第144話 アンコールが二回

 千歳が時々考えるのは、このままバンドをしていてもいいのかな、ということである。

 なんだか安月給のサラリーマン程度は、軽く上回る報酬が入ってくることはあるが、基本給はとても安い。

 ライブチケットや物販などによって、この収入は担保されている。

 ギター一本で生きていきそうな暁や、音楽業界で生きていく他のメンバーとは、覚悟が違うなと自分のことを客観的に見てしまう。

 だが少なくとも今は、甲子園を目指して懸命になる高校球児のように、自分の全力で苦しみと解放を楽しめばいいのだ。

(あたしの苦しみを、分かってみろ!)

 魂が吐き出すものが、千歳にはある。

 それは激しく燃焼するものであり、よってバラードを歌うのはそれほど上手くない。

 もっとも月子もソウルになってしまうので、本格的なラブソングは、ノイズには合わないのかもしれない。


 本来のギターの戻ってきた暁は、リハでの音作りからしっかりとしていて、本日は絶好調。

 好調すぎて飛ばしすぎでは、と他のメンバーは思わないでもない。

 こういう時には千歳がフェンダーのテレキャスを使うと、自分の走りすぎに気づいてくれたりする。

 本来ならば安定しているスクワイアのテレキャスタータイプは、バラード系の曲でしか使わないようになってきている。

 もっともオーダーメイドのギターが完成すれば、そのギター一本で通用するようになるだろうが。


 長野に言って話を聞いた中では、面白い見方を示されたものだ。

 それはビンテージのギターに関する話である。

 俊の価値観をそのまま聞いていた千歳は、ビンテージ信仰というものがない。

 ただちゃんと管理されていた俊のテレキャスターは、ちゃんと使えるビンテージだと思っていたのだ。

 だが現代の職人とも言えるクラフトマンは、ビンテージがなぜ求められるのか、また違った見方をしていた。


 実はギターというのは、しっかりと間違いなく作ったとしても、ある程度はハズレが混ざってしまうものなのだ。

 これはそもそもの木材が、悪いところが含まれてしまっていたりするからだ。

 木材は何年か寝かせて、しっかりと水分の抜けた物を使う。

 だがこれも乾燥しすぎると、やはり悪いことになるのだが。


 世界に残っているビンテージは、そういった時間の流れでも、ちゃんと弾ける性能を残しているというものだ。

 また年代によって使っている木材が違うため、ハズレが入りにくかったりしたこともある。

 残っているからいい物なのではなく、いい物しか残らなかったのが、本来のビンテージ。

 それなのにたまたま残ったというだけで、価値が出てきているのは、まさに本来の信頼性を損なっているというものらしい。

 美術品のようなものであって、もはやそれは楽器ではない。




 千歳がオーダーメイドしたのは、今のスクワイアに加えて、俊のテレキャスと同じような音が出るという、尖った部分を増やしたギターである。

 世界の職人を馬鹿にするわけではないが、日本で使うギターに関しては、基本的に日本で作るのが、一番環境には合っている。

 少なくとも100万以上もする年代物と、同等の性能と音色を持つオーダーメイド。

 出来上がるのが楽しみな千歳である。


 長野から戻ってきたのは暁も同じであるが、千歳ほどの期待はオーダーメイドにしていない。

 そもそも暁の場合、レフティという点で、作る金額が高くなっているのだ。

 また今のレスポールについても、これは本来なら規格外品として、売り場に出されなかったかもしれない。

 とにかくレフティであるために、偶然にもそのまま店に送られた、というものである。

 店頭で10年近くも眠っていて、そして暁の手に渡った。

 東京に住んでいる暁が、京都で偶然に手に入れたというだけで、どこか物語めいているではないか。


 いくら愛機であっても、それ一つでしか満足な演奏が出来ないというのは、楽器に自分を合わせすぎている。

 そもそも昔から他の楽器も、ちゃんと使ってきたのだ。

 黄色いレスポールは元々好きだったもので、一番最初は父のエピフォンをそのまま貰ったもの。

 そして予備として買ってもらったのが、もう一本あるのだ。

 そちらも悪いギターではないが、個性の色が薄かった。

 その意味ではやはり、このレスポールは特別なのだ。


 千歳は本当に、この一年ほどで上手くなった。

 だが暁のギターは、上手いのではなく凄いのだ。

 テクニックを見せ付けることもあるが、その音色にはフィーリングがある。

 生まれてすぐの赤ん坊の時代から、ずっとギターの英才教育を受けてきた暁。

 数々の名プレイヤーのコピーをしていくことにより、なぜその演奏をするのかが、分かってくるようになった。

 ジミー・ペイジはちょっと分かりにくかったが。


 基本的にはジミヘンのスタイルの根幹を参考にしつつ、エリック・クラプトンの真似に入り、そこからリッチー・ブラックモアなどに入っていく。

 ハードロックからヘヴィメタルあたりがスタイルの基本だが、もっと枯れた音も出したいと思う。

 ほんの少しずつ、しかし絶対に届かないような、理想の音へと近づいていく。

 毎回ステージでは、自分を完全に燃焼させるのだ。




 一時間以上あったステージを、全力でやりきった。

 前回不完全燃焼だった暁が、一番走っていたと思う。

 それを必死でリズム隊が抑えて、暴走するのを防いでいた。

 千歳まで協力して抑えたわけだが、結局最後に止めたのは月子の歌であった。


 楽屋ではパイプ椅子に座り、呼吸を整えている楽器隊。

 月子も肩で息をしているのに対し、俊だけは体力を残している。

 むしろ俊の場合は、暁が暴走しかけたあたりで、神経をすり減らされた。

 だがそこにハコのスタッフがやってくる。

「お客さんが全然帰らないんだけど、もう一曲いけないか?」

「え、セトリの曲やったのに?」

 確かに騒がしいが、予定通りのアンコールまではもうやっているのだ。


 求められて、充分に与えたつもりだった。

 だがさらに求められてしまっている。

「仕方がないな。じゃあ……ツインバードあたりでどうだ?」

「またギターのしんどい曲を……」

 そう言いながらも、ギターを持った暁の目には、既に光が戻っている。


 顔をしかめながらも、そこには喜びがある。

 チケット代以上に演奏するが、それに文句を言うメンバーなどはいない。

 客を満足させなければ、エンターテイナーではないのだ。

 もちろん限度というものはあるだろうが。

「ほら、千歳も行くよ」

「うい~」

 暁に手を引かれて、千歳も立ち上がる。

 あと一曲、最後の力を振り絞るのだ。




 疲労の激しいノイズのメンバーは、事務所スタッフの力も借りて、機材などをバンに戻す。

 こちらは事務所の人間であり、本来は物販のために来てくれている人間なのだ。

 ローディーの真似事をするのは、本来の役目には入っていなかったと思う。

 だが当たり前のように手伝ってくれて、死んだように横たわる他のメンバーに代わって、俊が頭を下げる。

 本来こういったことには別途、ちゃんと人件費を払わなければいけないのだ。

 だが芸能界というのは特殊なもので、やれる仕事は全部やらなくてはいけない。


 女性陣はともかく、男性陣までダウンしているというのは、そうそうないことである。

 このあたり俊と他のメンバーの間には、温度差が生じていると言ってもいい。

 フィーリングを重視し、ソウルフルな演奏をする他のメンバーと違い、俊は機械的に冷静な演奏を必要とする。

 それでもある程度疲れるのは間違いないが、やはり使うカロリーが違うのだろう。

 ギターやベースなど、3kg以上の物を首から下げて、一時間以上演奏していると考えれば、それだけで体をあちこち酷使する。

 バンドマンはタフでなければ通用しないのだ。


 今日のところは想定以上に盛り上がってしまたため、打ち上げをする余裕もなくノイズはダウンしていた。

 暁が完全に走ってしまって、それに他のメンバーが引きずられたと言うか、途中からは競争にさえなっていたような気がする。

 単純にテンポだけではなく、パワーも全く違っていた。

 横浜と比べるとかなり、パフォーマンスに違いがあるのが分かる。

 まだまだ体力が足りていないな、と俊は思うところであるが、自分の負担はライブの前までで、ライブの負担はMCぐらいだと分かっている。


 物販の方の売上なども、少しは機材の運搬中に聞いている。

 ミニアルバムはさすがに売れ残ったのだが、前のファーストアルバムとカバーアルバムがそれなりに売れたらしい。

 またステッカーやマグカップ、キーホルダーなどのグッズも売れている。

 こういう音源以外のものも売れていってくれると、バンドの重要な収入となるのだ。


 メンバーを家にまで送り、そして月子と信吾はそれぞれ、部屋のベッドに転がす。

 そこまでやってからまだ、俊はやることがある。

 別にすぐではなくてもいいのだが、アンケートのノイズに書いてくれた部分をチェックするのだ。

 好意的な感想の方が多いが、どうしても逆張りと言おうか、ひねくれた意見は書かれていたりする。


 本当にそれが、自分たちに期待を裏切られたのか、それとも他の問題があるのか。

 たとえば俊の曲に対して、どこどこのパクリだなどと言ってくるのは、相当に多い。

 誰かのパクリだと言うならまだいいのだが、自分の頭の中の曲をパクったなどと言われると、さすがにちょっと怖い。

 ただこういう訳の分からない存在が出てくると、そこまで自分たちが認知されてきたということでもある。

 評価というのはだいたい、序盤は星五つだけが続いたりする。

 だがやがては低い星もついてきて、最終的にはどのあたりで止まるのか。

 4.5以上の評価であれば、問題ないと俊は考えている。




 次はこの週末関東遠征最後の、千葉でのライブとなる。

 千葉には大規模イベント施設があるため、ここでのライブを成功させることは、かなり重要である。

 もっともその施設は千葉といっても、東京寄りの千葉であり、県庁所在地なわけではない。

 だが集客を考えるならば、やはり千葉から来てくれる客のために、半端な演奏は出来ないのだ。


 今後のことも考えている。

 夏の超大型フェスのうちの、どちらか一つにはどうにか出たい。

 一番小さなステージでも、4000人があつまるというそのフェスは、さらなるファンを集めるためには重要なものなのだ。

 この時期からならまだ、年末のそれなりに大きなハコを、キャンセルした分など埋めることが出来るかもしれない。

 もっともその規模になると、どういうステージにするのかという、プロデュース能力が必要となってくる。

 俊としてもまだまだ、未体験の領域である。


 あまり大きすぎてもよくない。

 まずは都内で、1000人規模のワンマンライブだ。

 ただこの先がどうなっていくのか、それが分かっていない。

 いや、単純に段階は分かっているのだが、どうやってつながっていけばいいのか分からないのだ。

(配信でノイジーガールは回ってるけど、サブスクをしてないからなあ)

 一応DL販売の方は、準備も完了しているのだが。


 音楽業界も含む芸能業界は、金の流れが大きいが、人と人のコネクションもまた、重要なものとなってくる。

 ビジネスライクに見えて、そうではない部分が巨大であるのだ。

 もっとも阿部が言うには、ノイズのCD売上や、MVの回転数は、かなり業界でも注目されている。

 特に霹靂の刻が完成したら、また大きな話題になるだろう。


 昔、サリエリでやっていた頃のように、もっと単純なアニメーションでいいなら、いくらでもやりようはあるのだ。

 だが自分自身が満足しないものを、客に提供するわけにはいかない。

 今はネットですぐに手に入るものが、ノイズの場合はネットには落ちていない。

 しかし今さら現物を手に入れても、それを視聴するための機械自体が、もう手元に置いてなかったりするのだ。

(パソコンかスマホを使って、そこから聞く時代か)

 まあヘッドフォンがなければ、ベースの音の良さは分からなかったりするのは確かだが。


 やはり目標とするのは、巨大なライブをすることだろう。

 大きな金を動かして、大量の人も動かす。

 業界の中で存在感を増していき、とりあえず彩を上回る。

(彩と違って、俺と父さんは知られてるはずだしな)

 そこで果たして、ずっと考えていた何かが動き出すのか。

 それを考え始めて、俊はようやく敷いてある布団に入り、防音室の中で眠りについた。

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