第80話 母、襲来

 マルチタスクが出来るのは、俊の長所である。

 ただその分、何かに深く没頭する能力が欠けているのでは、と思ったこともある。

 しかし最近は作曲に入ると、時間を忘れて一気に作ってしまうことまである。

(才能が開花した……というのとは、違うと思う)

 月子と出会って以来、自分と年齢の近い才能に、出会う機会が増えたのはあると思う。

 自分よりも若い才能に、出会っても嫉妬はしない。

 担当が違うことが多いからで、そしてアレンジに幅を与えてくれる。


 色々と考えてみたが、やはりノイズメンバーの中で、一番天才と呼べるのは暁なのでは、と思ったりもする。

 月子は素質と技術があるし、基本も鍛えられている。

 千歳は感情を乗せて歌っている。

 信吾と栄二は、とりあえずキャリアと場数が違う。

 一番天才っぽいのは、千歳の歌かもしれないが。


 ライブでのパフォーマンスを見ていると、自分の平凡さが分かる。

 俊は間違いなく、フィーリングで何かを伝えるタイプではない。

 即興ではなく、あらかじめしっかりと準備して、それでようやく目的に届く。

「何を言ってんだか」

 才能の分析などをしていると、千歳がそう言った。

「いきなりあたしをステージに連れ出して、いきなり合わせたのは誰でしたっけ」

 そういえば自分らしくないことをしているな、と言われてみればそうかもしれない。

 だがそれは、千歳が俊にそうさせたのだ。

 現象としては、俊が千歳をステージに立たせたのだが、そうさせたのは千歳の持っている何かだ。


 外見だけを見れば、長身で仮面をした月子に、海外の血が入っていて独特の容姿の暁と比べると、千歳は一番平凡である。

 だがそこから、外見詐欺のような歌を発する。

 表現の幅は月子よりも広い。

 俊が好まないだけで作っていないが、ラップも歌えるのは今のトレンドからしたら強みだ。


 自分には才能がないが、他人の才能を把握することは出来る。

 そういうのを名伯楽というのだ。

 もっとも人間、ほしい才能が持っている才能と違うことはよくある。

 俊がそういうことを言っていても「またこいつは求める場所が高すぎるな」と思うようになってきたのがノイズメンバーである。

 その中で月子だけは、そうなんだ、と素直に受け取ってしまう。

 彼女は素直すぎるのが、いつか人生で失敗するのでは、と周囲には思わせる。

 天然がゆえにこれまで、よくもまあ変に騙されずに生きてこれたな、とも思われる。

 特に東京に来てからは、向井が早々に保護のような形にしたのが、かなりの幸運であった。




 その月子を、俊が保護するような関係になる。

 ただ月子だけでは問題となるので、もう一人女性を招くことになった。

 この間のオフ会から伝手をたどっていって、この人なら大丈夫かな、と俊も判断した。

 界隈では「離島駐在さん」という名前でイラストとデザインの仕事をしている、柴田佳代さん23歳である。

 主な活動時間は夕方から深夜。

 仕事は基本的にフリーで受けていて、まだまだイラストだけで食べていくのは出来ないという話である。


 仕事道具は全てデジタルのため、考えていたような面倒さもない。

 田舎から東京に出てきて専門学校に通い、そこから卒業はしたものの就職はせずにそのままフリーランスという、なんとも明日を見ない生き方をしている。

 だが創作系の仕事というのはそういうものかもしれない。

 一応就職活動はしたものの全滅し、そこから個人で仕事を取って、ある程度の収入は得ている。

 それだけでは生きていけないので、アルバイトもそれなりにしている。

 しかしこの条件なら、仕事だけに専念出来る、というわけである。


 イラストレーターとしては、普通に流行の絵を描いていく。

 だが没個性であるな、と俊などは判断した。

 だがデザインとしてボカロPなどとつながると、面白いものを作ってくれている。

 現在のノイズの傾向としては、デザイン面で頼むことはあるかもしれない。

 全く現代は、中途半端に才能があっても、それを活かすのが下手な人間が多い。


 そんなわけで俊は、居候の選定を終えたわけである。

 あとは母の判断であるが、あまりそのあたりは心配していない。

 一年のうちに一ヶ月も家にはいないのだ。 

 国内にいる時も、ホテルなどを利用することが多い。

 ノイズを結成して以来、まだ一度も会っていない。

 だいたい春頃に帰ってくることは多く、夏場は特に留守にしている。


 そんな母ではあるが、他の人間にとっては渡辺薫、KAORUとして歌っていたアーティストは、レジェンドクラスの人間の一人だ。

 ユニットを俊の父と組んで、CDを1000万枚以上売ったのだから。

 今とは時代が違っていても、驚異的な数字であることは間違いない。

 忙しい渡辺薫は、何かの用事のついででもないと帰ってくることがない。

 なのでついでだからと、集まれるメンバーは全員が集まってみた。

 

 リムジンで屋敷の前に到着する。

 そしてマネージャーを伴って家の中へ。

 特に派手なわけではないが、見る者が見ればすぐに分かる、ブランドの逸品を着用し、無駄な装飾品はない。

 アラフィフになろうという年齢のはずだが、やはりまだ若く見えるのは、日頃の手入れの成果だろう。

「お帰り」

「ええ、久しぶりね。また大きくなった?」

「いや、さすがにもう成長期は止まってるから」

「少し痩せたようにも見えるけど」

 それは事実である。なにしろ忙しく、そして食事を忘れるので。




 リビングに集まったメンバーの中では、暁だけは一方的に面識がある。

 彼女が赤ん坊の頃に、何度か薫は会っているのだ。

「お父さんとお母さん、両方に似てるわね」

 それは当たり前だろう。

 そこからメンバーと、居候候補の紹介である。

 足を組んで、女王のごとく貫禄を見せ付けていた薫であるが、特に文句をつけてくるわけでもない。


 三人を居候させると言っても、好きにしなさいの一言であった。

 ただハウスキーパーの条件をちょっと見直さないといけないな、とは言っていた。

 今の週三回、俊の食事を作って家事をするのとは、労働量が変化する。

 それに関する連絡は、俊の方で行えということであった。


 薫が関心を持っていたのは、どういう音楽をしているか、ということである。

 現在はようやく、本来の自分の専門であったオペラをやっている薫。

 公開されている演奏は、全てまだ月子の歌のもので、打ち込みの演奏だけだ。

 それでも随分と回っているな、ということは分かっていた。

 だがライブで演奏しないと分からないというのは、音楽の本質である。


 レコードを聴くというのも、確かに視聴ではある。

 そして鑑賞でもあるが、そこに本物の芸術はない、と考えるのが生きた音楽家であるらしい。

 本物の自分を残せるのは、作曲家と作詞家だけ。

 演奏というのはライブという体験の劣化版である。

 そうでないなら、どうしてクラシックにしろポップスにしろ、あれだけチケットが売れるのか。

「そういうわけで、演奏をしてみなさい」

 命令口調であるが、高圧的な感じではない。

 そこに気品を感じるのは、大学までは本当にお嬢様の環境で育ったからだ。


 日本のポップスの世界で頂点に立ち、今は世界の声楽でトップクラスに立つ。

 そんな人の前で演奏をする。

 だがこれは俊が、最初から予想していたことだ。

 地下のスタジオにおいて、演奏の準備をする。

 それを薫の視線は追っていた。

「その子、素人だからと言っていた子?」

 薫が指摘したのは、間違いなく千歳である。

「そうだけど」

「使ってる楽器、ちょっと中途半端じゃないの?」

「母さんはギター詳しくないじゃないか」

「そうだけど、テレキャスターならうちにいいのがあったでしょ?」

 あるが、あれはまだ千歳には早いだろう。


 楽器には使うタイミングというものがある。

 それに薫としては、暁のレスポールにも目が行く。

「珍しいわね」

 内容が文句でなかったのは幸いであったが。

「本気でプロを目指すなら、楽器には妥協したらダメよ。まあ高くなくても掘り出し物はあったりするけど」

 それは本当にそうで、中古楽器を修理したら、ものすごいものになったという例はある。

 そもそも暁のレスポール・スペシャルは本当におかしな個体ではあるのだ。

 エフェクターの設定を調整し、ペグを回して音を調整する。

 その様子を薫は懐かしそうに眺めていた。




 何を演奏するのかは、もう決まっている。

 一番練習し、ライブでも多いノイジーガールである。

 最初に月子をイメージして作ったのとは、もうかなり違うものに変化してしまっている。

 六人で演奏する、ちゃんとしたノイジーガールは、ライブのたびに暁のアレンジが少し変わっている。

 ただマスターとしては、ちゃんと存在するのだ。


 たった一人の観客。

 もっともマネージャーと、ついでに佳代も一緒にそれを聞く。

 緊張の中でも、暁は髪ゴムを外して、テンションを上げていく。

 その歪んだギターから、最初の音が爪弾かれる。

 ドラムが後を追い、ベースが追随する。

 リズムギターが弾けて、そしてイントロから歌へと入る。


 ノイジーガールは月子をイメージした曲であった。

 だが歌詞は、少女という抽象的な存在をテーマとしている。

 可能性、不安定、小さな世界、外への憧憬。

 そういったものをあるいは吐き捨てるように、あるいは哀愁を込めて歌う。

 メッセージ性は千歳の歌が伝えて、パワーは月子の声で圧倒する。

 実際に聞いていた他の二名は、音楽に支配されていた。


 聞き終えた薫は、少し考え込んでいた。

「俊、貴方はインプットをもっと広げなさい。多分ジャズの分野がまだ足りてない」

 これ以上、時間を作れと言われるか。

「ドラム、遠慮しすぎ。もっと叩いてもいい。ベースは主張がおとなしすぎる。フロントに好きにやらせすぎ」

 それは、確かにそういう見方も出来るのは確かだ。

「ボーカルは、もっと技術じゃなくフィーリングで伝えること。ギターは……ちょっと分からない」

 暁はやはりそういう評価になるのか。

「ギターボーカルは練習しなさい。以上」


 千歳だけは具体的なことが何もなかった。

 まだ何かを指摘するのではなく、とにかく弾いて歌っていく段階なのだ。

 それは知り合いに頼んでいるから問題はない。

「それで母さん、三人を居候させてもいいのかな?」

「さっきも言ったけど、それは好きにしなさい。だけど貴方、卒業後のことはそろそろ考えているの?」

「まあ、それなりには」

「ならいいの。自分の人生なんだから」

 薫としては、俊の人生を縛るつもりはない。

 自分の音楽活動の10年間ほどは、夫に縛られたものになってしまった。

 もっとも子供まで作ったのだから、そこに何もなかったわけでもないのだ。


 嵐のように、母は去っていった。

 とりあえずこれで、また音楽に専念出来る環境になる。

 まずは引越し作業ということになるが。

「またライブも迫ってきてるし、忙しくなるな」

 そう俊は言うが、一番忙しいのは俊である。

「俺が一番、引越しは簡単かな」

「あ、わたしも荷物は少ないから」

「私はちょっと、資料とかをまとめる必要が……」

 とりあえずノイズは、新しい生活に入っていく。

 だが俊としては、自分の出来る仕事と、しなければいけない仕事が多すぎる。

(回せるものはどんどん、外注に回していくべきなのかな)

 そのあたりの判断だけは、まだまだ苦手な俊なのである。

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