第177話 俺の音楽を聴け
ビートルズであろうとマイケル・ジャクソンであろうと、全ての人間から支持されるというわけではない。
そんな当たり前の事実を、俊はもちろん理解している。
音楽の力で世界は変わるか。
変わる。だがいい方向に変わるとは限らない。
ベトナム戦争での反戦活動は、それだけを見れば悪いことではなかったかもしれない。
だがここでの戦争への忌避が、戦場帰りの兵士への軽蔑という形になったのは、明らかに誤りであった。
薬物が広がったのは、帰還兵への不寛容ゆえに、依存してしまったという面もあるのだ。
また限界があったとはいえ、アメリカという国家が事実上敗北したのは、社会を大きく揺るがすことともなった。
俊はクラブハウスでのステージを、失敗と位置づけている。
他に失敗したライブとしては、少なくとも成功ではないな、と位置づけているのが三人でのファーストライブだ。
あとは西に遠征したツアーも、失敗とまでは言わないが労力に見合ったものではなかったと思っている。
ただそれは一つだけを単体で見たらという話で、経験を積んだという意味では失敗ではない。
そもそも成功と失敗で分けるのが、ナンセンスなのかもしれない。
試行錯誤していけば、それなりの失敗が出るのは当たり前なのだ。
高みに昇ることが出来るのは、転ばなかったものではない。
転んでも立ち上がって、登ることをやめなかった人間だ。
夢を諦めることもまた勇気。
純粋に現実的な問題があるため、いつまでも夢見る少年ではいられない、というのが特に男には言われる。
そうなると実家が太いということは、叶うまで続けるという点では、圧倒的に有利になる。
おそらく多くのミュージシャンは、俊のやっている努力などを見ても、それを素直に称えることは出来ないであろう。
しょせんはお坊ちゃんのやっていること、という理由が付けられる。
自分もあれだけの時間があって、多くのことに接することが出来ていたら、という言い訳が出来るからだ。
確かに事実である。
今の日本の芸能界や芸術家においては、実家が太いことが一つの成功要因になっている。
金になるかどうかも分からないことを、全力でやっていける。
これが本当に成功するかなど、誰にも保証できないものなのだ。
そして成功したとしても、ほんの一瞬。
そこからずっと稼いでいけるかなどというのは、本当に誰にも分からない。
俊がものすごい勢いで曲を作っているというのは、自分の才能が天才の域にはないことを知っているからだ。
今は降りてきている状態のため、どんどんと曲が作れる。
ただ一つの曲を突き詰めていく、というのはまだ出来ていない。
細かいところのアレンジなどは、他のメンバーの力がないと成立しない。
特に目立つのは暁のギターパートなのだ。
ギターリフを即興で作り出す能力。
これはもう、過去の蓄積とセンスの問題だ。
ただ暁の場合も、他のことに使う時間や労力を、ギターにばかり注いできた結果と言えるかもしれない。
月子のような問題を抱えているわけでもないし、学校で誰も話す人間がいないというわけでもない、
友達はいないかもしれないが、コミュニケーションが全く取れないわけではないのだ。
それに千歳に言わせれば、暁はむしろ一目置かれている存在、と考えられている。
孤立ではなく孤高。
そんな暁と親しい千歳も、後輩からは一目置かれているらしい。
確かに軽音部の中では、ギターの上手さは三番目にまで上昇している。
高校から始めたギターであるが、とにかく弾いている時間が長いのだ。
またお手本がすぐ近くにいる。
11月も半ばとなり、12月のワンマンライブとフェスが近づいてくる。
また年末には、コミケに参加することも決まっている。
販売側ではないが、企業ブースなどを巡って知り合いに挨拶をしておくためだ。
俊はこの先の発展のために、顔を売っていく作業をしている。
音楽で売れるためには、音楽だけをやっていてはいけない。
絶対に無理というわけではないが、現代は純粋な音楽そのものよりも、それをどうプロデュースしていくかということが重要であったりする。
その中にコラボレーションというものが存在する。
お互いの知名度を利用し、音楽と他のジャンルの融合を果たす。
お互いがお互いを売り出していくというものだ。
たとえばノイズは現段階でも、物販グッズの一つとしてTシャツなどを売っている。
このデザインを有名デザイナーに頼むか、逆に無名のデザイナーを探して交渉してみる。
グッズ制作というのはそれなりに技術が必要なものなのだ。
当初はこれもかなり一人でやっていた俊だが、さすがにもう今では限界になっている。
外注して自分は音楽の作業に集中するのだ。
本来ならこれも、プロデューサーがマネージャーなどを使ってやることだ。
だが今ではさすがに、チェックする程度で任せるようになっている。
ミュージシャンがコラボをするといっても、それで音楽活動が停滞してしまえば、本末転倒であるからだ。
進んでいるのか止まっているのか分からない。
積み上げているのかもしれないが、集めるだけでそのままばら撒いている気もする。
インプットしていると思いたいが、そのまま抜けていっているのかもしれない。
ちょっとした失敗が、いらいらする要因になってしまう。
「俊さん、ちょっと力入りすぎ」
意外と暁がそれに気づいてくれたが、熱狂を浴びなければ満足出来ないという点では、彼女も俊に近いのかもしれない。
そんな気分転換をしたいと思っていた時に、千歳が難しい顔をしている。
普段からそれなりに、思春期特有の悩みを抱えている彼女だが、今回の悩みは少し方向性が違うようであった。
いつも月子や暁には、話しかけることは多い。
ただ相談となると、この二人は頼りにならない。
一般的な人生経験が、かなり不足しているからだ。
今回の場合は、男性側の意見も知りたかった。
「あのさ~、ちょっと恋バナしない?」
こういった唐突な話の展開は、千歳の他のメンバーに対する甘えであると思う。
「恋バナ?」
何を言っているんだこいつは、という視線を俊は千歳に向ける。
「俊さん、全然ラブソング書かないじゃん」
正確には好きだ、愛してる、愛してくれ、というど直球の歌詞を書かないだけで、少し調味料的には入っていたりする。
「恋愛関係は信吾や栄二さんの分担だな」
「あ~、子供が出来ると恋愛と言うよりは、戦友という感じになるぞ」
栄二はぶっちゃけるが、そういう関係も悪くはない。
信吾の場合は恋愛と言うよりは、性欲に近いだろうか。
女が複数いて、そして切れていないというのは、単純に男女関係から見れば不誠実である。
ただそれは一般論ではあるが、完全に普遍的な価値観ではない。
信吾の場合は女が全員、他に女がいることを知っている。
その上で許されているあたり、どちらかというと同じ女の方を、理解しがたいと思ってしまうのがノイズのメンバーの女性陣だ。
これがまた他の人間であると、違う理屈が出来てくるのだろうが。
「そういう話をするなら、自分の話をまずすればどうだ?」
俊としては面倒なので、これで千歳の言葉を封じようとした。
これまで彼氏など出来たことなどないというのが、ノイズ女性陣の共通事項である。
だが今回の千歳は、少し自慢げに胸を反らしてきた。
「いや~、実は後輩の男の子に告られちゃってさ~」
なるほど、その話がしたかったのか。
俊は正直なところ、メンバーの恋愛関係には興味がない。
ただ恋愛に比重をかけすぎて、音楽の方が疎かになるのは避けてほしい。
「学園祭のあたしの演奏に惚れちゃったってことで」
「ほう」
それはまた珍しいパターンではないのかな、などと俊は思う。
バンドをやればそれなりにモテる、というのは高校生ぐらいまでの事実ではある。
また大学においても、実際にバンドで楽器の上手い人間は、それなりにモテるという傾向にはある。
俊の場合は前よりも、女性に話しかけられることが多くなったな、と思い返してみればこれがモテか、とも思える。
だが性欲よりも音楽欲が強く、そしてある程度の女性不信である俊は、それに囚われることがない。
そういえばなぜ、バンドをやっている高校生はそれなりにモテるのに、フリーターとなるとそれが減っていくのだろうか。
いや、ある程度の人気があれば、それでもモテることは以前の信吾が証明しているのだが。
俊は少し考えた。
なんだかどうでもいいことのような気もするが、今まで自分が考えたことのないことの中には、重要な気付きが眠っている可能性がある。
「その後輩の男って、同じ部活なのか?」
「そうそう。元々部活説明であたしのこと気になってたらしくって」
千歳だけではないが、基本的にノイズの女性陣は、あまり女子力が高くはない。
いや、月子の場合は、ちゃんと女性的な部分を持っているのだが。
暁はロックンロールの精神で生きているし、千歳もがさつなところがある。
そこに惚れてしまっているというのは、ちょっと男らしさが足りないタイプではないのか。
「あんまりぐいぐい迫ってくるタイプじゃないんじゃないか?」
「あ、そうだけど、どうして分かるの?」
「う~ん」
俊は信吾と栄二を見るが、二人とも分かっていて知らん振りをしている。
なんとなくではあるが、俊にも分かるのだ。
年上の強いお姉さんに憧れる、という男子は一定層存在する。
俊としても昔は、年上の方が好みであったと言える。
それは幼少期から、母親の愛情をあまり感じなかったから、という理由によるものだ。
だが現在ではそういう、年上のお姉さん幻想は、完全になくなった。
むしろ少しでも可愛らしいとか、そう思えるのは年下ばかりになっている。
千歳は割りとボーイッシュなショートカットで、身長も平均よりは少し高く、大きな声で笑う。
こういう男っぽさに魅かれる男というのは、別にゲイではなくても一定の数は存在する。
人は自分にないものを、相手に求めるものだ。
だがそれが、単純に敬愛であるのか、それとも恋愛であるのか、そのあたりの判断はつけておいた方がいいだろう。
もっとも大切なメンバーといっても、そういった部分を指摘していいものかどうか。
やはり信吾と栄二は目を逸らしている。
「千歳はそいつのことが好きなのか?」
「う~ん、、悪い気はしない」
人間は誰だって、好きになってくれる相手を、一方的に嫌うことは難しい。
特に千歳の場合は、これまでモテとは無縁のものであったのだから。
色々な経験は、音楽に深みを与えてくれるかもしれない。
とりあえず俊に、千歳の恋路の邪魔をするという考えはない。
ただ、安易に付き合ってしまうというのも、考えものだ。
そんなものは人の自由であって、俊が口出すすることではないと、本来ならば分かっている。
だが俊に千歳というのは、ノイズというバンドを構成する、大切なパーツの一つであるのだ。
なのであまり、安易に恋人を作ってそちらにリソースを割いてほしくはない。
「うるさいことは言わないが、単純になんとなく、で付き合うのは止めておいた方がいいとは思うな」
なのでこうやって誘導する。
「部活が同じなら、接触することもあるわけだろう? ならゆっくりとお互いを見定めていって、時間をかけてもいいと思うぞ」
どうせ高校時代の恋愛など、大半は破局して終わるものであるのだ。
恋バナと言うならば、俊にはいたい思い出がある。
「俊さんの場合、どういう人と付き合ってたりしたの?」
まだ話題が続くらしいが、今の俊に恋人がいないことは明らかである。
音楽が恋人というのは、ギターを恋人にしている暁と、同じ方向性であろう。
俊も男であるし、母親の遺伝子で顔面がいいこと、また金持ちや頭脳などの面で、それなりの物件に見える。
なので付き合ったこともあるのだが、最初の恋愛を今でも引きずっている。
いや、あれを恋愛と言っていいのかどうか。
少なくとも終わり方は、極めて俊を傷つけるものであった。
男としてはあれぐらいで、傷ついてはいられない、という感情はある。
それでも女性に対する嫌悪というのは、それなりにまだ残っている。
「まあ、高校時代も大学時代も、何人か付き合ったことはあるが」
放っておいてもそれなりに寄ってくるという、そういうスペックを俊は持っている。
顔面偏差値などに、知能の高さなども加えて、俊は恵まれた人間である。
ただ恵まれたもので幸福になれるかどうかというと、それはまた別の話であって。
「別に話してやってもいいけど、ちゃんと自分の糧にしろよ」
とりあえずあの一番ひどいもの以外は、話してやってもいいだろう。
千歳だけではなく月子や、男性陣まで興味深そうに、俊の話に耳を傾ける。
ただ暁だけは、原因不明の複雑そうな顔をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます