第292話 素顔の彼女
人が生きていく上で、生きるのが下手な人間というのは存在する。
コミュニケーションが下手な人間は一定数いるのだ。
かつてはそれでも職人のように、一つの技術を伸ばしていった。
だが今では多くの場合がゼネラリストであることを求められる。
もっともAIが進化しても、単純作業の仕事がなくならないのは、昔の人間から見れば不思議だろうが。
俊は基本的に、月子の不快になることはしない。
ただここで彼女の状態を知らせておくことは、長い目で見れば悪いことではない、とも思ったのだ。
天才というのは一つや二つの奇行があっても許される。
月子の場合は奇行ではなく、生まれ持ってのハンデキャップだが。
ならばなおさら同情の余地があるというものだ。
俊からの提案に、月子は少し考えた。
だが俊の家に居候している今はともかく、将来的には独立する必要があるだろう。
まだまだ俊にその気配はないが、やがて結婚でもするかもしれない。
その時に一緒に住んでいる自分などがいれば、さすがにやりにくいのではないか。
身内が同じ屋根の下で、セックスをしているという事実。
そういうものを考えると、どこかもやっとしてしまう月子なのだ。
今すぐではないが、徐々に一人で生きていく力をつける。
元々東京にやってきた時は、一人でやっていたのだ。
もっともあの頃も、向井が色々と便宜を図ってくれたのだが。
ただ俊が本当に結婚するかなど、想像のしようがない。
音楽と結婚した人間。
それはさすがに言い過ぎかもしれないが、家庭を持った姿が想像出来ないのも確かだ。
今のように家政婦に、数日来てもらえばいいだろう。
根本的にはあまり、掃除もしないのが俊である。
天才が家事が出来ないなどというのは、それなりにありそうなことだ。
ただ俊の場合は、そちらに回すべきリソースでさえ、音楽に費やしてしまっている気はするが。
まだまだ周囲に結婚の話などはないが、先日の披露宴に俊は呼ばれていった。
音楽業界ではミュージシャンなど、あまり安定した職ではないはずだ。
しかし俊の場合は例外的に、金儲けの手段には秀でている。
楽曲の著作権印税で、どれだけ稼げるものだろうか。
もっとも月子にしても、結婚してくれそうな人間像が思い浮かばない。
ともかく月子は決心した。
あとはテレビ局のほうが、実際の番組を作っていくだけである。
月子としてはインタビューを受けたり、過去の話をしたりと、それほどの負担があるわけではない。
あくまでも番組はディクレシアという読解障害や、相貌失認という症状に焦点を当てて、その代表的な有名人として月子を使うだけなのだ。
月子についてはいまだに、隠している部分がそれなりにある。
そもそもインディーズのバンドであるので、前面に出して宣伝というものが少ないのだ。
顔を隠していることも、眉間に傷があるからだ、などという噂が出ていたりもする。
実際に見たという人間はいても、それを写真で撮影した人間などはいないので、素顔が出回ることもない。
今回の番組についても、仮面はともかくサングラスで出演する予定だ。
メンタル的なことを理由にしているが、実際はアイドル時代の過去が問題なだけである。
別にアイドルであったことは、そんな黒歴史でもないだろう。
だがここまで前歴が分からないというのは、本当に人気がなかったからだ。
普通ならドルオタの中で、分かる人間もいるだろうに。
特に活動の終盤は、月子の歌でグループを引っ張っていたところがある。
やはり顔を憶えられないというのが、地下アイドルとしては致命的だったのであろう。
歌って踊って握手してチェキを撮って、そして会話もしていく。
月子はそんなファンの顔が憶えられなかったのだ。
今でも普通に、ただのスタッフの顔は記憶できていない。
さすがにノイズのメンバーは、もう脳にしっかり焼きついているらしいが。
今回の番組においては、月子の過去と共に、ノイズの発展も見ていくこととなる。
すると当然ながら、二人の出会いも明らかになるわけだ。
俊はともかく月子に関しては、それまで歌い手などとしても活動していなかった。
本当に突然、俊と組んで現れたのだ。
もっとも俊が見つけたという話ぐらいは、インタビューでも話されている。
もしも事務所などがセッティングしたならば、インディーズで売り出すなどということはなかったろうから、これは明らかに分かっている。
順番としても、俊と月子の出会いが最初なので、これは丁度いい構成になっている。
ただそれ以前の活動については、アイドル活動であったという、ほんのわずかな公開にとどめることにした。
もっともそうと分かれば、強烈なドルオタなどであれば、どうにか過去を発掘してくるだろう。
メイプルカラー時代のCDも、販売はしたのだ。
またソルトケーキが同じ楽曲を使っているため、そこからも辿ることは出来るだろう。
月子としてはソルトケーキが羨ましい。
夏のアリーナ公演では、前座ではあるがアイドルユニットとして、二曲も歌っているのだから。
ただあれは本当に、アイドル扱いしていいものかどうか。
ギターもキーボードも、打ち込みではなくちゃんと演奏している。
またボーカルについても、生で歌っているのだ。
メイプルカラーで歌っていた時より、難しいアレンジがしてある。
あの頃の演奏は、全て打ち込みであったものだ。
ダンスにしてもアイドルダンスではあるが、キレが全く違う。
聞くところによると、ハウスやロッキンにポッピンにブレイキンなど、しっかりとしたダンスレッスンを受けているらしい。
メイプルカラーはほとんどが、又聞きでやっていたものだ。
ダンスの中でもアイドルの振り付けダンスより、ストリートダンスに近いだろう。
ただし技術的にはヒップホップが入っていても、音楽はポップスに完全に寄っている。
ストリートダンスでもやり過ぎないように、アイドル性を持たせている。
今ならばK-POPに近いものなのだろうが、そもそもK-POP以前に日本のポップスでは、ダンスの入った曲がしっかり流行していたものだ。
丁度俊の父なども、そのあたりをプロデュースしていた。
あの時代の音楽がほとんど、今は聞かれないのは不思議だ。
ただあの時代から、ずっと続いているバンドもある。
俊の父にしても不遇の時代、プロデュース業をしっかりしていれば、今はまた違う音楽を生み出していたかもしれない。
だが音楽以外のものに、溺れてしまったのが運の尽きと言えるであろう。
酒や女に溺れたというのは聞いている。
おそらく俊の耳に入れなかっただけで、ドラッグなどにも手を出していたのだろう。
その晩年の父とは、あまり会っていない俊である。
今回の番組は、テーマ性からしても月子がメインになる。
メインボーカルである月子は、海外に知られることになった発端、霹靂の刻の作曲者でもある。
リーダーでメインコンポーザーで、作詞もこなしているのは俊だ。
しかしバンドの顔となるのはやはりボーカルで、顔を隠している月子になるのだ。
幼児期の事故から、山形の祖母に引き取られるまで。
そこでの民謡の習い事から、京都に出てくるまで。
山形時代は周囲の無理解で、苛められていたことなど。
これだけ情報が出れば、分かる人間には分かるだろう。
月子の同年代もおおよそ、既に社会に出ているか、間もなく社会に出る年齢となっている。
今どきの若い者であるのかもしれないが、果たして音楽を聞いているだろうか。
ネットネイティブである10代などは、もう音楽をBGMとしてしか捉えていなかったりする。
それならそれで、最高のBGMとするのが、俊の役割である。
ノイズの音楽の中には、しっかりと踊れる楽曲もある。
アメリカなどではどうしても、ダンスミュージックが主流になりやすい。
それが今のロックは死んだと言われるシーンなのだろう。
しかし音楽性の技巧を見るなら、いまだにロックは死んでいない。
技巧に走りすぎるのを、野暮と考えるのは、日本の文化にもある。
たとえば日本で代表的なのは、茶道がそうであろうか。
あのあたりの文化が、今のポップスへ取り込めるかというのは、俊としても分からない。
ただ千利休の茶道は、松尾芭蕉の俳句に、なんとなく似ている気はする。
アメリカのガレージロックやグランジというのは、原点回帰なところはある。
実際のところは換骨奪胎で、新しいものを見つけてくるのだが。
ともかく技巧に走りすぎ、などと言われるメタルであるが、それでいいのだと俊は考える。
ロックの系統で、おそらく一番最後の大物は、リンキンパークではないだろうか。
あそこはロックをやっていても、その表現の幅は広い。
シンセサイザーを使っておいて、ロックというのはどうなのか、と言う頭の堅い人間もいる。
別に悪くはないと、俊も思うのだ。
商業主義を否定することが、逆に売れるという路線になる。
とにかく主流派に喧嘩を売れば、それだけで金になった時代がある。
しかしそれは世論の操作を、大手メディアがやっていた時代だ。
今こそまさに、いいものはいいと言える時代なのだ。
再生回数を見てみれば、必要とされる音楽な何か、自然と見えてくるだろう。
もっとも中には馬鹿な再生回数操作をやって、ハブられている愚か者もいるが。
日本の音楽は、今は煮詰まっている状態と言えるであろう。
外タレの曲が売れなくなったのも、その証明ではある。
単純に攻撃的な音楽は、もうそれだけで聞くのが疲れる。
俊はそのあたり、一応は理解している。
いい音楽の条件はなんなのか。
売れることもそうだが、長く広く何度も聞かれることだ。
そしてその音楽の、背景すらも知りたいと思わせる。
これで音楽だけではなく、アーティストとして売っていくことが可能となるのだ。
彩はシンガーとしてだけではなく、モデルや女優としての活動もしている。
このあたり音楽ではなく、とにかく社会的に成功したいという、彼女の欲望が成就したと言ってもいいだろう。
彼女は満たされたのだ。
満たされてしまった者はもう、新しい何かを生み出すことはない。
欠落しているからこそ、人はそこを埋めるために、何かを生み出そうとする。
生まれつき欠落している人間がいる。
求めすぎた結果、自分の中に欠落を抱える人間もいる。
奪われた結果、欠落してしまう人間もいるのだ。
やがて満たされれば、戦う場所は変わってくる。
欠落と言うよりは、飢えが収まらない、俊のような人間もいる。
ずっと自尊心を削られてきた月子は、まだまだ欠落が埋まらない。
あるいは生まれつきのものであるので、死ぬまでずっと埋まることはないかもしれない。
ただそれはアーティストにとっては、むしろ幸福なことなのかもしれない。
栄二などは自分ではなく、誰かのためにドラムを叩く。
そういうモチベーションがあってもいいだろう。
だが本当に根本的な部分では、それもまた自分のためであるのだ。
むしろ自分のためだけにやっていると、いつかはそれで満足してしまう。
バンドの中でならば、お互いに刺激を与え続けることもあるかもしれないが。
俊は本当に、自分のためだけに音楽をやっている。
そして音楽以外では、満たされることがない。
無意識にではあるだろうが、ビートルズの故事などを語るからには、ビートルズぐらいに到達してようやく、満たされるのかもしれない。
もちろんそれは不可能だ。
才能とか以前に、時代性の問題で不可能なのだ。
こういった時、暁などは完全に、やりたいことをどんどんと増やしていっている。
それと反対で、手探りで音楽をしているのが、千歳であろうか。
むしろやりたいようにしかやっていなくて、いつかは満たされてしまうのかもしれない。
その時に彼女に、音楽を続けるモチベーションがまだあるだろうか。
アーティストがやがて、ほとんどの場合は売れなくなるというのは、このあたりに理由があるのか。
表現したくなることが、本当にわずかなものでしかない。
また俊のように、大容量をインプットしているわけでもない。
ジャンプの大ヒット作家に、多くの一発屋がいるのと似たようなものだろうか。
才能と同時に、とんでもないモチベーションが必要になる。
思えば俊の、過労死しそうな生活は、週刊のマンガ家に比べてみたら、普通であるかもしれない。
番組はあくまでも、障害がどういうものか、ということをメインに構成される。
昨今散々に言われている公共放送だが、こういうマジメな番組を作らせると、本当に民放とは違うクオリティで作ってくる。
月子が出演するのは、あくまでも有名人の中の、そういう例があるということだ。
月子の場合は一つだけではなく、複数の脳機能の逸脱を持っている。
相貌失認についても、顔が本当に完全に分からないわけではない。
たとえば色黒であったりすると、あっさりと判別がつくのだ。
難しいのはたとえば、美人の見分け方である。
整った顔というのは基本的に、要素が似ている。
もっとも記憶しても長く、憶えていることは出来ないのであるが。
メイプルカラーのメンバーなどは、さすがに今も記憶している。
もちろんノイズのメンバーも、当然だが見分けがつく。
それでも無理なのは、一度だけしか会ったことのない人間。
もっとも芸能界は、外見に特徴的な人間が多いので、それなりに記憶に残りやすい人間が多いので助かる。
たとえば痩せていて、目の下に隈があって、顔色が悪いのは徳島、などというように特徴を記憶するのだ。
またその人物との間に、関係性があったならば、そちらで記憶することが出来る。
一時的な記憶と、長期的な記憶には、脳の使っている場所が違う。
そういったことも含めて、相貌失認は難しい現象なのだ。
ドルオタの外見はある程度の類似性があったため、記憶に残るのはごく一部の人間しかいなかった。
特徴的であればあるほど、そこだけをイメージとして記憶することが出来る。
ただしその特徴を消してしまうと、一気に分からなくなる。
何度も会った人間であると、自然と忘れないようになる。
そういう点では月子は、まだしも軽度な状態であるのだ。
もう一つの障害、ディクレシア。
これも実は月子の場合、かなり軽度なものなのである。
平仮名に加えてカタカナも、問題なく読める。
また山や川といった単純で、元が明確な漢字なども、しっかりと読めるのだ。
さらにアルファベットも読めるのだから、むしろ恵まれている。
ただアルファベットの羅列だと、読めなくなったりもする。
それに読めると言っても、一般的な人間よりも、ずっと時間がかかるのだ。
未だに月子に対しては、ルビの打った歌詞に加え、ボーカロイドに歌わせた原曲も聞かせている。
本当にこういう時、自分のスキルは便利だな、と感じる俊である。
俊もまた少しだけ番組には出たが、周囲から理解する人間の一人としての立場。
京都の叔母のところにまで、カメラを回しに行っているのだ。
この時には久しぶりに、向井に会ったりもした。
メイプルカラー解散後の、メンバーの消息も聞いたりしたのだ。
全く芸能界から関係のない進路に進んだ者もいれば、裏方の仕事を目指している者もいる。
あれは短い間であったが、本当に月子には救いであった。
阿部や春菜といった事務所の人間に加え、同じミュージシャンの間にも、インタビューがあったりする。
俊がかなり過保護に守っていたため、月子のこの症状については、初めて知ったという人間も多かった。
「でもゴートさんとか白雪さんは、初対面で憶えられたなあ」
月子がそういうのは、おそらく顔面の情報以外に、個人情報をオーラとして発しているからではなかろうか。
ちなみに俊の顔も、ごく短期間で記憶した。
ノイズのメンバーで一度で記憶したのは、暁ぐらいである。
ただ一緒に演奏などをしたら、その情報が顔と一緒に記憶され、一致するようになるのだ。
これはより印象的な記憶の中に、容貌の記憶までが含まれるからだろう。
最初から人間の顔として、はっきり認識できたとする。
その場合は月子にとって、男女問わず一目ぼれに近い状態であるのだ。
そういう点では芸能界は、記憶しやすい人間が多い。
服装のスタイルなどでも、はっきりと分かるからだ。
また月子の場合、アニメなどのキャラクターなら、かなりはっきり記憶できる。
髪の色が様々であるという以外にも、個性がはっきりしているからであろう。
以前にも医者や学者に、この症状については聞いていた月子である。
これはもう脳の構造上、仕方がないことなのだと言われた。
ただこれによって月子自身ではなく、周囲の人間が変わってくれる。
彼女にとっては、生きやすい環境が整えられていくのだ。
本人はともかく俊や阿部は、こういった個性についても、売り出しの要素として考えている。
海外のポリコレの波に乗るなら、こういった障害があった方が、むしろ売れるであろう。
もっとも海外のアーティストは、他の部門での発達障害がいたりはする。
天才は何かが欠落しているのか、それとも欠落した中から生き残ったのが、天才と呼ばれるのか。
バンド自体の応援をするような仕掛けには、あまり出来ない構成となっていた。
しかし海外フェスへの参加など、こういったハンデを背負っていながらも、戦うのだという前向きなメッセージは発信される。
元からノイズのメンバーの中でも、月子は特に秘密主義的なところがあった。
だがこういった事情があるのだと分かれば、むしろそれは神秘的にも思われる。
スターが身近になった時代ではある。
そんな時代に月子は、自分の情報を発信しない。
理解されることが、難しいというハンデキャップ。
そして近づいても記憶されないという、ファンにとってはもどかしい距離感が、自然と作られるのだ。
この番組が放送されるのは、年末のフェスの少し前。
ただ番組の内容自体は、それ以前から業界に知られていく。
それによってノイズには、また違った影響が出てくる。
しかしそれがどういうものかは、未だに俊たちも分かっていなかったのである。
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