第36話 バラード

(間に合った)

 阿部は会社の仕事を終わらせて、ぎりぎりノイズの出番前にマーキュリーに到着する。

 仮面をかぶった怪しいボーカルに、カジュアルなジャケット姿のベース、海外バンドのライブTシャツにジーンズのギター、そしてごついドラム。

(あれ? ドラムどこかで……)

 見たような、と思ったところで演奏が始まった。

 自分と同年代の日本人なら、ほとんどどこかで、あるいはテレビで聞いたことのある曲。

(タッチ!? そりゃ名曲だけど色物バンドなの!?)

 確かに前回のライブでも、アニソンカバーはしていたが。

 音楽性とは。


 ただわずかなギターのソロでは、しっかりと個性を主張している。

 だがハードロックの範囲内で、クリーンな音に絞っている。

 世界観を台無しにはしていないと言うべきか。

 月子のボーカルもだが、楽しんでプレイしているのが分かる。

 ドラムはしっかりとリズムキープをし、ベースも悪くない。

(でもプロの華があるのは、やっぱり彼女と……)

 遠目にも良く分かる、黄色いレスポール・スペシャル。

 あれで出している割には、音が太すぎるのではないか。

 この曲に限ってならば、もっと軽妙でもいいぐらいだ。


 名曲ではあるし、月子も上手く歌っている。

 オーディエンスはそれなりにノっているのが分かるが、それでもこれだけでは彼女に歌わせている意味がない。

(原曲が有名すぎるからかな?)

 発表は80年代だが、その後にも再販されている。

 一曲目としてまず、注目を集めるためにはいいのだろう。

 それにしっかりと月子は、感情を歌に乗せている。


 こんな歌い方も出来るのか。

 アイドルグループの中で歌っているときも、もちろん上手かった。

 だが明らかにこれは、次元が違う。

 そもそもタッチなんて、アイドルが歌ってもおかしくない歌なのに。

(この後がもっとヘヴィな曲ならいいんだけど)

 正直なところ、ギターが細かいテクニックで厚みを増しているのは分かる。

 まだまだポテンシャルを秘めているのだろう。

(ドラムがいいけど、どこかのヘルプ? この中では一番ベースが普通だけど)

 下手ではないが、完全にリズムキープをするドラムの音に比べれば、平凡なリズムではある。


 上手くオーディエンスの反応を引き出して、一曲目は終了した。

 改めて周囲を見回してみれば、壁に背中を預けて演奏を聞いてている青年を見つける。

(アトミック・ハートの……トリのはずだけど)

 そう思っている間に、二曲目が始まる。

 暁のTシャツを脱いで、上半身を水着というスタイルには驚いた。

 出回っている動画では、確かにラストでそんなスタイルで演奏しているのだが、この間の話した印象とは全く違うのだ。


 出回っている動画などとは、比べ物にならない音の圧力。

 ギターとドラムの圧力が、一気にオーディエンスの体温を上げていく。

(うう~ん、いい!)

 ベースを弾いていた俊が、シンセサイザーに回っている。

 ドラムの音に対して、電子音のベースを合わせていく。

 なるほどこのスタイルの方が、より魅力的な歌になる。


 踊るように歌う月子は、仮面で顔を隠しているのに、さらに美しさを増している。

 激しい曲でありながら、がなりたてるのではなく、声の響きがソウルフルである。

(やっぱりアイドルなんかやらせておくには惜しいでしょ……)

 ただ、このバンドの中だから、相乗効果でより強くなっているのか。

「HEY! HEY! HEY!」

 周囲から合いの手が入った。

 これがまだ二度目のライブのはずなのだ。

 だがこうやって、ノっている客がいる。

(タフボーイなんてかなり難しいはずなのに)

 月子は完全に歌っている。

 もちろん口パクでないことは、その声の響きを聞けば明らかだ。


 途中と最後、ギターのソロ。

 ヘヴィメタルに聞こえるほどの圧力の音を、音を増やしてさらに大きくし演奏する。

(あの年齢で、ちょっと上手すぎない!?)

 ボーカルなどは、かなり才能だけで上手かったりすることもある。

 だがギターのテクニック、特にまだ高校生程度の女の子。

(カリスマがある……)

 ステージから降りれば、もうそんなこともなかったのだが。




 正確に派手なテクニックではなく、調和の取れた演奏を。

 一曲目の「タッチ」は基本的にその路線であった。

 しかしながら月子の歌は、このテンポの早い歌でも、充分に堪能できたはずだ。

(それでもあまり、声質的には合っていなかったのかな)

 俊は少し反省する。

 ロックも歌える月子だが、この曲はブルースっぽくなっていた。

 もちろんそれが悪いわけではないのだが、伸びのある声をたっぷり聴かせるという点では、月子向きではないというだけだ。

 月子以上に歌えるボーカルなど、見つかるはずもないのだし。


『カバーが二曲終わったところで改めて、ボーカルのルナ、ギターはアッシュ、ベースその他はサリエリ、そしてヘルプで入ってくれたのは、元ジャックナイフの西園栄二』

 月子と暁は会釈し、西園はカンカンとスティックを叩く。

『それじゃあ次は新曲行きます。バラードでアレクサンドライト』

 これもまた、バラードと言うよりはなんであろう。

 確かにスローテンポで、ギターのクリーンな音だけが目立つ。

 メロディラインを丁寧に弾いていく曲であり、こんな音も出せるのか、とギターへの関心を持たせるものだ。


 このメロディアスなフレーズは、一般的な洋楽や邦楽にはない。

 もっとも一部でこういったフレーズを使う曲は、それなりにある。

 アラビア風の旋律が、どことなく混じっている。

 月下の砂漠を歩いていく。そういうイメージを持って作られた。


 孤独な悲しみと、静寂の穏やかさが同居する。

 音を絞って歌を聴かせる、そんな繊細なプレイも出来るのか。

 バラードと言うよりは、ブルースの曲調に近いというか、バラードも辿ればブルースであるのだろうが。

 孤独の中で生きてきた月子には、この曲と歌詞に上手くシンクロ出来る。

 アップテンポな最初の二曲から、一気に抑えたブルースへと。

 だが歌の中に、ぐいぐいと引き込まれていくのは変わらない。


 月子の声には透明感があるが、同時に凄まじい感情の量も感じる。

 それが何を示しているのかは分からないが、何かとてつもない言語化されていない感情を、歌の中に込めている。

 ブルースと言うよりは、もうソウルであろう。

 どれもこれも、その境界は曖昧であるのだろうが。

 これだけ響く透明な声なのに、どうしてここまでの悲しみが含まれているのか。


 三曲目が終わり、そしてノイジーガールへと。

 西園が入ったことによって、完成度と安定度が極めて高くなっている。

 ただ贅沢な俊としては、これをあの初ライブの日、タフボーイを歌った時と同じぐらいのテンションまで上げたい。

 そんなことをしてしまったら、また二人がふらふらになってしまうかもしれないが。

 つまり二人がさらにパワーを増して、西園でさえ制御しきれないようになってほしい。

 そうしたらドラムをどうするのだ、という問題がまた出てくるが。




 色々と課題が残るライブになった。

 もっともまだ二度目であるので、それも無理はないのだが。

 少なくともオーディエンスの勢いは凄まじい。

「ギター入り配信しろ~!」

 そんな声も聞こえてきて、本当にそうだなと俊は思ったりするのだが、レコーディングにまとまった時間を取るのは、暁が難しいのだ。

 簡単なのは、最初から音源が打ち込みであるボカロ曲。

 技術的に簡単なのではなく、手間隙的に簡単という意味だが。


 とりあえずこれで、ラスト一曲となった。

 ただ少し時間が余っていて、これは予定通り。

 色物と思われているならば、直球のカバーでそれを覆してみせる。

『今日のラストなんですけど、少し準備するので、うちのギターとドラムがインスト弾きます』

 わずかに使われるために置かれていた、暁の前のマイク。

 それに対して、彼女が叫ぶ。

『メドレー! ディープ・パープル!』

 そしてあのイントロが始まる。


 デッデッデー デッデッデデー

 デッデッデー デッデー

 これにドラムが混じり、そしてこのイントロリフから、すぐにスピードが変わる。

 ハイウェイ・スター。しかしこれもおいしいところだけを取っている。

 そこからさらに、スピード・キングへと変わる。


 初期ディープパープルの代表曲が続く。

 その間に俊は、自分の用意に加えて、暁の準備をする。

 普段のレスポールではなく、これはアコースティックギターを使うのだ。

 エレキギターで出来なくもないのだが、そこはアレンジが入る。

 最後のナンバーは、完全に月子の歌で一点突破する。


『BurrrrrrrrrN!』

 最後にBurnの単語だけ、月子も歌う。

 どこまで声が伸びるんだ、と思わせる圧倒的な声の持つ力。

 単にクリアなハイトーンなわけではなく、心の奥深いところにまで届ける、熱量を月子は持っている。

 悲しみや苦しみや、その他多くの理不尽を経験した者が発する、魂の叫び声。

 それはまさに咆哮であった。




 わずかに余らせていた時間を、これで埋める。

 当初の予定とは違ったのだが、暁と西園が普通に弾けるので、これで調整を思いついた。

 そして準備も完了する。

 暁のためのマイクと、パイプ椅子を用意したのだ。

 それあと一つ、この間も貸したマーティンD-45。


『最後もまた、バラードで終わらせます。超有名なんで、アレンジはしてますけど』

 脱いでいたTシャツをもそもそと着て、髪ゴムでポニーテールに戻す。

 そしてレスポールをギタースタンドに置く。

 座った暁は、アコギを抱える。

 この曲には激しさは必要ではない。包み込むような音は、アコギでこそ出すものだ。

 もっとも原曲では普通に、エレキを使っているのだが。


 暁の準備が完了したのを見て、彼女と視線を合わせる。

 そしてコールした。

『いとしのエリー』

 ギターのイントロに、月子の声が色を付ける。

『UH~ AH~』

 難しい英語の発音は、いずれどうにかしなければいけないだろう。

 だが今は、そこは声の力で突破する。


 いとしのエリーの原曲は、言うまでもなくハスキーボイスで歌われている。

 だがカバーは多くの人間にされていて、女性によるカバーも多い。

 俊が最初のサビまで、ギターとボーカルだけにしたのは、アレンジの方法の一つ。

 助っ人の西園と、自分の下手くそなキーボードは、とりあえずは抜いておくのだ。

 ギターの旋律と、月子の歌だけが空間を包む。

 その声はライブハウスの奥、最後尾にまで伝わっていく。


 歌声に鳥肌が立つ。

 クリアな声で歌われるこの曲が、ここまで魅力的になるものなのか。

 最初のサビが終わり、そこからドラムとキーボード、そしてベースが入っていく。

 もっともベースに関しては、事前に作っていた打ち込みの音を、PCのキーで弾いていくのだが。

 ドラムもキーボードもベースも、月子の歌の邪魔はしない。

 重層的になって、バックからしっかりと支える。

 しかしこれは完全に、月子をメインに作られた編成だ。


 どこまでも伸びていくような、誰にでも届くような、クリアな声であるのに感情を揺さぶる。

 黒人のブルースが、過酷な奴隷労働の中から生まれた、とは言われている。

 それがやがては、他の現代音楽に広がっていくのだ。

 月子の抱えた悲しみは、ここで歌となって昇華される。

 静まり返ったライブハウス。

『エ~~~~~~~~~リ~~~~~~~~~~~~』

 ギターがソロになって、また曲を終わらせていく。

 完全にボーカルとギターの力だけで成立させている。

 最後の一音が空気に溶ける前に、反応は爆発した。




 問題点も明らかになった。

 しかし終わり良ければ全て良し。

 あとはトリのために撤収するのみである。

 たださすがにアンコールはなかったものの、背中にかけられる声は多かった。

(やっぱりあの二人は凄いな)

 そしてそれを支えた西園も。


 今回のライブでは、バラードが二曲であったとはいえ、五曲を歌っている。

 だが月子と暁は、多少は息切れしていても、まだまだ余裕が残っている。

 西園が上手く、ペース配分させるのに成功したからだ。

 それに暁の、ディープ・パープルにも上手く合わせてきていた。

 テンポが早くなりそうなところで、あえて手綱を緩める。

 それなのに、音楽として成立していた。


 ステージから楽屋につながる通路では、トリのアトミック・ハートが待機していた。

 もちろんその中には、森脇の姿もある。

「サリエリ君、後で一緒に打ち上げしない?」

 そう声をかけてきたのは、森脇であった。

「おい、何言ってんだよ」

「いいじゃん。今のステージ見て、何も感じないのか?」

 そう言われても、俊としては男の集団に自グループの女子を近づけるのはためらうのだが。

 基本的にバンドマンというのは、女性関係がクズである。


「全員が行けるとは思わないけど、行ける人間だけなら」

「じゃあ、また後で」

 ステージに向かう面々の背中を見送って、俊は首を傾げる。

 その意図がいまだに分からないが、アトミック・ハートというバンドではなく、森脇個人の問題であるようだった。

 意図が読めないというのは、かなり恐ろしいものだったのだが。

 反省会はしなければいけないが、他のバンドとの打ち上げか。

(まあチケット代は一応黒字ではあるけど)

 普通はどうやっても赤字なのだが、やはりネットで告知しているのは大きい。

 SNSも積極的に使っているが、音楽との本末転倒だけは避けたい俊であった。

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