第67話 前日入り
土日をかけて行われるライジング・ホープ・フェス。
前日に会場に入って、機材のチェックをする。
向こうで用意してくれるセットもあるが、基本的に機材は自分たちで使うものだ。
その輸送のためのバンは、また俊が提供するわけである。
「そういえばフェスってチケットノルマもなくて、むしろお金がもらえるんだよね?」
千歳が今さらなことを言ってくるが、確かにそうである。
「ぶっちゃけると俺たちの場合、むしろライブの方が稼げる」
そもそも結成から三ヶ月しかなく、キャンセルしたバンドの代わりなので、選ばれたという経緯がある。
さすがに赤字にはならないものの、前日から乗り込んで時間もかかることを考えると、儲かるものではない。
「ノイズは10万円だな」
「一人頭?」
「全員で」
「二万円か。スタジオに半日拘束されるより安いな」
西園はそう言って笑うが、千歳はむしろ二万円はいいお小遣いであるという認識だ。
ノイズに割り当てられた時間は、調整が入るかもしれないが、30分。
30分の演奏をして、二万円が手に入る。
そう考えるとお徳かもしれないが、それまでの過程を考えてみるといい。
「前日入りしてセッティングからリハまでして、それにどれぐらいかかる? まあ近場のホテルを取ってくれるだけまだありがたいけど」
「そうか~、拘束時間か~」
俊の説明に、千歳はある程度納得する。
「でも二日で二万円なら、やっぱり高校生のアルバイトとしては高給だと思う」
納得してもなお、そう言うのが高校生であると言おうか。
まあこれでも、マシな方なのは確かだ。
中には出演料は出すが、現地での宿泊などは自腹、という場合も多い。
あるいはホテルがそもそも取れず、バンの中でゴロ寝というのも、西園や信吾は体験している。
あれはあれで、楽しかったものだが。
ライブハウスのツアーなどは、だいたいそういうものである。
「俺が仕事でレコーディングに入ったら、時給が一万ぐらいにはなるな」
西園の説明に、千歳はびっくりしている。
「アキのお父さんなんかもっと高いだろ」
「どうかな。でもお金に困ったことはないから」
暁の父は、マスターグレードのストラトや、ヒストリックコレクションのレスポールに加えて、PRSなどのギターも10本以上は持っている。
だがそれで金に困ったという話はないし、住んでいるマンションもそこそこ小奇麗なところだ。
あんな部屋に住んでいるのだから、それはかなりの高給取りなのだろうな、と千歳は想像がつく。
もっともマジックアワーは一時期日本のトップを取っていたバンドなのだ。
その時代の収入というのは、かなり多かったであろうとも思える。
「売れるまでの苦労話はけっこうするけど、楽しそうなんだよね」
「あ~、それはうちの父さんもそうだった気がする」
成功したからこそ、楽しそうに語れるのかもしれない。
だが西園も信吾も、ツアーなどは大変だが楽しかった、という思い出がある。
「儲からないどころか赤字だったりしたんだけどな」
「バンドを維持するためにバイトしてたりしましたからね」
二人ぐらいの技術になると、金を出してヘルプを頼まれたりもした。
実際には無料でチケットをもらって、それを売って稼いでくれ、というパターンが多い。
先にホテルにチェックインし、手荷物はそこに運ぶ。
ここからはスピーディに展開していかなければいけない。
そもそも同じ日に、何組ものバンドが一つのステージで演奏するのだ。
セッティングとリハも、与えられた時間でやっていく必要がある。
バンで会場に到着。
公園の地域を何箇所かに区切って、そこにステージを作っているのだ。
一番大きなステージで、8000人を集められるようになっている。
もっとも実際は、それよりずっと多い人数が集まったり、逆にガラガラになったりもするのだ。
「うちはどうなの?」
「どうなんだろうなあ」
月子の不安そうな声は、会場の広さを見たからであろう。
俊も甘いことを言えないのは、なにしろ今までとは桁が一つ違う規模だからだ。
一応潜在的なファンの数を言うなら、アルバムを買ってくれた人数はいるはずなのだ。
ただそれが遠くから交通費を出して、ここまで来てくれるか。
宿泊することも考えたら、かなり厳しいだろう。
「一応都内から近いし、300人ぐらいは来てくれると思おう」
俊は心に予防線を張っておくことにした。
これまでノイズのライブというのは、致命的な失敗をしたことはない。
ほぼハコのキャパシティの上限近い集客をしている。
だが大人気でチケットが全く手に入らない、ということまではさすがにないのだ。
おそらく安定的に集められるのは、300人までだ。
それも普段とは違う、日中の時間帯。
正直な話、全く読めないところはある。
ただイベント会社は、ちゃんと宣伝はしてくれている。
SNSやブログでの宣伝にも、ちゃんと反応はあるのだ。
「メインステージの出演者のヘッドライナーはザ・ビジョンなんだよな」
「俺らの時間帯は完全に昼間だから関係ないな」
せっかくだから同世代の音楽も聞いておいていいかもしれない。
出演者の特権ではある。
他の出演者のセットやリハを見るのも、充分に勉強になる。
こういったイベントに参加経験のある西園と信吾の二人で分けられて、メンバーはステージを見て回った。
「100人ぐらいのステージもあるんですね」
「むしろこういう小さいステージをどれだけ作るかも、重要な仕事なんだ」
西園に連れられていったのは、俊と月子の二人である。
より経験の多い西園は、俊にノウハウを教えるため。
月子は俊と一緒の方が、突発的な事態に対応出来るだろうと考えた。
ただ信吾の方も、女子高生二人を引率するのは大変だったろうか。
月子はいまだに、顔出しをしていないため、この日もサングラスをしている。
さすがに暑いため、マスクなどはしていないが。
美人なのに顔出しをしないという戦略を取ってきたアーティストは、過去にもいる。
むしろ今はボカロ出身の歌い手など、Vtuberという者も、コンサートでさえ素顔は見せない。
既にあるイメージを崩したくない、というのもあるが後に顔出しすれば美人だった、という者はそれなりにいる。
当初はテレビにも出ていたが、後に露出を減らしていった美人というと、ZARDの坂井泉水などがいる。
レースクイーンをするほどの美人であったが、全盛期はその容姿の露出を相当に抑えた。
月子の場合は、メイプルカラーへの混同を防ぐという目的もある。
俊が思うに、元アイドルというだけで、歌唱力に疑問符を付ける人間はいるだろうからだ。
しかし誰もがその歌唱力を認めたら、逆に露出はしていくべきかもしれない。
もっとも月子のコミュニケーション能力は、かなり偏りがあるので危険でもあるが。
完全に本名でやっているのは信吾だけで、これはアトミック・ハートから続いている。
西園もだが、ジャックナイフの頃はEIJIなどと記述していた。
俊はサリエリと名乗っているが、普通に楽屋でも俊と呼ばれているので、知っている者は名前までは知っている。
月子もツキちゃん、暁もアキと呼ばれているので、別に正体を隠しているわけではない。
ただ俊の場合は、自分の名前はともかく、親の名前がバレるのはまずいと考えている。
父の存在が巨大すぎるのだ。
それもおおよそは、晩年のマイナスのイメージが強い。
母を妻としたのも、半ば金で買ったようなもの。
ただ離婚後の母は、自分に似た顔立ちの俊を、それなりに愛してくれていたとは思う。
もっとも影響を受けたのは、やはり父であったが。
クラシックの素養は、むしろ大学で声楽をやっていた母からのものだ。
楽器の演奏はともかく、全く音程が合っていない俊の歌には、完全に失望というか、それを超えて笑われたが。
(彩に、あとは父さんを追い詰めたやつ)
遺産相続時のごたごたは、ひどかったものだ。
確かに財産もあったが、借金なども相当にあって、どちらがマシかを考えた。
俊のように生前贈与で色々と楽器などを贈られたのは、おおよそ母に金を出してもらって、かなりプラスにはなった。
だがどうしても手に入れたい、本物のヴィンテージの楽器は、多くが手に入らなかった。
それでも父の子の中では、一番マシというか、唯一得をしていたのだが。
こういったフェスにおいても、国内最大級フェスのヘッドライナーを務めたマジックアワー。
またその解散後も、父のプロディースしたミュージシャンはたくさん活躍している。
「早く、父さんのレベルにまで上がらないと……」
そんな俊の呟きに、西園は考える。
確かに俊の父は、この年齢の頃には既にメジャーシーンにいた。
しかしそれは、時代が違うということもある。
西園自身はこの年齢で、アーティストからサラリーマンのミュージシャンへと己の存在を変えた。
俊は生き急いでいるイメージがある。
本人としてはどうやら、やりたいことをやっているだけらしいが。
多種の楽器を演奏できるところなど、プリンスかと西園は笑ったが、俊はレベルが全く違うと言った。
とにかく目標が高すぎることは確かだ。
もちろんそれはいいことでもあるが、足元も見ていった方がいいだろう。
さしあたって一通りを見たため、メンバー全員で揃って、運営会社に挨拶に行く。
このフェスの企画から何から、根底の部分を果たしたのが、メタルナックルというイベント会社である。
俊は以前に一度会ったし、西園や信吾も面識はある。
だがフロント女子三人衆は初めてである。
前日ともなれば忙しくもあり、下手に挨拶をするのは邪魔になる。
かといって挨拶をしなければ相手の心情を害するので、そのタイミングは難しい。
こういうことは実際に、イベントに参加したことのある者が強い。
あちこちへの指示をしながら、ほっと一息。
まさにこういう仕事にうってつけなのだろうな、という精力的な50歳ほどの男。
「お久しぶりです、袴田さん」
西園が声をかけると、その凄みのある目をこちらに向ける。
「おう、栄二か。ヘルプか?」
「今のところは、ですけど」
「ほう?」
その言葉の含みに、彼は気づいているのだろう。
「紹介します。うちのリーダーのサリエリ、俊です」
「サリエリとはまた、ひねくれちゃったな!」
握手をすると、その握力がはっきり分かる。
「アルバム、実物が売れてるらしいな」
「はい。なぜか」
俊にもやはり、決定的なその理由は分からない。
だが袴田には、ある程度分かっているらしい。
「聞いたけど、ボーカル二人のパワーに、リードギターの歌と音が、凄くフィジカルに感じたな」
実物的、という意味であろうか。
「また今度、ちょっと話してみたいな」
それ以上はどうやら、時間が取れないらしい。
作業の進捗をまた確認する。
現場にまで足を運ぶのだ。
「メジャーならともかく、インディーズである程度活動するなら、絶対に抑えておきたい伝手の一つだぞ」
西園も、そう囁いたのであった。
ライブハウスはまた違うが、ライブにも使える大規模施設というのは、イベント会社がずっと押さえている場合がある。
つまりライブをしたいのであれば、こういったイベント会社との交渉は避けられない。
メジャーデビューでもすれば、それは事務所が交渉してくれる。
だが今のところ、俊はメジャーに主戦場を移すつもりはない。
月子の問題や西園の問題が解決しなければ、スケジュールを拘束されるメジャーレーベルの事務所とは、なかなか契約しがたい。
そういったものも全て、メジャーデビューすれば解決する場合もある。
月子の住居問題などは、その一つではあるだろう。
事務所が住居を用意してくれるというのは、当たり前のことなのだ。
だがメリットとデメリットを計算し、今はまだデメリットの方が大きいと考える。
月子はともかくとして、暁と千歳は普通の高校生であるのだ。
下手に露出が大きくなると、問題になりかねない。
そういう場合は芸能科がある私立に転校する、というのも一般的ではあるのだが。
「エネルギッシュな人ですね」
「地方のライブハウスにも顔が利くから、中規模のハコでツアーをするなら、あそこを通すのが簡単だ」
「う~ん……」
「インディーズでもある程度のマネジメントをしてくれるレーベルもあるぞ」
「分かってはいるんですが」
俊の頭にあるのは、とにかく搾取されたくない、という気持ちである。
5000枚が売れたのだ。
正確にはまだ、全てが売れたわけではないが、再プレスもされている。
おそらくもう一度、シェヘラザードと組むことは出来るだろう。
流通と販売に関しては、確かに強いレーベルだ。
だがツアーなどをマネジメントするレーベルではない。
小回りが利いて、今のノイズの状況に対応してくれる。
そういう事務所に入るべきであるのかもしれない。
インディーズでもそういう事務所はあって、実際に90年代などは、そこから出てきて覇権を握ったバンドなどもいる。
むしろ素早く動けることが、強みなのである。
「今のままだと、お前に事務作業が集中しすぎている」
「それはそうなんですが」
とりあえず目の前のフェスが重要なのは確かだ。
ここで名前を売っていかなければ、せっかくの大規模な露出になった意味がない。
幸いと言うべきか、緊張しているのがはっきり分かるのは千歳ぐらいだろう。
暁も緊張はしているが、どうせギターを握らせれば戦闘モードになるのだ。
意外と緊張していないのは月子で、それはライブハウスでの経験によるものではない。
「東北の民謡コンテストとかだと、1000人以上入る施設で演奏することもあったし」
なるほど、と思える返答であった。
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