第148話 アニメーション
そろそろ本格的に暑くなる、六月に入った。
ワンマンライブの予定も決まり、チケットの前売りも始まったわけだが、順調に売れていっている。
「三日で八割ぐらい売れたのよ」
阿部はそう言っているが、ノイズのフォロワーの数や、CD販売枚数などのことを考えると、それが果たしていいのか悪いのか。
「かなりスケジュールがタイトで、これまでにない規模だと考えたら、充分すぎるわね」
あとはライブなどで告知していく、というわけだ。
千歳の言っていた、対バン企画にしても、悪い感触はない。
なぜならギターかボーカルで、暁か千歳のどちらかが入れば、それを目当てに客がある程度は入るのだ。
今さら50人のハコ、などと言ってはいけない。
地道にファンを増やしていくことは、重要なことであるのは間違いない。
そちらの仕事は高校生組に任せて、俊はまず新曲の作成に入っていく。
影響を受けたのは霹靂の刻であり、月子の三味線をまたも使うという曲となっている。
激しさよりもむしろ、哀切を感じさせる曲調になった。
三味線というのは元々、そういう唄が多いのだ。
本来の三味線の味を引き出す、俊の新しい作曲。
それを簡単にやっているあたり、俊の能力はかなり成長しているのだが、本人はそれに気づいていない。
霹靂の刻に比べれば普通の歌だな、などというのが自己評価である。
バンドを組むということの意味が、そこにある。
若い女性陣三人は、まだ気づいていないようだ。
だが信吾と栄二は、自分たちの成長も感じている。
新しい才能に触れることによって、より自分も成長していくという実感。
なかなかそう感じられるものではない。
それとバンドであると、やはり他のバンドとの交流もある。
ノイズに関してはバンドメンバーに女子が多いので、そこだけは気をつけなくてはいけないところだが。
数年前から大きなムーブメントが来ているとは感じている。
そしてそのうねりの中に、ノイズの音楽性も入っているのだ。
かつては存在しなかった、自室からの音楽発信。
それがメジャーシーンになってきている。
もちろんまだまだ、旧来のような売り方もされてはいる。
しかしこの新しい流れは、純粋に音楽の進化の形であるのかもしれない。
当初の予定であれば俊もそちらの道に進んでいた。
月子の声はまさに、ハイトーンでありそちらに向いていたのだ。
だが結局ライブバンドをしているのは、その熱量を感じたからだ。
多くのコンテンツがネットで配信される時代。
コスパという言葉に対して、タイパという言葉が出現した。
無料で楽しめるものに、どれだけ自分の時間を使うことが出来るのか。
これはコンテンツだけではなく、人間の生き方自体にも当てはまると思っている。
今の若者は特に、人間関係などに時間を効率的にしかかけない。
かつての俊も、そういうタイプであった。
本当に価値のあるものを楽しむためには、時間だけではなく金もかかるのだ。
そこまでのものを、果たして自分は見つけることが出来るのか。
無料で垂れ流すコンテンツの中から、あえて金を出してまで何かを選ぶ。
それこそが精神的な意味での、真の充足であろう。
(ただそれとは別に、BGM代わりに聞く音楽も、確かにあった方がいいんだろうけどな)
ハードロックから発生した音楽は、メタル系列だけではない。
サイケなどはちょっと例外だとしても、R&Bに移動したり、ブルースに回帰したりする。
一つの色だけで勝負するのは難しい。
適切に使えるならば、武器は多ければ多いほどいい。
もっとも一つに絞って、それを極めるというのも、凄いことではあるのだろうが。
俊は完成間際のアニメーションMVの製作現場を、また訪れていた。
ネットでやり取りするのも無理ではないが、細かいニュアンスは現場にいないと伝わらなかったりする。
ただ出来上がっているアニメーションは、俊の当初の持ち込んだアイデアを元に、さらに面白い動きとなっている。
「凄いな……」
まだ色の調整が終わっていないが、海や山の風による動きが、曲のイメージをさらに引き上げてくれている。
おそらく千歳あたりがこれを見たら、もっと興奮するのだろう。
これをまた新たな武器にして、ワンマンライブを盛り上げるのだ。
ただそれなりにお金はかかった。
金銭的な問題というのは、どうしてもバンドを継続していく上で付きまとう問題である。
ミュージシャンだろうがアーティストだろうが、霞を食って生きているわけではないのだ。
そして俊の場合、新しい機材はそれほど買わなくても、バンド全体の儲けについては考えている。
基本的には六等分であるが、実際はライブというのは、その前の打ち合わせや企画などが重要になってくる。
ただしこのあたり、俊はほとんど自分の主張を通すため、自分の時間も使うこととなる。
本当ならばもっと、全員の意見を聞いた方がいい。
だがこのクラスのライブであるとまだ、一人の人間がコンセプトなどを統一した方がいいのだ。
そもそも女性陣は、上手く演奏することだけを考えていて、そんなコンセプトなど考えていないような気がする。
信吾や栄二は、バンドのスタイルにはそこそこ口を出すが、細かい演出などには文句がない。
音楽の方向性さえ合っていれば、あとはどれだけ金を稼げるかという問題になってくる。
栄二の場合は奥さんも働いてはいるが、やはり所帯持ちというところが大きい。
子供の将来のためには、貯金をしておくことが必要だと、親らしいことを考えている。
確かにお金は重要であるが、俊の場合は思っているような大きな企画は、個人でどうにか出来るものではない。
金に困ったことはない俊であるが、やりたいことをやるには金が足りない、という面白い事態になっているのだ。
ありがたいことにチケットの予約分は、全て売り切れることになった。
わずかに当日券をどれだけ用意するべきか、そこが問題である。キャパよりも少しは入るのだ。
そして完成したアニメーションも送られてくる。
せっかくだからということで、俊の家のスタジオで、阿部なども招いてスクリーンに上映する。
大自然と、女侍、そして田舎の村々。
時代考証は少しあやふやであるが、剣戟のシーンでは三味線がベンベンと鳴らされるのだ。
「昼夜1000人ずつがこのペースで売り切れるということは、もっと大きなハコでも売れるわね」
阿部の目が金マークになっていたが、正直なことはいいことだ。
俊としても儲かることは、もっと大きな企画が出来るということで、悪いことではないのだ。
大金を動かせるミュージシャンというのは、それだけ企画を通すことが出来るようになる。
俊としては純粋な金銭欲はさほどないが、世の中を動かすには大金が必要になる。
そして大金を引き出すためには、力が必要なのだ。
それでもメジャーとくっつくのは、純粋にメンバーの収入が少なくなる。
確かに広告や宣伝は重要であるが、それでもメジャーレーベルで販売した場合は、事務所やレーベルに持っていかれる割合が大きすぎるのだ。
かつてCDが100万枚も売れていた時代には、アーティスト印税が1%しかなくても、単純に1000万円以上が入っていたことになる。
作曲や作詞の著作権の印税は、さらにその何倍にもなった。
他にも利用することによる印税が、カラオケなどから入ってきたものだ。
今はサブスクなどで、再生されたことによる印税が入ってきている。
しかしネットの発達で、流通や小売の取り分がなくなっているのに、アーティストへの還元があまりないのはなぜなのか。
それはプラットフォームに抜かれているわけであるが、ノイズの場合はまずDL販売を考えている。
音楽だけに限らず、コンテンツを消費する時代なのだ。
その時代にはまた、よりフィジカルに近いライブが重視される。
「まだずっと先の話だけど、テレビとかに出るつもりはあるの?」
いよいよワンマンライブも詰めてきた時に、阿部はメンバーが揃ったところで尋ねてきた。
俊の場合ははっきりしている。
「番組によりますね」
「え、いいじゃん。テレビって宣伝になるでしょ?」
千歳はそう反応するのだが、テレビに出るということに、全く気後れしていないのか。
このあたりは本当に、現代っ子だと言えるのかもしれない。
「まあバックミュージシャンだけど、何度か出てるから」
栄二はそんな感じなので、当人としてはバンドの一員として出るということを別にすれば、特に何も感じないらしい。
メンバーの中で、特にテレビ出演に積極的なのは、千歳の他には月子ぐらいであるらしい。
「紅白、出たい」
珍しくもそう主張する月子であるが、これは以前に俊は理由を聞いている。
「山形の人間を見返してやりたいんだろ?」
強く頷く月子は、ある程度のコンプレックスを持っているのだ。
もう随分と紅白の人気がなくなってから年月が経過している。
むしろオファーがあっても出ないというアーティストも大量に、しかもトップレベルでいるのだ。
理由としてはギャラの安さなどもあるが、そもそも選考過程が謎であったりもする。
俊としても正直、出たいとは思わない。
「まあ月子のために、一回ぐらいいは出てもいいけど」
その言葉にメンバーは苦笑する。阿部も苦笑する。
ならばどの番組ならば、出てもいいと思うのか。
「Mステ」
これまた俊の答えはあっさりとしていた。
「あとは特別にどこかで呼んでくれるなら、それも一度ぐらいはいいかな」
完全に上から目線であるが、テレビによる周知の拡大を、もう信じていない世代なのだ。
音楽はとにかく、聞かれてなんぼの世界ではある。
一度テレビの番組に出演したところで、それは高が知れている。
今の最大の宣伝となるのは、タイアップである。
それもCMのタイアップではない。
アニメやドラマのタイアップであり、特に最近はアニメタイアップによる効果で、とんでもなく認知度を上げているアーティストがいる。
もっともそれまでにも既に実績があって、一つのきっかけに過ぎないという場合もある。
「アニメ主題歌いいね!」
キラキラとした目で千歳は言ってくるが、そこは少しでも業界の事情を知っていれば、苦笑するしかない。
アニメタイアップは認知度を上げる効果がある、と知られてしまった。
すると逆にアニメタイアップの枠は、取り合いになってしまうのである。
スポンサーがあれば、当たり前だがそこの意向が優先される。
そのスポンサーには普通、レコード会社が含まれていたりする。
会社に所属するアーティストが優先されるのは、当たり前のことであるのだ。
もう少し前の時代であれば、しっかりと声優枠やアニソン歌手枠というものがあったものだ。
今でも声優が主題歌を歌う作品はそれなりにあるし、アニソン歌手枠というのもあるが、もちろんそれよりもスポンサーの意向が第一である。
なにしろスポンサーは、利益を出すために、スポンサーをしているのだから。
「あれ? でもちょい前に大ヒットした作品も、アニソン歌手使ってなかったっけ?」
「そういうのも確かにあることはある」
だがそういったものは極端な話、事前の期待値が低い作品である場合が多いのだ。
放送中から爆発的に人気が拡大し、その後も映画になってシリーズが続いていった、という作品もある。
ただそういった作品でさえも、ファンの声を無視するかのように、続編からは人気アーティストを主題歌に持ってくることがほとんどだ。
事前に微妙だなと思われる作品でも、普通に声優の歌手や、アニソン歌手を使うのが普通である。
ノイズにそういった依頼がくることは絶対にない。
そんなオファーを受けるためには、そもそもレーベルを変える必要があるのだ。
「あと人気作にタイアップする場合、印税を何割か持っていかれるんじゃなかったっけ?」
「そうね。まあABENOじゃないけど知り合いのレーベルなんかは、普通にお金が必要だったりしたみたい」
「人気があっても無理なの~?」
「現実的な話、無理だな」
アニメの場合であると製作委員会方式で作られており、その中にレコード会社があることがほとんどだ。
そのレコード会社傘下のレーベルから、タイアップは選ばれることになる。
「まあ超例外的なこともあるけど、現実的じゃないわね」
「え、何かあるの?」
「原作者指名。でもスポンサーの都合によっては、これも無理になったりするの」
作品世界を忠実に描写するために、ぴったりの曲を作れるとしたら、そういうアーティストに依頼するわけだ。
そもそも今は、レーベルに所属している上に、しっかりと原作に合わせた曲を作るアーティストがいるので、ノイズに回ってくることなどない。
まあタイアップにしても、一時期はひどいものもあったものだ。
作品の人気も高く、またアーティストの力量も確かであったにも関わらず、完全に作品世界に合っていない曲などが出てきたり。
あとは楽曲自体はかなりいいのに、アニメがひどくて忘れ去られてしまったり。
アニメもよく、楽曲もよかったのに、スポンサーの撤退で途中打ち切り……などというのはさすがに、最近はなくなっているが。
ともかくノイズにとっては、まだまだ遠い未来の話なのであるし、バンドの方向性としても違うだろう。
「俊さん、打上花火みたいなの作ってよ」
「無茶言うな」
千歳はかなりナチュラルに、無茶なことを言ってくるのである。
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