第142話 芸術家と職人

 ライブ終了後の打ち上げで、暁は一人沈んでいた。

 アルコールも摂取していないのに酔っ払っている千歳とは、対称的なものである。

 これの面倒を見るのは、車を運転するために、やはりアルコールを入れていない俊のみ。

 オーディエンスの反応を見る限りにおいては、充分にあれは成功であると言えた。

 だが暁が納得していないのである。


 求めるものが高すぎるというか、自分自身の納得が重要。

 そのあたり暁は、かなり俊と似ているかもしれない。

 だが同じ完璧主義者でも、俊は現実の前には妥協する。

 0.1を増やすよりも、1増やす場所があれば、そちらを優先するという程度であるが。

 全てに完璧を求めていれば、俊の作業内容は破綻してしまう。

 このあたりアーティストなどと言われながらも、資本主義社会で生きている限界かもしれない。


 俊は自分のことを、芸術家だとは思っていない。

 いや、突き詰めればこれも、芸術の域に達するのだろうが。

 己の作る楽曲は、全て職人の技で作っているもの。

 基本的にはインプットしたものからしか、アウトプットすることは出来ない。

 このアウトプットが、ぎりぎりまで満たしたインプットから生まれる。

 俊の自覚している自分の力というのは、そこまで追い込んでから出るものなのだ。


 そんな俊としては、フィーリングで生きている暁とは、目的地が同じであっても、アプローチの仕方が全く違う。

 常に全力で求める暁に対して、俊は失敗があることを当然と考える。

 全てのライブがどっかんどっかんと盛り上がるわけではないと、ある意味では諦めてしまっている。

 反省し、改善していかなければいけない。

 だが後悔というのは、次に進む足にまとわりついてくるものだ。

「どんなバンドだって、全てのライブが成功するわけじゃないだろ」

「分かってるけどさ」

 実際にノイズも、失敗ではなかった、というライブをこれまでにはやってきているのだ。


 だからこれは、暁個人の問題である。

 ノイズ自体は失敗に近くても、暁は全力で演奏をする。

 今日の場合はそれが、暁の力が足りなかったため、満足のいく領域に達しなかったのだ。

 だがライブ自体は盛り上がっていた。

「俊さん、あたしたちって、甘やかされてないかな?」

「甘やかす?」

 あたしたちの範囲と、誰が甘やかしているのかが分からず、俊はそのまま問い返す。

「これが最初の頃のステージだったら、お客さんも盛り上がらなかったと思うんだけど」

「……予定調和的に盛り上がったと?」

 なんとか考えて出した俊の言葉に、暁は頷いていた。


 ライブの出来などは関係ない。

 もはやノイズであるなら、勝手に盛り上がってくれる。

 こちらが与える以上に、向こうが返してくれていたのだ。

 その一方通行具合が、暁としては気持ちが悪かった。




 なんとなくではあるが、俊もかろうじて分かった。

「アイドルのライブが、まだ未熟でも盛り上がるっていう現象かな?」

「あ~、そういうのに近いかな」

 それは俊の言葉も、随分と辛辣なものである。


 日本のアイドルの場合、完成している必要がない。

 むしろまだ未完成のところから、成長していくストーリーが必要になる。

 俊としてははっきり知らないが、昭和のアイドルなどはわざと、下手に歌っていた者もいるという。

 今でもアイドルのライブなどだと、口パクがある程度は暗黙の了解である。

 もっともそれを言うなら、バンドであっても打ち込みでやっていて、弾いているフリだけをするというのが普通にある。

 ただあれは、小さいハコで出来るようなものではない。


 暁の不満から、俊は自分も懸念を感じ始めた。

 ノイズはある程度人気が出て、ファンから甘やかされているのか。

 ちょっと東京から離れても、横浜は充分に在京圏。

 準地元と言ってもいい場所なので、反応も暖かい。

 これがあの大阪であったりしたら、あまり盛り上げることは出来なかったのではないか。


 難しいというか、微妙な問題である。

 ライブの意義というものさえ、考えてしまうぐらいのものだ。

 完璧な演奏ではまだ足らない。

 想定を超えた演奏をして、まだ見ぬ領域へと引き上げる。

 そこまでやってやっと、ライブというのは成功だと思う。

 期待以上のものを与えられてこそ、次もまたと求めていくのだ。

 つまり演奏する側も、変化するか成長するか、続けていかなければいけない。


 口パクであろうがなんであろうが、オーディエンスを満足させるのが、エンターテイメントであろう。

 だがそれはアーティストではないし、ロックでもない。

 パンクはかろうじて含まれるかもしれないが。

 魂を燃焼させる、暁のギター。

 早く燃え尽きてしまいそうにも思えるが、逆に完全燃焼しなければ、満足もしないのだろう。


 ギターが違うだけで、そこまでパフォーマンスが変わるのか。

 かなりセッティングに時間をかけたので、リハではそれほど変わらないと思った。

 だが本番においては、やはりテンションが上がらなかったのだ。

「オーダーメイドのギターは大丈夫なのか?」

 一応一緒に行った俊ではあるが、細かいところは全て暁が話していたものだ。




 エレキギターの良し悪しというのは、本当に微妙なものなのである。

 言ってしまえば正確なだけの音なら、打ち込みの方がよほど分かりやすい。

 だが打ち込みの音が、そのステージの熱量に適切なものであるはずもない。

 ガンガンと歪ませていくのが、暁のギターである。

 女のクセにやたらとパワフル、などと言われたりもする。

 それが暁のギターなのである。


 普段は完全に正確に、リードギターとしての役目を果たす。

 本来の曲のギターよりも、ヘヴィなサウンドを聴かせてくるのだ。

 ノってくると髪ゴムを外し、そのギターの音でオーディセンを貫いていく。

 Tシャツを脱ぐと客を躍らせて、自分も姿勢を変えてより音が重く、パワフルになっていく。

 そのうち水着のトップスも外してしまうのではないかと、俊は時々心配になったりするのだが。


 酔っ払った男二人はバンの後ろに乗せて、一人酔っていない俊が運転をする。

 おそらくこの後の埼玉と千葉も、こんな感じになるのだろう。

 月子は普通に飲んでいたが、自分の酒量をちゃんと弁えていたらしい。

 ただ、彼女はまだ20歳までに、少し時間があったはずだが。

 そこまで頭は固くない俊である。

 薬物でもないのであれば、警察のお世話になることもない。


 次の週末はまず、埼玉の250人のキャパでライブをする。

 構成としては今日と同じような感じで、地元のバンド二つと対バンを組む。

 ようやく物販のCDについても、売れ残りが出てきた。

 300人のキャパに500枚を持っていって、50枚が残ったというのだから、それでも充分な話である。

「う~ん、最初は嬉しかったけど、ライブ一回ごとに買ってくれる人は減っていくんだよね」

 素直に金銭欲がある千歳は、そんな難しい顔をする。

 もっとも彼女の場合は、両親の生命保険や遺族年金もあるため、実は切迫した状況にはないのだ。


 ライブの出演料やチケット販売で、ちゃんと利益が出るようになっているのが大きい。

 貧乏バンドはまず、その段階で躓くからである。

 バンドで稼ぐのではなく、バンドをやるためにバイトをする。

 練習にあまり時間が取れない、という負のループに入ってしまっているバンドは多いのだ。

 その点でノイズは、発起した段階で、大きなアドバンテージがあった。

 無料で使えるレッスンスタジオという点で、他のバンドにはない利点がある。


 一般的なメジャーバンドであると、メンバーに社宅のような感じで、マンションなどを用意することもある。

 そこでもノイズは俊の家があるため、圧倒的に有利なのだ。

 他のバンドが、アルバイトなどをして、バンド活動や生活費を稼ぐ時間、ノイズは練習や作曲などについやすることが出来る。

 ただ環境が悪いからこそ、生まれてくる音楽というのもある。

 下積みが長いバンドというのは、活躍期間も長い、などと言われたりするのだ。




 国内には大規模フェスが、およそ二つある。

 三つと数えてもいいが、八月に行われるものに、ノイズは照準を合わせている。

 参加出来るかどうかというのは、まだ分かっていない。

 もっとも決まっている面子は、既に決まっているらしいが。


 ギャラの折り合いがつかなかったりして、けっこう直前で出場するバンドは変わったりする。

 それでもこのあたりで候補になっておかないと、さすがに厳しい。

 出来れば1000人以上の規模のハコを、ワンマンで埋めたという実績がほしいところだ。

 ただそういう音楽性とか実績とかだけでは、参加が決められないのも確かである。


 結局は金の動きが、選ばれるバンドを決めていく。

 協賛企業があったりすると、そこのCMにタイアップした音楽を提供していると、おおよそは選ばれることになる。

 そのあたりはもう、資本主義社会なので仕方がない。

 だが金の流ればかりではなく、小さめのステージではあるが、実力のある若手枠というのは確保されているものだ。

 そこでもある程度は、コネクションや事務所の力で、どうにかなるものなのだが。


 今の事務所はメジャーレーベルから、無理やりインディーズを作り出したものである。

 それでも金をかけることなく、ちゃんと物販やライブなどで利益を出しているので、お荷物なバンドにはなっていない。

 ただせっかくならば、もっと金をかけた上で、大きく売っていきたいというのが正直なところだろう。

 俊はその宣伝や広告に対して、懐疑的なのでメジャー扱いはされていない。


 300人規模のハコまでは、対バンしているものの全て埋めてきている。

 去年もストレンジでワンマンをやり、300人規模のハコを完全に埋めた。

 さらに一段階上のステージとなると、一気に金がかかるようになる。

 少し変な話になるかもしれないが、300人規模までのライブ専用のハコの方が、ローディーを必要としなかったり、演出も少なかったりで、儲かることが多いのだ。

 極端な話をすれば、東京ドームでコンサートをするなら、チケットは全部売れて当然、グッズも大量に売れて当然、その上で二日連続か午前午後の二公演をしなければ、経費の方が高くなる。


 そのあたりフェスであると、ステージなどの準備は主催者が基本のところはやってくれている。

 他のバンドやミュージシャンを目当てにやってきた客を、自分のファンへと引き抜くことも出来る。

 ノイズはまだ、メジャーな媒体では紹介されていない。

 せいぜいがインフルエンサーの紹介か、雑誌での取材程度。

 また実力自体はあると思うが、大規模なハコでワンマンをやるノウハウもない。

 それはさすがに、事務所の力を借りることになるのだが。

(デビューから一年ぐらいで夏の大規模フェスは、やっぱり難しかったかな)

 そうは思うが、今のノイズは勢いがある。

 どこかでもう一つ、弾けるところはないかと、考えながらハンドルを握る俊であった。

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