第182話 災厄の予兆
2000人規模の巨大なハコを、四度満員にする。
つまりノイズの動員力は、単純に言えば8000人に到達したということが言えるだろう。
実際のところは、同じ人間が何度もチケットを買ったりする。
ノイズのライブではオリジナルはほぼ変わらない演奏であるが、カバー曲はその都度色々と変わる。
洋楽から邦楽、特にアニソンなど。
またボカロ曲もカバーしたりと、その守備範囲が広い。
節操のない音楽性、などと言われたりすることもある。
だが節操もなく多くのジャンルをカバー出来ることが、ノイズの技術の高さを示しているとも言える。
普通の人間なら歌えない、ボカロ曲などにしても、ボーカルを二人にすることによって、アレンジして歌ってしまえる。
コーラスのところならば、暁も少しは歌えるが、基本的にはツインボーカル。
他の全てを打ち込みにしても、ボーカルの個性だけは増やすことは出来ない。
将来的にはボーカロイドの性能が上がって、近いものを作れるようにはなるのかもしれないが。
サリエリは元ボカロPだから、受けることに特化した浅い楽曲を作るのだ、などと言う人間も界隈にはいる。
別に浅いと言われることは、俊は構わない。
これが今の時代の音楽なのだ、と思うだけである。
しかしクラシックの技法も使っている、自分の音楽を浅いと言うからには、果たしてどういう音楽を作っているのか。
そう思って聞いてみたら、ヤードバーズや初期ビートルズのような、懐古趣味の薄味でありながら、何もオリジナリティがない音楽だったりする。
自分たちのやっているものこそがハードロックなのだ、という人間は目の前の再生回数を見た方がいい。
俊はわざわざそういった人間に関わるのも時間の無駄なので、基本的には実績のある人間か、売れると思った人間の言うことしか聞かないようにしている。
それを傲慢だと言われても、俊も人生で使えるリソースは限定されているのだ。
自分の音楽を届けるのが目的なのか、とにかく届けられるならなんでもいいのか、そんなことを考えたりもする。
だが確実なのは、届く音楽しか現実では、必要とされていないのだ。
後に再評価される、などということを俊は望んでいない。
「しかし出世したなあ」
大学に課題を提出しに来た俊は、岡町とも話をしている。
これよりも売れるためにはどうすればいいか、ということを話すためだ。
「俺たちはプロディーサー任せだったし、お前の親のパターンは、今は出来ないんだろうなあ」
「父さんの?」
「他の誰かに曲を提供しようという気にはならないか?」
「それは……」
「お、あるのか?」
「いや、どうして自分が殻を破れなかったのか、今なら分かると思って」
俊はつまるところ、月子に魅了されたのだ。
彼女のために作った歌が、ノイジーガールである。
そして暁が参加して、千歳が加わったことでノイズは完成した。
かつて俊が考えていた音楽は、他の誰かのためのものである。
誰のために作っていたのか、今なら客観的に分かる。
そしてどうしてそれが、完成度が低かったのかも分かる。
自分の感情の整理が出来ていなかった。
しかし今はもう、そこからは解放されている。
岡町は俊の複雑な過去を知っている。
そしてまた俊が決して口にはしなかったが、おそらくはあったであろうことに気づいている。
そこからやがて解き放たれることを、祈ってもいた。
だが自分が救ってやろうとは思わなかったし、出来るとも思わなかった。
俊は他人に救ってもらうには、プライドが高いのだ。
その偏屈なプライドは、創作者には特有のものだろう。
人間の創造性というのは、複雑なものである。
こだわりがなければ、優れたものに昇華はしない。
だがそのこだわりに縛られていては、自分の可能性を破ることは出来ない。
少なくとも単純な誤りさえ訂正できない人間は、それ以前の問題であろうが。
自分が売れないことを、世間の無理解に転換するのは、ひどく惨めなものである。
もっとも、それもまた人間ではあるのだが。
俊は自分が、一応は成功者の分類に入ることは理解している。
だが内心の貪欲さが、まだまだ満足してはいない。
人の欲望というのは、悪いことばかりではない。
生命への欲求というものが、果たしてどれだけの発展を促してきたか。
原発反対などという馬鹿に、俊はなりたくはない。
少なくともシンセサイザーを使っている限り、そんな馬鹿なことは言えない。
そのあたり俊は夢想家な側面を持ちながらも、おおよそは現実主義者である。
ジョン・レノンが歌ったようには、人々は平和にはなれない。
むしろ学べば学ぶほど、人間の本質には愚かさがある。
それを直視するところに、俊は自分の個性を見出そうとしている。
現実を見据えなければ、本当の解決策など見つかりはしない。
俊の作る歌詞には、そういったメッセージが色濃くなってくる。
しょせん音楽などは虚業であり、だからこそ商業ロックを否定する動きがあった。
だがその商業主義に反対する意識こそが、多くの人々の感性にマッチしたというのが、グランジ系の成功であろう。
俊が思わず笑ってしまうのは、サリエリとしての昔の曲に、今さらながらコメントが書かれることである。
おおよそ「この頃が良かった」とか「最近はポップスになりすぎ」といったものである。
俺だけが知っている、というタイプの厄介勢とでも言うのだろうか。
実は月子の歌ってみたにもそういう書き込みはあるのだが、そもそも月子は漢字が混ざると読めない。
悪意を受けにくいという体質は、この時代では幸いであるのかもしれない。
ほとんど毎回のように、ノイズのライブに来てくれているファンはいる。
そういうコアなファンもいれば、地方在住でライブには来れないが、MVから流れてCDを通販で買っているというファンもいる。
音楽は広く伝えなければ、聴いてもらえることがない。
当たり前のことであるが、重要なことでもある。
「七月からアメリカでアニメが始まって、上手くいけば日本でも七月のアニメで流れるってことか」
「日本のほうはコンペだそうだから、どうせもう決まってるんだろうけど」
そのあたり俊は、リアリストである。
コンペなどわざわざやっているのは、外部的な印象を操作するため。
既に内々では決まっていて、それが選ばれるに決まっている。
ただ星姫様は当初決まっていたミュージシャンに、問題があって降板となったものだ。
なので1%ぐらいは可能性が残っているのかもしれない。
時間をかければかけるほど、新しい曲が生まれてはくる。
だがどの曲も、基本的なイメージは同じなのだ。
特に同じなのはテンポであって、バトルシーンがそれなりにある作品としては、速いビートを作っていく。
少なくともバラードが合うなどとは考えてはいけない。
「そういえばさあ、ED曲の方は募集してなかったんだね」
千歳はそう言うが、経緯を考えればそれも当たり前である。
元は決まっていたものが、ミュージシャンの問題でダメになったのだから。
高校生組もテストなどが終わり、ライブへの最後の追い込み練習をしていく。
とは言っても普段と、特に変わったことなどはあまりない。
二時間のステージに合わせて、調整をしていくのが練習である。
演奏する曲については、既に決まっている。
八割は自分たちのオリジナルであるが、残り二割でカバー曲を演奏する。
普通のバンドでは無理であるが、俊のシンセサイザーで、かなりの部分はフォロー出来る。
それがノイズの強みである。
最近は成功と金のことばかりを考えているな、と感じる俊。
だがこの二つは、ほぼイコールでつながっている。
二月にはテレビに出られると伝えた時には、さすがに全員が喜んだものだ。
他の番組ならともかく、ミュージックスタジアムは信頼の置ける音楽番組だ。
音楽チャートの10位以内には全く入らないが、100位前後をずっと行き来していた。
それがノイジーガールであり、サブスクなどで公開していなかったことを考えると、むしろ異常な人気と言える。
現在では確かに、再生数なども基準にしているが、サブスクやDL販売などが基準の一つにはなっている。
またCDが売れない時代に、通販でしっかりと売れていることが、評価の対象にもなっているのか。
もっとも単体の曲としては、ほとんど出していないのが、ノイズの歪な展開方法ではある。
インディーズバンドとして、宣伝が少ない割には、しっかりと人気を取っている。
そして大きなハコでワンマンライブもして、フェスでも数万人を熱狂させる。
極めて特殊な人気の獲得の仕方だが、これも今の時代に乗ったものと言えるのだろうか。
結局は海賊版で、それなりに流れていたりもする。
音楽は無料で聴くもの、という意識になってしまっているのか。
なのでライブの「体験」はやはり重要なものなのだろう。
俊はその間に、また一つの仕事を頼もうとしていた。
まずはアニメーション制作会社MAXIMUMの藤枝との面会である。
依頼と言うよりはその前段階の、依頼が可能かどうかと、現在のタスクの確認である。
霹靂の刻については、満足のいくレベルの物を作ってくれていた。
ただ暇がなければ依頼しても無理だろうということと、あるいはどこか別のところを紹介してくれるだろうか、ということなどを色々と考えてのものだ。
手土産をしっかりと買って、領収証も経費にする。
このあたりはもう、来年の確定申告を考えていたりする。
そして藤枝と会ったわけだが、向こうは星姫様の話題を出してきた。
「え、あれってここで請け負うんですか?」
「秘密だけどな」
本編の一部もだが、OPに関しては全てを、MAXIMUMで請け負うのだという。
本編に関しては大元の制作会社が行うが、既に失敗が見えているそうだ。
日本のアニメ制作事情は、描ける人数だけならともかく、上手く描ける人間はそれほど多くない。
近年は外国にも注文しているが、基本的に現在では日本国内だけで作るのは贅沢である。
日本のアニメは金になるようになってきているが、それが現場にまで還元されるのは、まだまだ足りていない。
コンテンツとしては強力なもののように思えるが、実際には1クールで本当に価値がある作品はそれほど多くない。
俊としてはそのあたり、あまり詳しくないのだが。
藤枝としてはノイズというバンドは、かなり不思議な印象がある。
ノイズと言うよりは、俊というリーダーの特徴なのかもしれないが。
テーマを持った楽曲を作るということが、昨今では重要になっている。
タイアップにしても昔と違って、完全に原作イメージ優先となっている場合が多いのだ。
俊の曲を藤枝も、作品世界に合わせたものだとは分かっている。
アニメ制作会社としては、こういう作品に合った音楽を作ってくれる人間というのは、ありがたいものだと思う。
昔からアニメ専門のような作曲者という者はいた。
ただノイズはBGMではなく、あくまで演奏のついた歌を作るバンド。
俊もメッセージ性を歌詞で伝える人間だ。
この先もしばらく、仕事で関わることはあるかもしれない。
「うちも人数を増やしたいんだが、アニメ業界はなかなかなあ」
ごく一部しか成功しない音楽業界とは違うが、アニメ業界も優れた才能が報われることは少ない。
もっともこういった虚業の世界というのは、音楽やアニメに限らず、ほとんどがそういうものであるのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます