第291話 アニソンライブ

 冬のフェスの前に、ノイズは予定していたアニソンカバーライブを行う。

 ガチガチのメタルまでやると思えば、柔らかいアニソンまでカバーする。

 そういった節操のなさこそ、ノイズのいいところであるのか。

 普通ならば節操がないのは、あまりいいところではないのだろうが。

 ともかくこれまでにカバーして、アルバムに入っていた曲と、新しくアルバムに入れる曲。

 20曲以上を演奏する、二時間以上のワンマンライブである。


 最初のカバーアルバムなど、一番年下の暁と千歳は、リアルタイムでは知らないほどの楽曲ばかりであった。

 しかし今度は比較的近年の、人気があったアニソンをカバーしている。

 もっともアニソンというのは、その定義が微妙である。

 アニメのOPやEDであれば、アニソンと呼んでいいのか。

 普通のミュージシャンが、そのままOPなどを担当しているだけ、というのは昔からあったことだ。


 90年代の話、などというといかにも昔である。

 そんな時代の空気など、ノイズのメンバーの誰も分からない。

 もっとも俊と暁の場合は、父親やその友人などから、古きよき時代、などと聞かされていたりする。

 CDが100万枚も売れては、大きな稼ぎになったものなのだ。

 今の世の中、何か付属したものでもなければ、CDが10万枚売れることさえ難しい。

 それを考えればノイズが、最初にインディーズで一万枚を出したというのは、今から思えば冒険だ。


 ただその後の販売は、一部を除いては直販と通販。

 この保管場所を作っておくために、事務所やレーベルには金を払っているのだ。

 日本の場合は新聞や書籍と同じく、CDも再販制度の対象になっている。

 そのため基本的には、新品は値引きして売ることが出来ない。

 ライブ会場の直販で売れば、流通と小売に入る分まで、ミュージシャンや事務所の収入になってくる。

 なのでこのライブ会場は、2000人が入るところをなんとか抑えた。


 著作権の6%が入らなくても、音源としての原盤権があれば、充分な収入になる。

 もちろん10%以上が、完全に自分たちのものになるわけではないが。

 カバー曲でもしっかりと、収入になるようにしなければいけない。

 ただやはり著作権と違って、長く延々と収入になるわけではないが。

 やはり音楽の世界は、オリジナルでどれだけ優れた曲を作るか、それが重要である。

 また優れた音源を残しておけば、そこからも収入が得られる。


 思えばこのインディーズで、自分たちで原盤権を持つというのは、また一つのビジネスの形であるのだろう。

 ロックンロールの時代、プレスリーはなんだかんだ言いながら、提供された曲を歌っていただけである。

 ビートルズなどの時代が、まさに自分たちで作曲し、自分たちで歌うということになったのだ。

 それでも60年代半ば頃までは、後のレジェンドバンドであっても、カバーをそれなりにしていたものだ。

 また著作権がいまいち緩かった時代だけに、似たような曲が使われていたりする。

 レッドツェッペリンの初期曲は、盗作とは言わないまでも、似たようなメロディを使っていた曲は確かに存在する。

 

 今はDAWを使えば、ほとんど自動的に、合ったリズムが出てきたりもする。

 ノイズの音楽もなんだかんだ言って、アレンジの部分はかなり、他の曲を持ってきたりしているのだ。

 全ての創作物は、前例を踏襲して発生する。

 完全に新しいものなどを求めていては、いつまで経っても完成しない。




 アニソンライブであるが、本来が男性ボーカルの曲などは、千歳が歌うことが多い。

 もちろん逆に月子が歌い、そのギャップを狙ったりもする。

 鳥の詩を歌った後、今度は鳥の歌を歌ったりもした。

 一部の熱烈なファンからは、国歌とさえ言われていたりする。

 ただ権利関係で、許可を取るのがちょっと、普通とは違う経路を辿るので、そこは難しかったりするのだが。


 千歳が歌うの映えるのは曇天などの曲である。

 どこか投げやりな感じ、声にざらりとしたところがあると、それが気持ちよく感じる。

 他には和風の曲ということで、ものすごくマイナーながらも、荒野流転などを演奏したりもした。

 さらにはリズムの取り方がものすごく難しい、ヘミソフィアなど。

 ツインボーカルである点を活かすなら、nowhereなどもネタとして上手く使える。


 比較的新しい曲にするはずが、2000年代の曲であったりもする。

 My Soul,Your Beatsや創聖のアクエリオンといったあたり、マイナーメジャーの曲が多い。

 管楽器が多いはずの夢色チェイサーを、ギターメインにアレンジしたりもした。

 このあたりのアレンジの仕事で、俊は大変に疲れ果てたわけである。

 それでもギターアレンジに関しては、暁が手伝ったのでかなり楽であった。

 基本的に暁が弾くと、どんな曲でもロックになるのだ。

 魂がロックであれば、何をやろうとロックなのだ。

 黒人が歌えば全てソウル、などという屁理屈と似ているかもしれない。


 ともあれこのライブは、20代から40代まで、あるいはそれ以上の年齢層も含むが、男性客が多いライブとなった。

 元々ノイズは、どちらかというと男性ファンの方が多い。

 それでもV系のように、圧倒的に女性ファンが多いよりは、こちらの方がいいと考える。

 ノイズはビジュアルに統一感はあるが、ルックス売りをしているわけではないのだ。

 ルックス売りを全く意識していないわけでもないが。


 普段のライブとは、全体的な感覚が違う。

 客層もちょっと違うが、ノリが違うのである。

 普段の客もしっかりいるが、この日のためにやってきたと言おうか。

 今はネットでVtuberが、過去の楽曲をカバーしていたりする。

 ただこうやってライブで、圧倒的な演奏で聞かされるのは、また違うものなのだろう。

 ノイズはアンケートの結果から、次にカバーする曲を考えたりもする。

 他のバンドもやっていることだろうが、アニソンを多くカバーするのは珍しいのだ。


 奇を衒っているという部分もあるが、正統派バンドはアニソンのカバーをすることは少ない。

 正確には、アニメに使われたというだけなら、普通にカバーすることもあるが。

 ただのタイアップだけではなく、アニソンという色が強い作品。

 以前はアニソン専門歌手、などと呼ばれる存在もいたものだ。

 中には単純な歌唱力なら、普通のシンガーを上回る人間もいる。

 それがなぜ一般枠で売り出されなかったかは、色々と事情もあるのだろうが。


 ノイズはボーカルが二人いて、楽器の数も多い。

 俊のシンセサイザーに、なんならヴァイオリンまでなら普通に演奏出来てしまう。

 ここにサックスあたりがいればさらにいいのだろうが、さすがに人数が増えすぎる。

 それに俊としては、少なくとも自分の作る曲では、シンセサイザーでそのあたりはフォロー出来る。

 なんならヤマトや999の曲でも、出来なくはない。

 さすがに女性ボーカルが歌うのは、解釈違いと言われるかもしれないが。




 ノイズのライブはいつも、全力を出したものだ。

 しかし今日のライブは、全力を出したものであるのに、余力があった。

 客の方からの熱量が、自分たちを盛り上げていったからであろう。

 その熱にノイズの演奏は、乗せてもらったとでも言うべきか。


 演奏と客の反応がよければ、それでメンバーは満足だ。

 しかし俊はライブ後の、グッズ販売の動向を気にする。

 アーティストではなくビジネスマン。

 そんなことを言われるかもしれないが、プロデューサーとしての役割も考えれば、気にしないわけにはいかない。

 ノイズのCDは、おおよその予想を裏切って売り切れる。


 確かにライナーノーツなどは、CDの収集家にとっては重要なものだろう。

 レコーディングの写真があったり、その内容について、俊が解説文をつけたりしている。

 おおよそのリスナーというのは、単純に音楽だけではなく、ミュージシャンの人間性までも知りたくなるのだ。

 そういった相手には、ノイズは情報を小出しにしている。


 今の世の中、ネットの発達によって、多くの秘密はすぐに拡散される。

 誰か一人でも知ってしまって、その一人が口の軽い人間であると、誰もが知ってしまうのだ。

 逆にこの発信を利用して、一気に知名度を上げることも出来る。

 ただ基本的に人間は、他人の不幸や暗い秘密が好きなのだ。

 それを思えば最初から、コントロール出来る範囲内で、情報を発信していった方がいい。


 ノイズの持っている、スキャンダルになりそうな部分。

 それは本当にスキャンダルなのか、重要なのはそこではない。

 最初にスキャンダルとして、発信されるかどうか。

 誰から見ても弱みと思えそうなのは、信吾の女性関係であろう。


 三股をかけていて、一時期はヒモのような状態にあった。

 だがこの時点では眉をしかめるものではあっても、怒るのはフェミニストぐらいであろう。

 そもそも自由恋愛と言うのならば、むしろこれはフェミニズムである。

 そしておかしなことにフェミニストというのは、イケメン無罪なのである。

 信吾の女性関係は、昔から全く隠されていなかった。

 それに結婚を匂わすようなこともしていなかったため、結婚詐欺などでもない。

 無理に高いものを買ってもらったわけでもなく、基本的に食事や住居を頼ったのみだ。

 古いロックスターに比べれば、ずっと穏当な方であろう。


 もう一つ、スキャンダルなわけではないが、重要なものはある。

 月子の持っている障害である。

 ディスレクシアと、そして相貌失認。

 これらはおおよそ、発達障害の一種であったり、脳の機能のバグであったりと思われる。

 もっとも相貌失認というのは、かなり存在するのであるが。




 いつかはやらなければいけないな、と俊は考えていた。

 月子のこの生涯を、プラスのイメージで公表することである。

 これまでは月子は、ある種の天然で通してきた。

 しかしこの先は、大きな権力を持つ者たちと、接触することも出てくるだろう。

 基本的には阿部や、それでなくとも俊の仕事だ。

 ただ現場に顔を出す人間は、必ずいるものなのだ。


 月子の障害の公開をするなら、それに相応しい手段が必要になる。

 どうせならテレビででも、こういった障害の特集は組んでほしい。

 そしてこういった番組に強いのが、まさに公共放送である。

 夜のそこそこ早い時間帯に、こういったものを特集する番組を、持っていたりするのだ。


 あるいは民放であっても、こういったものを取り扱うことはある。

 だが数字が取れることを意識するテレビ局では、扱い方が雑になるものだ。

 視聴率を取る必要がないという、傲慢な存在である公共放送。

 ただニュースに関しては、変にオーバーなことを言わないため、比較的信用してもいい。

 あとは国会中継を、ぜひぜひ続けて放送してほしいものだ。


 俊としてはこれは、まず月子の意志が重要となる。

 周囲の理解があれば、彼女が生きていくのも、比較的簡単になるだろう。

 また同じような境遇にある、多くの人間の助けにもなる。

 ノイズの名前が売れてきたからこそ、こういう番組を作ることに意味はある。

 ディスレクシアのみならず、多くの発達障害などには、適切な環境さえ与えれば、むしろ優れた成果を発揮する人間さえいるのだ。


 エジソンやアインシュタインなども、その発達障害の一種と言われている。

 発達障害という言葉だけを聞けば、いかにも知能が遅れているようにも思えるが、むしろ一部の能力が欠如している分、他の部分で優れていたりする。

 サヴァン症候群などは、よく聞く例の一つであろう。

 言ってしまえば俊なども、その過度な集中力を考えれば、人間関係は歪である。

 彼の場合は音楽という共通性さえあれば、どんな人間とも話せるので、そこまで困ったものではないのだが。


 ノイズのメンバーというのは、どこか欠落している人間が多い。

 俊は知能も高いし、人間関係も広範に及ぶが、本当の意味で弱い人間には、想像が及ばないところがある。

 月子は障害があるし、暁はコミュ障。

 ただし暁の場合も、音楽の趣味さえ合ったなら、いくらでも話が合ったりはするのだ。

 信吾の女関係のだらしなさも、人格的な問題であるのかもしれない。

 また千歳にはそういったことはないが、PTSD的に、両親を失った夢などを見ることはある。

 そうなるとまともなのは、家庭を築いている栄二だけという話になるか。




 単純に面白がられるのではなく、一つの問題としてフォーカスを当てられる。

 ノイズはどうにか、そういう地位を築いてきた。

 今ならばそれこそインフルエンサーとして、多くの人に伝えることが出来る。

 俊としても月子を知るまでは、そんなものには関心はなかった。

 障害となると障害者という考えとなり、知的障害や精神障害など、表面的な理解しかなかったのだ。


 生きていくのが苦しいと、考える人間がどれだけいるのか。

 生き方を工夫すれば、どうにか生きていけるのだ。

 人間ははるかな太古から、生まれてきたこと自体さえも、苦しみと思っていたりする。

 それを歌った楽曲さえ、数多くあるのだ。


 俊としても自分の非才に、自分で悩んだことは多い。

 今の自分の立場さえ、月子や暁がいなければ、とても成立したとは思えない。

 スキスキダイスキのような、完全にネタに走った曲で、受けてしまったのがむしろ苦しかった。

 自分の才能で出来ることと、自分のやりたいことの不一致。

 この苦しみの中で、生きている人間は多いのだ。


 とはいえ俊は、本当の苦しみを知らない。

 自己実現欲求の苦しみなど、生活の苦しみに比べれば、金持ちの道楽とさえ言えるであろう。

 だが人間は単純なものではない、社会的な欲求を満たすことこそ、難しいのだと分かっている。

 俊が本当に苦しみから解放されるのは、どういったことになった時か。

 煩悩まみれの人間でありながら、己の目指すところのためには、全力で抗い続ける。

 俊の人生というのは、一般人の求める幸福とは、かけ離れたところに存在する。


 ノイズの中で一番、厄介なのは俊だなと、阿部は分かっている。

 求めるものがはるかな高みにあるだけに、俊は妥協を許さない。

 妥協を許すとしたら、それでも売れると判断した時だ。

 そのあたりが本当に、アーティストと言うよりは煩悩にまみれた存在とは思うのだが。


 ただ今はまだまだ、俊は歩き続けている。

 登って行く階段が、目の前にまた現れているからだ。

 世界的な有名フェスでの、観客動員。

 それに成功したならば、また国内の大きなハコで、公演してもいいだろう。

 全国ツアーの予定も、既にある程度は決まっているのだ。

 まだ成功の先が見えるので、歩みを止めることがない。


 ノイズというバンドの中で、このモチベーションの維持が、果たしてどこまで続いていくことか。

 阿部が見る限りでは、一番それが途切れる可能性があるのは、千歳だと思っている。

 彼女は本来、もっと普通の人生を歩く人間だったと思うのだ。

 もちろんその才能というのは、阿部も認めるところであるが。

 不幸であったことが、彼女の才能を開花させた。

 ノイズというバンドが崩壊することも、いずれはあるのだろう。

 発展的な解消ならば、それは仕方がないことだ。

 ただこのバンドが、果たしてどこまで行くのか。

 それを見ていたいと、阿部は強く思っている。

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