第304話 フォーク・ロック
ロックと言えば反戦反体制、というイメージがあるだろう。
だが当初のロックと言うのは、いわゆる軟派な音楽であったのだ。
反戦反体制を先に歌ったのは、フォークである。
さらに古くは、民俗音楽から生まれたのがフォークであったが。
後にそれを取り入れて、ロックは特にパンクなどで、反体制を意識していた。
今となっては反社会的になっていて、逆にそこまで過激なものを客層は求めていない。
求めている人間もいないではないが。
ちなみにビートルズの楽曲なども、初期はラブソングのような楽曲が多かった。
現在はフォーク・ロックなどというジャンルもある。
正確には60年代に既に、生まれていたジャンルだが。
これはフォーク音楽に、電子機器などを取り入れたジャンル、というのがおおまかな区分けだ。
著名な人間は多いが、その中の一人を挙げるとしたら、やはりノーベル文学賞も受賞したボブ・ディランであろう。
日本でも70年代までは存在したが、後には衰退していった。
今回の依頼としては、フォーク調かブルース調のバラード曲を頼むというものである。
まあ原作のマンガを読んでみても、そういう歌のほうがいいだろうな、と俊も思った。
原作は少女マンガではなく、もうちょっと対象年齢が上の、レディースコミックと分類されるものであろうか。
ただこのレディースコミックの分類は、また女性向けコミックと、レディースコミックとで、分かれているところがある。
内容はミステリーであり、主人公の女性というか女子大生が父親の死をきっかけに、自分の出生の秘密や過去の殺人事件を探っていくという話である。
「なんか最近って、マンガ雑誌の種類増えすぎなんだよね」
千歳はそんなことを言っているが、電子のみの販売をしている雑誌も、最近は増えてきたものだ。
俊としても原作はちゃんと読んだ。
そして疑問に思ったものだ。
「ミステリーで完結してないのに、どうやってドラマ化するんだ?」
またひどいドラマ化が予想されて、SNSなどはちょっと荒れているらしい。
やっぱり引き受けなかったほうが良かったかな、とも思ったりする。
ミステリー物でも一話か二話で完結する、短編連作方式なら問題はない。
そちらはそちらで、またとんでもない作品が出ていたりするが。
ただ俊が知っているドラマは、基本的に医療物などが多い。
あとは泣かせにくる系統だろうか。
俊は全く泣けないのだが、こういうのが受けるのかなと参考にしたりはする。
病気物というのは基本的に、泣かせにくるが恋愛物よりは分かりやすい。
俊としてはよく分からないが、ドラマは一時期に比べると、恋愛物が減っているそうだ。
少女マンガにしても、もちろん恋愛物が主流ではある。
しかしベテランであるとそこから、お仕事ものなどに作品を変えていく。
また恋愛物でも青春要素を入れていく、というのが多いらしい。
千歳としてはそれなりに、恋愛物のマンガは読んでいるらしいが。
俊としてはほとんどの場合、恋愛物など興味が湧かない。
ただ最近のちょっと年齢層高めの女性に向けたものは、女に都合よく描かれているな、とは思ったりする。
俊はバンドをやってきて、その崩壊の原因が、だいたい男女関係であったりするのを見てきた。
ノイズ結成以前も、結成以後もである。
だから当初はユニットを組むつもりで、またメンバーを増やした時も、栄二なら妻帯者だから大丈夫だとも思ったものだ。
しかし信吾は明らかに、女性関係が派手である。
もっとも彼の女性の好みは、ほぼ年上の女性であったため、あまり問題になっていないが。
あとは問題を起こすとしたら、俊自身である。
だが俊は自分でも認識しているほどの、女性不審者というか、恋愛不要者だ。
結婚などはその方が都合がよければ、やってもいいという程度に考えている。
バラードのような楽曲は完成した。
どこか哀しい、冬のような雰囲気のある曲だ。
もっともドラマは夏口から始まるため、ちょっと雰囲気は違うだろうか。
しかし青春の哀しみを込めるには、ドラマの対象年齢はもっと高めだろう。
そもそも最近の若者が、ドラマなどを見るのかは分からないが。
今はアニメよりも、むしろドラマの方が撮影が早く終わる。
これが映画であったりすると、ものすごい時間を使ったりもするのだが。
日本のドラマは金がかからない。
正確に言うと、俳優などに金がかかる。
それも演技力などではなく、知名度が問題となったりする。
後は当然だが、ルッキズムに支配されている。
邦画の映画であれば、それなりに見るものもある、と考えているのが俊だ。
しかしドラマなどよりは、ドキュメンタリーの方がまだ面白い。
それでもわざわざ現場を見たいと言ったのは、コネクションを増やしたかったからだ。
この理由ははっきりと、阿部にも言っている。
音楽業界は一応、芸能界の一部門ではある。
また彩などは女優業もやっているので、完全な無関係とは言えない。
だが映像関連とは、違った人脈がある程度存在する。
そこを強化するため、阿部はわざわざ営業をかけにいったのだ。
そういった計算高さは、俊の思考と一致する。
タイアップにしてもドラマよりも、映画のほうが上と思われていたりする。
もっとも映画のクランチロールは、最後まで見ない人間も多かったりするが。
俊が見た中で一番良かった映画は、果たしてなんであったろう。
意外と「時をかける少女」あたりが好きであったりはする。
今となっては時代を感じさせる作品になっているが。
とにかく文明の利器の発達が、ものすごいものになっているのだ。
今では当たり前のスマートフォンが、21世紀の初頭にはなかった。
まだ携帯電話が、電話とメールぐらいの機能しかなかった頃である。
写真も撮影できたが、今のアプリと比べると、全く応用性が違う。
20世紀となると携帯電話も、出てくるかどうかぎりぎりである。
80年代になるともう、トランシーバーなどの出番になってくる。
もっともトランシーバーは、いまだにひそかに現役であったりもするのだが。
80年代のSF作品で、未来を扱っている作品は多い。
しかしその中には、まだソビエトが存在していたりする。
栄二が生まれる前に、崩壊したソビエトである。
冷戦という時代があったからこそ、80年代はどこか、狂乱の時代であったとも言えるのだろうか。
この90年代の初頭に、既に中国の危険性を語っている作品などがあって、ちょっと驚いたりもする。
もっとも今の中国は、とんでもない少子化で崩壊も近いのだが。
中国では音楽は、ほとんどがサブスクなどの配信である。
とにかくライブなどをしようにも、いつ当局に拘束されるか分からないので、有名人はおおよそ誰も行かない。
台湾有事の危険性がなければ、ノイズとしてもライブはしたいのだ。
一応は韓国なども、日本よりははるかに小さな市場だが、世界的に見ればそこそこ大きな市場だ。
ただしこちらは完全に、人口構成が崩壊している。
馬鹿らしい話だが、人口減少と少子化問題を、どうにかしないといけないと俊は思う。
これは大学において、興行に関して学んだことによるものだ。
音楽などというものは、なくても人は死なない。
またネットさえあれば無料でも、楽しんでしまうことが出来る。
ノイズはいまだに、音楽に金を出す人間がいるから、収入を得られている。
日本の市場が縮小する前に、海外に活路を見出すべきなのか。
一応市場自体は成長しているが、数字には裏があるものなのだ。
俊としては意味が分からないのは、日本の80年代から90年代の好景気である。
あの時代は日本の元気があった、などと無責任に老人はものを言う。
だがあれは発展途上国が、先進国になっていく上で、上手くそれを利用したもの。
もちろん日本人の民族的特性が、根底にあったとも言える。
だが24時間働くような、そんな無茶な働き方で、無理やりに経済を上向かせていた。
また人口分布が、圧倒的に若者が多い時代が続いていた。
そこまでに年金制度や社会保険制度を変えられなかったのが、現在の日本の停滞の背景となっている。
正直なところ今の政治家は、かなり上手くやっていると思うのだ。
俊は本質的なところでは、保守的な性格もしている。
日本という大きな音楽の消費圏があってこそ、海外に出ようかという資本も蓄積できる。
この土壌がない韓国などは、正直なところ気の毒だとも思う。
日本語の通じる、日本文化に育った人口を、増やさないといけない。
難民のようにやってくる人間は、必要ないと思う俊である。
社会的な歴史を見れば、昭和の頃よりも今の方が、間違いなく社会は安定している。
もっとも元総理大臣が殺されたり、現役の総理大臣が殺されそうになるのは、戦前や戦後すぐを思い出させるところがあるが。
犯罪の発生率などは、おおよそ低下していっている。
もっともそれは日本人の中から、貪欲さを失わせていっているのでは、と分析したりもする。
長い目で見れば政治の失敗である。
今だから言えるのは、70年代後半から80年代に、政策を大きく転換するべきであった。
しかしそれは事後孔明と言うべきもの。
少なくとも80年代までは、ソビエトの脅威は現実のものであったのだから。
それでも言えるのは、中国への出資は馬鹿であったな、ということだ。
当局がそのつもりになれば、いくらでも民間を接収できてしまうのが共産主義の全体主義国家。
日本がやるべきであったのは、東南アジア諸国を巻き込んで、完全に台湾を独立させることであった。
もっとも今も当時も日本は、アメリカの強い影響下にある。
アジアでそこまでの覇権を、日本が握ってしまうことは、アメリカも許さなかったであろう。
楽曲が完成して、ドラマ撮影の現場見学の許可が下りる。
街中ではなくスタジオでの、撮影が行われるのだ。
現代では外の撮影にしても、画面を合成して作ることも多い。
もっとも現代物のドラマのため、実際の舞台を使うことが多いのだが。
サスペンスミステリー物なので、警察や裁判所、弁護士事務所といった場所の撮影もある。
他には普通の住居もあって、そういう場所に特化した撮影所がそれぞれあるのだ。
「ドラマってもっとテレビ局の中にスタジオがあると思ってた」
「そういえば俺もそうだな」
千歳も俊も、あまり興味がないのだ。
ちなみにテレビ局内にも、スタジオとして使える場所はあったりするらしい。
原作を読んだ俊としては、まだ真相が明らかになっていないのに、どうやってドラマにするのかが不思議であった。
しかしどうやら予定では、2クール分を作るらしい。
原作の方も既に、完結までのストーリーは出来ている。
次の2クールに合わせて、原作も完結ということか。
「ドラマって2クール物って珍しくないか?」
「そだね。人気が出れば次のクールが作られる、っていうパターンが多いと思う」
千歳もそのあたりは、あまり興味がないらしい。
日本は実写映画であっても、最近はアメリカで成功したりしている。
と言うかアメリカが、ポリコレなどで自滅していっているということもあるが。
また中国資本が入りかけて、そこから逆にまた資本が引き上げられてと、色々なことが起こっている。
ハリウッドが混迷の中にあるというのは、間違いのないことだ。
テレビアニメもだが、日本のアニメ映画は、間違いなく世界に輸出される。
そこでメインのテーマ曲を歌えば、影響力はさらに大きいはずだ。
そしてそういったところにつながるプロデューサーは、こういったドラマの方も手がけている。
「本日は見学の許可を頂き、ありがとうございます」
プロデューサーにそう挨拶すると、にこやかな笑顔を返してきた。
もっとも目は笑っていなかったが。
アニメやドラマにどういったミュージシャンの曲を使うか。
それはプロデューサーに権限がある場合や、監督に権限がある場合。
また両方が話し合って決めたり、もしくはそれ以外の場合もある。
プロデューサーというのは本当は、制作資金の調達や、予算の分配にスポンサーの手配など、作品を作る以上の権力を持っている。
ただし監督の名前が凄いと、その力関係は逆転する。
世界的に有名な監督は知っていても、プロデューサーの名前は知らない、というのはよくあることだ。
日本の場合だと、ジブリアニメが大きく売れ出したのは、もちろん監督の力があるが、それを上手く売るプロデューサーの力が大きいと言われる。
あそこまでとなると、もうどちらが強いかなどというのは、些細な問題なのかもしれないが。
過去の映画を見てみれば、タイタニックやアルマゲドン、古くはロッキーシリーズなどで、大きく楽曲が売れたことがある。
日本にしても君の名は。で大きく楽曲も売れたことは記憶に新しいだろう。
ノイズはアニメタイアップをしているが、それだけではないというイメージを作っておきたい。
仕事の幅を小さくしてしまうのは、いいことではないと分かっているのだ。
プロデューサーも監督も、この作品においてはちゃんと、傲慢なところのない人物であった。
そもそもドラマであると、予算も限られているということはある。
テレビドラマの場合、どうしてもスポンサーを引っ張ってくる必要がある。
そのあたりはプロデューサーの手腕であるのだが。
元よりアニメにしても、プロデューサーがノイズを選んだというところはあるのだ。
もちろん阿部の営業があったのも確かだが、星姫様はちょっと違うパターンで仕事がやってきたりもした。
作品的には失敗であったが、あれでノイズはちゃんと仕事をするミュージシャンだ、と思われたところはある。
職人は自分の仕事に関しては、しっかりと責任を持って作るものなのだ。
そう、俊は芸術家ではなく、職人肌の人間である。
俊が成功したのは何よりも、金銭感覚があったからであろう。
音楽を伝えるのに、必要なものが何か、分かっていたとも言う。
ノイズとして活動を始めた時には、ある程度の人脈でチケットを売ることが出来た。
また音源を売る時にも、どこで利益を得ればいいのか分かっていた。
タイアップする場合にどうやって、金に変換するかも分かっていた。
このあたりは大学で学んだことがかなり多い。
それに岡町が、もしもあの時自分たちがこうすれば、という経験をしていた。
そしてそこから人脈をたどって、色々と自分たちで出来たのだ。
このプロデューサーたちとの顔つなぎも、将来の布石となる。
基本的にノイズに対しては、いい感じの曲を作ってくれたな、というぐらいの関心を持っているだろう。
少なくともマイナスの感情ではない。
また俊たちがこういった現場に足を運んだのは、そういったことに興味を持っている、ということを対外的に示すことでもある。
そういうバンドであるならば、こちらの注文を上手く取り込んで、楽曲を作ってくれるのではないか。
今のノイズの音楽は、90秒で切れることをかなり意識している。
だがもっと短い、二分ほどの曲であってもいいのだ。
逆に映画のエンドロールに使うなら、もっと長い曲であってもいい。
俊は貪欲な人間である。
だがその裏にあるのは、恐怖でもあるのだ。
一時期は日本のムーブメントを作っていたとさえ言える父。
その死があんなにもお粗末で、しかも残されたものは何もなかった。
父に対する愛情はある。
しかしあんな死に方はしたくない。
男にとって父親とは、乗り越えるべきもの。
正直なところプロデューサーとしての時代性を掴む感覚は、父の方が優れていたのだと、今でも思う。
失敗しない方法は、挑戦しないだけである。
しかし挑戦しなければ、成功することはありえない。
重要なのは失敗しても、そこからまた立ち上がること。
そして失敗を、致命的なものにしないことだ。
父にはそれが欠けていたというか、こらえようがなかったのだろう。
あの時代のムーブメントの変動は、今からチャートなどの変遷を見てみても、急激過ぎるものがあった。
失敗を致命的なものにしないために、投資家はその投資先を分散しておく。
たとえばFXをやる者は、FXだけをやる時点で、既に敗北者なのである。
本業があって、不労所得があって、余剰金でFXをやる。
これならばまだ、話は分かるとも言えるのだが。
もっとも俊はFXをやるぐらいなら、普通に株式を買った方がいいな、と思っている。
そのあたりの才能が、自分にあるとは思っていないが。
美男美女の出演する、ドラマという空間。
しかしその中で俊は、プロデューサーや監督に挨拶を済ませた後は、ほとんど現場のスタッフの仕事を見ていた。
あくまでも邪魔にならないように、ディレクターの自慢話にも付き合った。
ここからまた、何か新しい仕事が生み出されるかも、という布石を打っておいただけだったのだ。
ちなみに千歳は物珍しそうにスタジオを見ていて、信吾は女優などを見て目の保養としていた。
月子はやはり、たとえ俳優であっても、多くの場合は見分けがつかないことを確認する。
ただメガネや髭など、特徴的な人間は、それを記憶することが出来る。
「彼女の生涯をドラマか映画にしたら、それだけで面白そうだね」
プロデューサーはそんなことを言っていて、なるほどそうかもな、と俊も思ってしまった。
ノイズのメンバーは個性派揃いではあるが、その中でも主人公にしやすいのは、俊か月子のどちらか。
そして当然選ぶなら、フロントマンの月子になるのだろう。
自分たちの音楽ではなく、自分たち自身が商品になる。
私生活の切り売りはするつもりはないが、そういう見方もあるとは思っておいた方がいい。
そして月子のドキュメンタリーを放送したことで、ノイズは充分に商品になると思われた。
週刊誌などの標的に、未だになっていないのはなぜなのか。
あまり積極的に、テレビになど出てはいない。
どこかアンダーグラウンドな雰囲気を、ノイズは持っている。
メジャーで華々しく売っていないということが、ここでは逆に利点となっているのかもしれない。
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