第308話 ルーツ

 宇都宮から始まる、ツアー第三弾。

 ハコの規模は比較的小さく、200人しか入らない。

 ただ以前にも出演したライブハウスであったので、そこには安心感があった。

 また事前の設備なども、最初からある程度揃っているという会場。

 それだけにセッティングからリハまで、その日中にはやってしまえたのだ。


 ツアー第三弾の目的は、最終的に札幌まで行くこと。

 言うなれば宇都宮と仙台は、既に経験した土地である。

 その中でも宇都宮は、調子を見るための試金石のステージと言って良かったかもしれない。


 ノイズは基本的に、俊が保守的に考えている。

 ただ保守的というのは、消極的という意味ではない。

 しっかりと計画を立てて、予想もした上で、挑戦して行くということ。

 去年の海外ライブは、完全に予定も入っていたし、準備もしていなかった。

 降って湧いたようなチャンスに思えたかもしれないが、それは孔明の罠である。


 地道に成功を積み重ねていくこと。

 ノイズがやっているのは、つまりそういうことである。

 音楽業界は確かに、一夜にしてスーパースターになるような、とんでもない早さで売れることもある。

 しかしそれはレコード会社の企画によるもので、事務所の力で売っていくという面も強い。

 アイドルなどはこの手の、最初から一気に売っていくという手法があるが、それも今はソロアイドルなどはない。


 アイドルグループも、何か売りがなければ売れない。

 ソルトケーキもアイドルっぽい衣装ではあるが、実際はギターとキーボードのメロディアスな演奏は、しっかりとしたものである。

 またダンス担当はしっかりと、ダンスのムーブを使っているものであった。

 ノイズはなんだかんだ言いながら、結成してから一年以内に、50回近くのライブをした。

 ほとんど毎週やっていたわけである。

 今もよほどのことがない限りは、月に二度は行っている。

 しかしレコーディングもして、音源を作ってCDを売っているのだ。


 アグレッシブである。

 そもそも最初は、暁と千歳は高校生であったし、月子はメイプルカラーと二足の草鞋であった。

 そんな中でとにかく数をこなして、ライブでの腕を上げていったのだ。

 基本的に千歳の大学進学の時に、わずかにライブを休んだのみ。

 それも基本的に推薦であったため、レコーディング期間と重なったりしている。


 100回以上のライブは、間違いなく行っている。

 それどころか数え方によるが、200回をも上回っているのだが、それを特に多いとも思っていない。

 単純にライブを多くこなせばいいというわけではなく、何度やっても新鮮な音楽を届けなければいけない。

 そのためにやっている練習は、もちろんライブの回数よりもはるかに多く長い。

 体力をつけるために、走り込みを行ったりもしていた女子たちである。

 月子の場合はメイプルカラー時代から、新聞配達などもやって、相当の運動はしていたのだ。




 ステージの上で、しっかりと演奏するパワー。

 それはやはり、実際にステージの上で演奏することで、向上して行くものである。

 東京の近隣でやるならば、やはり特に問題はない。

 だが遠征となると、やはり勝手が違ってくるのだ。


 ステージでの消耗以上に、生活感が普段とは違う。

 ビジネスホテルに泊まることが多いが、日本のホテルは安くても清潔だ。

 一泊あたりの値段も、それほど高いものではない。

 それでも以前は、一人一室は贅沢だったものである。


 ノイズのメンバーは毎月、はっきりと明細をつけた上で、給料のように金を受け取っている。

 事務所に予算として蓄積しておく金もあるが、もうちょっといいホテルに泊まれば、と思わないでもない。

 しかしこの間の淡路島のように、観光用のホテルがほとんど、という場合は少ないのだ。

 俊は生まれてからこれまで、貧乏を経験したことがない。

 それだけにむしろ、贅沢もしようとは思わないのだ。


 ノイズの収入は主に、二つのルートから入ってくる。

 チケット収入や物販収入などの、何かを売って得る報酬。

 これにはフェスの出演料なども、含まれているといっていいだろう。

 そしてもう一つは、音楽の原盤権から入ってくるものだ。

 前者は普通に働いて入ってくるが、後者はほぼ不労所得。

 また俊に限っては、特に著作権から入ってくる収入があるはずだ。


 霹靂の刻があるだけに、ここで月子と他のメンバーの間に差が出る。

 俊の場合は確かに収入は多いが、それをメンバー共通の設備に投資したりしているので、儲かっても当然と思わせる。

 自分たちも売れる曲を作れば、とは確かに思うのだ。

 だが俊の作る曲は、間違いなく一定以上のクオリティを持っている。


 正直なところ霹靂の刻も、俊の貢献度が高かった。

 しかしアレンジ、つまり編曲で俊は、料金を取っていない。

 もちろん外から依頼があれば、それは別の話だが。

 ノイズの中では月子と信吾も、自分の家に居候させている。

 正確には母の家なのだが、そこは言いっこなしであろう。


 また俊としては、相続に関しても、既に準備を始めている。

 父が死んだ時、自分たちに経済的な変化はなかったが、涼は違った。

 借金ばかりが残っていたために、相続を放棄。

 この世田谷の家についても、土地だけでかなりの金額になる。

 その相続税を払うことを、今からもう考えているのだ。

 もっともここは、俊にとって仕事場でもある。

 税理士に相談して、そのあたりを考えてはいる。


 ミュージシャンとしてアーティストとして、音楽業界の業界人として。

 俊はもうずっと、長くやっていくことを考えているのだ。

 父を反面教師に、そして岡町の助言を聞きながら。




 仙台のステージが始まる。

 以前と違い1000人以上が入る、かなり大きなハコである。

 設備も最初からある程度揃っていて、セッティングにも手間がかからない。

 こういったライブハウスであると、演奏するのも楽なのだ。

 このレベルのライブハウスがある都市でだけ、やっていけばコスパは高い。

 ただタイパも比較すると、どうであるのか。


 自分たちが利益を得るためには、チケットを買ってもらわなければいけない。

 そして買う側とすればチケット代以外に、交通費などもかかるのだ。

 さらにはその移動にかかる時間も、現在では貴重なものとなっている。

 ファンが一歩、最初に踏み出そうとしているその瞬間。

 少しでも背中を押すために、こちらから歩み寄る必要がある。


 コスパやタイパと言うように、金と共に時間も貴重なものだ。

 それを自分たちのために、使ってもらう必要がある。

 アイドルの握手券のために、一人が何十枚もCDを買っていた時代。

 さすがにそれは馬鹿らしくなっているが、今でも音楽に虚業の面はあるのだ。

 またライブまで来てくれたなら、その興奮の余熱でもって、財布の紐が弛んでいるかもしれない。

 その時に物販で何か買ってくれれば、さらにありがたいというものである。


 仙台は信吾の地元だ。

 元カノなども何人かいて、あの時別れなければ、と思ったりしている者もいるだろう。

 しかしいまだに本命などは作らず、信吾は女性に対しては誠実ではない。

 もっとも誰か一人を選ぶことも出来ず、かえって全員と別れることも出来ず、自分でも動きが取れない状況であるが。


 元々信吾は、ここでバンドを組んでいたのだ。

 一念発起して、東京に出てきたのが、高校を卒業してから。

 もっともそこから女の世話になるあたり、本当に下衆ムーブではある。

 ただギャンブルなどに流れず、ひたすら音楽にばかり没頭していたから、ただのダメンズではなかったというところか。

 ワンルームにベッドだけを置いて、食事を食わせてもらう。

 ヒモムーブではあるが、全く働いていなかったというわけではない。

 バンドは続けるだけで金がかかるものであったからだ。


 武道館で公演し、アリーナでも公演し、フェスにも出て紅白にも出た。

 もう立派なミュージシャンであり、家族が自慢できる人間になっている。

 高校でバンドを組んで、これで食っていくと思う人間が、どれだけいるだろうか。

 せいぜいが大学にも進んで、そこでもバンドをやるぐらいであろう。

 安全なものを選ばず、信吾は厳しい道を進んだ。

 そして成功のための道を、間違えなかったのだ。


 デビュー間近のアトミック・ハートから離脱した。

 そのアトミック・ハートは既にまともな活動をしていない。

 一度はメジャーデビューしたのだが、そこから先がなかった。

 元々信吾がギターを弾いて、その人気もかなりの部分であったこともある。

 メンバーに大学生がいて、そこがモラトリアム期間であったのも、先がないと信吾に思わせた要素である。

 信吾は本気で、これで食っていくつもりであったのだ。

 だからこそ今、実際に音楽だけで、食っていけるようになっている。




 父と兄と妹、信吾の家族はそれだけだ。

 母は妹が幼い時に亡くなり、そして信吾も家を出た。

 家族に対する愛情がないではないが、信吾はそれよりもずっと、音楽の可能性に魅了された。

 なんだかんだと他人に頼っているあたり、次男気質なところもあるが。

 付き合うのが年上ばかりなのは、依存体質も少しあるのだろう。


 ライブの時間にまだいられるには、妹はまだ幼い。

 今日は兄が、一人で見に来てくれているはずだ。

 それでもテレビでやっていれば、見ることが出来る。

 実は紅白に関しては、信吾も少しは期待していたのだ。


 信吾はルックスは軟派であり、実際に女癖もすごく悪い。

 しかし音楽に関しては、嘘のない行動をする。

 ノイズに加わって、音楽だけで食っていけるようになった。

 そこからはヒモ生活を、ほぼやめている。

 自分から切らないのは、それが自分に課せられた業だと思っている。

 もっとも本当に誠実なら、せめてきっぱりと別れてやるべきなのだが。


 仙台というのは色々と有名人を輩出している。

 プロ野球チームもあるので、東北では随一の都市と言えるであろう。

 そんな中では信吾も、特に際立った有名人というわけではない。

 ここを出身としたミュージシャンなども、それなりに多いのだ。


 それでも故郷に錦を飾る、というのを信吾もやってみた。

 高校で諦めて、ここまでが限界だと思っていた仲間たち。

 今は大学に行っていたら、社会人としてようやく役に立ち始めたあたりか。

 ステージの上で輝く姿を、見せ付けるつもりはない。

 信吾の姿は、ステージの上では黒子に近い。

 だが輝くダイヤモンドのための、土台ぐらいにはなっていると思う。


 メンバーに地元出身者がいるというバリューで、ある程度はホーム感が出てくる。

 実際に信吾の重たいリズムは、声を響かせるのに丁度いいものであった。

 ベースというのはなかなか、主役にはなりにくい楽器。

 それを安定して弾ける信吾は、自身が思っているよりも、ずっと女性陣に信頼されている。

 演奏に関しては、だが。


 アンコールに応えて、楽屋に戻ってきたノイズのメンバー。

 この日は信吾の兄が、そこを訪れていた。

 長男として、しかし同時に母親代わりに、信吾と共に妹を育ててきた。

 二人が話したいことは色々とあるだろうが、また俊たちにも丁寧に挨拶してくる。


 以前にも仙台を訪れてはいたが、ノイズの知名度はさらに上がっている。

「また紅白にでも出たら、テレビで見られるんだけどなあ」

 とはいってもこの間も、テレビ出演はあったのだ。

 ノイズは旧来のメディア展開というのは、あまりやらないバンドなのだ。

 その方針は徹底していて、金を出して広告代理店を利用することも、ほとんどない。

 本来ならばメジャーレーベルが、総力を上げて売り出してもおかしくない。

 だが活動の自由度を、俊は優先している。


 本来ならばもっと、適切なハコを準備することも出来るはずだ。

 しかし阿部の力であっても、ここが限界となっている。

 万規模のハコを準備するのには、どうしてもイベント屋とのつながりがもっと必要だ。

 そのための保険として、メジャーレーベルの後押しがいる。

 もっとも武道館は、ちょっと条件が違うのだが。




 ノイズは誰もが知っている、というバンドにはなっていない。

 紅白に出たし、テレビにも出ているので、言われてみれば気付くというレベルだ。

 音楽にちょっと詳しければ、必ず知っているというレベルでもある。

 しかし実際に聴いてみると、そのキャッチーさはポピュラー音楽のお手本のような曲が多い。

 だからといって挑戦をしないわけではなく、実験的な曲もやっている。

 音楽のジャンルを、少しずつ混ぜているのだ。


 そして仙台の次は、いよいよ山形。

 月子にとっては良くも悪くも、自分のルーツはここにある。

 周囲からは足りない子だと言われることが多かった。

 陰湿なイジメなどはなかったが、仲間はずれにはよくされていた。

 教師にとっても問題があり、特別支援学級に入るべきではとも言われた。

 祖母は厳しく、生きていけるようにと三味線と唄を教えた。


 かつて盲目の人間が、津軽三味線で門付け芸として、糊口をしのいでいたという歴史がある。

 今では伝統民謡として、それなりの世界として成立している。

 海外では日本の民族音楽として、評価されている部分もあるのだ。

 月子の音楽的な素養は、この時期の10年間に育まれた。


 音楽に限らずスポーツなどでも、努力を努力と思わず、楽しめる人間が上達は早いという。

 しかしそれを上回る速度、また競い合っても勝てる条件が、実はあるのだ。

 それは、本当に命がかかっているもの。

 月子は子供の頃からずっと、これが出来なければ生きていけない、と言われて育てられた。

 祖母は月子の将来を思うがゆえに、逆に厳しく指導してきた。

 京都で叔母の世話になり、一度は捨てた民謡の世界。

 だがそれが今では、月子の強力な武器になっている。


 今の基準であれば、間違いなく虐待であるのだろう。

 しかし月子には、愚直さという長所があった。

 実は才能もあったのだが、それ以上にひたすら技術を磨くということ。

 地元には確かな技術を持っている、老人たちがいたものだ。

 彼らが持っていたのは、才能というものではない。

 何代も続けられてきた、歴史というもの。

 人から人へ伝えられてきたものは、単に才能だけで受け継がれるものでもなかった。

 もちろんその中にも、天才と呼ばれるような人間はいた。




 月子にしても本当に、誰一人味方がいなかったというわけではない。

 むしろ祖母の知人たちは、全て月子の味方であったのだ。

 甘やかすことはなかったが、優しいところはあった。

 しかし顔を憶えられない月子は、やはり障害があるのだと思われていたものだ。


 山形は一つの県であっても、海に面した部分と内陸で、かなり違うとは言える。

 山形市は内陸にあり、月子が育ったのもそちらだ。

 海岸沿いはそれなりに、漁業で成り立っているところもある。

 月子が育った場所は、山形市ではありながら、ちょっと駅から離れれば農地があるようなところ。

 それほど豊かでも貧しくもなく、祖先から伝わる古い家があった。

 今では遠縁の親戚が、そこに住んでいるのだが。


 ここでのハコのキャパは250人。

 仙台と比較しても、多いとは言えないものである。

 京都に引っ越して、多くの知人とは没交渉になった。

 祖母の友人などは、その間に亡くなった者もいる。

 ただよほど親しくならない限りは、月子は顔も憶えていない。


 音楽の世界には来たが、民謡とはかなりの違いがある。

 また長く続けるというだけなら、むしろ民謡の世界の方が、ずっと長く続けていける。

 そこにあるのは芸であり技術である。

 才能から生まれるものではなく、厳しく鍛えられたところから生まれる。

 月子の持っている異質さは、そこから生まれてきたものだ。


 ノイズのルナの正体は、知っている人間なら知っている。

 だが別にそれは、何か問題があって隠しているというわけではない。

 なのでかえって、正体が拡散していかない。

 それでも山形出身で、ディスレクシアや相貌失認という症状が知れ渡れば、まさかと思う人間はいる。


 月子は顔を隠している。

 普段はサングラスをしていることが多く、取材などもそれで受ける。

 ステージの上では仮面をしているが、単に買い物などに行く時には、素顔のままで家を出る。

 山形でのステージ、月子の同級生はもう、多くが社会人になっている年齢であろう。

 土地柄から大都市に出て行った者もいるだろうが、実際は地元に残った方が、生活はしやすかったりする。

 そしてこのライブを、見に来る人間もいるかもしれない。




 ここでも時間は足りない。

 世話になった人々の、家の場所などは憶えている。

 だがそこに向かうほどの、時間は残っていない。

 午前中に到着してセッティングからリハ、そしてそのまま本番へ。

 翌日にはもう、札幌に向かうのであるから。


 夜の間にローディーは、やはり出発してしてくれている。

 札幌にも移動して、その日の夜にはライブなのだ。

 札幌は北海道の、100万都市である。

 実はゲーム制作会社なども、この札幌には多かったりする。


 北海道という土地は、様々な面を持っているのだ。

 日本でも最大の農業や牧畜を営み、またヒグマも生息している。

 食糧自給率が、1000%を超えている土地もあったりする。

 それでいて札幌には、巨大な都市機能が備わっている。


 ツアー第三段階は、この札幌が最後となる。

 そしてここから東京に戻れば、すぐにもうスペインへ移動する。

 日本での最後のライブは、その札幌となる。

「山形でやるなら、コンサートホールとかの方が良かったかな」

 1000人以上が入るような、そういう施設はあるのだ。

 もっともライブハウスとは違うので、設営や演出は難しくなったろうが。


 今年は夏まで、相当に忙しいスケジュールになっている。

 だが九月になれば、ようやくこの忙しさも一段落つく。

 フェスの連続で、おそらくは精神的に消耗するだろう。

 五月のフェスからツアー、そして夏のフェスへと続いていく。

 どこかでリフレッシュしなければいけない、ということは分かっている。


 少し休暇が出来れば、月子は山形に一度戻ろうか、などとも考えた。

 しかしどうせ戻るなら、京都に戻るべきではないか。

 淡路島の友人たちなど、今は何をしているのか、もう完全に分からない。

 辛いことが多かったが、それでも記憶の礎は山形にある。

 そこを巡って、自分の原点を探してみるのもいいだろうか。

 札幌のライブの前に、月子はそんなことを考えていたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る