第303話 ツアープラン

 ツアーのハコを決めなければいけない。

 既に半分以上は決まっているが、まだ交渉中の場所がある。

 本当なら夏休みにでも、一気に回ってしまいたいところだ。

 しかしフェスの件などを考えると、そうもいかない。

 最北は北海道の札幌と決まった。

 ただ東北地方は、ちょっと少なめになってしまっている。

 今のところは山形と、仙台の二ヶ所だけ。

 本当にローディーまで使って、採算が取れるのかどうか。


 特に微妙なのが、山形である。

 どれぐらいのチケットが売れるのか、東北では仙台で一度やったぐらいなので、想定がしにくい。

 そもそも採算性だけを考えるなら、東北から北は仙台を北限にした方が、安心ではないのかとも思った。

 それでも山形でやるのは、月子のルーツの一つであるからだ。


 月子はもう、普通の人間が進めない、そういうステージに進んでいる。

 それでもある意味、自分のトラウマとなっている、この場所で称えられる必要があるのか。

「これまでやってなかったからこそ、やる意義はあるんでしょうけどね」

 阿部はそう言ってくれるが、移動をどうするかも問題となる。


 連日でやる場合はいいが、平日をある程度除かなければ、千歳の学校がある。

 暁の方は幸い、バイト先の理解があるので、休むことも出来る。

 ただ千歳は近隣でやる場合以外、どうしても週末にしなければいけない。

 もっとも大学の講義の方は、それほど問題にもならないものだ。 

 しかし千歳としては、今の自分たちがどういうものか、外から見えるようになってきている。

 なので授業を休みたくはない、というのも本当なのだ。


 なお最初は川崎市から始まる予定だ。

 神奈川ではあるが、横浜は既にアリーナでやっている。

 この日は近場であるので、余裕で戻ってくることが出来る。

 しかし二番目からはもう、一気に名古屋まで移動して行う。


 京都、大阪、神戸、淡路と移動して行く。

 一応淡路でやるのは、四国のファン向けということになってはいる。

 もっとも淡路の記憶など、月子はあまり残っていない。

 当時の仲の良かった友人などは、子供心に記憶にあるのだが。

「顔を憶えてるのか?」

「うん、あの頃は割りと」

 不思議な話ではあるが、ひょっとしたらと思わないでもない。

 月子の相貌失認は、後天的な外傷によるものではないのかと。


 相貌失認とは確かにあるものだけに、今まではその可能性を考えていなかった。

 千歳と違って月子は、事故に遭った車の中にいたのだ。

 その時に頭を打って、脳の機能の一部が壊れた、という可能性はあるのかもしれない。

 それでも親しくなった人間や、強烈に印象に残った人間は、忘れないで済むのだが。

 脳というものは不思議なものなので、いまだにその全容は理解出来ていない。

 ただちゃんと検査をすれば、ひょっとしたら治るものではないのか。

 あるいはディスレクシアでさえも、後天的なものなのでは。

 事故にあったのが五歳の時であるため、そういうことを考えていなかった。

 頭のいい悪いが判明するものの、まだ未発達な頃であったので。




 ツアーが終われば一度、本格的に医師に、診てもらってもいいのかもしれない。

 もっともこれだけ長く症状が続いているなら、回復はさすがに難しいのだろうが。

 少なくとも悪化はしていないので、そこは問題ないだろう。

 とはいえ確かに、医師の意見を聞いたことはあるが、本格的な診断はしていない。

 ペーパーテストなどでそういうものだ、と判定されているだけである。


 この後は広島から福岡、そして九州では他に長崎と熊本。

 鹿児島まで本当に行くかどうかは、まだ検討中なのだ。

 そこからは一度東京へ戻ってきて、今度は北信越へと移動する。

 山陰地方は残念ながら、一つも候補に入っていない。


 日本海側は、新潟はとりあえず決まっている。

 そこまでに高崎から長野へ移動するのは、長野でギター工房を見学する予定を入れているからだ。

「熊本まで行くならそれこそ、鹿児島から宮崎に大分で、九州の東部を移動したいな」

「面積的には確かに広いけど……」

 機材などは運ぶのをローディーに任せて、おおまかな設営もしてもらう。

 相当の金が出て行くので、ハコの規模も大きくしないといけない。


 あまり小さなところでやっていては、むしろ赤字となってしまう。

「淡路でやるならもう、そこから高松に松山って帰り道に出来ないかな?」

「四国はあまり伝手がないのよね」

「俺たちは新幹線と電車で移動するけど、スタッフはバンの移動になるよな」

 地元の設営の人間も、ある程度雇わなくてはいけないのか。


 一度東京に戻ってきたら、そこから高崎、長野、新潟と移動して行く。

 ノイズメンバーには問題はない。

 問題になりそうなのは、移送スタッフの方である。

 機材の移動にはバンを使うが、運んでもらうのは大変だ。

 それに山形と仙台を通るなら、札幌への帰り道で、青森や秋田に岩手といったところを通れないものだろうか。


 東北は田舎といっても、ライブハウスぐらいはちゃんとある。

 それが日本の音楽事情だが、北海道の札幌への移動は、メンバーは飛行機を使う予定なのだ。

 ならば確かに山形と仙台で北の限界。

 機材の移動だけで、スタッフは大変であるのは確かだ。


 完全にプロとしてやるならば、もっと楽に日程が組める。

 学生をやりながらというのは、無理があるのは確かなのだ。

 しかしここで学んでおくことで、千歳はさらにレベルを上げることが出来るだろう。

 そもそも千歳にはまだ、核たる音楽というものがない。

 暁ならばロックであると、はっきり言ってしまえるのだろうが。




 千歳は流されて音楽をやってきた。

 ただ流されている間にもう、引き返せない状態にまでなっていると思う。

 もっとも積極的に、引き返そうとも思わないようになっていた。

 そして大学で勉強することは、俊や他のメンバーがやっていたことを、ある程度なぞっていくこと。

 より深く音楽を理解出来る。


 俊もかなりの勉強をしている人間だが、あまり難しいことは言わない。

 難しいことを分かりやすく言うのが、本当の賢さというものだ。

 もっともわざと難解にして、それを楽しんでもらう歌詞というのも、あってもよかろう。

 これがアメリカであると、なぜか商業主義になって、原点回帰と言われるようになる。


 近代以降、現代のポップミュージックの歴史は、千歳にとっては面白いものだ。

 メンバーの人間がそれぞれに勧めてくれた音楽が、体系として並べられていく。

 俊はあまり好きではないというパンクなどが、実際のノイズの音楽には、かなり薄められて入っていたりする。

 まるでこれはレシピのようだ、と千歳は考えたりした。


 DAWの授業もあって、千歳は高性能のノートPCを買ったりもした。

 これは経費で落とすものである。

 まだ自分で作曲などは出来ないが、プログラムで勝手に旧来の曲を、転調して聞いてみたりする。

 なるほどこういうことをやっているから、俊などは作曲が出来るのか、と思えてくる。

 千歳が漠然と、社会に商品として出ている中から、感じ取っていたものが文章化される。

 興味のあることに関しては、しっかりと知識として吸収出来ている。


 ノイズのメンバーは全員が、尊敬出来る人間だ。

 信吾の女癖の悪さはともかくとして。

 ただ信吾も手当たり次第に関係を持っているわけではない。

 マイナーな頃から支えてくれた三人以外には、手を出していないようなのだ。

 もっとも売れるまでは、かなりヒモに近かったのは否定出来ない。


 学べば学ぶほど、自分の力が増せば増すほど、特に俊と暁の凄さが分かる。

 同じボーカルの月子は、まだしも個性の違いとして、許容出来るのだが。

 自分にも同じことが出来るようになるとは思えない。

 もっとも俊などは、自分が千歳と違うのは、才能の差ではないと分かっている。

 時間と経験と環境の差だ。

 いつかは埋まるかもしれないが、絶対に埋まらないと思えるのは暁との差だ。

 これはもう才能の違いと言うしかない。


 また執念の差である。

 単純に暁の方が、ギターにかけている時間が長い。

 自分の音を追及して、自分でギターまで作ろうとしてしまう。

 そこまでやるギタリストは少ないであろう。

 せいぜいやるとしても、オーダーメイドで注文するぐらいだ。




 そんな千歳の環境であるが、この大学は生徒の出席は重視していない。

 何をやっているかと、何をやったかが重要なので、少しぐらいは休んでも問題ない。

 最終的に音楽業界や、興行の会社に通用する人間を生み出すのがモットーなのだ。

 なのでマーケティングの理論なども教わっている。


 経済学や地理の分野に入るのだろうが、日本の人口分布なども少し学んだ。

 これは今まさに、ツアーをする場所に活かせることである。

 東京から行って帰るのを、四回ほども繰り返す。

 だがバンで移動していた最初のツアーを思うと、随分と楽なものだ。

 あの頃と違い、自分たちは主に新幹線で移動。

 機材の搬入や設営も、最後のセッティング以外は任せることが出来る。

 実際は俊が、色々と口出しをしていくのだろうが。


 おおよそのツアー日程は決まった。

 最終的には、ゴールデンウィークから始まるのだが。

 そのゴールデンウィークは、フェスへの参加から始まる。

 新年度が始まって、千歳の周囲も少し変わった。


 留年した人間もいれば、新入生もいる。

 その中でメジャーシーンで活躍している千歳は、少し特別扱いされている。

 もちろんそれも仕方のないことだ。

 千歳という人間ではなく、ミュージシャンのトワとして近づいてくる。

 そういうことがあっても、当然のこととして考えないといけない。

 個人としてと社会的な立場は、変わってくるものなのだ。

 仕事と家庭、という違いが一般人にもあるのと同じだ。


 高校時代の友人で、東京に残っている者とは、それなりに会っている。

 そうやって自分の中で、バランスを取っているのだ。

 音楽業界、そして芸能界にどっぷりつかってはいるが、千歳にはあまりそういう意識はない。

 一般人感覚が抜けないし、ノイズは歌が売れてはいても、不思議なほど顔は売れていない。

 もちろん気づく人間は気づくのだろうが、あまりサインや握手を求められたりはしないのだ。


 俊の戦略なのであろうか。

 あえて露出を控えることで、ミステリアスな雰囲気を作る。

 確かに月子のドキュメンタリーなどは、かなりの反響があった。

 またあまり私生活にまで注目されると、信吾が困るということにもなるだろう。


 テレビの仕事が入っている。

 また大学のイベントで、ライブをしてほしいと助っ人を頼まれたりしている。

 ボーカルはともかくギターなら、まだまだ千歳より上手い人間は、それなりにいるだろう。

 だが彼女も勘違いしている。

 同年齢の女性で、千歳よりもギターが上手い人間は、さすがに少なくなっているのだ。




 テレビの仕事も慣れてきた。

 勝手が分かってくると、変に緊張することもなくなる。

 ただプレッシャーがなくなるということはない。

 いくら経験を積んでも、プレッシャーが消えることはないのだ。

 だが同時に、どんなパフォーマンスが出来るのか、それが楽しみになってくる。


 観客が一人でもいれば、それは全力でやる意義がある。

 聞くところによると、客が一人もいない中で、ライブをやるということもあるらしい。

 千歳は既に、ある程度の人気が出てからノイズに入った。

 なのでそんな心配はしたことがない。

 さすがに0ということはないが、一桁の客の前で演奏したという話は、それなりに聞くことがある。


 今回のテレビの仕事は、半分以上はツアーの告知が目的だ。

 そして新月を演奏する。

 ラテンのノリであるが、転調も多い曲。

 単に明るいのではなく、バラードっぽさもあり、陰湿なイメージもある。

 不思議な曲だ、とはよく言われる。


 仕事は無事に終わった。

 かなり安定して演奏が出来るようになったのは、やはり経験を積んできたからか。

 アウェイに近かった最初のツアー。

 そして舞台は大きくなっていって、ついには海外のフェスへ。

 成功体験というのは、人を大きく育てる。

 もちろん失敗の経験も、そこからしっかり立ち直れば、精神的なタフさを手に入れられるのだが。


 この時期は本当に忙しい。

 もっとも心理的に忙しいのは俊であろう。

 夏場のフェスやライブの予定を、しっかりと作っていかなければいけない。

 それに加えて新曲の準備もする。

「また?」

 タイアップの話が来ている。

 だが今度はドラマの方であるらしい。


 アニメタイアップについては、完全に積極的な俊。

 それはアニメであると、外国でも通用するからだ。

 対してドラマであると、あまり通用しない。

 理由としては当たり前だが、あまり海外に馴染みがないからである。

 もっとも例外的にヒットしたものもあるのだが。


 日本はほとんどが、日本人だけで形成されている国家だ。

 ここまで純粋に日本人だけとなると、かなり珍しい。

 アイヌがいると言っても、ほぼ混血で判別は不可能。

 外国人も最近は、中東系で色々と問題が起こってはいるが。


 俊がアニメタイアップに積極的であったのは、そういう理由がある。

 国内で消化するためのドラマに、楽曲を提供してどうなるのか。

 さらに今回のタイアップは、マンガ原作であるらしい。

 個人的にはあまり、マンガ原作ドラマというのは、面白いものがないと思っている俊である。




 海外へアプローチするものではない。

 だがアニメと違いドラマというのは、また違った芸能界との関わりを持つ。

 それに俊もドラマはともかく、映画ならば実写でもいいかな、と思ったりしているのだ。

 日本は映画ならば、それなりに海外でも評価されている。


「でも原作のマンガは海外でも知られてるんだし、それなりに見る人はいるんじゃない?」

 千歳としてはそういう意見らしいが、原作は少女マンガだ。

 もっとも対象年齢は、ちょっと高めであるらしい。

 いわゆるお仕事系の少女マンガで、連載雑誌は少女向けだが、内容はある程度大人向けと言おうか。

 まあ少年マンガの購読者に、大人の男性が多いのも確かな話である。


 少しだけ考えた俊だが、結局はこの依頼も受けることにした。

 そもそもせっかく阿部が取ってきてくれた仕事を、拒否するというのはしたくない。

 基本的に仕事は、よほど既に予定が埋まっていない限り、受けるのが俊のスタイルだ。

 そんなことをしているから、早死にすると言われるのだが。


 ただ俊は楽曲制作は引き受けたが、一つ条件をつけてみた。

 それはドラマの撮影現場を、ちょっと見学させてもらう、というものである。

 俊のインプット先には、確かにドラマもないではない。

 だが千歳の父のコレクションには、いわゆるトレンディドラマのたぐいはなかった。

 女性のお仕事物というのは、いくつかは見たことがある。

 もっともおおよそは、原作の方が面白いものだが。


 日本のマンガ原作ドラマは、ちょっと前からかなり、衰退しているのだ。

 理由としてはドラマ制作が、勝手に原作を改変しまくっているからだが。

 中にはしっかりと役作りをしている作品もあるが、それは少数派。

 結局役者を売るためのドラマ、という側面が強い。

 そもそも映画にしても、マンガ原作だとおおよそ失敗作になっているが。


 ただそういった制作の背景は、ちょっと知りたい俊である。

「ひょっとして女優さんと仲良くなりたいとか?」

「いや、それはどうでもいい」

 こういったドラマ制作のプロデューサーなどと、顔をつなぐ機会ではある。

 もっとも俊としては、駄目なら駄目でそれでもいい。


 阿部が持ってきた返答は、問題ないというものであった。

 ただ制作にかかるのは、もう少し先の話である。

 しかし既にキャストは決まっているらしい。

 キャストあってのドラマなのか、とは俊も不思議に思う。

「つーわけで一緒に行きたいやついるか?」

「はいはい」

 興味を示したのは、月子と信吾と千歳である。

 月子がこういったことに興味を示すのは、少し意外な俊であった。

 もっとも彼女としては、音声で物語が展開していくドラマは、視聴するには丁度いいものだが。

 

 千歳は単純にミーハーであり、信吾は物珍しさが目当て。

 ただ月子は、ちょっと実験をしたかったのだ。

 彼女は相貌失認だが、ドラマや映画の中の人物は、ちゃんと見分けることが出来る。

 それはそもそも、作中で容姿がかぶらないよう、あらかじめルックスのパターンを決めているからだろうが。

 実際に見てみて、ちゃんと判別がつくのか、確かめたい月子であった。

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