第19話 セッション
その旋律はどこかクラシックを思わせた。
これまでの、ただ音をなぞっているのではなく、どこか物悲しさを感じさせるそれ。
「これは、なんて曲?」
「少しアレンジ入ってるけど、インギーのFar Beyond the Sunだ」
どうしてそうさらっとタイトルが出てくるのか、などと月子は思ったりするのだが、俊からすれば月子の知識が、圧倒的に足らないだけである。
代わりに三味線の用語などは、月子の方が圧倒的に知っているのだから、単純に送ってきた人生が違うだけである。
美しい旋律は、急激に激しいものに変化する。
「これってかなり難しい曲じゃない?」
「確かに簡単じゃないが、そういうことじゃない」
暁は明らかに音を増やして、エフェクターを足で操作しながら、音の圧力を増やしている。
(ただ小さい頃から練習してるだけじゃ、こうはならないだろ)
練習だけではなく、音で遊んでいなければ、こういったことは出来ないはずだ。
自分を表現する手段として、ギターを使っているのだ。
これまでおそらく、比較してきたのは父親のような、プロのミュージシャンたちであったのか。
それならば同年代の人間など、物足りなくなるのも無理はない。
(天才……なのか?)
少なくとも俊は、そう言われるのは嫌いである。
ただこのフィーリングとテクニックを、それ以外の言葉で表現するのは難しい。
才能の比較は嫌いな俊である。
だが実力の比較なら、ある程度ははっきりする。
暁の実力は、朝倉よりもはるかに上だ。
唯一朝倉の方が優れているのは、ギターパフォーマンスだろうか。
暁は誰かに見せるということは意識せず、ただ体を揺らしながら弾いている。
それが逆に凄みを感じさせる。
曲が終わって、ふうと大きく息を吐く暁。
「凄い凄い! これに歌がついたらどうなるのかな?」
「いやこれインストの曲だから、歌はついてない」
月子への答えはぶっきらぼうなもので、そんなことも知らないのかと、そういう疑問が視線に含まれていた。
一般人ならインストがインストゥルメンタルのこと、つまりボーカルがない曲だと知らなくてもおかしくはない。
だが月子の場合、曲があれば歌もあるのが、一般的だと考えていたりする。
「こいつ洋楽は聞いてないからなあ」
「全然聞いてないわけじゃないよ!」
洋楽を少しは聴いている人間でも、イングウェイ・マルムスティーンはちょっと、ジャンルが違うと思う人間が多いのではないだろうか。
だがこれで、暁の実力は分かった。
次に確認しておきたいのは、方向性だ。
「君はプロになりたいのか?」
「あ~……ギターだけ弾いて生きていけるなら、プロになるしかないかなとは思う、です」
ちょっと俊の予想を超えた答えであった。
なんというのだろう、こういう人間を。
音楽がなければ、他に何もないのだろうか。
自分もそう考えることはあるが、小賢しく考えるのが俊の人間性だ。
ロックとは音楽ではなく生き方である、と言ったのは誰であったろう。
「俺たちはプロというか、音楽で食べていくことを目的の一つとしている。そのために一度はライブを経験しようと思ってるし、ギターも募集はしている」
「あたしは合格ですか?」
「むしろそっちが、こちらの条件に満足できるかが問題かな」
俊は今の状況を説明しようとした。
だがそこに口を挟んだのは岡町だ。
「一度セッションしてみたらどうだ? あの完成形、ギターとベースが入れば弾けるだろ」
「けれど条件面をつめておかないと」
「俊、そういったことは確かに重要だけど、バンドなんて結局最後は、誰とやりたいかどうかだぞ」
そしてその誰かが欠けたために、岡町たちのバンドは解散したのだ。
俊としては、相手が未成年ということもあり、話をしっかりしておくべきかと考えていた。
だがそもそも、彼女を俊たちに紹介したのは岡町である。
実際のバンド経験では、彼の言うことは間違いないはずだろう。
少なくとも実績は確かにあるのだ。
「じゃあちょっと、この曲を聴いてほしい」
そして俊は、ノイジーガールを流す。
暁の様子は、何かを考え込むように、静かに曲を聴いていた。
「すごくいいと思うけど、ギターパートない」
聞き終えた第一声がそれで、確かに電子音を多用しているこのバージョンは、ギターパートを必要としていない。
「今のは仮の完成版で、次に流すのが本命なんだ」
そして流される、ギターイントロから始まるノイジーガール。
まさにその名の通り、騒々しい音楽にはなっている。
月子も聞かされた、この本物のノイジーガール。
公開しなかったのは、ネットで聞くにはイントロは短く、間奏も短い方が受けやすい、という現状を考えてのこと。
だが本当の理由としては、打ち込みでギターをつけても、あまり魅力的ではない、というものであった。
「どうだろう」
俊は暁に声をかけたが、彼女はギターを抱えたまま椅子に座り、少し両手を動かしていた。
「もう一回」
そして流された曲に対して、今度はしっかりと指を動かす暁。
曲が終わってしばらく、目を閉じながら指先では、リズムを取っていた。
やがて何かが、彼女の中で結晶化した。
「ちょっと変えてもいいかな?」
完成形のはずのノイジーガールは、ここからまた変わっていく。
クリーンで静かな、バラードが始まりそうな旋律。
そこから一気にハイスピードになる。
(カノン進行か)
ここまでは基本的に、俊の作ったギターパートを大きく逸脱しない。
ボーカルが始まると、リフでリズムを取っていくが、ここは大きな動きを見せない。
だが間奏に入ると、完全に即興に聞こえるソロになった。
俊が考えていたよりも、ちょっと長い間奏。
だがそこで飽きることはなく、ギターの疾走感を存分に感じさせた。
当初の予定よりも、はるかに難しいギターソロ。
弾ける人間でないと、とても打ち込みにも使わないであろう。
リズムの取り方も、一度は音を削ぎ落としてから、違うものを増やしている。
音に厚みがでているのは間違いない。
(これだから天才は!)
俊はもう、暁を天才扱いすることに決めた。
「これで少しだけテンポを上げて、セッションしてみたいんだけど」
「テンポまで変えるのか。ソロの部分も増やすと、ちょっと時間がいるかな」
「いや、打ち込みじゃなく演奏したらいいだろ」
そう言った岡町が、自分のベースを出してくる。
「ボーカルがいてギターがいてベースがいる。俊はドラムをやれば、それで演奏は出来る」
岡町の言っていることは、確かにそうだ。
しかしパンがないならお菓子を食べればいいじゃない、と言われているような気もした。
もっともミュージシャンがそこにいるなら、セッションが始まるのは当然であろう。
元は日本一と言われたバンドのベーシストであった岡町。
ただこれはバンドが日本一と言われただけであって、岡町が日本一のベーシストと言われたわけではない。
現役からはもう随分と遠ざかっているが、それでも技術が極端に衰えてはいない。
今でもスタジオミュージシャンを頼まれるぐらいには、卓越した技量を持っている。
その中では圧倒的に、俊のドラムが格下だ。
(まあリズム隊だしオカちゃんの後を追っかければ、それでいいか)
あまり乗り気ではないが、やってみたいという気持ちはあった。
ならばやってみるべきだ。
暁がまた細かく、エフェクターの調整をしている。
ギターを弾く女子というのは、ベースやドラムに比べれば多いのかもしれないが、それでも演奏までに収まっていて、音作りにまでこだわるのは珍しいと思う。
だからこそ、パープル・ヘイズを上手く再現できたのかもしれないが。
ジミヘンの場合はストラトのアームを多用しているので、違うやり方をしないと、レスポールでコピーするのは無理である。
もっとも最近のものだと、機能として備わっているレスポールもある。
それは本当にまだレスポールなのか、という疑問も湧いてくるが。
一緒に組んでみるかという話で、セッションするのはおかしな話ではない。
月子も喉の調子を、あーあーと声を出して整えている。
テンポを少し早くするのだから、普段とはフィーリングが変わってくることも考えられる。
「いけるか?」
「多分」
「そっちの準備は?」
「終わりました」
「オカちゃん」
「いつでもいいぞ」
「はい」
暁のアレンジしたノイジーガールは、俊の頭の中にあった完成形を超えていた。
ギターソロから始まるので、彼女が最初の音を鳴らすのが、始まりの合図である。
それまでポニーテールにしていた髪ゴムを、暁は外す。
癖っ毛がパラリと広がって、雰囲気が変わる。
他の三人を、ぐるりと見つめてくる。
そしてアルペジオから演奏が始まる。
ひどく悲しみを湛えたような音。
哀愁を帯びた旋律から、一気にテンポが早くなる。
(思ったよりも早い!)
俊のドラムと岡町のベースが、それに追随した。
そして月子の歌が始まる。
レコーディングをした時よりも、テンポは早くなっている。
だが月子は問題なく、高らかに歌い上げる。
これもまた、簡単そうに歌ってはいる。
しかし暁のギターと、響き合っているように聞こえるのも間違いない。
(声が――)
まだ、広がっていく。
AメロからBメロ、そしてサビへと。
ここはしっかりとギターの音を抑えて、月子の声を響かせる。
間奏はギターのリフが走り、そのテクニックとフィーリングを聞かせる。
(あんだけ弾けたら楽しいだろうな)
先ほどまでとは違い、まるで踊るように全身を激しく動かす。
それなのに音を外すことなどなく、即興でソロを奏でていく。
リズムが引きずられる。
(暴走だ)
しかし岡町のベースが、地に足をつける重低音で、ギターをどうにか制御する。
やがてまたボーカルが始まる。
月子の声は、また一つ扉を開いたかのように、高音で響いていく。
これこそがまさに、ケミストリーなのだろう。
曲は終盤へ。
ギターの音が柔らかく、月子の声を後押しする。
そしてまた、疾走感のあるパートへと。
(終わる)
やっと終わってくれるが、同時に月子の歌に感動している自分にも気づく。
(まだ終わってほしくないな)
月子のボーカルが伸びていって、高いところで弾ける。
そして暁のギターは重なった音をほどいていって、小さく小さく最後の音を響かせた。
ノイジーガール、これこそがバージョン1だな、と感じるものであった。
録音していた音源を流すと、明らかにドラムの音が弱い。
「下手ドラム死ねばいいのに」
天を仰ぐ俊の口から、己を呪う言葉が飛び出る。
普段から思考はしても、口にはしないのが俊である。
「まあドラムとベースは、打ち込みでやるしかないだろうな」
岡町はそう言いつつも、座り込んだ月子と暁を見つめる。
いいセッションであった。
だがたったの一曲で疲労困憊していれば、ライブなどが成立するはずもない。
ペース配分が出来るようになるまで、まともなライブは出来ないであろう。
あるいは根本的に体力を鍛えるか。
現実的には俊がシンセサイザーを使いながら、リズムキープもするしかないだろう。
なんとなくそれでは、悪い予感がしたりもするが。
「それにしても、やっぱりそのレスポール、スペシャルとはちょっと違わないかな?」
レスポールはいくつもあって、また製作された年代によっても、劇的に音が変わっていたりする。
だが暁の使うレスポール・スペシャルは、かなり音の特徴が違う。
単純に言えばスペシャルではなく、スタンダードの音に近いのだが、ピックアップの関係上、それはありえない。
それにちゃんと、本来のスペシャルっぽい音も出ていた。
エフェクターである程度は変更出来るが、使っているエフェクターの種類と設定を見る限り、そんな変な設定にもなっていない……はずだ。
かなり知識はある俊であるが、本当に意味が分からない。
58年のPAFでもピックアップに乗っていたら、あるいはそんなこともあるのかもしれないが、どう見てもP-90である。。
「弾いてみる?」
「いいのか?」
渡されたレスポールを、俊は左で持ってみる。
もちろん弾くことなど出来ないが、音を鳴らすことぐらいは出来る。
(やっぱりけっこう軽いな)
エフェクターを通さずに、アンプから直接素の音を出す。
(うん?)
リアとフロントのピックアップを切り替えると、音が確実に変わる。
高音域を軽々と越えそうな、スペシャルっぽい音。
そして中音域をフォローする、厚みのある重い音。
「片方のピックアップを換えてるのか?」
「ううん、それがそのまま元の音」
「けれど明らかに、中身が違わないか?」
「レフティだから間違えて、配線とか違うのを付けたのかなって思う」
「それなら普通に気づくだろうに……」
「気づかずに、あたしのところまで来ちゃったんじゃないかな。あたしに使われるために」
言うことがいちいち、ロックな少女である。
しかしそれでもおかしなギターだ。
レスポールやストラトキャスター、テレキャスターにその他諸々、ギターには必ず特徴というものがある。
そのため長所があれば短所もあり、レスポールなどスタンダードでなければ出せない音というのはあるが、ストラトほどに使える幅が広くはなかったりする。
本来ならある長所を持ったまま、さらに音の幅が増えている。
本当におかしなギターだ。
「あたしはこれをイエロースペシャルと呼んでます」
「ブライアン・メイ好きなの?」
「変に派手なパフォーマンスしないところは好き」
「まあQUEENはパフォーマンス、全部フレディで充分だしな……」
白いタイツの変態、と間違った憶え方をしている人間は多いと思う。あながち間違いでもないのだし。
このギターにはドラマがある。
暁は昔から、毎日何時間もギターを弾いて遊ぶような、そういう成長の仕方をしていたそうだ。
父親がミュージシャンで、母親とは早めに離婚してしまったため、まさにギターが友達という状況が長かったという。
そんな生活をずっと続けていていたため、暁は自分が重大な病気にかかっていることに気づかなかった。
そう、ギター中毒という病気に。
それは昨年の修学旅行で、やっと判明したこと。
ギターを触れずに気分が悪くなっていた暁が、京都の楽器店で見つけた、黄色のレスポール・スペシャル。
レフティのために新品のまま長年の飾りともなっていたそれを薬代わりに弾いてみて、即座に手付金を払って修学旅行終了後に、貯金を崩して購入した。
普段は父のギターを使うことが多かったため、これが初めての自分のギターであったという。
お値段はなんと税込み30万円もしたらしい。これでも店頭で眠っていた在庫のため、少しは安くなっている。
「元々日本メーカーのレスポール・タイプを弾いてたから、しっくりきたんだけど」
「いや、ギター中毒って……」
「三日もシャワーを浴びなかったり、歯を磨かなかったりしたら気持ち悪くなるでしょ? それが強烈になった感じ」
そんな経験はないが、なんとなく分かるような気はする。
俊も三日も音楽から離れていたら、気分が悪くなるであろう。
使用期間は一年ちょっと。
その割にはピックガードをはじめ、ヴィンテージっぽい風格を出している。
果たしてどれだけ毎日弾けば、こんな感じになるのだろうか。
ともあれ腕のほどは分かった。
また女性ということで、月子との変な関係を恐れる必要もない。
こちらとしては、加入を断る理由はない。
だが暁の方が、そもそもハードロックからのロックをやりたがっているらしいのだが。
「ああいう曲を演奏するなら、ぜひ入れてほしいです」
「じゃあ決まりだな」
がっしりと俊と暁は握手をする。
その時ようやく俊は、暁の手が体格に比べて、相当に大きいことに気づいたのであった。
「あの、わたしには相談なし?」
「あんな気持ち良さそうに歌ってて、反対はしないだろ?」
「それでも一応は聞いてほしい」
だって女の子だもの。
ともあれこれで、ユニットは三人目のメンバーを迎えることとなった。
もっとも高校生である暁は、やはり学校の時間に縛られることになるが。
ノイズのリードギター、安藤暁。正式にはミドルネームがあって、安藤・アシュリー・暁。
後にノイズのメンバーの中で、最もロックな人間と言われる彼女が、ここで加入したのであった。
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