第260話 満ちた月
ノイズの出番が回ってくる。
楽屋で待機していた暁と千歳は、モニターでアイドルの踊る様子を見ている月子に、やはり違和感を抱く。
まだしも暁は、月子が二足の草鞋を履いていた頃を知っているが、アイドルの中でも現在の、グループやユニットのアイドルの中では、月子はないなと思う。
本質的な資質としては、間違いなくソロシンガーが向いている。
ただ性格などを考えると、やはりバンドボーカルでいいのだろう、とも思うのだ。
月子の後ろでギターを弾いていた時、暁は幸せであった。
今はもっと幸せになっている。
バンドの中で演奏する自分。
時折父のミュージシャン仲間の間に、混ぜてもらうことはあった。
だが本格的に、バンドとして表舞台に立ったのは、ノイズが成立して以降の話。
俊はユニットではなくバンドとして、ノイズを再構築したのだ。
今年でノイズはほぼ、バンドとしての立場を確立したとも思う。
武道館ライブに、大規模フェスでのメインステージ、東京ドームの合同ライブに、紅白歌合戦。
またタイアップも既にやったものや、これからやるものもある。
これ以上は次に、世界に出て行くぐらいであろうか。
今の世界というか、世界に発信するアメリカでは、ロックが完全に主流から外れている。
ヒップホップにR&Bであるが、暁はR&Bはともかくヒップホップは、あまり共感出来ない。
メロディアスな部分が足りない、とでも言うのだろうか。
古い音楽であるロックばかり聞いている、などと言われることもある。
ただヒップホップもその源流は古いし、ロックも最近のものはあまり聞いていない。
俊の作る楽曲は、基本的にはポップスである。
だがしっかりとギターのソロを入れてくるあたり、ロックの洗礼を受けているなと思うのだ。
アメリカのロックの衰退の原因が、ストリートやハードロック、ブルースなどの情感から理論に移ったからだ、などという意見もある。
そんなことを言われても暁は、ヒップホップは聞く気にならない。
これは月子も同じことだが、千歳は案外聞いたりもするらしい。
ただはまるほどの曲は、まるでなかったらしいが。
もっとも今の日本の音楽には、曲中にラップパートを入れたりもする。
特にボカロP出身者は、なんでもありということをしてくる。
その中では基本的に、自分一人で作れるがゆえに、あえてメロディの高低をしっかりつける、という曲が多くなりやすい。
ただラップパートのある音楽が、史上最速でPV数を増やしたのも、それほど前のことではない。
「ノイズさん、お願いします」
「さて、と」
ギターと三味線を持って、女性陣が立ち上がる。
ノイズは人数が多いため、男性陣と分かれてしまっているのだ。
紅組に入っているのは、フロントメンバーがそうだから、というのは言われる。
だが感覚としては、完全に男女バランスは半分ずつなのだ。
男性陣は作詞作曲、リズムキープに低音のグルーヴ感と、そのあたりの土台を作っている。
今日の曲は、月子の作曲ではあるが。
武道館に加えて、ドームまで経験してしまった。
そして紅白に出場と、ある程度の目標は達成してしまったことになる。
ただ俊は歩みを止めない。
彼が進む限りは、ノイズも歩みを止めないであろう。
俊が止まってしまえば、そこがノイズの限界だ。
彼の背中を押す、ボーカルや楽器の演奏はあるのだろうが。
通路の途中で合流し、ステージに立つ。
それぞれのパートの場所に位置し、最後に月子が現れる。
能面の小面の上半分という、いつもとは違う和風の仮面。
さらに衣装も、今日は着物なのである。
ただ花魁を思わせるような、やや着崩したスタイルである。
これが今日のノイズの飛び道具だ。
霹靂の刻も、マスター版からはさらに、アレンジが加わっている。
ツインボーカルであるがこれは、月子がメインの歌。
スポットライトが当たる中、月子の三味線がカーン、カーンと響く。
そしてその響きに、ドラムとギター、ベースが加わっていく。
イントロは普段よりも短く切ったもの。
そして月子のボーカルから入る。
透明感はあるのだが、同時に硬質でガツンと来る。
最近はいい意味で、存在感が圧力を増してきている。
バンドボーカルとして、演奏の力をさらに引き出していくのだ。
和楽器による音を、俊は打ち込みとシンセサイザーで加えている。
だが曲調はやはり、ロック・ポップなのである。
霹靂の刻は、月子の精神世界から生まれた曲だ。
作詞は最終的に俊が整えたが、月子のイメージがしっかりと乗っている。
だからこそ彼女も、しっかりと情感たっぷりに歌えるのだ。
東北の冬を思わせるが、実は春のイメージもある。
霹靂というのは落雷であり、それは実は冬ではない。
ただ日本海側では、比較的冬場にも多いというので、冬のイメージというのも間違いではない。
どちらにしろ、孤独を強く感じさせる曲であるのは間違いない。
およそ二年半で、俊は月子をこのステージに連れて来た。
冬に感じていた孤独は、今はもうない。
フロントで、リズムギターを刻みながら、月子と合わせるようにコーラスする千歳。
荒々しく歌うのならば、千歳もまた得意ではある。
しかし月子は感情を、しっかりと歌声で表現している。
彼女のずっと続いていた、呪いのような10年ほどの人生。
嫌な言い方かもしれないが、それが月子の表現力につながっている。
千歳は参加した時に比べて、圧倒的に演奏も歌唱も上手くなった。
なのでこの霹靂の刻も、当初のマスターに比べて、さらにリマスターしたものとなっている。
ボーカルとしては月子の背中を、ずっと追いかけてきた。
他の色々なバンドのボーカルを、追い越してきたという感触はある。
だが月子の声は、まだ遠くに行ってしまったような気さえする。
不幸や不遇を、歌う力に変えていた頃とは違う。
月子はもう自分の精神世界の深さを、変なマイナス感情をなしに、しっかりと歌に込めることが出来るようになっている。
千歳はまだ、己を襲った不幸から、立ち直っているわけではない。
むしろそれは自分の、永遠の傷跡として残るのだとさえ思う。
しかしその傷から生まれるものさえ、声に込めて歌っていくのだ。
傷つかない人生などないし、傷つくほどの痛みによって、人は磨かれていくものなのだろう。
このあたりのことを説明するために、俊は反出生主義などを取り出して解説したものだ。
生まれなければ傷つくこともないのに。
それでも人間は、人間を再生産していく。
苦しみがあるからこそ、人は幸福をも感じることが出来る。
下手に隣りの芝生が見えるようになってしまったため、人は不幸にばかり目が行くようになった。
そのあたりを現代社会の弊害、と言えるのかもしれない。
ただ人間は、多くの犠牲の上に、一部の人間が立つということを、社会構造として受け入れてしまっている。
それは多くの不幸が発生しようと、ほんのわずかの人間が、その種としての限界を打ち破る。それを目的として設計されているからだろう。
俊の考えは、千歳には理解しがたいこともある。
そういう場合はもっと簡単に噛み砕いて、俊は教えてくれる。
彼の話す哲学なのか倫理なのか、よく分からない思考法。
千歳の推薦入試の合格には、それがかなり働いているとも思う。
いつかは歌詞を書いてみたい。
また曲も作ってみたい。
そう思ったからこそ、千歳は音大の受験を決めたのだ。
(よし行け! ソロパート!)
千歳がリズムを取る中で、月子の三味線と暁のギターのバトルが始まる。
マスターとしてはここは、もっとギターの色が強かった。
月子の成長によって、さらに演奏が技巧的になったのだ。
暁のレスポール・スペシャルはTVイエローとも言われる種類である。
まだテレビが黒白であった頃、目立つためにその色にしたのだ、という説が有力である。
ただ暁にとっては、外見はそれほど重要ではない。
確かに可愛いレフティのカラーだな、とは思ったのだが。
修学旅行先で、偶然手に入れてしまうなど、あまりにも運命的ではないか。
それが紅白の舞台で、しっかりと映えている。
暁の肉体は、このギターを弾くように最適化されている。
他のギターの音がほしいなら、エフェクターでそちらに近づけていくのだ。
月子の三味線にしても、当初の民謡からずっと、ロック・ポップ寄りになってきた。
だが基本的な技術は、やはり民謡なのである。
壮絶な二つの楽器のソロから、一転してボーカル主体になる。
月子の声量と高音を用いた、カラオケで歌えないバージョンなどと俊が言っていたアレンジ。
ただ聴かせるためだけならば、こちらの方が技巧的には優れている。
わずかな休みの間、ドラムとリズムギターのみで、リズムキープを行う。
そしてまた、曲は壮絶な展開に戻っていく。
ここでは千歳のコーラスも重要になる。
あれで完成していたと思っていた曲が、それぞれの成長によって、さらに迫力を増していく。
落雷を意味する曲なのであるから、いくらでも迫力は増していっていい。
ノイズはポップスに寄っているが、ロックバンドであるのだから。
千歳のバンドボーカルとして、耳にしっかりと残っていく声。
そしてそれを上回る、まさに天性の素質と、幼少期から鍛えられた声。
二つが混じって、嵐のように響いていく。
これがロックだ、と暁などは感じる。
音楽のジャンルというよりは、魂のありよう。
俊などはどれだけバラードを作っても、その作曲とマスターアレンジへの過程が、間違いなくロックだ。
ただ暁の定義に従うなら、おそらく全ての音楽は、クラシックでさえもロックになってしまうのだろう。
ブルースマンは、全ての音楽にはブルースがあると言うだろう。
このあたり暁も、全ての音楽はブルースでロックであるべし、などと思ったりはしている。
極端な意見かもしれないが、それぐらいの勢いがないと、ミュージシャンなどはやっていられない。
彼女はまだ、18歳になったばかりなのだから。
生きていく上で、まだまだ先は長い。
もっともかつては、ロックスターは30歳になどなりたくない、などと甘えたことを歌っていたのだ。
暁は違う。
死ぬ時まで、その直前まで、ロックな生き方をしていきたいと思う。
そんな暁がノイズのメンバーの中で、最後まで生き残ることになるのは、この時点では分かるはずもないことだが皮肉かもしれない。
曲が終わる。
ギターと三味線が、それぞれの音楽を互いに飾る。
まるで踊るような、それぞれの楽器の音色。
カーン、カーンと三回響く三味線。
そしてそれに、アルペジオで合わせていくギター。
紅白の、わずか五分ほどの演奏が、盛大に盛り上がって終わった。
一つの区切りが終わった。
月子はこれで、満たされてしまった。
欠けたばかりであった、彼女の人生。
奪われることが多く、それだけに満たされることを求めていた。
満足した。
だが欠けたものは満ちても、また欠けていくのだ。
それこそ月の運行のように。
夢のような舞台だ。
そんな紅白も、まだまだ続いていく。
ノイズの出番は、もうこれで終わってしまったが。
また一年、時が終わる。
もちろんそれは、人間の基準での話。
季節がどれだけ過ぎようと、地球が太陽の周囲を何度回ろうと、関係なく時は過ぎていく。
この区切りを体験することで、月子は気づいた。
果てしない流れの果てに、のもっと本質に迫る歌い方に。
自分が死んでしまっても、ずっと自分の歌を残すために。
永遠にはなれなくても、人々の記憶には長く残るように。
それが永遠に生きることよりも、より重要なことなのだ。
自分はそうやって、足跡を残していけばいい。
他の人間が歩いてきた、ごく普通の道とは違う。
茨だらけかもしれないが、絶対にオンリーワンであるその道。
アーティストになるということは、そういうことであるのだろう。
今ならばまた、新しい曲が作れると思う。
俊が紅白に乗り気でなかった訳が、なんとなく分かる気がする。
ずっと待機しているぐらいなら、もっと生産的なことに時間を作りたい。
ただそう思えたのは、この舞台に立ったからでもある。
経験することによって、その価値を見出せる。
少なくとも今のノイズには、紅白は一度きりでいいかな、と思わせるものがあった。
演奏が終わると、月子は衣装がかさばるので、楽屋に戻ってくる。
多くの人間が、今日は使う待機所である。
暁や千歳も、ギターを置きにやってきた。
テレビで放映されるということもあるが、観客がノイズだけを見に来たわけでもないということで、演奏を始めるまではアウェイ感が高かった。
しかし実際に演奏が始まれば、一気に熱量を高いところに持っていけた。
元々今年の紅白は、紅組が強いとも言われている
ノイズが紅組扱いされているのも、その一部ではある。
これが永劫回帰が出演していれば、白組も強かったかもしれない。
ただ最近は女性アイドルグループで、紅組のポイントを取ることが増えている。
一方でバンドが出演することが、かなり減ってきている。
例外もあるが基本的に、バンドは男性メインであることが多い。
再び表に出て行くことはなく、そのまま紅白が終わるのを、楽屋のテレビで見ていた。
今年は確かに紅組が強いな、というのは確かに分かる。
その中にはボカロP出身の作曲者による楽曲提供や、あるいはユニットなども存在する。
特徴的なのはミステリアスピンクであろうか。
最初に見た時の彼女たちは、明らかにステージ慣れしていなかった。
ネット配信している楽曲も、散々切り貼りしているといわれたものである。
だがあれから、もうずっと時間は経過している。
上手くなったと言うよりは、生で歌うことに慣れてきた。
別に口パクであっても、それはそれで構わないな、とノイズのメンバーも思ってはいる。
声自体は二人とも、かなり耳に残るものであるからだ。
そもそもの俊の予定であると、ミステリアスピンクのような、ユニットを想像していた。
月子一人でもどうにかなったろうが、あるいはもう一人ボーカルを探して、二人で歌うような。
実際に今のノイズであっても、他の楽器を打ち込みにして、ボーカル二人に歌わせるということはできなくはない。
もっともそれをすると特に、暁のギターの魅力が大きく減じてしまうだろうが。
ノイズの演奏の中で、一番重要なのが暁のギターであろう。
俊の打ち込みなどは、楽器演奏とはちょっと言いにくい。
シンセサイザーをキーボードとして使うにしても、その演奏の技術は格別に優れたものではない。
少なくともずっと年下の花音の方が、上手いのは確かなのである。
これからどういうルートを歩んでいくのか。
俊がちょっと言っていたのは、いよいよ金がかかるシーンに進み、それで対価を得るということであるらしい。
実際に俊は、金に本当にうるさい。
もっともおかげで、月子と信吾などは、金に困らなくてもいい生活を送っている。
栄二も含めてこの三人と、金に本当の意味で不自由したことのない、暁と千歳は意識が違う。
暁はとにかく自分の技術を磨き、自分の演奏にこだわっている。
千歳にとっては歌は、表現の手段なのだ。
将来、いつまでもバンドを続ける、ということは出来ないだろうと千歳は考えている。
だからこそ大学進学、というルートを選んでいるのだ。
また別の方向ではあるが、暁もギター職人への弟子入りなど、そちらを本気で考えている。
もっとも高校を正式に卒業して以降は、よりバンドの活動は大きなものになっていくだろうが。
未来への道が、まだ地平線の彼方まで開いている。
いや、はるか遠くには、巨大な山脈が壁のように、聳え立っているのかもしれないが。
まだまだノイズというバンドは、発展途上なのである。
そして特に千歳は、学ぶことが多い人間だ。
月子ほどの歌唱力と、俊にもない和のテイスト。
彼女がいることによるノイズの音楽の広がりは、かなりのものになっていると言える。
そして紅白も終わった。
今年は紅組の勝利である。
だがそんなことは、別にどうでもいいのである。
一つの区切りがついたことに、間違いはないのであろうが。
ごく一部のバンドなどは、これから年越しのライブに向かうらしい。
対してノイズは、今年はもうこれで終わりだ。
実際のところドームのコンサートで、体力はほぼ使いきっていた。
今日の演奏に関しては、手抜きではなかったにしろ、最後の力を使いきったものである。
「じゃあ、俺はここで」
栄二は当たり前のように、家族の元へ帰っていく。
実家にも一日だけだが、顔を出す予定らしい。
「そんじゃな」
信吾も懐に余裕があるため、仙台に帰るのだ。
千歳は高校の友人と付き合って、これから初日の出を見にいくらしい。
元気なものだと俊は思うのだが、作曲となると徹夜になる俊も、たいがいのものである。
暁も誘われて、父が正月から仕事なので、そちらに合流しても良かった。
だがそうなると俊の家で、佳代も実家に戻っているため、二人きりになってしまう。
もちろん俊を、信用していないわけではないのだが。
「さて、じゃあ俺らも帰るか」
そう俊は言って、暁もそちらに泊り込む。
どうせこれから帰っても、新年の挨拶などはほどほどに、また作曲に取り組むのが俊なのだ。
ならば暁も、一緒に行っても全く問題はない。
一つの区切りだな、とは俊も言っていた。
武道館からドーム、紅白というこのルート。
成功したバンド、と言ってしまってもいいのだろう。
だがこの先のルートは、そう簡単に正解が分かっているものではない。
もちろんライブはやっていくし、全国ツアーなども考えている。
しかしここまでのように、分かりやすい展開にはならないのだ。
海外進出、というものを俊は考えている。
ロックが死んだと言われるアメリカで、意外と日本のロック・ポップが人気であるのは、事実ではあるのだ。
もっともこれには色々と理由があり、日本のロックがそのまま受け止められている、というわけでもない。
ただ霹靂の刻で、ノイズの知名度はアメリカでも上がった。
そして世界に拡散するためには、アメリカの市場を通した方が、簡単なのはもちろんなのだ。
世界制覇。
そんなものまでは望んでいない。
だが自分たちの音楽を、より遠くまで、より多くの人に、伝えていくということ。
それこそが音楽を通じて、永遠の存在になるということではないのか。
「正月休みが終われば、すぐにまたレコーディングだしな」
果てしなき流れの果てに。
あの曲を完成させて音源として流したら、果たしてどういう反応が出てくるのか。
音楽の可能性は、少なくともノイズにとっては、まだまだ無限に思えるのであった。
第一部・完
一日か二日ほど間を空けます。
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