第306話 ツアー開始
川崎から始まった全国ツアーは、次は一気に名古屋に飛ぶ。
スタンディングで1000人以上入るハコだが、ここも簡単に満員になっていた。
いっそのことドームコンサートをやりたいなどと言っても、そこは夢を見すぎという感じである。
レンタル料に加えて設営などのために、人件費を含めてものすごい費用がかかる。
まだしもスポンサーがついてくれるので、ある程度はマシではあるが。
いずれは国内四大ドーム制覇、などという夢を見るのかもしれない。
正直なところそれをするぐらいなら、大阪と福岡のドームの他には、東京は埼玉か横浜のアリーナを代わりに使った方がいい。
愛知は名古屋の一万人規模のコンサートが出来る会場はあるのだ。
大阪はまだしも、関西の人間が集まるだろう。
しかしドームを使うならば、京都や神戸でまでやる意味が薄れる。
ライブをやるには集客力と、ハコの収容数を上手く、一致させる必要がある。
そのあたりはさすがに、俊の計算の及ぶところではない。
ただチケットが売れ残るよりは、売り切れて買えない客が多いほうがいいと、遺憾ながら分かっている。
品薄感を演出することで、さらに人気を高めるのだ。
どうしてもライブに来れなかった人のために、今ではネットでライブの配信もしている。
もちろん全部ではないが、ある程度の雰囲気は分かるだろう。
このあたりの按配をどうするかは、マーケティングの専門家に任せる。
俊もそれなりにプロデュースをしてはきたが、これ以上はさすがに手に余る。
今でも普通に、過労死すると言われているのだから。
京都、大阪、淡路、神戸と行っていく。
この中では大阪が、一番ハコの規模も大きい。
それでも2000人規模の収容人数。
もっと広いところでやってくれ、とはよく言われることである。
ただそうなるとチケットが果たして全て売れるのか、問題となるところである。
大きなハコでやるということは、それだけ集めなければいけないということなのだ。
去年の夏のアリーナや、その前の夏の武道館は、特別な意味合いもあったし、そもそも関東圏であった。
だからあちこちを移動してツアーもし、確実にいけると確信して公演したのだ。
この後に、淡路で特別に公演し、その後が神戸。
ここでまたいったん、東京に戻るのだ。
それにしても地獄のような日程である。
特に千歳には休日と言えるような日がほとんどない。
暁もアルバイトを入れているが、それは少しは休むことが出来る。
とりあえず土日は全て、ライブで潰れることとなるのだ。
この業界はとんでもなく暇か、とんでもなく忙しいかの二つしかないと言っていいだろう。
これがもっと大御所になってくると、数ヶ月単位でレコーディングなどを出来るのだが。
もっともそれはCDが売れた時代で、今はやはりライブをしなければいけない。
忙しい時にしっかりとツアーをしないと、勢いが落ちてしまう。
千歳は大学でそういうことも学んではいるのだが、自分の身に起こると悲惨の一言だ。
平日の放課後であっても、スタジオレッスンが入っている。
同じ大学に行っていた俊であるが、自分は今の千歳ほどは忙しくなかったな、と思う次第である。
ただ今年の全国ツアーで知名度を決定的に上げれば、来年は大きなハコを数個だけ回って、それで利益が回収出来ると思う。
チケットの値段も上がって、収入も増える。
ハコが大きくなれば、やはりそれなりに動く金も大きくなるのだ。
ゴールデンウィーク後の五月二週目、名古屋からライブは始まっていく。
チケットがソールドアウトしていたと言うとおり、完全に埋まっている。
ある程度分散される関西と違って、中部地方はここに集中する。
出来ればもう少し、大きなハコを使いたかったと考える阿部であった。
あまり大きなハコを借りても、そこが埋められなければ赤字になる。
もっとも今の場合は、丁度いい大きさのハコというのが、なかなか空いてはいないのだが。
こういうものはおおよそ、イベント屋が予約して予定を埋めている。
そこと交渉していくのも、阿部の仕事であるのだ。
全国ツアーは、出来れば去年やっておくべきだった。
阿部がそんなことを思うのは、海外からのオファーがあったからこそである。
先々を見通して、予定は立てておかなければいけない。
しかし今は広告代理店がプロモーションしても、予定通りには売れない時代だ。
確かに売れているものを、さらに金をかけて売ることは出来る。
だがゴリ押しでは失敗すると、何度かの経験で理解してきた。
ネットからの個人の発信が、一気に世界を塗り替えることもある。
これを計算して起こせたら、本当に世界を制覇したも同然となるのだが。
金や裏工作の力で、無理にチャートの順位を上げても、すぐに見抜かれるのが現代である。
国家的な工作を仕掛けても、いくら数字を増やしても、そこに共感出来なければ無駄である。
それでもゴリ押しをして、ある程度は売れたように見えた。
だが今はその力が逆流し、その周辺の信用度を低下させてしまっているのだ。
音楽というのは興行である。
そして虚業でもあるのだ。
虚飾によるものであるために、それはより夢を見せなければいけない。
美しさの中にある虚しさを感じさせた時、それは意味をなくしてしまう。
ロックもフォークも、その魂の響き、ブルースを歌うものだ。
ポップスにはその時代性が満ちている。
ほんの一瞬の輝きというのも、一つの音楽の形だろう。
わずかな足跡であっても、それを元に新たな音楽が生み出されていく。
長く安定して、音楽シーンを牽引して行く人間がいる。
若くして死しても、その巨大な業績は消え去ることはない。
暁はジミヘンリスペクトの人間ではないが、その音楽的な偉業を否定することなど、出来るはずもない。
今のノイズは確実に、人々の心の中に熱を残していく。
さすがにここで死んでしまっては、マジックアワーやヒートのような伝説になってしまうだろう。
俊は自分が死んでも、そんな存在にはならないだろうな、と思っている。
確かにノイズの音楽は完成度が高く、また色彩豊かである。
だが俊自身が認めているように、オリジナリティから真に新しい音楽を発見したわけではない。
もちろん様々な音楽を、導入して発展させていることは、充分に偉大なことではある。
しかし革新的なことではないのだ。
名古屋の次には京都。
ここで用意されたハコは、1000人に満たないものだ。
月子にとっては、人生において三番目に訪れた地。
今でも安心できる場所とは、この京都であるだろう。
淡路の記憶は薄く少なく、山形の記憶は辛く重いものであった。
京都で叔母の保護下に入ってようやく、月子は自分のハンデを知ることが出来たのだ。
月子の声の透明さは、誰もが認めるもの。
しかしその中に魂の響きを感じさせるのは、生来課せられたハンデによるものと言えようか。
より苦しみ、耐え、考えた人間こそ、歌声にブルースが含まれる。
よくソウルは黒人のみのものだというのは、その苦しみの歴史が産んだものと言えよう。
だがそれが自分たちだけのものだと思った瞬間、生み出された感情は凡百に落ちる。
求め、飢え、苦しむということ。
それだけなら充分に恵まれた人生のはずの、俊も持っているものだ。
魂が求める貪欲さ。
いや、それは欲と言えるのであろうか。
芸術を追及して行くその姿は、欲とはまた違うようにも思える。
俊こそは生まれつき、いやその人生において、音楽に狂わされた者なのかもしれない。
月子は俊の過去を知れば知るほど、不思議に思えてくる。
俊は満ちることがない。
成功者と思われているが、その渇きが失われることはない。
だからこそ楽曲をどんどんと作成して、新たな境地に入っていくのか。
アメリカの最大フェスのヘッドライナーになるか、あるいはグラミー賞を取るか。
それぐらいをしてもまだ、満たされることがないのだろうか。
欲であるのか、飢えであるのか。
俊もまた、その人生において愛情を、奪われた人間であることに違いはない。
そんな俊の作る歌詞は、月子や千歳に歌いやすいものとなっている。
あまりに正確に内面を映しただけに、逆に恥ずかしかったりもしたが。
自分たちのブルースを、声に含ませることが出来る。
ノイズというこのメンバーのステージでは、自分の力がはっきりと出てくる。
レコーディングとはまた違う、完全に一期一会のステージ。
そこで安定して大出力を出せるからこそ、ノイズはここまで成り上がってきた。
最初は月子が、少し走りすぎていると感じた。
暁のギターがそれをコントロールして、上手く合わせていく。
それをフォローするリズム隊に、千歳のコーラス。
ツインボーカルのその力に、圧倒されるオーディエンスである。
そこで少し引いて、熱量を引き出す。
ライブというのはミュージシャンとオーディエンスの対話のようなものだ。
そこから生み出される熱狂こそが、ライブの魅力なのである。
セットリストの終盤は、月子の頼みによって、R&B調の曲が多くなっている。
その声の持つ神秘的な雰囲気は、日本では他に花音ぐらいしか持たないものである。
本来ならばソロで歌うような、そういう形のタレントを持っていた。
だが実際に成功しているのは、このバンドという形である。
人間はそれぞれが、欠けたところのある存在だ。
それを助け合い、補い合って、力を引き出していく。
月子がいなかったなら、俊が暁と組むことはなかった。
二人の出会いから、ノイズの物語は始まっている。
肉体的な理由で、多くを渇望した月子。
家庭的な理由で、やはり満たされなかった俊。
ここに本能的なアーティストである暁が加わって、ケミストリーが生まれた。
人間と人間のつながりが、巨大な力となっていく。
現実主義者の俊であるが、だからこそ逆に音楽の力を信じたくもなっている。
音楽の力で、世界を動かすことが出来るのか。
出来ると思っていたバンドがいたのは、せいぜい70年代までだろうか。
ビートルズの解散は、彼らがレコーディングバンドになったからだ、とも言える。
そんなビートルズがどう考えていたかを、俊は多くの本で読んだ。
音楽的なことを言うなら、初期の方の実験的でない作風の方が好きだ。
しかし成長と言うよりは、進化していったところに、ビートルズの不思議さはある。
月子の歌声を聴いていると、何か心の奥底からの、衝動的なものを感じる。
それと一番共鳴するのが、暁のギターなのである。
この二人の間を、上手く調整するのが千歳の存在。
俊が最後に必要としたピースである。
アンコールまでしっかりとやって、ノイズは楽屋に戻ってきた。
阿部は東京に残っているが、マネージャーの春菜は当然、バンドに帯同して来ている。
ここから大阪、淡路、神戸と移動して連日歌っていく。
ローディーは先に移動して、明日の午前中には、設営をしっかりするのだ。
元からある程度、設備のあるハコを選んではいる。
そうでないと公演の予算に、足が出てしまうものなのだ。
この京都の楽屋には、月子の叔母が訪れてくれた。
明日は大阪ということで、暇のないスケジュールなのだ。
スペインやアメリカに行ったら、少しは観光する余裕はあるだろうか。
そんなことも話しているが、月子としては京都には、三年しかいなかったものだ。
案外住んでいる人間の方が、観光地を訪れたりはしていない。
観光地である京都だが、今回もそんなことをしている余裕はない。
ローディーは既に先行しているし、ノイズメンバーも明日の朝にホテルを出る。
大阪に到着したら、またセッティングとリハに入っていく。
それでも以前のツアーに比べれば、ずっと楽ではある。
ハコの大きさは完全に違っているが。
京都から大阪へは、車で移動した方が便利そうに見える。
ただ京都市内を出る渋滞に、大阪に入ってからの渋滞を考えると、時間の安定した電車の方がいい。
新幹線を使って新大阪まで移動し、そこから地下鉄と車で移動する。
2000人が入るハコで、またセッティングとリハを行っていく。
もう設営などをするローディーの人たちとも、見知った仲になっている。
俊はしっかりと差し入れを春菜に買ってもらって、自分の手でそれを裏方さんに渡していく。
直接の接触で、好感度を上げていくのだ。
現場の人間の好感度は重要である。
そのあたりの処世術は、ノイズ全員で統一している。
最初からそのあたりを教えてくれたのは、やはり岡町などであった。
そして栄二は裏方としてスタジオミュージシャンやバックミュージシャンもやっていたので、そのあたりの機微に通じている。
ノイズのような、いまだにインディーズレーベルでやっているバンドは、このあたりの人間関係が重要である。
設営などの職人仕事は、気持ちよくやってもらわなくてはいけない。
もちろん手を抜くことなどありえないが、いざという時に味方になってくれるか。
音楽業界の大御所を味方にしようとは思わないが、現場の人間は味方にしたい。
このあたりの優先順位は、色々と知識を手に入れているからだ。
芸能界というのは、人間関係で決まるところがある。
俳優の起用などは、大御所になったならともかく、新人の間は事務所の力がものをいう。
そもそも演技の良し悪しなど、だいたいの素人には分からないものなのだ。
それでもひどい演技というのは、さすがに分かるものだが。
音楽業界はそれに比べると、まだ健全と言えるだろうか。
もっともゴートなどを見ていると、バックアップしてくれる存在によって、企画の巨大さも変わってくる。
ノイズは常に、損失が出ないようにライブをしてきた。
だからどうしても、安全策を取らざるをえない。
それがインディーズでやるということの現実だからだ。
資本が大きいと、出来ることも増えてくる。
それはどうしようもない現実ではある。
しかしそれを上回る、情熱というものが現場にはあるのだ。
そもそも単純に金のためであるなら、こういったことを仕事にするだろうか。
あとは現実的な問題として、こういった設営や運搬のローディーは、人材不足で単価も上がっていってしまっている。
そういう時にはやはり、以前からの付き合いがものを言うのだ。
俊としてもなんだかんだ、自分たちだけでは作れるステージに限界があるのは分かっていた。
相当の分野の知識がある俊だが、それにも限界がある。
さらに運搬や設営は、意外と繊細なところがあるし、力仕事でもあるのだ。
大阪でのライブも、こういった裏方の存在によって成功する。
そして次は、淡路でのライブとなるのであった。
淡路島はかつて、国産みによって最初に作られたという神話がある。
また長く明治にいたるまで、淡路という行政区分であった。
現在は島全体に、12万人ほどの人口が住んでいる。
面積では主要四島も含めて、日本で11番目の面積を持つ島だ。
ライブハウスではなく、ライブも出来るホールを使って公演することとなっている。
音響や集客を考えれば、あまりいい選択とは言えない。
ただ収容数だけなら、かなりの人数が入る会場は他にもあるのだ。
音響などを考えて、またコストがペイするかを考えると、ここでも冒険は出来なかった。
それでも300人以上は入るハコである。
大阪のチケットを取れなかったり、四国の人間がここまで、やってきたりするのだ。
月子の郷愁に付き合う形ではある。
だがここでも、かつての記憶を元に動く、などという時間はない。
月子の父親は、漁師をしていたはずである。
元は山形に生まれて、この土地までやってきたのだ。
なぜわざわざここを選んだのか、それはもう分からない。
だがここで家庭を築いたのは間違いない。
ちなみに墓は、山形の方の寺に、納骨されている。
母などは一度も、山形を訪れたことはなかっただろうに。
祖母と父の関係や、やはり上手くはいっていなかった。
二人の子供と上手くいかなかった祖母は、やはりそちらに問題があったのだろうか。
ただ祖母と叔母の関係は、間違いなく悪かったはずだ。
それに母方の祖父母も、既に亡くなっている。
月子はかなり、天涯孤独の身の上と言ってもいいのだろう。
もっとも祖母の兄弟姉妹まで含めると、相当の親戚がいるのであるが。
山形の田舎は、相当に周囲が親戚であった。
その中で月子を引き取ったのが、京都の叔母であったというのが、かなり不思議なところではあったが。
どこか懐かしい空気がある。
山形でずっと感じていた、帰りたいと思う場所。
それがこの淡路島であるのか、月子はなんとなくそう感じる。
どこかしっとりとした歌声で、ここでのライブも終わらせる。
これで一度目の遠征の区切りは、残る神戸だけである。
そこが終われば一度、東京に帰還するのだ。
淡路島のホテルに宿泊し、月子はその海を見ていた。
そういえばけっこう山が多かったな、と思い出す。
海岸線沿いの道路を、よく家族で移動していたものだ。
父の持っていた船などは、今はどうなっているのだろう。
いや、あれは父の船であったのだろうか。
記憶の中に、しっかりと顔がある。
父だけではなく、その他の友人の顔などもだ。
以前にも言われた、月子の障害は、実は後天的なものではという説。
確かにもう一度、確認した方がいいのだろうか。
以前にはペーパーテストなどを行ったきりであるのだし。
(また来たいな)
今度はちゃんと、時間にも余裕をもって。
月子のルーツは、あまりここには感じられない。
しかし山形の、日本海とは違う穏やかな海。
その記憶は間違いなく、この淡路島のものであるはずなのだから。
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