第5話 プロデュース

 あの才能が発掘されていなかったのは奇跡と言っていいのだろうか。

 むしろ悪意しか感じない。

 何者かと言えば、それは悪魔のものだ。

 根底にあるものは、民謡の唄で鍛えられたものなのだろう。

 ポップスを歌っていたのに、とてつもなくソウルフルなのを感じた。


 仮にも音楽業界の端にはいる、アイドルという業種。

 なぜこれまで気づかれていない?

(俺が、やらないといけないのか?)

 他に誰がやれというのか。

 もしも彼女があの場所に埋没してしまえば、それは大きな損失と言えるのではないか。

(俺が、やるんだ)

 大股で、そして早足で、俊は家路を急いだ。


 人生が大きく動き出している確信がある。

 これまで過ごしていた、何かを蓄積はしているが、前に進めていない感覚が消えている。

 パソコンを起動して、サンプラーも使いながら、シンセサイザーを主に曲を完成させていく。

 元からどの曲が選ばれるかは、ほぼ確定していた。

 問題は歌詞である。


 ラブソングはない、と彼女たちは言っていた。

 曲のBPMもそれなりに速いため、確かにラブソングとしては歌いにくい。

 彼女たちは彼女たちなりに、効率は悪いが必死でやっている。

 閉塞感からの脱出、成功への渇望。

 これを上手くファン層へ届くものにしなければいけない。


 考えていて、皮肉なものだなと俊は感じる。

 閉塞感からの脱出と、成功への渇望というものは、俊自身も実感している。

 俊は他から見れば、色々とやっているように思えるかもしれない。

 だが同じ場所で足踏みをしているのは、前に進んでいるとは言えないだろう。

(これは足場を固めていただけだ)

 ものは考えようである。


 歌詞には共感性がないといけない。

 同時にアイドルであるからには、偶像でもなくてはいけない。

 手に届くところにいるが、しかし本質に出会うことはない。

 俊にとっての、音楽の真の価値と同じと言えるかもしれない。

 書き溜めていた歌詞の中から、印象的な部分を少しだけ使う。

 作曲に比べると作詞は、技術よりも感性がよりダイレクトに響くのだ。




 あっさりと曲も歌詞も完成した。

 これを使うかどうかは、彼女たちが上とどう交渉するかだ。

 自分は約束を果たしたのだから、次は月子に約束を果たしてもらう番である。

 もっとも俊は、いまだにお互いが、お互いの本名すら知らないことに気づいていない。

 対人関係で時折、バグが起こるのが俊である。


 彼女とユニットを組む。

 最初はもっと単純に考えていた俊だ。 

 自分の曲にインスピレーションを与え、そしてブーストしてくれる人型楽器。

 ボーカロイドに歌わせていたことを、人間で行うだけ。

 だが実際に歌ってもらって、それだけではもったいないと感じた。


 勝てる、という感覚を持ったのはいつ以来だろう。

 いや、これが二度目か。

 一度目は朝倉のバンドをヘルプした時で、あのままバンドが発展していけば、有名なインディーズからも声がかかったはずなのだ。

 しかし音楽性への朝倉のこだわりと、半世紀前のロックかとも思える人間関係の破綻から、俊はバンドを離れた。

 そして実際に、朝倉たちは次のステージに進めていない。


 朝倉は自信過剰であり、他人を見る目がなく、選択が浅はかである。

 それでも才能だけは本物だから、人脈がそれなりに作られていく。

 運が良ければ売れるかもしれないが、一定以上の人気にまではならないだろう。

 俊には、それでは足りないのだ。

「いきなりのユニット結成は、尚早か」

 まずは地盤作りが必要だ。そのためには何をすべきか。


 また、もう一つ確認しておかなければいかないこともある。

 あのユニットは、一応は事務所と契約をかわしている。

 そしてユニットを組むにしても「ミキ」という名前を使うのは事務所の許可が必要となる。

 売れない地下アイドルの知名度など、俊は全くあてにしていないが。




 誰かが言っていた。人生はただ生きるには長すぎるが、何かを成すには短すぎると。

 俊の知っている中では、まだ高校生であるのに、明らかに作曲の才能で上回る人間もいる。

 同じぐらいの大学生でも、既にメジャーレーベルでデビューしているアーティストなど。

 焦燥感はあるが、別に悪くはないと思う。

 人間はいつ死ぬか分からないのだから、毎日を全力で生きられるなら、それにこしたことはない。


 そんな俊は、今日はちょっと特別な話をしていた。 

 曲も詞も完成し、各自に送った俊は、またも呼び出されたのだ。

 呼び出したのはメイプルカラーのメンバーであったが、会うのはその事務所の社長である。

 もっとも社長とは言っても、その人物は本業が飲食業と不動産業で、事務所経営は秘書をマネージャーとして、片手間のように行っていると聞いている。

 一応はまともな社会人であろう、と俊は予想している。

 ただ真っ当な商売をしている人間が、どうしてアイドル事務所を経営などしているのか。


 例のレッスンスタジオで会った社長は、40代ぐらいの脂ぎった男であった。

 ゴールドのアクセサリーをこれ見よがしにつけているあたり、なんとも成金臭い。

 もっともこの分かりやすい胡散臭さは、逆に俊を信用させた。

 少なくとも明らかなブラック事務所などではないだろう。

「どうも、社長の向井です」

「サリエリという名前でボカロPをしている渡辺です」

 まともな大人には、本名を伝える。

 ただ持っている名刺は、あくまで音楽家として活動するためのものしかない。

 サリエリ、サーフェス、そしてもう一つ。

 完全にネタとして作った曲を発表するための、第三の名前だが、これを誰かに話すのは恥ずかしい俊なのである。


「渡辺君は大学生って聞いたけど、もう20歳は過ぎてるかな?」

「21歳になりました」

「それじゃあ、ちょっと場所を変えようか」

 スタジオではグループメンバーの目がある、ということだろう。

 ビルを出てから徒歩数分、違うビルの地下フロアへ。

 まだ「CLOSE」の看板がかかっている、喫茶店かバーらしいところへと入る。

「ここはランチは軽食を出していて、夕方からはバーになってるんだ。私の経営している店の一つでね」

「ビルも持ちビルですか?」

「その通り」

 なるほど、金持ちであることが間違いない。




 二人きりの店内で、薄暗い照明の中、二人は向き合って座った。

「それで、君は何がしたいんだ?」

 わざとらしくタバコを吸い出す向井。

 音楽をやっているやつの中には、いまだにタバコや酒をやっている人間が多い。

 体力の維持と脳細胞の保護のため、俊はどちらもやっていないが。


 向井の質問は、漠然としすぎていた。

 ただ言葉にするのは簡単である。

「ある程度は聞いていると思いますが、ミキさんとユニットを組んで、まずネットで配信をします。それをしてもらうための機材はこちらが提供しレコーディングもしますし、その分の報酬を払います」

 それを聞いた向井は、腕を組んで難しい顔をした。

 考え込む向井に対して、俊も問いかける。

「向井さんは彼女たちを、どうするつもりなんですか?」

「夢を見せる」

 簡単に返答があったので、俊は少し戸惑った。


 向井という人物の第一印象は、即物的な人間、というものであった。

 ビジネスとしては成功している人間が、まさか夢という言葉を使うとは。

「意外かね?」

「……少し、漠然としていたので」

「まあ私も正直、何をすればいいのか分かっていない」

 エネルギーの塊のような人物であるが、俊と話すその声には、不思議な落ち着きを感じた。

「元はルリがね、私の店で働きながら、アイドルを目指してオーディションなどを受けていたんだ。ただ彼女は、最終選考まで行くのが精一杯だった」

「惜しいですね」

「何かが足りなかったのか、タイミングなのか運なのか」

 どうやったら受けるのか、聞いてもらえるのか、届くのか。

 俊も毎日のように考えているのだ。


「それでまあ、他の知人が地下アイドルなんかをしていてね。うちでもやってみないかとルリに言ったら、アンナを連れてきたんだ。最初は二人でっていう話だったんだが、どうにも映えなくてな」

 ユニットの地下アイドルは、難しいらしい。

 俊が考えるには、ドルオタを捕まえるためにはカラーの違うメンバーで、五人ぐらいの今が一番いいのではないか。

「そこでまああちこち探してスカウトして、カナエとノンノが入って、三ヶ月ぐらい前にミキが入ったんだが、まああの子はちょっと変わっていてね」

「少し話しましたけど、本当ならアイドルとかは向いていないでしょうね」

「……ただなんて言うか、ルックスとスタイルはいいし、バイトしていた姿を見てたらちょっと、このままだと潰れるなと思って」

「元はなんのアルバイトを?」

「飲食店で接客をしてたんだけど、明らかに合ってなかったな」

 それはそうだろうな、と俊も納得する。


 天才にはどこか欠落したタイプの人間と、どの分野でも傑出したタイプの人間がいると思う。

 月子が前者であるのは、最初に話した時から直感していた。

「まあ歌えたからスカウトして、ちゃんとしたバイトを探してやったわけだ」

 向井はギラギラした外見と思っていたが、むしろ情に厚い親切な人間である。

 この東京において月子はつまり、運が良かったのだ。

「けれどこの先はどうするつもりですか?」

「それは私にも分からない」

 なんとも先の見えない、メイプルカラーの状況であった。




 時代の閉塞感、というのはあると思う。

 少なくともメイプルカラーのメンバーは、表面的にはそれに同意していた。

 アイドル向けの箱を、対バンすれば確実に埋められるようになってきた。

 物販やチェキなども、ルリなどはかなりの数がある。

 ただここから先に、昇っていく道が見えない。

 そこに現れた俊は、確かに何かのきっかけのように、メンバーには思えていた。


 日常のレッスンを続けていて、果たしてこのままでいいのか。

 実はそこに温度差もある。

 リーダーのルリと副リーダーのアンナが、調整型と牽引型の人間であるため、モチベーションは維持されている。

 ただ月子はその中では、自分の存在意義というものに疑問を持っている。


 彼女は別に、頭が悪いわけではないのだ。

 むしろ発達障害の一種を持っていてさえ、高校まで問題なく進学できるだけの基礎学力はあった。

 ただ現代においては、情報をインプットする手段というのは、やはりまだ文字が多い。

 音読によって、あるいはしっかりとルビを振って、情報をインプットする。

 そんな月子は、せめて人並になりたい。

 だが基本的なところが欠落した自分は、どこかを伸ばさなければ、平均的な人間になることが出来ない。

 これは仲間である他のメンバーにも、理解してはもらえないことだろう。


 歌に加えてダンスを含め、新しい楽曲は完成に近づく。

 一応は向井の許可はまだ出ていないが、それは心配していない。

 CD印税の件も、特に問題にはしていなかったからだ。

 ただグループのメンバーは、俊にさらなる助力を期待はしていた。


 


 一通りのレッスンも終わって、ひょっとして社長も俊も、今日はもう来ないのかな、とおもった時間。

 ようやく二人は、スタジオに戻ってきた。

「社長! どうですか?」

 ルリが真っ先に駆け寄り、それに対して向井は頷いた。

「次のライブ、お披露目だな」

 きゃいきゃいと騒ぐ彼女たちは、ハイタッチなどをしていた。

 一人残された月子は、その後に四人がかりでハグされていたりもしたが。

 アイドルグループの内情などギスギスしたものだと思っていた俊だが、メイプルカラーは仲がいいものらしい。

 ただ仲がいいだけで、どうにかなるものでもないが。


 俊としては、そちらはもう自分の手を離れた案件だ。

「あ、それとミキの話は?」

「それも問題ない。ミキが元々やっていたバイトの時間を、彼に提供することにした。メイプルには影響はないように」

 再びハグされる月子である。

「ただ予定よりも、かなり事前準備が長くなる。もちろんそれに関しても、バイト代は払う」

 遅くなったのは、俊の計画を聞いて、向井が経営者なりのアドバイスを与えたからだ。

 元々俊も、計画の変更は考えていた。単純にユニットとして活動しても、そう簡単には成功しないとは思ってが、月子の歌を聞いて段階を踏むべきだと思ったのだ。


「それじゃあ、せっかくだし新曲を見せてくれ」

「あ、じゃあ僕はこれで」

「いや、せっかくだから見ていけばいい。君も自分の作った曲がどうなるか、興味はあるだろう?」

「それは、確かに」

 実際のところ、気になったのは月子の歌うパートだけである。


 今時と言われるかもしれないが、実は便利なCDラジカセ。

 これを音源に伴奏を流し、歌って踊ることとなった。

 俊は音楽のことに関しては、知っていることと知らないことがはっきりしている。

 だがアイドルに関しては、最低限のことは調べたつもりだ。

 そして結論付けたのは、今後のアイドルというのはより、バーチャルな存在になりかねない、というものだった。

 逆に地下アイドルなどの方が、大規模アイドルより生き残る文化かもしれない。


 より遠くなる存在と、より近くなる存在。

 そこにあるが、決して手の届かないバーチャルな世界。

 アイドルが基本的に、劣化しないのだ。

 もちろん変化していく必要性はあり、その点では寿命もあるのかもしれないが。

 そしてもう一つが、より人間的な存在。

 地下アイドルだが、おそらくこれは本当に、短いサイクルで生まれて消えていくだろう。




 メイプルカラーの歌、そしてダンスであるが、これは無理のないものだ。

 口パクではなく実際に歌うので、あまり激しいダンスが出来ないというのはある。

 ただ手を使ったマイムと、場所を移動するステップは、工夫されたものではあるのだろう。

 本職の振り付けにやってもらったら、もっといいものにはなるのだろうが、メイプルカラーにはそこまでの予算がない。

 俊が向井から聞いたメイプルカラーの内情。

 先は見えていないし、上がっていくプランもない。

 ただ、一瞬輝きたい少女たちに、そんな舞台を与えてやりたかった。

 いずれは普通の人間になっていく。

 向井の温情は、果たして本当にいいものなのか悪いものなのか。


 メイプルカラーの新曲は、ラブソングではなく、もっとポップなものだ。

 ただそこに、人生の歩みが歌われている。

 誰もが、人生を進んでいかなければいけない。

 その歌が、サビの月子の声ではっきりと伝わる。


 歌声は単に美しいだけでは足りない。

 だがこのメンバーの中にいる月子には、豊かな感情の高まりも感じる。

 俊は先ほど、向井と話していたことを思い出す。

 果たして月子自身は、いったい何を目指しているのか、ということを。


 歌い終えたメンバーたちは、俊の方を見る。

「どうですか?」

「いいんじゃないかな」

 代表して訊いてきたルリに、俊は素直にそう答える。

「そうじゃなくて、どこがどういいかとか、こうした方がいいとか」

「いや、俺はアイドルの振り付けとか専門じゃないし、歌についても問題はないと思う」

 傑出したものは感じないが、問題は確かに感じない。

 それなのに彼女たちは、何かを俊に期待している視線を向けてくる。


 このグループが成功するにはどうすればいいか、俊には分からない。

 そんなものが分かっているなら、自分はもうとっくに大きなステージに立っているだろう。

 ただ一番可能性が高いのは、月子の歌での一点突破だろう。

 もっともそれでメジャーから声がかかったとしても、選ばれるのは月子だけだろうが。

「サビの部分のステップ、シンメトリーに無理にする必要ないと思う」

 このぐらいは言ってもいいだろう、と思ってしまった。

「たとえば斜めに出てくれば、最後のミキさんの声の部分で、自然と彼女をセンターに持ってこられるし」

 そう言われて、アイドルたちは相談をし始める。


 それぞれの立ち位置を確認して、俊の言ったような動きをしてみる。

 するともっと自然な形で、月子をサビで前に出すことが可能になった。

 きゃいきゃいと嬉しがっているメンバーを見ていると、本当に仲がよくて羨ましい。

 バンド活動をしていた時などは、客のノリが悪かったりすると、打ち上げも険悪なムードになったものだが。

 あれは打ち上げではなく反省会で、俊はそれでも良かったのだ。


 一曲を通して聴いて、これでいいだろうな、と俊は思った。

 あとは自分と月子の話になる。

 しかし歌い終わったメンバーは、俊の方に駆け寄ってくる。

「あの、やっぱりサリエリさん、わたしたちのプロデュースしてくれませんか!?」

 代表してルリが言ったが、メンバーの表情には共通した感情がある。

 対する俊としては、頭の痛くなる依頼であった。

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