第307話 ハードスケジュール
五日間連続で、名古屋から神戸という日程の、ツアー第一段階が終わった。
次は四日間連続で、広島、福岡、長崎、熊本という第二段階である。
なおこの間に俊は、他のメンバーと共に、スペインのフェスのセットリストを考えている。
やることが、やることが多い。
あっという間に平日が終わり、第二段階となる。
広島から開始する二段階目は、新幹線で広島まで移動するところから始まる。
そこそこ朝の早い時間から、新幹線に乗らないといけない。
広島のハコも1000人には満たない。
こちらも早めにソールドアウトしているのだ。
あとは当日に、チケットが出るのかどうか。
そこはライブハウスに任せているので、こちらではどうにもならない。
以前のツアーでは、通過した都市である。
だが広島もまた、100万の人口を抱える都市であるのだ。
山陰地方や岡山に山口と、来る人間は多いかもしれない。
ただ岡山であれば、神戸の方に行っているか、と思えるところだ。
ライブには常に緊張感があるが、特に初めて行くライブでは、それが顕著である。
初めてのハコとなると、どうしても勝手が違う。
フェスなどであると、そもそも全てが違うため、むしろ上手く合わせられるのであるが。
それぞれのライブハウスやクラブなど、またホールには特徴がある。
セッティングとリハで、音響はしっかり把握しておかなければいけない。
ノイズはライブバンドとしての性質を、色濃く持っている。
その時のライブは一期一会。
常に全力のパフォーマンスを出せるよう、セッティングから準備しているのだ。
こういった地方ツアーには、感覚を引き締めるという意味合いもある。
人気が充分に出てしまったら、予定調和の盛り上がりというのが、ファンの中では存在するのだ。
既にオーディエンスが、全力で盛り上がるつもりでいる状態。
最初の頃は特に興味を持ってないオーディエンスを、どれだけ引き付けるかが大変だったものだ。
もっともそれも、最初のツアーをするぐらいまでだったろうが。
関東圏ならどこでやっても、おおよそ成功するアドバンテージがある。
巨大なハコでやっても、関東ならば充分に成功する実績がついてきた。
ブラジルでやった時は、不安を心の奥底に抱えていた俊である。
もっとも実際のライブでは、メンバーが全く臆さず、テンションを上げていってくれたが。
リズム隊の安定感に、常にハイパフォーマンスな暁、空気を読まない千歳。
そして誰が聞いても、はっきりとその声の魅力が分かる月子。
歌詞の意味が分からなくても、その声の響きと感情は、訴えかけるものがある。
それは原始の、獣の咆哮に似ているのだろう。
声というのは人間の、誰もが持つ楽器であるのだ。
アンコールを二曲やって、ライブは終了した。
こっそりとオーディエンスの表情を見てみると、それが満足であったのかどうか分かる。
ライブ中の熱量から、ある程度は分かっている。
満たされたような顔か、放心したような顔をしていれば、ライブとしては成功だ。
メンバーも多くが汗だくになり、早く汗を流したいと考える。
それほど高いホテルではないが、一人一室は取れるだけの予算がある。
ただどうしても東京では、自分の慣れたベッドで寝る。
比較してみれば、枕が変わって眠りにくいということはある。
しかし翌日にはまた、今度は福岡でライブがある。
ローディーは先行して、この夜を爆走して高速で福岡に向かうのだ。
この東京から広島へ、そして広島から福岡へ、というのが一番大変であるかもしれない。
俊たちノイズメンバーはそれほどでなくても、ローディーは移動距離が長い。
ある程度の設備があるハコを選んではいるが、場合によっては地元の会社にも助けを求めなければいけない。
そうやって予算はどんどんと多くなっていく。
ノイズの場合はそれでも、かかる経費は少なくしているのだ。
このあたりはまだ、日本を東西に移動する、新幹線を使っているからいい。
ツアーの後半は北信越や東北を移動する。
こちらもあちこち移動はするが、北海道に向かうのが一番大変だろうか。
人口のある街であれば、秋田や青森なども悪くはなかった。
しかしそれを全て、山形か仙台に集めたい。
さすがにそれは無理であろうが、俊も最初の全国ツアーは、かなり絞って行っているのだ。
もしもまたやるとしたら、今度は鹿児島に飛行機で行って、そこから東京に戻ってくるルートでやればいいだろうか。
そうしたら九州から、四国の松山は高松へと、それなりの街を移動して行くことが出来る。
ただそれならば、淡路島はその時にやればよかったではないか、ということにもなる。
今度そのルートでやるなら、淡路島の観光でもすればいい。
鳴門の渦潮というのは、俊もちょっと見てみたいものなのだ。
生まれた場所であるが、月子としてはそれほど、淡路には観光地がないと思う。
もちろん日本はあちこちが、観光地として成立している。
鳴門の渦潮以外に、果たして何があっただろう。
造船所や港はあったと記憶に残っているが、他は意外と山が多かった、という程度かもしれない。
広島から福岡へ。
以前のツアーでは、ここで一日休みを挟んだものだ。
だが今回は移動に専念出来るため、連日でのライブとなる。
福岡から長崎、そして熊本というのが第二段。
まずは福岡でのライブである。
別に差別意識などではないが、俊はなんとなく、九州の人間はちょっと国民性にクセがないかな、と思っている。
鹿児島などはいまだに、かなりの違いがあるとは聞く。
しかし九州全体が、この福岡まで感覚が違うと言うか。
今回は最南端が熊本であるが、おそらく鹿児島でもペイするだろうとは思える。
ただ日程と労力が、さすがに厳しいのだ。
いっそのことドームコンサートは無理にしても、その半分ぐらいの会場でやればどうか。
それは確かになくはないのだが、設備がそもそも音楽専門ではなかったりする。
今回のライブハウスは、1500人が入るハコ。
ここならばチケットが売り切れれば、確実に利益が出せるのだ。
またチケットだけではなく、物販もしっかりと売っていく。
そのためにもライブが、盛り上がってくれないといけない。
九州は熱量が、やはり違って感じる。
反応も違うように感じるが、それでもノイズの音楽がブレることはない。
福岡は他に、北九州市という100万都市も抱えている。
それだけにここは、チケットが売り切れるのも早かったと聞く。
今回のツアー第二段は、福岡が最大のパフォーマンスを発揮するべき場所である。
実際にオーディエンスの反応も、激しいものであったのだ。
月子の声は透明だが、同時に分厚く圧力もある。
それに比べると千歳の声は、バンドタイプの声ではある。
二人に共通するのは、声に乗った感情のパワー。
千歳はようやく、自分のギターのリズムに乗って、パワーを増やすことが出来るようになってきた。
ギターボーカルとしての力を、しっかりと発揮しているわけである。
月子はそれに対し、基本的にはボーカルだけだ。
しかし三味線を使うなら、それはそれで面白い色になっていく。
移動距離も長く、コンディションを維持するのが難しかった。
しかしオーディエンスの熱量も、こちらを煽ってくる。
双方の対話というのが、ライブの魅力なのだろう。
そして煽られた場合、月子よりは千歳の方がムキになる。
それによってしっかりと、高いパフォーマンスを発揮するのだ。
福岡の夜は熱い。
まだ五月も半ばというのに、ステージの上には夏がやってきている。
暁が上半身を抜いで、ギターを演奏する気持ちが分かってくる。
ただ本当は暁としては、自分の汗がギターに飛びやすいので、あまりいいことだとは思っていない。
それでも脱いでしまうのは、基本的に無駄なパフォーマンスをしない彼女の、わずかな自己主張であるのだろう。
舞台は長崎へ、そして熊本へ。
ノイズのツアーは順調であった。
長崎は少し、九州の中でも雰囲気が違ったように思う。
そして熊本でのライブで、第二段階は終了である。
移動距離や動員を考えれば、長崎ではなく熊本から鹿児島へ行ったほうが良かったのではないか。
そんなことをツアーの前は、メンバーの中で話されていた。
しかし実際の体感としては、長崎には来てよかったな、と思う。
ライブハウスのキャパシティとしては、今回のツアーの中でも、最小レベルのハコではあったのだが。
鹿児島も同じだが、純粋なライブハウスは、それほど多くはない。
やはり九州で動員するなら、福岡が一番だなと思われた。
ただ完全なライブハウスはともかく、コンサートホールなどであれば、どこにも1000人単位が入るハコはある。
しかしそういったところを使うなら、演出が限られてくる。
設営の手間もかかるし、ちょっとペイしないといったところだ。
やはりアリーナなどの、席によってチケットの金額が変わるハコを、選ぶべきであろうか。
実際に音響もいいため、演奏する側としてはいいのだ。
コンサートホールなども、音響では優れている。
そのあたりを考えると、ノイズというバンドの現在の限界が分かってくる。
事務所の力自体は小さい。
だが阿部がその、家族の持っているコネクションを、しっかりと使っているのだ。
そこまで阿部にやらせた、ノイズの可能性も凄かったとは言えるだろう。
そして今、事務所はソルトケーキを売り出している。
こちらも順調に人気が出てきて、いずれは事務所を移籍させて、メジャーレーベルで売り出そうと思っている。
阿部はとりあえず、ノイズがどこまでやれるかを見てみたいのだ。
ミュージシャンの才能が、輝く期間は短い。
ただ阿部の見るところ、俊は才能ではなく技術で、職人的に作曲をしている。
作詞にしてもインプットを多くして、難解な部分もあったりする。
こういうコンポーザーは、職人タイプなだけに、長生きするものなのだ。
ミュージシャンの旬は、少年マンガに似ている。
ほとんどの売れっ子は、一作か二作までしか、少年マンガで売れることがない。
多くの元少年マンガ家が生き残っている場合、それは青年誌に移籍している場合が多いのだ。
あるいは一作が長期連載で、それだけで食っている。
ミュージシャンにも一発屋で、その一発で食いつないでいる人間もいる。
そして世界につながるほどの、大ヒットを生み出した作家はどうか。
大ヒット作以降は、どうしても縮小した作品しか生み出すことがない。
まあ、あだち充や高橋留美子のような例外もいるが、これらは青年誌や少女誌でも描いているという作品の幅がある。
あだち充はもう、あだち充で一分野という気もするが。
特にジャンプマンガなどは、超巨大な一発屋というのが多い。
俊の作風というのは、前提として知識を増やしているため、色々と応用が利くマンガ家のようなものだろうか。
社会派のマンガ家というなら、かわぐちかいじや浦澤直樹。
知識を増やして作品を作るというなら、稲垣理一郎などもスポーツ、科学、マネーゲームと上手く原作を作った。
逆に作画に特化して、ヒット作を何本も飛ばす、小畑健や村田雄介というマンガ家もいる。
それに今はWEB小説を原作として、コミカライズをするという風潮もあるではないか。
俊は土台であり、そして舞台装置のようなものだ。
コンポーザーとしても、もちろん優れてはいる。
ただ幅広いながらも、色々なところから影響を受けているな、と阿部も感じているのだ。
そしてそれを上手く、メンバーに演奏してもらう。
原作が俊で、作画が月子や暁といったところか。
第二段階が終わった。
東京に戻ってきたメンバーは、ヘロヘロになっていた。
それでも音楽で使う体力と、他の部分で使う体力は違う。
ただあまり日程がきついと、燃え尽き症候群になりかねないな、と一番無茶をしている俊は思う。
次の第三段階は、北へ向かうものである。
宇都宮、仙台、山形、札幌。
この第三段階が終われば、いよいよスペインである。
俊は音楽の世界で生きていく人間だ。
しかしそのミュージシャンとしての寿命は、果たしてどれぐらいのものであるのか。
阿部は俊のことを、むしろプロデューサーなどとして、優れていると思っている。
コネや伝手の作り方に、様々なジャンルの知識。
人と人をつないでいく力は、イベンターやプロモーターともつながっている。
この間はドラマの現場で、プロデューサーや監督、ディレクターなどにも挨拶をしていた。
普通なら真っ先に目が行くはずの、俳優などは通り一辺倒の挨拶をしただけで。
あのドラマには、そもそも俳優の大御所などは出ていなかった。
売れっ子は出ていたものの、それが何年売れているか。
俊はそのあたり、ものすごくシビアに物事を見ているところがある。
またいい意味で金に汚い。
理想だけでは食ってはいけないのだ。
活動を継続していけるだけの金を、しっかりと稼いでいかないといけない。
ミュージシャンとしてライブをしていても、バイトをしないと回せないなら、それはまだプロではない。
メジャーレーベルと契約していてさえ、バイトが必要なミュージシャンというのはいるのだ。
音楽だけで食っていくという意味では、ノイズはだいぶ前からプロではあったが。
スペインのライブは、六月の頭にある。
なので残念ながら、契約の関係でこの間のドラマ用に作った、新曲は披露することが出来ない。
ただ日程の関係で、どうやらアメリカのフェス以外に、予定は入れないはずだった他のフェスにも、出演出来そうなスケジュールになっている。
しかしあまりに忙しいと、メンバーのモチベーションが枯渇してしまうかもしれない。
いや、忙しすぎるともっと純粋に、メンタルをやられる可能性がある。
音楽をドラッグとして摂取している、俊や暁は大丈夫だろう。
だが他のメンバーはどうなのか。
栄二は今でも、ヘルプに入っているように、職人的にドラムを叩いている。
また信吾もそれほどでもないが、他のバンドのサポートには入っている。
月子の場合はのんびりと、映画などを見ていることが多い。
そして千歳は忙しく、大学にいって勉強をしている。
それなりに全員が、少し空いた時間を、自分のために使っている。
これがメジャーシーンであると、音楽に関係のない仕事が、それなりに入ってくるのだ。
インタビューなどなら、ノイズはいくらでも応じる。
しかしタレントとしての仕事は、避けているのがノイズなのだ。
理由もちゃんと存在する。
タレントというのはどうしても、旬というものがある。
ルックスで打っている若い俳優などが、10年後もどれだけ生き残っているだろうか。
賞味期限というか、消費されるものであるのだ。
ノイズは音楽以外で、賞味されることを避けている。
あえて露出を少なくすることが、音楽だけに集中出来るようになっている。
このツアーでもあったように、ハコを大きくしすぎて、オーディエンスの反応が分からないようにはしない。
本当なら50人ぐらいのハコで、時々は演奏したいのも本音なのだ。
演奏と聴衆の間のケミストリー。
何もライブは、演奏する側だけで成立するものではない。
俊は才能というのは、なかなか再現性がないと思っている。
ただ音楽というのは、大ヒットした次の曲も、期待値である程度売れてしまう。
これがたとえば、分かりやすくマンガであると、あっさり打ち切られてしまう。
音楽も縮小再生産をするのには、限界があると考えている。
ノイズは順調に大成功しているバンドだが、俊自身は紆余曲折を経ている。
バンドとしては成功しなかったし、ボカロPとしてはネタ曲が一番評価が高かった。
ただそうやって苦悩して作曲をしていく中で、自分の中に技術は増えていったのだ。
そしてその技術によって、ある声に合った曲を作ることが出来た。
月子との出会いが、俊の成功の始点となっている。
その後も数曲は、縮小再生産の曲や、誰かの影響の強い曲が多かった。
月子が霹靂の刻を作ったあたりから、本格的にインプットを増やして、曲のバリエーションを広げたのだ。
ソルトケーキに提供した、かつてメイプルカラーのために作った曲。
あれはソルトケーキ用に、しっかりとアレンジがされたものになっていた。
そういった器用な技術も、俊にはある。
売れ筋にするために、曲を整えること。
これを商業主義などと、言ってしまう人間もいる。
だが俊はこれを、仕事として行っている。
メッセージ性を含めることは、もちろんやっている。
それを伝えたうえで、なおかつ食っていくことが、重要なのである。
音楽、文学、マンガ、映画、そういった芸術的なもの。
若くして成功してしまうと、その成功体験にかえって縛られてしまったりする。
才能によって生み出されたものが、本当に受けるのかどうか。
それは時代性にも左右されるのだ。
俊の場合はそれとは別に、技術や能力、知識として音楽を蓄積していっている。
だからこそコンポーザーとしての才能が枯渇しても、まだどうにかなる。
ノイズには別に他にも、メロディラインを作れる人間はいるのだから。
ただ長く続けるだけではなく、広く海外にも打って出る。
その路線ですらも、今のノイズは成功しつつある。
しかしアメリカで否定されれば、もう一度挑戦するのは難しいだろう。
挑戦することに肯定的なアメリカ社会であるが、こういったジャンルのチャンスはそれほど多くはない。
また日本で成功を蓄積し、もう一度チャンスを待つのか。
プロモーターの力が必要になる。
日本での活動はともかく、海外の活動に関しては。
「さすがに、インディーズは厳しくなってきたなあ」
世界で売るための方法は、さすがに手探りでは難しいと考える俊であった。
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