第290話 彼の結婚
フェスの季節は夏である。
春から秋と言ってもいいが、少なくとも大規模フェスは冬場には、ほとんどないものだ。
夏場はなんだかんだ言いながら、野外での音楽がなされるものだ。
しかし冬場はどうしても、寒さを防ぐのに限界がある。
屋内でのライブを行うにも、それだけのハコの取り合いになるわけだ。
そんな中でノイズは、冬のフェスに参加することとなる。
屋内型のフェスであるため、ステージの数も限られているし、動員も限られている。
それでも四日間の間に、東京だけで10万人は動員する。
去年は紅白に出場するため、こちらには出演していない。
だがもう月子の望みも叶ったことだし、今年は利益を追求していこう、という考えになったわけだ。
これ以前には一度、都内の大きなハコでアニソンカバーライブをやる。
そこでカバーアルバムを最初に発売するわけである。
直販こそが最も利益が大きくなる。
グッズ販売なども、ここでは行われるわけだ。
ちなみに紅白については、向こうから打診があったそうだ。
もう予定が入っている、ということで断ったのだが。
正式には冬のフェスのメインステージで演奏するが、最終日に行うとは決まっていなかった。
最終日にしても時間帯によるが、紅白の生放送に間に合わないでもなかった。
ただもう純粋に、意義を感じなかっただけ。
そしてレコード大賞にしても、ノミネートすらされていない。
これはレコード会社の思惑によるので、別に取れなくてもおかしくはない。
そもそも取れたとしたら、それは大金が動いたということで、インディーズで好き勝手にしているノイズには、GDレコードもあまりいい気持ちは持っていないのだ。
もちろん売れているので、そこは幸いであるのだが。
結局金を稼げる人間が強いのだ。
ただノイズというか俊の場合は、出来ることを自分でやってしまうため、普通なら発生する仕事や分け前が、存在しないことになる。
ならばそちらかた提案して来い、というのが俊の考えである。
このあたりなんだかんだ言いながら、俊はボンボンであるとは言えるだろう。
もっとも現場の人間に対しては、しっかりと関係を構築しているのだが。
俊としても、言い分はいくらでもある。
まずノイズはレコード会社の宣伝なしに、売れるようになったものだ。
完全に俊の個人的な、サリエリとしての活動が元にある。
自前で売り出していって、そこに阿部が乗りかかりインディーズでの活動とした。
本気で売るつもりがあるのなら、ここでもっと声をかけてくるべきであった。
ただ俊としても、さらに宣伝の金が使えたとしても、自由度が自分たちにある限り、今の体制の方がいいと考える。
そもそも俊がノイズを、基本的にインディーズとして売り出しているのは、それだけの金が必要になるからだ。
いや、もちろんやりようによっては、その金をレコード会社や事務所から、出させることも出来るのだが。
ノイズというバンドが、六人体制であること。
バンドの人数としては、比較的多いのだ。
それだけに同じ収入があったとしても、分け合えば金額は小さくなる。
そのため最初のパイ自体を、大きなものとしなければいけない。
現在はあまり、CDの売れる時代ではない。
それでも地方のCDショップには、大きなところがまだ、なんとか残っている。
流通と店頭小売が得られるのは、CD売上の45%前後。
直販であるとここが丸々、他に分ける収入となる。
レーベルの分け前にしても、インディーズは広告宣伝費が少ないので、バンドの収入が多くなる。
何より大きいのは、音源の印税だ。
ノイズの作ったマスターが、何かに使われるたびに、これが入ってくる。
実際に90年代、レコード会社が手を出さなかった曲で、たった一曲ながらとんでもない金になった楽曲がある。
この先例があったのと、インディーズからの販売も前例があったので、俊はやってのけたと言える。
また音楽業界には、父の関係者もいた。
基本的には父は、成功者として恨まれたり妬まれたりしていた。
そのため味方ばかりというわけでもなかったが、敵ではない人間も多かったのだ。
音源の印税、これを原盤印税と言うが、ノイズはこれを制作資金を自前で用意し、レコーディングもほぼ自前でやっているので、これが大きな収入となる。
なので六人という体制も維持出来ているのだし、他所からの横入りも少ない。
落下傘部隊のように、いきなりレコード会社のバックアップで売れ出したわけでもない。
地元のライブからどんどんと、成り上がってきたのだ。
その過程において、ライブハウスやイベンターなどとの関係も出来ている。
このあたりを既に作ってあったことも、様々なライブにおいて、いらない仲介を必要としなかったことに通じる。
要するに中抜きを減らしたわけなのだ。
現場、そして実際の仕切りをする者などは、ノイズと共に利益を多くした。
しかしノイズを上手く使って儲けようとしている者には、手が出せなくてどうしようもない。
インディーズレーベルでの動きというのは、それだけ成功には難しいものであったが、実際に達成すれば旨味が大きい。
だがそれにもいい加減、限界というものが見えてくるのだ。
夏のフェスが終わった後、俊は阿部から話を聞いていた。
来年の夏、海外のフェスのどれかに、確実に出演するための手段である。
巨大な海外フェスは、プロモーターが客を呼べるミュージシャンを求める。
その中で日本のミュージシャンは、それなりに出場することが多くなってきていた。
ただプロモーターというのは、ミュージシャンというアーティストと比べると、圧倒的にビジネスマンだ。
もちろん音楽業界を選んだ以上、なんらかの愛着はあるのだろう。
しかし日本と比べても、明らかに商売は上手い。
もっともそれだけに、日本からもスポンサーを、どうにか取ろうとするのだが。
ノイズについてはレコード会社が、積極的に売ってこなかったという過去がある。
それでもここまで売れてしまえば、もう宣伝を強くしていくしかない。
埋もれているいいものを宣伝して売るのではなく、既に売れているものをさらに金の力で押していく。
商売の仕方としては、そちらの方がリスクが低い。
しかし今のままであると、あまりにノイズのメンバーばかりに金が入る。
幸いにも事務所にも、それなりの金は入っているのだが。
ミュージシャンはアーティストの中の一つである。
本来ならばその作品は、全てがミュージシャンの活動に帰するものだ。
しかし音楽業界は、その音楽をリスナーに届けるために、多くの段階が必要となっていた。
それだけ大きな市場となっているのである。
つまりそこで、大きな雇用が生まれる。
ノイズはあまり助けを必要とせずに大きくなった。
これは相当に珍しいもので、そして俊の働きすぎも目についている。
酒も飲まない。煙草も吸わない。
まあ煙草については、今は吸わない人間が増えているが。
何より女関係の姿が見えないというのが、周囲から見てもおかしく思えるのだ。
結婚とまでは言わない。まだ20代の半ばでもあるのだ。
しかし女の影すら見えないというのは、あいつは同性愛者であるのか、という疑惑が湧いてきたりもする。
もちろん俊は同性愛者ではないし、同性愛者が女同士なら、別に好きにすればいいと考える人間だ。
それが男の同性愛者だと、自分の尻も狙われているのでは、と考えるぐらいのテンプレな、同性愛嫌悪者ではある。
女性不信の気配はあるが、あくまでも性癖はストレート。
こういったことを公言すると、色々な方向から攻撃されるのが、面倒な世の中である。
いっそのこと月子あたりとくっつけばいいのでは、と阿部などは普通に思ったりもした。
周囲から見た場合、完全に俊は月子の保護者のように見える。
信吾などもそう思えるのだが、男女と言うよりはもう、ノイズの一員という家族のような距離感に見えるのだ。
居候という形で同居しているのも、その関係性を深めていると見えてしまう。
ただ信吾の知る限りでは確かに、俊がどこかの女性と懇ろになった、という話は全くない。
音楽と結婚したようなものだ。
だからこそノイズの一員である月子とは、家族ではあっても恋愛関係にはならない。
特に同居するにあたって、しっかりとお互いの距離感を把握していた。
そのため俊は月子に対し、姪っ子ぐらいの感情で接している。
姪っ子というには大きいなら、従妹といった感じだろうか。
ちなみにこの時期、ちょっとめでたいことがあった。
ミステリアスピンクのコンポーザーである徳島が結婚したのだ。
この徳島という男、コンポーザーというかアーティストとしては、俊も一目置く存在である。
しかし音楽がなければ、何も他に才能がない人間でもあった。
生活にしても家事全般、出来ないというわけではないのだが、ほとんどが仕事の後回し。
ミステリアスピンクの可愛い方、ホリィは以前からマンションを訪れては、色々と身の回りの世話をしていたらしい。
「もう私が結婚して、身の回りのことをしてあげます」
そんな情けないことを言われて、結婚してしまったそうな。
徳島も俊とほとんど年齢は変わらず、ホリィもそれよりさらに若い。
ただ彼女はシンガーとして成功するという野望をもって、田舎から東京に出てきた人間である。
歌唱力に関しては、まだまだと評価されている。
しかし生来の声質については、うるさい徳島が太鼓判を押すほどではあったのだ。
ちなみにそれほど盛大な式ではなかったが、俊も出席している。
徳島は仕事関係の人間は多いが、友人枠がほとんどいなかったのである。
よってボカロPの知り合いが、多く集まることとなった。
ちょっとしたボカロPの集会になって、二次会などは盛り上がったものだ。
ミステリアスピンクは、レコーディングで調整すればともかく、生のライブではまだまだ未熟、というのが言われていた。
ただノイズやMNRと同じく、タイアップは色々とやっていたのだ。
女性デュオという点では、ノイズと似た点がある。
才能という点であれば、徳島はボカロPの中でも最高、などと言われたりする。
もっともTOKIWAや俊などからすると、徳島は音楽に対する執念が、他の人間よりもはるかに上回っているのだと言える。
ちなみに徳島に呼ばれたのは、ノイズではなく俊だけである。
ボカロPのサリエリとして、披露宴に呼ばれたのだ。
今の時代は芸能人でも、地味な結婚をするものである。
その中でこのカップルも、比較的地味な婚姻をした。
もっとも本番は、二次会などであったろうが。
今をときめくボカロPの多くが、ここに集まったのだ。
そして新婦側の関係者も、多くは芸能人である。
ボカロPというのは音楽業界の人間ではあるが、あまり華やかな場所に出ることはなかったりする。
それこそ徳島にしても、華やかな場所は苦手である。
ホリィのためでなければ、婚姻届だけで済ませていたであろう。
「そういえば名字は変わるけど、ホリィのままでいいのかな?」
「どうでもいいことだろう」
確かにどうでもいい。
ボカロPの中には、普通に人脈を持っている人間もいる。
徳島などは部屋に籠もって、ひたすら外出はしたくない、というタイプの人間であったが。
他のボカロPには、同じボカロPだけではなく、イラストレーターやデザイナーなどとも、親交のある人間が多い。
徳島などは放っておくと、果たしてどうなっていたことか。
だから向こうに引きずられるような形でも、今回の結婚は良かったものだと思うのだ。
基本的に徳島も、俊と似たタイプである。
音楽の仕事に没頭して、放っておいたら気絶するまで仕事をする。
なので嫁さんに管理されるのも、悪いことではないだろう。
ホリィは確かにしっかりもので、音楽を第一に生活が後回しになる徳島には、必要な伴侶と言えるだろう。
「まだそれほどの年齢じゃないけど、お前さんはどうなんだ?」
TOKIWAから声をかけられた俊としては、何も表情を浮かべることはない。
「別に結婚はしてもいいけど、恋愛をするのは仕事の邪魔ですから」
「いや、そういうもんじゃないが……」
「ラブソングが最近、奮っていないのはそういうことでしょう」
恋愛を邪魔とまで言うのは、あまりにも極端とも思えるが。
俊は堅物というわけではない。
ただ性欲や他の欲望よりも、己のやりたいことを優先しているだけである。
恋愛までいかなくても、ワンナイトのやり取りにしても、女性を口説くのが面倒である。
ならば風俗でも利用するのかと言うと、そこまでして実物の女性を準備しなくても、AVで解消する方がよほど簡単だ。
「性欲が全くないわけではないですから」
本当かよ、という視線を向けられてしまったりする。
俊としては本当に、結婚などはどうでもいいのだ。
自分の両親を見ていると、あまり結婚に夢を抱けないというのもある。
また恋愛にしても、世の中のフィクションを見る限り、面倒なものとしか思えない。
初恋と初体験が、ひどいものであったということはある。
そしてその後の付き合いも、向こうから告白された挙句、向こうが去っていったのだ。
それなりのイケメンではあるが、女性に対する優しさがほとんどない。
だが結婚相手として狙うならば、悪い人間ではないのだ。
ただボカロPの仲間内では、おおよその性格は知られている。
俊と結婚でもすれば、とにかく自分は二の次にされるであろう。
誰かと付き合っていた頃も、優先順位を変えない俊であった。
「ルナとは同居してるんだろ? そういう関係じゃないのか?」
TOKIWAは知っているのでそんなことも小声で言ってくるが、もちろん俊にそんなつもりはない。
「彼女はとても大切で、それこそ結婚したとしても嫁より大切にするでしょうけど、そういう関係じゃないですね」
このあたり俊も、なんとも言えない堅物と言えようか。
ノイズのメンバーの中では、栄二は結成の前から結婚していた。
授かり婚などと最近では言われているが、子供が出来たので結婚した、という簡潔な成り行きである。
俊の場合にしても、子供でも出来たらそのまま結婚してもいいだろう。
ただ普通の女性であっては、必ず性格の不一致あたりで、離婚することが目に見えている。
いっそのこと全てを承知したような、見合いででも結婚したら、破局はないのではなかろうか。
集まったノイズのメンバーは、結婚式の様子を知りたがったりした。
ノイズのメンバーの中で、明確に結婚願望があるのは千歳だけである。
ただ初恋さえもまだであり、恋愛観も全くない。
恋バナが好きではあるが、現実的ではないのだ。
今は晩婚化の時代であるが、俊や信吾あたりであると、結婚してもおかしくはない年齢である。
ただ信吾の場合は、下手なことをすれば刺されるだろう。
俊にしても、相手に求めることは、まず自分の仕事の邪魔をしないこと。
そんな考えの人間は、基本的に結婚には向いていない。
「まあ生活に不便も感じないしな」
俊としてはそれは、確かに正直な気持ちであった。
ただ世の中というのは本当に、成り行きで色々と決まってしまうことは多いものなのだ。
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