第363話 常に新しく

 人間は生まれた瞬間から、死に向かって進んでいく存在である。

 生物全体がそうであるので、生きることは死ぬことでもある。

 生きている意味を考えたり、死後の世界を想像したりと、人間は本当に思考するのが好きな存在なのだろう。

「そうは言っても、本当に自分が死ぬというのは、いつぐらいに実感した?」

 栄二は子供が生まれた時であったという。

 この子が大人になるまでは死ねない、と思ったそうだ。

「俺は父さんが死んだ時かな」

 俊はそう言ったが、死ぬ前から随分と、離れて暮らすようにはなっていた。

 なので今でもどこか、遠くの場所で曲を作っているような、そんな変な感覚にはなる。


 昭和の中頃までは、死は身近な存在であった。

 日常的に近所では、普通に葬式が行われていたのだ。

 今ではよほどの田舎でもない限りは、自宅での葬儀も行わないのだ。

 それだけ死というものが、隠されていると言える。

 フィクションの中ではいくらでも、死を取り扱っているのに。


 俊の父も死んだが、それほど若くしてのものではない。

 マジックアワーが伝説的なバンドと言われるのは、リーダーのボーカルが突然に死んでいるからだ。 

 ヒートなどは一年ほどの活動期間で、リーダーが若くして病に倒れた。

 だからこそ伝説となっているが、こんな形の伝説は望んでいない。


 俊は白雪の気持ちが分かってきた気がする。

 彼女は彼のことを愛していたのだろうか。

 活発に活動していたMNRの時も、どこかものぐさな感じがしていた。

 自分の死に関してさえも、どこか鈍いような感じを見せていたのだ。

(けれどそんなことは)

 渡米してすぐに、月子は治療に入る。

 そして同時に暁も、体外受精による妊娠の準備に入った。


 死に抗うための戦いと、生を生み出すための戦い。

 これが同時に行われるので、感情がぐらぐらと揺れる。

 いざアメリカに来てみれば、医師の診断は多少は揺れる。

 ただ先に抗がん剤治療というのは、日本での診断と同じであった。

 癌細胞が消えないにしても小さくなれば、その部分が上手く切除できる範囲にある。

 あとは月子の体力の問題もある。


 これと対照的に体外受精と受精卵の着床は、とても上手くいった。

 たったの一度で成功したというのだから、さすがにアメリカは慣れたものと言えようか。

 実際は日本の体外受精の成功率も、アメリカにひけをとらないどころか上であったりする。

 ただこれは受精培養士の腕もあるが、それ以上に個人差というものがあるのだ。

 また生活習慣なども関係しているので、上手いところは上手いとしか言えないであろう。


 一発で受胎した暁であるが、今回は前に比べると悪阻がそこそこあった。

 やはり卵子が他人のものだと、違うのであろうか。

 自分自身の子供でさえも、普通に悪阻がきつくなることはある。

 科学的には妊娠中毒というのもあるが、あれとは別物なのであろうか。




 ノイズのメンバーはホテルのスイートなどを借りるわけでもなく、病院やスタジオのある近辺にマンションを借りた。

 マンションと言ってもアメリカの場合、巨大なタワマンをさらに広くしたようなものであるが。

 男女混じりの共同生活というのは、昔を思い出す。

 なお家事については、やはり外注してある。

 ただ栄二は時折、日本に戻る予定ではいる。

 ノイズの活動はこの時期、休止しているように見えるだろう。

 だが俊はこんな時にこそと言うか、千歳メインの楽曲を作ったりする。


 コーラスの部分は負担にならなければ、暁が歌ってもいい。

 だがここで役に立つのが、MOONである。

 月子の声を使えるわけだが、当然本人には劣るものである。

 それでも正確な音をコーラスで使う分には、充分なものである。

 こんな時にノイズは、ツインボーカルで本当に良かったとも考える。


 治療はずっと継続するというわけではなく、薬の効果を確認して行われる。

 効果がなければまた別の薬なのだが、一定の間隔を置いて行わなければいけない。

 新薬によって癌細胞以外へのダメージが少ないというのは、それだけ薬剤を増やせることでもあるし、また患者の体調も不良になりにくく、そして体力も落ちにくい。

 より長く戦える、というものであるのだ。

 もっとも抗がん剤によっては使えないものもあるし、癌の場所によっては影響は出てくる。


 一週間入院して、退院して経過観察。

 その退院している間に、レコーディングなどをした。

 月子の声から力が失われていないことに、メンバーの全員が安堵する。

 それでも体重は減っているらしいが。

「入院ダイエットはオススメ」

 さすがにこれは強がりであろう。


 俊の作曲も、ロック系のものは少なくなっている。

 ポップスやバラードが、主に頭から生み出されている。

 今のノイズには、激しい曲調がどうしても合わない。

 あとはR&B路線であろう。

 ロックバンドがこれをすると、丸くなってしまったと言われたりする。


 実験的な曲も多くなっていた。

 楽曲の一部に、違うジャンルのものを組み入れる。

 昔からやられていたことであるが、それを積極的に行っていく。

 月子の声だからこそ出来ることを今のうちにやっておくのだ。

 自分の想像が嫌になるが、それでも残しておくものは残すべきだ。


 人間には自分の血統を残すことが出来る。

 生物としては当たり前のことである。

 そして人間だからこそ、残せるものがあるのだ。

 社会の歯車となったり、あるいは社会全体を動かしたりすることだ。

 アーティストというのは確かに、かつて過剰評価されていた。

 だが今でも音楽によって、救われる人間がいないわけではない。




 アメリカのスタジオに来てからは、俊もエンジニアの部分まで、全て自分一人でやろうとはしていない。

 こちらはこちらで面白いというか、こだわりの強いレコーディングをするスタッフがいる。

 日本でも別に、技術を持つエンジニアはいるのだ。

 ただ母国では俊自身が、自分のイメージをしっかりと持っていた。

 海外ではどう捉えられるか、それに関心があったのだ。


 直接対面しなくても、画面越しに充分な会話が成り立つ時代。

 俊は日本にいる阿部から、色々な依頼が入っていると聞いている。

 月子の病気療養自体は、既に発表されていることだ。

 その病状に関しては、詳細の説明はしていない。

 ただこうやって新曲自体は、発信して行くことが出来る。

 MVにしても実際に、スタジオの中の撮影だけで、作れなくもないのだ。


 アニメーションがまたいいな、と俊は思ったりする。

 考えてみればアメリカのアニメーションは、また日本とは違うものであるのだ。

 変な政治的な主張がないのなら、アメリカのものでも構わない。

 そう思っていたのだが、現実はかなり根深いものがある。


 そういえばあのアニメーションも、江戸時代っぽくはあったが、詳細はいい加減なものであったな、とは思う。

 もっとも和風のマンガ作品であるNARUTOも、主人公が金髪の忍者であったりはしたが。

 日本人の中には確かに、主人公やヒロインに黒人を使うのは、珍しいと感じる傾向があるのは確かだろう。

 俊がそう言うと千歳がぽんぽんと反証を出してくるのだが、良く見たらこれは黒人じゃなくてインド系では、とか地球人ですらなく宇宙人だ、というのが実際であったりする。


 ストリート的なセンスの音楽にならば、アメリカの言うような多様性、というのも使われるだろう。

 俊としては日本人の中の潜在的な意識に、白人文化の方が格上、という視点があるのは間違いないな、と思える。

 かといって昨今のシェークスピア劇に、白人だった人間に黒人をキャスティングするのは、やりすぎではないかと感じるのは確かだ。

 もっともアメリカで言うのならば、アフリカ・アメリカンである黒人よりも、ネイティブアメリカンの問題の方が、本質的にはるかに大きいのではとも思う。

「戦国時代でも宣教師役は、しっかり外国人使ってたけどね」

 史実や時代性に忠実であるというのは、創作においては重要なことであろう。

 俊としてはそのあたり、どうにも欧米の価値観が理解も出来ない。


 一応は言えるのは、後ろめたさというものではないのか。

 歴史的に明らかに、同じ人間を奴隷扱いしており、特に黒人奴隷については大きな影響が残っている。

 重要なのはその黒人が、今ではちゃんと社会的な地位を得ることが出来る、という点ではないか。

 実際に黒人は、アメリカではそれなりの数がいるのだから、普通に現代劇でキャスティングしてもおかしくはない。

 だがアメリカ独立戦争で、黒人が双方の指揮官などの配役をしていたら、事実との乖離が激しくて楽しめなくなる。


 日本の芸能界や、そうでなくても財界の人間は、外国人を愛人などにする場合、東欧系や北欧系を好む、という傾向はある。

 中小企業の社長であると、東南アジアから若い愛人をもってきた、という話も聞く。

 もっともこれらは少し前の話で、今ではあまり見られなくなっている。

 そもそも日本でも東京であれば、外国人の姿を見ることは珍しくない。

 暁自身がハーフであるし、自分の息子はクォーターだ。

 またフラワーフェスタのメンバーの中には、アフリカ系の人種もいた。

 それを言えばフラワーフェスタは、四代前まで遡れば、日本人以外の人種、あるいは民族の血が入っている。

 後から加入した紫苑だけは、純粋日本人と言えるが。




 フェスへの参加でもなく、ツアーでの行動でもなく、アメリカでの生活。

 実際に見てみれば、人種が混在している場所もあれば、人種が別になっている場所もある。

 その中では東洋人は、比較的立場が低そうだ。

 チャイナタウンなどに行けば、そうでもないらしいのだが。


 アメリカという国は、国家への帰属意識と、忠誠を求める国である。

 また裁判においては、聖書に誓ったりもする。

 当たり前のようにこれは、差別ではないかと感じたりもする。

 もっとも金さえあれば、そしてそれなりのスタイルでいれば、侮られることはない。

「なんか日本より窮屈な気がしてきた」

 暁はそう言うが、彼女の母親は日本でそれを感じて、結局はカナダに帰ることになったのかもしれない。


 人種や価値観、思想に差別など、俊はこれらをインプットする。

 社会としてはマイナスなものであろうが、しかしこれらは自分には今までなかったものだ。

 こういったインプットも、恐れることなくやってしまう。

 それが俊の、アーティストとしての側面なのであろう。

 アーティストとしては意外と保守的と思われる俊だが、こういった立脚点が違うものは、積極的に取り入れてしまっている。

 重要なのは自分が、創作として素晴らしいものを生み出すこと。

 思想や立場に関しては、完全にノンポリなのが俊なのである。


 アメリカではとにかく、普通に物価が高い。

 田舎に行けばそうでもないらしいが、ボストンは充分に都会である。

 アメリカの文化の最大の中心である、ニューヨークは地上を走って四時間ほど。

 ノイズは月子の治療のために、ここに拠点を置いている。

 ボストンはアメリカ北東部の街であり、実は学問の都市でもある。

 有名な音大などもあり、そのためにスタジオなどもあるのだ。

 わざわざニューヨークから、ここまで来る必要のないので、これは地理的にありがたい。


 アメリカ全土の中でも、ボストンは比較的治安のいい都市である。

 ただそれでも場所によっては、銃撃事件が起こったりする。

 実際に生活してみると、特に危険などは感じない。

 もっとも日本の生活に比べると、やはり注意は必要らしい。


 また住環境に関しては、基本的に広さなどは充分な物件が借りられた。

 ただし水道水などは、普通に購入した方がいい。

 一応はアメリカの水道水は、そのまま飲める基準に達してはいるはずだ。

 しかし物件ごとの当たり外れがある以上、日本ほどには信用しない方がいい。

 もっともアメリカにおける水道水のチェック項目は、日本よりもずっと多いのだが。


 生活の快適さでは、慣れという面もあるだろうが、やはり日本よりも面倒が多く感じる。

 特にまだ英語がはっきりとは出来ない面子は、それを感じている。

 現地のスタッフをマネージャーとして雇い、細かいことを任せたりはした。

 あとは食事に関しては、日本の食材を扱っているところを、しっかりと見つけて自炊が基本になる。

 意外と料理が苦手な人間もいるので、そこは女性陣の出番になったが。




 一度目の薬剤の投与から、確認したが癌細胞の縮小は見られなかった。

 抗がん剤にも種類はあるので、他のものでの治療が行われる。

 ものによっては体へのダメージがどうしてもあるので、出来れば軽いもので効果が出て欲しかった。

 しかしそうは上手くいかないのが、世の中であるらしい。

 幸いであるのは、更なる転移などが見つかっていないことだ。


 どうにか癌細胞を縮小させ、見えないほどのものが消せたと確信できたら、手術でその小さな部分を取り切る。

 肝臓は部位によっては不可能だが、月子の場合はどうにか可能である。

 ただ手術で肝臓を取ってしまうと、大きく体力が低下する。

 よってどの抗がん剤が効果的なのか、それを試していくという方針らしい。

 この全てに、治験中の薬品を使っているため、かなりの金銭的な負担にはなる。

 だが金でどうにかなるなら、やってしまえばいいのだ。


 月子がいないと、食事の当番が主に千歳に任せられる。

 暁は前回よりも悪阻の症状があるため、あまり料理などが出来なくなっている。

 女に任せ切りだった信吾や、全て外注していた俊は論外。

 意外にも栄二はある程度、料理をしたりする。

 奥さんの仕事がある程度不定期であるため、自分でも料理をするようになっていたのだ。


 暁は子供の頃から、父親と家事は分担していた。

 千歳は中学まではほとんど出来なかったが、叔母と暮らしている間に、放っておくと延々とカレーが続く日があったので、自然と作るようになった。

 それでもメンバーの中では、一番料理が上手いのは月子である。

 単純に上手いというだけではなく、日本古来の和食を作ってくると言えようか。

 これを月子に教えたのも、やはり祖母であったのだ。


 東京で一人暮らしを始めた頃、月子はかなり自炊をしている。

 もっとも一人だけの分を作るのは、むしろ手間に見合わない、などとも言っていたが。

 これは暁や千歳も同意見で、自分一人だと外食や冷凍食品で済ませてしまう、とも言っていた。

 俊は学校での家庭科実習以外、料理などしたことがない。

 信吾はそれなりに、実家にいた頃はやっていたらしいが、東京に来てからはあまりしていない。

 やはり東京の方が暮らしやすい、と感じるのは食材の高さも関係する。


 日本人が日本に戻ると、やはり日本食が食べたくなる、というのは分かる気がした。

 もっともボストンには和食の店がそれなりにあるため、単純に日本食を食べるなら、そこに行けばいいのだ。

 スタジオに籠もる時には、ファストフードを利用したりする。

 ただあまりにも大味であるので、調味料を用意して、自分で作るようになってきた俊である。

 キッチンに立つことは出来なくても、ある程度の指示を出せるのが暁なのだ。

 もっとも彼女自身は、せっかく作ってもらった料理も、胃が受け付けなかったりする。


 とにかくカロリーと共に、蛋白質などを優先して摂取して行く。

 いっそのことと考えて、サプリメントに頼ったりもした。

 自分の胎内にあるのは、自分の子ではあるが自分の子でもない。

 響が宿った時と同じように、自然と愛情を感じるようにはなっていく。

 そうやって体重が増えていくのを感じながらも、暁はレコーディングに参加したりする。


 法律の関係で、出産はアメリカで行わなければいけないのだ。

 日本で出産すると、子供の母親が暁となってしまう。

 自分の子供でもあるなと思っても、これはあくまでも月子の子供なのだ。

 俊としては複雑であるが、同意したからには二人を支えていくしかない。


 やがて二度目の抗がん剤投与の結果が出る。

 わずかではあるが、腫瘍は縮小しているのが見られた。

 他の部分に転移しているのも、今のところは見られない。

 これならば手術が可能ではないのか。

 患者である月子はもちろん、ノイズのメンバー全員が、これにはある程度安堵したのであった。

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