第82話 学園祭
学園祭のようなお祭り騒ぎは、準備の時間が一番楽しいとも言われる。
暁としてはずっと、分担された作業を淡々とやっていくもの。
別にハブられているわけではないが、表面的な友人しか出来ない。
ただ今年は千歳がいる。
友人と言ってもいいだろうが、それ以上に戦友だ。
学園祭のステージに立つというのも、千歳主導によるもの。
暁の本当に凄いところを、軽音部のごく少数の人間以外は誰も知らない。
千歳はごく普通に、友人がいるので暁とばかり絡んでいるわけではない。
だがギターの練習は、暁に言われるまでもなく、自分でずっと行っている。
誰もが、何者かになりたい。
千歳は俊や他のメンバーから、ほとんど歌のことを誉められている。
だがギターに関しては、上達してきたな、という程度のことしか言われない。
まだ評価するレベルの腕ではないと思われているのだ。
実際にたいして上手くない、という俊でさえも、千歳よりははっきりと上手い。
月子もさほど優先してはいないが、少しギターをやっている。
もっともそれより、少しだけ披露した三味線の方が、はっきりと上手いと分かった。
俊はシンセサイザーを使って、様々な音を作る。
単にリズムのギターだけなら、その打ち込みを使えばいい。
だがライブをしていれば、それでは足りないと分かってくる。
とんでもなく難しいリフを、暁は平然と弾いてみせる。
レフティの彼女は千歳と向かい合わせになると、鏡に写したように見える。
そして一つずつ丁寧に音を出す、と言いながら自分は、右手がものすごい速さで動き、左手は何をやっているのか分からない動きをする。
子供の頃から、これにずっと捧げてきた。
だがそれでも、ギターの上手い人間は色々といるのだという。
もっとも多くのミュージシャンを知っている俊や栄二でさえ、暁のギターにはほぼ文句をつけることがない。
フィーリング、と月子以外のメンバーはよく口にする。
意味としては感覚や感情、音楽でいうならノれるかどうか、といったところなのだろう。
暁のリードは、ボーカルの背中を強く押す。
そしてソロでは、早弾きや歪ませなどで、強く注意を引く。
激しさもあるが、曲によっては哀しみや、共感することへの拒絶すら表現する。
少なくともライブで聴く限りでは、暁より上手いギタリストは見たことがない。
学園祭の準備についても、二人は一緒に行動することが多い。
そして時間が空けば、そこでギターの練習をするのだ。
基本的に千歳は、リズムギターなのでそこまで難しいことはしないし、難しければ音を減らす。
だが暁の方は全く妥協がない。
妥協しなくても大丈夫なだけの技術がある。
他の生徒たちは、体育館ステージの予定表を見て、だいたい不思議に思ったりする。
上級生ともなれば、最後のトリは吹奏楽部の演奏か、軽音部の演奏になるのが例年のことであるのだ。
だが今回は軽音部の方から、吹奏楽部にも話を通して、トリの演奏を学外で活動をしている二人の演奏とした。
それで生徒がいいなら、と教師側も特に前例にこだわることはない。
一応リハ的なこともやって、それで確認してもらう。
トリを自分たちでも軽音部でもやらないことに、多少の難色を示していた吹奏楽部。
だがたった二人の演奏を聴いて、これは納得した。
この後に普通の演奏をするのは、公開処刑であると。
暁のギターは、確実に高校の軽音部とはレベルが違う。
そして千歳の歌も、そこいらにいるようなものではない。
「先に少し知られたのは、口コミで広がるだろうな」
セッティングのために、俊はこの日に入場の許可をもらって、学校にやってきている。
自分も高校生であった過去があるのは当たり前だが、どうも記憶が曖昧である。
俊の視線は、常に未来しか見ていない。
普段のスタジオでの演奏とは、セッティングがやはり変わってくる。
体育館というのはあまり、音響がいいというわけでもないのだ。
俊の作った打ち込みの操作は、暁が足元のペダルで行う。
どうしても俊がいないので、普段と違って自分が合わせていくことになる。
苦手ではあるが、これもまた一つの経験だ。
そういった作業をしていても、千歳には声をかけてくる友人がいる。
ノイズの中では一番、普通に近い人間関係を持っているのが千歳であろう。
だいたいは千歳が二人で、しかもクラスでも孤立傾向にある暁と組んで、ライブをするということが不思議であるらしい。
それは確かに、古い友人ほど逆に、千歳が最近ギターを始めたことを知らないので、当たり前のことではあろう。
そして暁がギターを弾くというのは知っていても、どれぐらいの腕前かということは知らない。
大学に入ってようやく、自分のやりたい自由が増えた俊としては、羨ましいとは思わない。
だが高校生の時点で、自分と組める人間が出来たというのは、幸運な出会いではなかろうか。
単純な友人ではない。
バンドメンバーというのは、同じ方向を向いて歩く仲間なのだ。
前日の準備が終わった。
夜も遅いというので、自動車で来ていた俊に、二人は家まで送ってもらう。
もっとも暁はまた父が出張しているので、一人だけの夜となる。
一人でマンションの部屋に入って、寂しいなと思ってしまう。
昔は音楽とギターがあれば、他に何もいらなかったのに。
(いやいや、お父さんはいるか)
でないと可哀相である。
ノイズに加入してから、人間関係が複雑になっていった。
月子のような歪な才能と出会い、信吾や栄二といった、比較的年齢の近いバンドマンとも出会うこととなった。
それに俊である。
あの自己評価の低さは、一体何が原因であるのか。
もっとノイズの音楽が広がっていけば、そのコンプレックスも消えるのだろうか。
ノイズのリーダーは、間違いなく俊である。
そのトータルの人間としての万能性は、何も作曲や作詞に、演奏の技術だけに収まるものではない。
どこか図々しいぐらいに、音楽に対しては能動的だ。
あれも一つの才能ではないのだろうか。
ステージの上ではともかく、リアルでは引っ込み思案な暁としては、むしろうらやましくて尊敬する。
あとは俊の場合は、女性に対する応対が、外見などでは変わらないのがポイントである。
ノイズは女性メンバーが三人もいるが、一番美人である月子に対しても、ちんちくりんの暁に対しても、態度が変わらないのだ。
もちろん練習の時などは、それに合わせた反応になるが。
もっとも俊の場合、あそこまで女性に対する態度が変わらないと、性欲が薄いのかということまで考えたりする。
ハイスペックな人間なのに、女性の影が全くない。
信吾のようになってもらっても困るが、あの豪邸に一人暮らしで、そういう気配がないというのもおかしな話だ。
おそらく睡眠欲と食欲はともかく、性欲の前に音楽欲があるのだ。
そういうことならば、暁も理解出来なくはない。
食事も忘れてずっと一日中、ギターを弾いているということは、暁もよくあることだ。
(人間関係、まともになってきてるのかな)
友人の少ない暁は、そういう考えが湧いてきていた。
いよいよ明日はステージである。
それもいつもと違い、リズムで支えてくれるドラムとベースはいないし、俊のシンセサイザーも突発的な調整をしてくれるわけではない。
そんな千歳に対して、俊は関係のないことを話す。
「今度文乃先生に、会ってもらう時間作れないかな」
「フミちゃんに? なんで?」
「最近作曲はともかく、作詞の方が間に合わなくなってきた」
「あ~」
確かに最近の俊は、完全にオーバーワークだ。
作曲に作詞に演奏と、それだけでも忙しい。
大学に通いながら、ライブハウスのブッキング交渉もしている。
さすがにそこは、少し信吾が手伝い始めているらしいが。
そしてもちろん、ライブのための練習だ。
ワンマンライブをやるために、持ち歌の数を増やしている。
だが俊はイメージの中で作曲し、その曲に合わせてイメージを言語化するという順番で、曲を作っているらしい。
そういった能力のない千歳ではあるが、なんとなく大変なんだな、ということは分かる。
今回の文化祭の手伝いも、俊がとにかく断らないから、やってしまうのだ。
楽しければやってしまおう。
もちろんその中でも、メンバーの生活が成り立つことを第一に考えてはいる。
こういったことは、別に俊にとって一方的な得があるわけではないのだろう。
文乃は基本的に極端なインドア派の人間であるが、千歳の学校での話などは聞きたがる。
保護者としての関心ではなく、作品のネタ集めでもあるのだろう。
「そういうことなら、ちょっと話してみる」
ノイズメンバーの中では、千歳は一番実力が下だ。
それはよく言われるが、メンバーの皆は、今はギターが下手なだけだ、と事実を言ってくる。
暁はどうかは知らないが、他の皆は誰だって、最初は演奏が下手だったのだ。
練習して上手くなっていって、そして千歳の頑張りを認めている。
左手の指だけではなく、右手の指もそれなりに弦にひっかけて傷がある。
よほど弾きこまなければ、そこまでにはならない。
「冬までには、少し大きなところでワンマンライブしたいな」
「でも俊さん、あんまり頑張りすぎると倒れるよ」
「食事はしてるし、寝落ちもしてるから、最低限は休んでるからな」
どうしてそこまで、と千歳などは思ってしまう。
何かになりたかった。
幸いにも自分には、音楽の才能があるらしいと言われた。
なので頑張っているのだが、俊は自分に才能がないと言いつつ、音楽から離れられない。
(どう考えても、しっかり才能はあると思うけど)
俊は貪欲である。
満足することがないから、今の恵まれた状況で、どんどんと出来ることを試してみようとしている。
(あたしも頑張る! とりあえず明日だ!)
後に伝説と呼ばれるステージであった、と千歳は内心でナレーションを付けるのであった。
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