第267話 東京帰還
インディーズとメジャーとでは、とりあえず売り方が圧倒的に違う。
様々な部分を事務所などに任せて、宣伝広告を大規模に行い、打っていくのがメジャーである。
ただ細かい部分においては、違いはどんどんとなくなっていっている。
そもそも宣伝や広告に使う金が、あまり効果が出ないようになってきている。
かつてはテレビが圧倒的だった宣伝媒体が、ネットに取られていったということはある。
また街に流れる音楽というのも、あまりなくなってきている。
インディーズのままでも、しっかりと人気が出たならば、むしろ人件費や広告に金を使わない分、利益は出たりする。
しかも昔ならタイアップには、それこそレコード会社の力が必要であった。
だが今ではゴリ押しの宣伝などをすれば、むしろマイナスの影響が出たりもする。
それよりはコンテンツの多様化の方が、もっと大きな問題なのかもしれないが。
かつてはアイドルというのは、選ばれた存在であった。
しかし今では限られた予算でもって、特化したキャラクターで、売り出すことが出来る。
もっとも俊などは、特に女性アイドルは、旬の時期が短いと思う。
その後のキャリアまで考えるなら、地下アイドルなどは本当に、芸能界の底辺だ。
女性に比べればやや賞味期限は長いが、男性アイドルもそうであると思う。
昔の方が良かったのかな、とその部分では思ったりもする。
だが俊はその時期のアイドルなど、全く興味がない。
それに今の大規模グループアイドルには、全く興味がないのは本当だ。
エースはそれなりにその後も注目されるが、他のメンバーはどうであるのか。
昭和の時代のアイドルなどは、その後は本格派になるか、女優に転身するかなど、そういった存在ではあったのだ。
インディーズのアイドルなどというのは、基本的に身内をどれだけ作るか、という程度の規模でしかなかったりする。
もっともそれは別にアイドルに限らず、バンドなどでも同じことだ。
学芸祭よりはマシなレベル、というものであろうか。
ただ地下アイドルでも、近年はむしろ顔面偏差値は上がっている、などと言われたりもする。
月子は地下アイドルであったが、あれでもまだグループとしてはマシな方であったのだ。
しかしそれだけに、かえってすぐに辞めるという選択にはならなかったというか。
そのおかげで俊に発見してもらったのだから、結局は続けてよかったのだ、とも言える。
一人の成功の陰には、数万の失敗が存在する。
生存者バイアスで、成功者を見てはいけない。
アイドルの賞味期限というのは、むしろ早い方がいい。
そこまでに結果を残していなければ、芸能界を諦めればいいのだから。
ただし世の中には晩成の人間というのもいる。
判断が難しいのは、そのあたりにあるのだ。
芸能界というのは煌びやかなだけに、逆に闇には深いものがある。
今のところ俊は、ノイズのメンバーたちに、そういった面を見せずに済んでいる。
彩と自分の関係などは、深く話せば女性陣から、絶対に嫌悪感を抱かれるものであろう。
あるいは同じ男の信吾や栄二まで。
過去は過去であるし、彩と自分の禁断の関係は、二人だけの秘密である。
墓の下まで持っていく、というお互いの致命傷であるのだ。
だがこのインモラルな関係というのは、ダークな雰囲気の曲を作るには、都合のいい感情をもたらしてくれる。
どんなマイナス面であっても、そこからプラスを生み出してしまう。
真の意味でのアーティストというのは、そういうものであるのだろう。
徳島などは、自分には何も才能などない、と言っていた。
才能がないがゆえに、音楽を限界まで詰め込めた、という理屈であるらしい。
音楽がなければ自分は死んでいる。
しかし音楽があったがゆえに、自分は生きることを実感出来ている。
彼にあるのは才能ではなく、執着とか執念といったものだ。
それが才能を上回って、技術と感情を掛け合わせた、名曲の数々を生み出しているのだ。
楽器の演奏に関しては、完全に打ち込みでやってしまった方がいい。
それが徳島の本音であり、実際に作曲と作詞まで終われば、ボーカル二人の歌には注文をつけても、バックの演奏にはほとんど注文はつけない。
つけるとしたら、ボーカルの邪魔をするな、というぐらいであろう。
極端な人間関係の構築具合で、俊とそこそこ仲良く出来るのは、むしろ俊が完全に商業的な人間だからだ。
これが下手にアーティストぶったりしていると、まともに交流も出来なかったであろう。
ちなみにそんな徳島と、彼の楽曲を歌うミステリアスピンクは、見事なまでにタイアップを成功させている。
ライブよりもむしろ、音源として優秀なユニット。
徳島はコンポーザーとして、曲が上手く歌われさえすれば、ほとんど注文をつけないのだ。
場合によってはアレンジの変更も、ちゃんと受け付けたりする。
売るためなら仕方がないな、という思考が出来てきたらしい。
ただしそのアレンジの変更は、自分でやってしまうのだが。
曲は原曲のメロディがいくらよくても、アレンジでいくらでも印象が変わる。
そこさえしっかりとしていれば、他がおかしくても問題はないのだ。
俊としても霹靂の刻など、アレンジまでは口を出している。
結局のところ、作曲が誰であってもノイズの色になるのは、最後に俊が手を入れるからだ。
このあたり過去の楽曲を上手くパクって、自分の色に染めればいい。
そういう考えのミュージシャンは確かにいる。
そもそも60年代から70年代の楽曲は、お互いが影響を与え合ったり過去の発掘をしたりと、パクリとしか言えない曲もあるのだ。
ノイズにしてからがディープ・パープルの初期作をまとめたような楽曲を作っている。
ただこのあたり、何が悪いのかというのは、判断が難しい。
コード進行などまでは、さすがに剽窃とは見なされない。
メロディラインが似ているのは、どこまで許されるのだろうか。
重要なのは発掘だ。
そもそも音楽のみならず、多くの創作はほとんどが、過去の蓄積から生み出されているのだ。
それに新たな色彩を加えれば、立派な新曲になるのではないか。
あるいは発想自体にまで、剽窃などと言うことが出来るだろうか。
アイデア自体は誰のものでもない、というのは判例が出ている。
東京と埼玉でのライブが終わった。
暁のレスポールも弦を張り替えてから、特に問題は起こっていない。
弦が切れてしまうと、一時的にだがプレイから積極さがなくなる、というパターンがあったりする。
暁にはそれは無縁だったようで、そこは安心する俊である。
ゴールデンウィークまでの今年の日程は終わった。
夏までは月に二度ほどはライブをするが、そこまで大きなハコは使わない。
なお千歳は一日だけだが、大学で出来た友人と遊びにいったようである。
向こうはノイズのライブを、東京で見てくれたらしい。
千歳はなんだかんだ言って、コミュ力があるので心配していなかった。
暁もリペアショップにおいて、少しずつ学んでいるらしい。
それによるとギターのボディは、案外頑丈でいい加減であるということ。
アコギならともかくエレキなどは、個体差はあまりない。
ピックアップの種類によって、だいたいの音が変わる。
もっとも細かい違いなどは、電装系が問題になるのだが。
そんな暁が言い出した。
「あたしも免許取りたい」
「あ~」
千歳もそれは同意見であったらしい。
バンド活動をする上では、バンは必須であると言える。
実際にノイズも関東圏の移動だけでなく、最初の西方ツアーにおいても、バンを使っていた。
今でも使うことはあるし、埼玉までの移動にはこれを使った。
だが機材などの運搬をスタッフに任せるようになると、電車とタクシーなどを使うことが多くなっている。
しかしそれとは別に、暁の場合はリペアのために客の家まで行くこともあるらしい。
千歳は単純に車があれば、遠出に便利だと思っただけだ。
もっとも東京都内で生活する場合、おおよそ車は必要ない場合が多い。
移動するにもタクシーで移動した方が、経費扱いにもしやすい。
ただ純粋に、バンの運転を他のメンバーも出来るようになるのはいい。
本来なら高校卒業後、免許合宿などで取ってしまえばよかったのだろうが、暁も千歳も色々とやっていた。
免許合宿については、ちょっと日程の都合で無理がある。
ただ取得するのには、誰も文句はない。
「大学生って免許あるだけで、移動範囲が広がるよね」
「そうかなあ」
月子としては、ちょっと免許を取るのが難しい。
なんとかならないこともないのかもしれないが、リスクの方が多いので、他の誰かに任せたり、公共の交通機関やタクシーを使っている。
ちなみにノイズのメンバーの中で、免許はともかく車を持っているのは俊だけである。
しかもバンだけではなく、他に二台も持っている。
とは言っても正確には、母親の持っている車であるのだが。
バンに関しては完全に、バンド活動にしか使っていない。
車とナビがあれば、活動範囲が広がるのは確かだ。
ちょっと遊びに行くにしても、関東圏内などは電車よりも、車の方が早い場合はある。
栄二などは持っていてもおかしくなさそうなのだが、駐車場や維持費を考えると、都内で車を所持するメリットはあまりない。
地方ではタクシーの運転手が不足しているそうだが、都内ならまだ料金は高くなっても、かなり供給されている。
個人タクシーなどというのも、いまだにあるものなのだ。
栄二の場合はおおよそ、スタジオに近いところや子供の条件に、妻の通勤までも考えて住居を決めた。
だが今の収入であれば、少しは引越しも考えるべきか。
しかし子供の環境を変えてしまうことは、あまりいいことではない。
そのあたりも考えて、引越しはしていないのだ。
色々と考えていくと、信吾などもこの居候状態は、そろそろ終わらせてもいいのでは、と思わないでもない。
だがそうすると今の三人の彼女たちを、どうすればいいのかという問題にもなる。
居候しているから家には呼べない、という今の状況は悪くないのだ。
いつかはどうにかしなければいけないと、もちろん分かってはいるのだが。
環境は変わっていく。
千歳としても大学を卒業するぐらいには、一人暮らしを考えることになるだろう。
昔家族で住んでいたマンションは、ローンもあったし処分するしかなかった。
おかげで千歳には、豪勢な学費が準備されたのだが。
暁はとにかく、父親のためにも独立したいとは考えている。
娘離れ出来ない父親だが、恋人と一緒に住むことになれば、それも変わっていくだろう。
以前に聞いていた、白雪が持っているというマンション。
少し条件が合わなかったが、自分が車を持つというなら、それも変わってくる。
また阿部に少し相談したら、防音の部屋を普通に、紹介することは出来るという。
もっともノイズと事務所の契約の関係で、社宅という扱いにはならないらしい。
ただ普通に空き物件はあるので、そこに入ることは出来る。
周囲が変化していく。
特にそれを感じているのは、年少の二人組であろう。
月子や信吾は、今の安定している状態がいいと思っている。
特に月子は自分では出来ないことを、俊などに任せられるというのが、とても大きい。
そして俊は、なんだかんだと変わらない。
今でも自分の部屋ではなく、スタジオで限界まで作曲をし、そのまま準備された布団に潜り込む、という生活をしているのだ。
一番ブレていない、ということもあるだろうか。
芸能人でトップミュージシャンであろうと、優遇されないものなどいくらでもある。
そこを勘違いして、破滅する人間は色々といるのだ。
女性関係や薬物などは、その最たるものであろうか。
暴力行為も近年では、かなりセンシティブなものとなっている。
昔はロックスターなど、どれだけエキセントリックか、などというのが条件ですらあった。
ステージ上で脱いで、猥褻物陳列罪で警察に捕まるのは、現代でもたまにあったりする。
ノイズのメンバーはその中では、変な個性を出したりはしない。
無茶をやってこそというロックは、現状への反発であったのだろう。
しかし現状を変えるのは、自分の力でも出来るようになっている。
ひたすら反発と否定というのは、現実的ではないと、多くの人間が理解するようになったのだ。
学生運動の正確な評価など、今では愚行と捉えるのが大半であろう。
反抗期というのは人間個人だけではなく、文化や国家にもあるのかもしれない。
反戦反体制というのは、アメリカのベトナム戦争時代にマッチしていた。
ただロックよりも先にフォークで、その運動は積極的であったとも聞く。
俊は確かに、自分の才能のなさに鬱屈している。
だがその鬱屈した内面に向き合えるのは、最低限の才能と言うか、素質を持っているということでもある。
車の運転などでも、無茶な危険運転をして、事故死したミュージシャンなどもいる。
それ自体は自業自得かもしれないが、巻き込まれた人間でもいれば最悪である。
ただ過去のロックスターというか芸能人には、普通に薬物が流行っていた時期というのもある。
今では未成年飲酒ですら、問題になっていたりするのだが。
俊はそのあたりコンプライアンスをかなりしっかり考えているが、月子などは思い出すと、田舎はひどかったなと思う。
高校生ぐらいになれば、男は普通に酒を飲んでいたし、女性でも台所で少し、などということはあったのだ。
いまだに大学などでは、20歳未満でも酒を飲んだりはしている。
このあたりの年齢であると、わざわざ確認するのも難しい。
千歳は学祭のライブが終わった後、打ち上げに行っている。
だがそこでアルコールを飲んではいない。
未成年飲酒など、それで酔って暴れでもしないなら、何も文句はないと俊などは言っていた。
実際にスタジオで盛り上がった時など、普通に高校生に酒を飲ませていたのだ。
俊が問題とするのは、それが誰かに明らかになること。
世間はそれが別に、自分に損にならないと分かっていても、成功者のことは叩きたがるのだ。
もちろん未成年飲酒が当たり前になったりすると、社会全般の治安は悪くなる。
ただはっちゃけた部分があったとしても、ある程度は許されるべきだろう、とも思うのだ。
誰の迷惑にも、あるいは俊ぐらいにしか迷惑がかからないなら、メンバーがはっちゃけるのは許す。
その程度の柔軟性がなければ、ただの堅物リーダーになってしまう。
逆に酒癖が悪いなら、俊は信吾や栄二でも、酒を飲むのは止めるだろう。
なので意識が酩酊しない煙草に関しては、ボーカルのいないところならいくらでもやってくれ、とは思う。
もっともノイズには喫煙者はいないが。
有名人はある程度、エキセントリックなところも許されるが、それにも限度がある。
また取り返しのつかないことと、取り返しのつくことは、法律以外にも色々とあるのだ。
そうやって計算高く考える俊は、そこに自分の限界があるのか、とも思う。
酒を飲まなければ作れない、という作曲家もいる。
俊は試してみたが、曲の断片を作るのが精一杯であった。
根本的にアルコールは脳に悪い。
よって付き合いでもない限りは、めったに飲まないのが俊である。
実際に一度、失敗しかけたこともあるのだし。
大学、練習、ライブと重なっている千歳は、免許の取得までに時間がかかるだろう。
暁はそれに比べれば、とりあえず免許を取ってもらって、軽トラの運転まで出来るようになってほしい、と言われていたりする。
彼女はバイトをしているが、それに使うためにも免許は必要だ。
そのため千歳よりは時間がある。
俊がやや懸念していた通り、千歳は大学での人間関係の構築に、時間や労力を使っている。
ただその人間関係は、高校時代よりも濃密に、音楽に偏ったものになっている。
そのためそれは、音楽にフィードバック出来るので、変に止めようとは思わない。
それに一緒に自動車教習所に行く友人もいるらしい。
充実した生活を送っているのだな、と思う。
もっとも当の千歳からすれば、充実しすぎていると言えた。
何よりも練習の時間が、かなり大きな割合を占める。
俊の説明はちゃんと理論的で、この生活を保つ基盤が、音楽活動にあると分かっている。
ノイズの仲間たちと演奏し、そしてライブを行うことは、自分の中でも最も輝いている部分だと分かるのだ。
それでもほんの少しだけ、気を緩めて遊びたくはなる。
そのあたり俊は、無理に止めようとはしない。
モチベーションの維持というのは、本当に重要で難しい問題なのだ。
そしてこの中で一番、それが難しいのは千歳だと、ずっと前から分かっている。
音楽以外では成功できない、と考えている月子。
音楽以外では何もする気はない、と感じている暁。
信吾は音楽を選んで、これで食っていくという決意がある。
そして栄二は実際に家族のためにも音楽活動をしないといけない。
千歳も将来のことを考えて、大学進学を決めたのだ。
しかしそこで彼女の前に待っていたのは、様々な才能の様々な輝き。
ノイズのトワであるということは、彼女のアイデンティティの大きな部分になってはいる。
だがそのために全てを捨てる、というところまでは考えていない。
それが悪いことだ、とも言い切れない。
千歳の年齢であればまだ、色々と経験をしていった方が、音楽に深みが増すと思うのだ。
それこそ恋愛経験でもしてくれれば、歌に深みが出るかもしれない。
だが問題になるのは、バンド内の熱量の差だ。
よりにもよって千歳と、一番仲がいい暁。
ただ彼女はもう完全に、音楽のために生きると決めている。
高校生であった千歳には、まだ縛りがあるので仕方がない、と考えていたであろう。
しかし大学生になった千歳は、どこかふわふわしている。
暁の知っている大学生となると、全てを音楽に費やしているように見えた俊だ。
それと比べたら確かに、千歳はまだ覚悟が定まっていないのは仕方がない。
表現の幅を広げ、技術を学ぶために進学した。
しかし吸収するものが増えたため、集中力がやや散漫になっているところがある。
ノイズはバンド内において、喧嘩をほとんどしたことさえない。
だがここに来てわずかに、その熱量の差が問題化しようとするのを、俊は感じていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます