第68話 前夜

 どうやら知っているバンドがいて、信吾が挨拶回りをしている。

 ついでに俊が付いていくのは、いざという時のサポートメンバーも探すため。

 特にドラムである。

 月子が完全に加入するといっても、西園はプロのミュージシャンだ。

 フリーになったとしても、すぐに仕事をノイズメインにするわけにもいかない。

 なのである程度腕のあるドラムがほしい。

 リズム隊は信吾がいるだけまだマシだが、俊のドラムではちょっと付いていけないと思う。


 小さなステージでやるバンドなどは、宿泊は自分で手続きをしてくれ、などという扱いであったりもするらしい。

 この時期にバンで寝るというのは、かなり苦しいだろう。

 本当にホテルで、男女二部屋だけとはいえ、眠れるノイズはラッキーなのだ。

「大阪とかから来てるバンドもいるんだな」

「まあ若手の登竜門的なところはあるし、呼ばれれば関東圏には来るだろうさ。俺らは関東、特に東京にいるってだけで、かなり恵まれてるんだ」

 そのあたり、なんだかんだ俊は、おぼっちゃんなのである。


 そう言う信吾も一応は仙台という、100万都市出身ではある。

 地元ではやはりダメだと思って、東京に出て来たわけだが。

(恵まれているのと、満足するのとでは全く違うな)

 俊は一般的な家庭より、はるかに裕福な生活をしてきた。

 高い教育を受けて、今のスキルの多くはその中から得たものだ。

 アルバイトはしているが、基本的にはしなくても生活に問題はない。

 必要な情報を実感するためのものだ。


 必死で学生が働いている時間を、そのままインプットに使える、

 教育のために時間と金銭を使えるという点で、金持ちが有利なのは間違いない。

 そういった贅沢な環境から外れてみるため、初めてみたということもある。

 ただCDショップなどはしょせん、趣味の延長でやっていることだ。

 居酒屋などの飲食で働いている人間は、ずっと大変だろうと思う。

 作曲などでうんうんとうなっている自分もそうかもしれないが、それは望んでやっていることだから仕方がない。




 信吾が連れて行った中には、以前にツアーをした時に対バンした、名古屋のグループもあった。

 セクシャルマシンガンズという、元ネタがはっきりと分かりすぎるバンドである。

「ギターが変わったんだよな。元はけっこう下手だったんだけど」

 まだ宵闇の中、外を動き回っている男どもはかなりいる。

 ただ血の気の多い、倫理観に欠ける人間もいるのがミュージシャンだ。

 特に女性関係はひどいやつが多いので、ノイズの女性陣はもうホテルに入っている。


 思えば月子以外は、まだ未成年なのである。

 暁の方は俊が信頼されているものの、千歳の場合はよく許可が出たものだ。

 時間的に一度東京に戻って、また明日来るという強行軍も出来なくはなかったのだが。

 おそらく千歳に対して、保護者である文乃は、かなり考えて接している。

 親ではなく、親をやるつもりもない。

 だが当たり前の大人として、子供に接する。

 もっとも高校生というのは、単純に子供な訳ではない。


 大学生になると一気に大人扱いされるが、高校時代の狭い世界というのは、逆に自由であったようにも思う。

 俊でさえそう思うのだから、文乃もそう考えているのかもしれない。

(大切にするだけが愛情じゃないよな)

 その俊の思考は、実体験ではなく理屈としてのインプットである。


「う~す、元気?」

 集まっているマシンガンズのメンバーに、信吾が声をかける。

「お~、信吾じゃん」

「クビになったんだって?」

「ちげーよ。俺の方から抜けたんだって」

「やっぱベース持たないとダメなんだよな」

 そうやってやりとりをしているが、やはり地方都市であると名古屋レベルでも、活躍は難しいのかな、と思う。


「そんでこいつが新しいギターの涼。まだ高校二年生なんだぜ。ほれ涼、挨拶して」

「あ、こっちがうちのリーダーのサリエリ。痛い名前だけどボカロP出身だから許してやって」

 ひどい紹介のされかたをしているが、俊はそれに文句もつけない。

 視線はメンバーの影から現れた、少年に注がれている。

「涼か……」

「俊じゃねえか」

 顔を合わせた瞬間、お互いに苦いものが表情に表れる。

「なんだ、知り合いか?」

「まあ、ちょっとな」

 俊としては、二度と会いたくもなかった存在である。 

 だが、名古屋にいたのか。そしてギターをやっていたのか。


 俊としてはそもそも、存在自体を忘れようとしていた。

 ちょっと前までは、東京にいたはずだが、どういう巡り会わせをしたものなのか。

「通りでお前の曲、似たようなのが多いわけだ」

 このまま別れればいいと俊は思ったのだが、涼の方には言いたいことがあったらしい。

 いや、お互いの因縁を考えれば、それも当たり前のことか。

「少し、二人で話すか。ちょっと借りていきます」

 言いたいことは色々とあるのだろうが、涼は同意したようだ。

 そこからわずかに歩いていく。




 海岸部のこのあたりは、夜になると風が吹いてわずかに涼しい。

 なのでテントを使ったりと、無茶な参加の仕方をしているバンドもいる。

 またオーディエンスの中にも、そういった人間はいるだろう。

 既に前日の今日から、イベントの主催者は警備の人員を入れている。

「通りであの曲のタイプ、似たようなものばっかりになってたわけだ」

 誘ったのは俊であったが、先に口を開いたのは涼であった。


 悪意に満ちた台詞であったが、事実は事実として認める俊である。

「ノイジーガール以降は違うだろ」

「……強力なボーカルを手に入れてユニット組んで一発逆転か。とことん運だけで生きてるな」

「運か……。確かにそれはある」

 そもそも月子が、何のプランもなく京都から出て来た時点で、運命が転がっている。

 そう、運と言うよりは運命だ。

 それでも涼の言葉を否定するつもりはない。


 かつての自分とは、心情も状況も違う。

 それに彼とは、共闘出来るはずなのだ。

「ギターは上手くなったのか?」

「あんたのヘボギターに比べれば、たいがいは上手いだろ」

 否定できない。

 そもそも俊は、キーボードをメインにプレイしていたのだ。


 しかし元々険悪な関係になりやすい二人であったが、以前に会った時はこんな感じであったろうか。

 いや、そもそも自分は恵まれていたのだ。

「あの人は、元気なのか?」

「お袋のことなら、あの後に死んだよ」

「……そうか」

 なるほど、だから東京にはいないのか。

「今は、どうしてるんだ?」

「随分とのん気に聞いてくるな」

「聞きたいことは、本当はあるんだけどな。

 そう、涼ならばもう少しは、詳しいことを知っているはずなのだ。

「父さんは、本当に事故で死んだのか?」

 沈黙が訪れる。


 二人の間に、確実に存在する話題。

 そう、同じ父を持つ兄弟だからこそ、この話が出来る。

 他にも関連している者はいる。岡町なども気にはしている。

 だが遠慮なくこの話が出来るのは、間違いなく二人だけだ。

 だからこそこの異母弟を、俊は嫌いになれきれない。

 涼は大きく息を吐き、己の中の感情を整理する。

 まだ高校生なのだ。俊はそれを考えている。




 英雄色を好むという言葉ではないが、社会的に成功した人間は、下半身がゆるくなる傾向にある。

 俊の父である東条高志は、結婚している間も涼の母と関係していた。

 不貞の証拠を集めたが、それを公開しないことを条件に、俊の母は離婚を成立させた。

 慰謝料代わりに多くの財産を譲渡させて。


 あの段階ではそれでも、父に余裕はあったのだ。

 いくらでも稼げる、と思っていた父が、どんどんと失墜していった。

 そして死んだときにはもう逆に、借金しか残っていなかった。

 涼とその母は、相続放棄をした。

 後に金を無心しに来た涼の姿を、俊は憶えている。

 母親の病気治療に金がかかるということで、あの時は俊の母が金を貸したはずだ。

 返してはいないはずだ。元々あの時も、やったつもりでいなさいと母は言っていた。


 父の死には謎が多い。

 事故か、自殺か、他殺か。

 借金はあったが、父のプロデュース能力をもってすれば、またすぐに稼げるだろうと思っていた。

 今思うと、本当に金があった時に別れた、母は賢かったのだと分かるが。

「自殺ではないはずだよな」

「そりゃそうだ」

 時代のムーブメントは変わっていたが、プロデュース能力というのはある程度、経験が重要なものとなる。

 あの天才も日本を去っていたので、もう一発当てようと思ってもおかしくはない。


 一時期は薬物に溺れていたとも聞いた。

 だが音楽業界では、はっきり言って珍しくない。

 スキャンダルではあったが、そこから復活する流れではあったのだ。

 それがあんな、自殺とも事故とも取れるような死に方。

「事故……だったんだろうな。あの時期に親父を殺しても、別に得する人間はいなかっただろ」

「ただ、あのタイミングで死亡したことで、多くの楽曲の著作権がフリーになった」

 そう、そうなのだ。

 借金も多く抱えていたので、著作権を含めて丸ごと、俊たちは遺産を放棄している。

 そしてレコード会社は、著作権フリーになったそれを利用して、かなりの儲けを出すこととなった。


 今から思えば、著作権などは相続していた方が、長期的には得であった。

 しかし目の前の借金を、どうにかする必要があった。

 あの時点であれば、俊の母のみが借金ごと相続を出来る財産があった。

 だが彼女には、自分自身が歌った楽曲にさえ、もう執着はなかったのだ。

 元はと言えば、声楽の世界に進みたかった母。

 その才能に目をつけて、自分のものにしてしまったのが父。

 母は俊のことは愛して、少なくとも育ててくれたが、父とは協力者の関係でしかなかったと思う。

 そして他にも異腹の兄弟はいるが、果たして全員を認知していたものか、それも分かったものではない。

 少なくとも俊が知っているのは、涼以外には一人だけだ。




 おそらく思っていたのとは違う方向に、話が展開している。

 なので涼の反応も、落ち着いたものとなってきた。

「この業界に入ったのは、その謎を解くためか?」

「まだ業界に入ったとも言えないけどな」

 ただ、俊はそこまで父の死に固執していない。

 だが同じ景色を見たいとは思っている。


 涼は俊と違い、父の息子として父の死を経験した。

 だから謎を追いたいなら、それはむしろ彼の方だと思う。

「音楽業界は競い合いだけど、同時に助け合いの世界でもあるからな。どこかで対決することになるかもしれないけど」

「親父を殺したやつとか?」

「殺したとは限らないし、そもそもまだ生きているのかも分からないけどな」

 俊としても、過去に囚われていてはいけない。

 音楽は過去から蘇ってくることもあるが、基本的には未来にしか存在しないものだ。


 俊は成功したい。

 だが単純に、売れたいとだけ思っているわけでもないのだ。

 父の全盛期には、音楽は本当にポップカルチャーの最先端であった。

「音楽の時代を取り戻したい。音楽を通して届けたい。基本的に俺はそう思ってる」

「……俺が親父の仇討ちをするなら、止めるか?」

「いや、むしろそんな気持ちがあるなら応援する」

 協力者になってくれそうな人間とも、俊はつながっているのだ。


 音楽の世界で生きていく。

 そうすればいずれ、対決することになるのかもしれない。

 その時には、さすがに戦うしかなくなるだろう。




 ホテルに戻ると、部屋に集まって千歳が最後の確認をしていた。

「本当にこの曲、あたしがメインで歌うの?」

 今さら何を言っているのか。

「歌じゃなくて声での表現だからな。絶対値は月子の方が上だけど、表現の多彩さは千歳の方が上だろ」

 正直なところ、これまでに歌った曲の中では、一番難易度が高い。

 歌ではなく、声で魅せるからだ。


 もっともそれは、月子も同じことが言える。

 二人でパートを分けて、歌っていくのだから。

 月子の方は、また違う懸念があるらしい。

 これまでのゴージャス路線から、衣装がややセクシー路線になっている。

 暑さ対策だから仕方がないのだが。


 ここからノイズの活動は、メインストリームに乗っていくのかもしれない。

 もっとも俊は、展開が早すぎると思っているが。

 涼の言っていたことは分かる。

 父は音楽業界に、敵も味方も多くいた。

 父の仇以外にも、俊に敵意を向けてくる人間はいるだろう。


 それに対抗するためには、力をつけることだ。

 この場合の力というのは、影響力である。

 また自分一人で戦うのは、絶対に不可能である。

 ネットで覇権を握り、それから展開していく、という計画は修正されている。

 だが今もどんどん曲を作っては、発表はしているのだ。

 そのスピードと量が多いため、劣化和風プリンスなどとも呼ばれるわけだが。

「歌じゃなくて声で魅せるかあ」

 練習している千歳だが、確かに彼女の声には、月子とはまた違った、人を魅了する力があるのだ。

(でもちゃんと、声楽のレッスンもしないといけないかな)

 これが終われば、一度母に連絡をしようと思っている俊であった。



×××



 作者の無知をさらすようですが、実際にはフリーになることはないようです。

 債権者の手に著作権が渡り、そこから70年間印税が入ってくるとのこと。

 今後の物語の展開は、この現実を前提に進んでいく予定です。

 ……まあ俊パパの曲、時流には合っていてもこの時代にはもう、あまり評価されていないという設定ではあるのですが。

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