第35話 マーキュリー

 いよいよ二度目のライブである。

 前回のハコよりは、倍ほども人数の入るライブハウス・マーキュリー。

 老舗のハコであり、基本的にロックバンドが出演する。

 ここを起点にして、大きく飛躍してメジャーに至ったバンドもいた。

 本日は五組のバンドが入っており、その四番目がノイズという予定だ。

「懐かしいなあ」

 休日であるのに、リハ段階からやってきている西園は、大丈夫なのだろうか。

 まあたまの休日の一日ぐらいは大丈夫なのだろう。

 少なくとも小学生にまでなれば、ある程度は子供も世話がかからなくなるだろうか。

 年齢によって子育ては、難しさの種類が変わってくるらしいが。

 そういえば珍しくないことだが、ここにいる三人は一人っ子だなと月子は思ったりした。


 ノイズの前後のバンドも、順番にPAとのチェックやサウンドチェックをしていく。

 そして一曲ほど、軽く演奏していく。

 スピード感が必要な、ノイジーガールである。

 それを見ていたライブハウスのスタッフや、居合わせた他のバンドが、目を丸くする。

 まだ流しているだけだが、月子と暁の傑出した実力と、それを支える西園のドラムというのは、そうそう見かけないであろう。

 特にまだ、ほとんど無名のバンドであるのだ。


 この三人に混じると、本当に自分の楽器演奏の才のなさに、俊はコンプレックスを感じてしまう。

 だが俊は打ち込みをはじめ、潤滑剤として通用する存在だ。

 さしあたってセッティングまで調整は出来た。

 あとは時間であるが、その間に少し俊は考えていたことがある。

 ノイズの後に演奏する、アトミック・ハート。

 メジャーデビューも直前という彼らは、男だけの五人組バンド。

 ビートルズ編成にボーカルを加えたという、まあよくある構成だ。


 それぞれ確かに上手いが、突出して上手いというわけでもない。

 その中ではリードギターが上手いが、あまりリードギターっぽくない。

 正確な運指から導かれる、テクニカルなギター。

 だがテクニックに頼りすぎていて、あまりフィーリングを感じないというか。

 音楽性の違いとかではなく、何かもっと根本的なところで、このギターは合っていないのではないかと思う。

(本当はリズムの方を弾きたいんじゃないのか?)

 この技術でリズムギターというのも変な気はするが。

 別にやってはいけないというわけではない。ツインリードギターというのもあるのだし。




 狭い楽屋に全員がずっといるのも苦しい。

 とりあえず俊は暁を連れて他のバンドも見ることにした。

 月子は仮面の関係上、あまり連れまわせない。

 もっとも関係者に特に隠しているというわけではなく、なんであのルックスなのに仮面を被せてるんだ、とは何度も問われた。


 そんなこともあって、順番に前のバンドを見ていっている。

 正確には聴いているわけだ。

 引抜などが出来るかどうかはともかく、いいドラマーとベーシストは必要だ。

 だがそう上手い話はない。

 正直なところドラマーは俊より上手い程度のプレイヤーはいるが、ベーシストは俊の方がだいたいは上だ。


 現代ではリズム隊は、そもそも打ち込みでやっているところも少なくない。

 本来のものでは難しいドラムパターンを作れるのが、打ち込みのいい点だろう。

 問題は生ドラムのパワーがないと、あの二人が暴走してしまうということであって。

「ノイズの人だよね」

 考えながら聴いていた俊に、声がかけられた。

 長身のその男は、先ほども見ていた。

「確かアトミック・ハートの」

「ギターの森脇信吾。よろしく」

「ああ、俺はサリエリで、こっちはアッシュ」

「現実のサリエリって最近では再評価されてるよね」

「クラシックに興味あるの?」

「そういうわけじゃないけど、ボカロPのサリエリについては前から知ってたから。ベースラインがいい曲作ってたよね」

「それは、ありがとう」


 森脇は髪を少し脱色している程度だが、ビジュアルはそれほどV系に寄せているわけではない。

 声をかけてきたが、軽薄な感じではなく、俊に話しているのだ。

「ノイズのファーストライブのことは聞いてたけど、女の子で俺よりギターの上手い子は初めて見た」

 わずかに暁は会釈した。照れている。

「初めてのライブ、ちょっとした話題になってるよね。でもノイズの公開している中では、ギターが入ってない」

「レコーディングは彼女が加入する前にやってたんだ」

「サリエリ君がそれもやったの?」

「まあ、大学の設備も使ったけど」

「大学? 音大?」

「そうだけど多分、想像しているような大学とは違うよ」

「ふ~ん」


 何やら探っている気配はあるのだが、その探る先が読めない。

 なので俊は話題を変える。

「アトミック・ハートはメジャーとの契約間近だって聞いたけど」

「ああ、あれか……」

 それまでは明るく見せていた森脇が、途端に無表情になる。

「メジャーから声がかかったからって、絶対に売れるとは限らないし、そもそも条件が悪いと思うんだけどな、俺は」

「アトミック・ハートが有名になってきたのはこの一年ぐらい?」

「いや、ファンが確実に定着してきたのは、やっぱり半年ってところかな。二年間やってきて、やっとここまで」


 二年間が組んでからなのか、ライブハウスデビューなのか、そのあたりは知らない。

 途中でメンバーチェンジなどもあったかもしれない。

 だが比較的早い出世とでも言えるのでは、と俊は思う。

 インディーズではCDも出しているのだ。

 もっとも今は、現物のCDというのはほとんど、ファングッズのようなものであるのだが。

 ただ音源をプレスしていると、全国のライブハウスなどに送って、出演交渉が出来る。

 ノイズはどのみち、今はまだ全国のライブハウスをツアーするなど考えられない。


 どうも森脇は、独自の考えを持っているようである。

「うちのメンバーは今時、あんまり配信とかに詳しくなくてさ。まあレコーディングにも金はかかるんだけど」

「インディーズでけっこう売れてたんじゃないの?」

「いや~、確かに流通と宣伝はある程度やってくれたけど、レコーディングは自費だったから。それなりに売れても、今はとんとんだよ」

 やはり大学の設備を使って、自分たちでやったのは正解だったな、と俊は思う。


 レコーディングならおそらく、月子と暁の暴走は起こらない。

 だが同時に、あの迫力も出ないと思っている。

 二人を同時に録ってみないと、本当の力は出ないのではないか。

 これが俊が、完全版のノイジーガールや、ライブでやった曲で公開していないのが多い理由である。

(俺は恵まれている)

 逆に言えばここまで環境が整っていてもなお、不足しているのが才能だ。

(デビュー曲から売れた彩とは違う)

 そうは思っても、自分の手札で勝負するしかないのだ。




 森脇とはそれからも、しばらく話した。

 もっとも演奏の騒音の中であったので、どうしても細かいニュアンスなどは伝わらなかったが。

 ただ彼は、俊と似通ったところがあるのでは、と話していて思った。

 何か狙いがありそうだ。

 あるいは普通に、仲良くなりたいという程度のものだったのかもしれないが。

 自分たちのすぐ前のバンドが気になるのは、当たり前のことかもしれない。

 他のメンバーと一緒でなかったのは、言われていた通りにわだかまりが出来ているのか。


 どのみちそろそろ、自分たちの順番である。

「そろそろ」

「ああ」

 軽く手を上げて見送る森脇に、俊も頷き返す。

「なんだったのかな、あれ」

 俊は疑問をそのまま口にしたが、暁は少し考えて、意外な答えを出した。

「次のバンドを探してたとか?」

「うちはもうアキがいるのに?」

「ツインリードギターっていうのはあるし、ギターが二人いればもっと、演奏できる曲は増えるでしょ?」

「それはそうだけど……」

 確かにギターがもう一枚増えたら、演奏に幅が出来るだろう。

 それに二人が暴走する時の、上手いリミッターになるかもしれない。

 だがそれでも、結成してからまだ二度目のバンドに、入りたいと思うはずはない。


 あるいは女のメンバー目当てであるのか。

 いや、それなら普通に、今のメジャーデビュー前のバンドから脱退するわけはない。

 俊のことを知っていたが、まさかファンだとでもいうのか。

 それにしては、俊を見る目には普通の感情しかなかった。

 さっぱり狙いが分からないが、ともかく重要なのは、目の前のライブである。


 楽屋に入ると、他の二人の準備はしてある。

 今日は飛び道具的なことはせず、月子には普通のドレスを着てもらっている。

 ラストナンバーはバラードであるので。

 ちなみに今日の暁のTシャツは、ブラックサバスである。

 俊は前と同じような、ノータイジャケット。

 西園は地味にYシャツとジーンズだけである。


 ノイズは本当に、月子以外を飾ることがない。

 ボーカルはバンドの顔、というのは確かなことだろう。

 その顔が、マスクをしているというのがなんとも、不思議なところかもしれないが。

 美人の顔をどうして隠すのだ、というのは何度も言われていることだ。

 月子が求めるなら、別に外してもいいのだが。

 このわずかに外界を遮断しているマスクは、おそらく月子の拘束具にもなっているのだから。




 前のバンドが終わって、ノイズの出番となる。

 セッティングを調整し、俊はシンセサイザーとノートPC、そしてベースを持って出て行く。

 一人でやることが大変であるが、マルチプレイヤーであるということが、今の段階ではバンドにとって有益である。

 特に今日は、中でも得意なベースとキーボードをやるので。


 薄明かりの中で、各自のセッティングが終了したことを確認する。

 スペースを見ればそれほど期待している顔は見えない。

 ちょっとバズったからといって、それでわざわざ見に来る者は少ない。

 ただあの日に見ていたオーディエンスが来てくれている気もする。


 まだこんなものだ。

 やはりYourtubeでバンドとしての演奏を流さなければいけない。

 しかしレコーディング作業に西園を巻き込むのは、さすがに厳しいだろう。

 出来れば一番いい形で、流したいのだ。


 MVを撮影したいな、とは思っている。

 たださすがに、大学には撮影用スタジオなどはない。

 なので録音にどう映像を合わせていくかが、重要になるのだ。

(先は長いな)

 しかしショートカットするつもりのない俊である。


 まずはベースを持つ。一曲目はこれなのだ。

『どうも、ノイズです。これで二度目のライブになります』

 全く知らない、というオーディエンスもいるだろう。

 しかしそんなバンドが、アトミック・ハートの前に演奏する。

 この演奏の順番は、ある程度は店長が決めることだ。

 トリ前というのは、それなりに重要な順番だ。


 おそらくここは、アトミック・ハート目当ての客が多いのだろう。

 それを全てとは言わないが、九割は奪ってやろう。

 ビジュアル系のバンドから女性客を奪うというのが、さすがに苦しいのだから。

『今日はオリジナルを二曲、カバーを三曲やります。二曲目には前回好評だったタフボーイ、それで一曲目にはちょっと、誰でも知っている曲を準備しました』

 まだMCは終わっていないが、俊と西園、そして暁の間で視線が交錯する。

 カンカンカンカンとドラムスティックが鳴らされる。

 そしてギターが始まる。




 ジャージャジャンジャジャジャジャ ジャンジャジャージャジャジャ

 ジャンジャンジャジャジャジャ ジャジャジャジャジャジャジャ

『タッチ』

 ギターとドラムの調和の取れた演奏から、すぐに歌唱パートが始まる。

 ギターの旋律が有名すぎるこの曲だが、よく聞けば相当にベースも重要なのである。

 暁のギターはクリーンな音で、完全に歌に寄り添ったものになっている。


 アップテンポな曲ながら、歌詞は実にセンチメントなものである。

 そしてギターのソロパートが始まるが、ここで暁は一気に音を上げていく演奏をして、オーディエンスの気持ちを引き上げる。

 意外なほどの歌唱パートが多いこの歌は、毎年のように甲子園で、また運動会や体育祭などでも使用される。

 ロックなギターであるが、本来ならこんなライブでやるには、カラーが違うだろう。

 月子の歌い方で合うのか、と思ったこともある。

 だが彼女もどんどんと表現力を上げている。


 昭和歌謡に分類されるのかもしれない、この楽曲。

 だが月子が歌うと、ソウルフルになる。

 そして終盤にかけての暁のギターが、一気に音を歪ませて聞かせていく。

 技術で圧倒的に心を掴み取る。


 曲が終わったときには、口笛が吹かれた。

 上手く受け入れられた。おそらくあまりにも誰にとっても懐かしいので、反感なども感じはしなかったのだろう。

 ただ色物的な選曲だな、とは思われたかもしれない。

 だが本格的なロック要素は、後で暁に任せているのだ。


『ありがとうございます。それじゃあ二曲目は、この間一番評判の良かったタフボーイを』

 俊はそこで暁に目を向けたのだが、ちょっと驚いてしまう。

 レスポールを下ろした暁は、もう髪ゴムを外して、さらにTシャツを脱いでいた。

 早くも暖まってきたらしい。

 そしてまたギターを装備した暁は、他のメンバーを見ることもなく、演奏を開始した。

 西園はそれについていき、俊も慌ててシンセサイザーとPCを動かしていく。

(一人で暴走するなよ)

 頭が痛くなるが、今日も暁は見事にノっていた。

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