第145話 将来の夢

 俊にはそれなりのコネや伝手がある。

 一番強力ではあるが、同時に毒も含んでいるのが、父親との関係であろう。

 だいたい売れているミュージシャンとかアーティストとか呼ばれるのは、どこか傲慢になってネジが飛んでいるのだ。

 特に今とは違い、父の活躍した時代などは、世間に叩かれることも少なかった。

 俊の母親の時間を、ほとんど金で買ったような人間が父だとは、今ならどうにか理解出来る。

 ただ納得はしたくないし、一方的な母に対する愛情はあったのだと思いたい。

 異母兄弟が二人もいる時点で、道徳的な擁護は難しいのは確かだ。


 その父の才能を認めてくれていた、それでいて諌めることも出来たのは、元はマジックアワーのメンバーだった岡町と安藤。

 ただその中で一般的にムーブメントを作ったほど売れたのは父だけであるため、そこで少し反感を買ったのも間違いではない。

 もっともその岡町は、今では俊の理解者となってくれてはいる。

 大学の技術講師であるので、その面もあるのではあろうが。


 暁の父である安藤も、普通に業界の中では顔が広い。

 スタジオミュージシャンというのは、バンドのギタリストなどとは、完全にやることが違うとは聞く。

 だがその中で独特のコネクションは築かれていく。

 もっともこういったつながりというのは、権力者や決定者とはあまりつながっていない。

 むしろ権威だのそういった方向ならば、母からのつながりの方が今は強いだろう。

 声楽の世界で元々、オペラなどをやろうとしていたのが母なのだ。

 音大にいた頃、父親の会社が倒産して、その道が閉ざされてしまった。

 だが父と出会ったことで、とりあえず音楽の世界に残ることは出来た。


 父が生きていたら、それこそ強力なコネクションになっていたであろう。

 だが今となっては、父が本当はどういう人間であったのか、あまり知らない俊である。

 改めて調べてみれば、既に死亡しているということもあるが、破天荒と言うよりは成金趣味とでも言うような、馬鹿なことを色々としている。

 まだ充分にCDの売上などで食えた時代なのに、巨額の財産をあっという間に溶かしていったのだ。

 正直なところ、そういった部分を調べていくと、反面教師にしかならない。


 正当な手段で大きなことをするなら、やはり事務所に頼った方がいいのだろう。

 阿部は当初から月子に関しては、相当に買っていた人間なのだ。

 ABENOレーベルはそもそもメジャー傘下のレーベルであり、普通に売り出していく予定であった。

 それを、金はかからないがちょっとマネージャーをしてもらって、あとは予定調整などもしてもらう、ということだけを期待していたのが俊である。

 もちろん勝手に動くにも、ある程度はちゃんと根回しはして、許可は取ってきた。

 MV作成なども自分でやってしまったり、レコーディングもほとんど自分でエンジニアの仕事をしたりと、好意的に見ればアーティストのこだわりと思えなくはない。

 だが俊が好きなように動いていた、というのはさすがに客観的な事実だ。




 他に俊が持っているコネクションは、去年の夏のフェスをやっていた、メタルナックルの袴田あたりだ。

 イベント屋である彼であれば、ノイズを上手く使ってコンサートをすることも、普通に考えてくれるだろう。

 だがそこまで事務所の力を使わないのは、あまりに不義理であるのではないか。

 もちろん事務所には、ちゃんと利益を出させてはいるはずなのだが。


「というわけでそろそろ、ライブの規模を大きくしたいな、と」

「その言葉が聞きたかった」

 何かのネタかな、と俊は自然と思ったが、特に反応はしない。

 阿部はわざとらしく咳き込んで、話を戻した。

「ちなみに他のメンバーは分かってるの?」

「そういえば聞いてないですけど、普通に説得できますよ」

 確かに文句を言いそうな人間はいない。


 八月の巨大なフェスに向けて、ここいらで大きなハコでワンマンをしたい。

 それは確かにこれまでとは、全く違うものである。

「出来るだけ金をかけずに、けれどお客さんが満足するように」

「また難しいことを……」

 ただ阿部も俊の志向については、かなり分かるようになってきた。

 それは虚飾を嫌う、ということだ。

 そもそも虚業である音楽業界で、何を考えているのかという話であるが、別に俊は難しいことを考えているわけではない。

 とりあえず金を稼がないと、自分も生きていけないし、周囲も動いてくれないのだ。


 ノイズの現在の知名度からして、1000人規模のハコで昼と夜の二回を行う、というぐらいが一番安全であろうか。

 チケットが全然買えなかった、というのはこの段階では問題ない。

 むしろ今までと同じように、プレミア感が増すのでいいだろう。

 重要なのはソールドアウトして、知名度を高めていくこと。

 ただ六月は祝日がないので、普通に土日の日程で行わなければ、さすがに昼のチケットを売るのは厳しいかもしれない。

 単純なファンの数だけで言うなら、関東圏内だけでも、1000人が二回の2000人ぐらいは、普通にいるとは思うのだ。

 もっとも土日が休みなファンだけではないと思うので、告知は早めに行った方がいい。


 全員の予定が合うことも、当然ながら必要だ。

 これは一度メンバーが揃って、話し合う必要があるだろう。

 俊はリーダーであるが、独裁者ではない。

 特に栄二などは他の仕事も頼まれることが多いため、その都合が大きいだろう。

 まずは全員を集めるか、リモートでも話し合える時間帯を作る。

「とりあえず今週末は千葉に行きますけど」

「こういうのは早ければ早いほどいいから」

 阿部としてもここは、勝負をかけるタイミングだと考えているのだ。




 事務所に集まるのが一番近いため、まず学生組が集まった。

 今後の方針についてということだが、ここで千歳がうんうんとうなっている。

 何が悩んでいるのかというと、あまりにも普通のことで逆に俊は驚いた。

「進路相談?」

「文系は決めてるけど、そろそろどういう分野に進むかは決めないといけないし」

「いや、うちの大学に来いよ。千歳には一番合ってると思うぞ」

 俊としては大学とのつながりを残しておきたいのだ。

「そういう俊さんは?」

「まあ本格的に音楽活動に注力しようとは思うけど、一年留年する予定だって、前に言ったかな?」

 金持ちのボンボンの余裕である。


 暁も千歳も、通っている学校は音楽科などない、普通の高校である。

 そして暁はもう高校卒業後、音楽の世界に入っていくつもりになっている。

 彼女の持っているギター技術は、完全にプロの領域に入っている。

 それこそもう、ギター一本で生きていくという世界だろう。

 ただ俊としては、彼女には作曲の手伝いもしてもらいたいし、他にも選択はあると思う。

「ギターのクラフトとかリペアの店で働いてみないか?」

 ???という顔をする暁であるが、俊は考えて言っている。


 暁のギターはレフティであるため、故障したら誰かのギターを借りる、ということがしづらい。

 遠征などでは予備のギターも持っていくが、もしもすぐに直せる程度の技術があれば、そのまま直して使った方がいい場合もあるだろう。

「それに本当にギターにこだわっていたら、いずれはオーダーメイドではなく、自分でギターを作ることになるんじゃないかな」

「なるほど、レッド・スペシャルならぬイエロー・スペシャルと!」

 暁のテンションが途端に上がった。

 レッド・スペシャルというのはQUEENのギタリストであるブライアン・メイのギターのことである。

 これは後にコピーモデルが発売されたりもしたが、演奏のためにその都度、微調整をしているというギターだ。

 なんと父親と一緒に手作りで作ったギターで、他のギターにはない性能が色々と備わっている。

 他のギターに搭載された機能を、後から付け加えるということまでしていたりする。


 暁のギターを弾くスタイルは、あまりブライアン・メイに似たものではない。

 ただピックにコインを使うあたりは、ブライアンを意識したところがある。

 弦を切らないように、10年以上も昔に鋳造された、やや磨り減った五円玉を使っている。

 そんな暁が、オーダーメイドをさらに超えた、自分でギターを作るということ。

 ピックアップも自分で作ればいいし、後から機能を付け足してもいい。

 ギタリストとギター職人としての腕は、また違ったものではあるが、自分の求める音を追及するためには、ギターの構造を知っていて損はない。




 千歳の場合はまだ、将来のことなどは考えられていない。

 恋バナを普通にしたい女子高生であるが、ミュージシャンはちょっと年上が多く、また俊たちのガードも固い。

 何よりルックス面でいうと、どうしても対バンなどをした相手などは、月子の方に行くことが多い。

 女子としてはかなり長身の月子に、苦手意識を感じる人間もいるのだろうが。


 なんとなく将来が分からないなら、それこそ俊のいる大学に来るべきだろう。

 コースによっては声楽やピアノの試験はなく、一般受験で入ってくることが出来る。

 偏差値などはちょっと高い程度で、それでいて業界の知識やコネクションを手に入れることが出来る。

 まだ一年以上も先の話であるが、候補として考えておいてもいいだろう。

 芸能界といっても、一般職というのは必ず存在する。

 またデザインなどの道に進むというのも候補の一つだろう。

 もっともこの大学は自由度が高いため、単純に遊んでしまう学生も多い。


 どんな進路を選ぶとしても、それはもちろん自由である。

 普通の大学に行って、軽音サークルにでも入って、俺TSUEEEの無双をしてもいいだろう。

 だがせっかく大学に行くだけの金があるなら、ある程度の将来を見越して入るべきだ。

 千歳の場合は両親の生命保険がそのまま残っているので、それで進学の費用は問題ない。

「とりあえず東京にいてくれないと、困ることだけは確かだけど」

「あ、ちょっと先だけど、あたしも家は出たいかな」

 暁がそう言うのは、父親の再婚の問題である。

 付き合っている相手がいて、それでもいまだに籍を入れていないというのは、暁に対する遠慮もあるのではないか。

「あたしも叔母さんの家は出ようかな……」

「じゃあいっそのこと、ルームシェアでもすればいいんじゃないか? ってちょっと話が脇に逸れすぎたな」

 高校生二人の未来は、まだまだ選択肢が色々とあるのだ。


 メンバー全員が揃うまでに、それぞれの予定を確認していく。

 高校生は五月こそ修学旅行があったが、六月には本当に何もない。

 なのでここでワンマンライブをすることは、むしろ大歓迎であるという。

 予定が詰まっていそうなのは栄二であるが、だからこそ逆に週末はしっかり休めたりする。

 そして月子と信吾に関しても、特に問題はない。


 週末に1000人規模のハコで、昼と夜の二回のライブを行う。

 実際には前日に、セッティングからリハまでをしっかり行いたい。

「例のMVはまだ出来てないの?」

「確認してみます」

 モニターにノイジーガールに加えて、霹靂の刻を流して、その間に休憩をするなり、盛り上げていったりする。

「なんだかすごく協力的ですね」

「いや、マネージャーは普通にこれぐらいするからね。プロデューサーに近いことになってるけど」

 阿部は本来、もっと口を出していきたかったのだ。


 ただ、彼女も大手レーベルの関係からコネクションを使うため、一つだけ条件を出してくる。

 前座となるバンドを、使ってほしいということだ。

「インディーズレーベルのバンドの前座に、メジャーレーベルのバンドがですか」

 なんだか少しおかしいな、と笑ってしまう俊であったが、これはノイズの存在がおかしいのである。

 もっともこれぐらいなら、特に問題はないだろう。




 1000人規模のハコでワンマン、ただし前座付き。

 あんまり空気を冷えさせてしまうのは困るが、阿部の話からして、そんなひどいものは来ないのだろう。

 あとは宣伝と、チケットの販売である。

 夜のほうはおそらく簡単に売り切れるだろうが、昼のほうは果たして大丈夫だろうか。

 また一日に二時間を二回というのも、ちょっと今までになかったことである。


「宣伝はブログとSNSと、あとはライブでの告知ぐらいね」

「雑誌には間に合いますか?」

「う~ん……告知ぐらいね。取材をもっと受けておけばよかったのかもしれないけど」

 ノイズは出来るだけ、流出する情報をコントロールしようとしている。

 それは良くも悪くも、知名度に関係してくるのだ。


 メジャーレーベルから単純に売り出したのであれば、今頃は普通にテレビにも出ていたかもしれない。

 ただインディーズレーベルから出したミニアルバムは、あちこちのCDショップで上位に入ったりもした。

 海賊版が流れているファーストやカバーのアルバムも、いまだにちょこちょこと売れている。

 しぶとくファンが増えているということだろう。


 人気のバロメーターをどこで見分けるのか、それは難しいところだ。

 だがMVの再生数はまだまだ安定しているし、CDの実物が売れているというのは、それだけコレクターのファンも増えているということだ。

 インディーズであるからこそ、出来る売り方というものだろうか。

 重要なのはミュージシャン自身に、ちゃんと金が入ってくること。

 ただそのプラットフォームを作っているショップなどにも、ちゃんと利益は出させないとまずい。


 通販よりも店で取り寄せた方が安いというルートは、残しておく必要がある。

 実体のある店というのは、そこでしっかりと個性が出せるのだ。

 コスパだけを考えていって、ネットのプラットフォームに依存する。

 それがやがて業界を縮小させるだろうと、俊はなんとなく気づいている。

 若者がそう考えるというのは、かなり珍しいことかもしれない。

 ともあれ六月に、ワンマンライブの手配を行わないといけない。

 そのあたりはもう、俊のコネクションだけでは、どうにもならないものである。

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