと、俊は少し皮肉に考えていた。
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