第268話 モチベーション低下

 リーダーにとって必要な要素は、いったいなんであろうか。

 カリスマ性、計画性、全体の把握、頭脳などといったように、色々とその条件はあるだろう。

 しかし一番大きいのは、目標を示しそこまでの道のりを示すことである。

 それが出来ているのなら、むしろだらしのないリーダーであっても、他のメンバーがそれを支えたりする。

 目的意識がしっかりとしていること。

 メンバーがそこに齟齬を感じてしまったら、早急に是正しなければいけない。


 だがメンバーの目標が、致命的に別方向に向かってしまったらどうするのか。

 目標の方を再設定するのか、メンバーの方を説得するのか、それは判断が難しい。

 そういった計画の変更も、リーダー向きの能力の一つである。

 全体のタスク管理も、他に任せることは出来るかもしれないが、一人でまとめた方が効率はいい。

 その結果なんでも出来るが、なんでもやらなくてはいけないリーダーが誕生してしまったりする。


 俊は普通とは違う意味で、マルチプレイヤーと言ってもいいかもしれない。

 年月や経験を重ねれば、確かにそういった存在になることはある。

 だがだが年齢的にそんな技術があるというのは、かなり珍しいものだ。

 世界的に見てみれば、それなりにいるというのが、音楽業界の恐ろしいところだが。

 逆に世界的に見れば、俊以上のマルチプレイヤーさえまだまだいる。


 今回の話については、千歳の問題ではある。

 単純に千歳にもっと、ノイズの活動を頑張れというのは違う。

 一番親しかった暁は、矮小化して考えているようにも見える。

 だが同じくボーカルで歌っている月子は、千歳の歌のクオリティが下がっているとは思わない。

「苦しんでるみたいな気がする」

 月子はそう言って、それは俊の感想とも同じなのだ。


 俊の作った曲の中に、投身自殺というひどい名前の楽曲がある。

 まさにオルタナ系であると言えるこの曲は、月子が歌うと本当に、この歌手は死にたがっているのでは、と感じさせるものとなる。

 以前の千歳の場合であると、必死で自殺願望から逃げようとしている切実さを感じた。

 今の千歳もまた苦悩しているが、悲壮感自体は薄れている。

 別にこれに限った曲だけでなく、命に嫌われている。などをカバーした時の歌い方にも、何か変化が生まれてはいる。


 ボカロ曲というのは自分に酔った曲が多い、と俊は思っている。

 自分自身もそうであるし、そもそも自分に酔ってこそアーティスト、などとも思うのだ。

 ラブソングを恥ずかしがって歌っていた月子だが、一般的には普通に歌う。

 ただ最近はラブソングのヒットが出ないとも言われる。

 生きるのが苦しいとか、自分で強くなるのだとか、そういう歌詞が共感を呼ぶのか。


 暁は生きるのがやや不器用でも、不幸ではなかったはずだ。

 孤独を感じる間には、ずっとギターを弾いていたのだから。

 俊にしても父の死にショックを受けたが、しばらく離れて暮らしてはいた。

 最近会っていなかったな、というのが、もう会えない、に変わったのである。

 暁は面倒ではあっても、母親に会おうと思えば会える。

 独特の感性であるため、あまり孤独を感じてはいなかった。

 それでも千歳は彼女にとって、ほぼ唯一とも言えるほど、友人に近い関係だったと思うのだ。


 千歳にいらついているのは、そういった背景もあるのだろう。

 俊は気づいているが、暁にそれを指摘するのは迷う。

 喪失したのは月子や千歳で、それを暁は知らない。

 千歳は人間関係を再構築することで、傷を癒そうとしているのかもしれない。

 集中力に欠いていると言うよりは、表現に苦労していると言うべきか。

 前のようには没頭出来ないのは、本人も感じているはずだ。




 理由はどうであっても、千歳のクオリティが落ちているのは確かだろう。

 いや、これはクオリティと言っていいものなのか。

 以前とは違う形であり、以前はそれで間違いないと思えた。

 だからパワーが落ちている、と感じてしまうのかもしれない。


 すぐに修正してくるなら、俊としても待つつもりであった。

 だが先に暁の方が爆発した。

「千歳! どういうつもり?」

「アキ、待て」

「だって今日のライブ、明らかに予定調和で盛り上がってたじゃん!」

 今日は150人しか入らないハコのライブで、しかも対バンの存在するライブであった。

 しかしトリであることは確かで、確実にノイズのファンは多かったのだ。


 ギターの演奏の方はともかく、声の伸びは足りていなかった。

 既にファンである人間や、周囲に影響される人間は、ライブハウスの盛り上がりで流されていたであろう。

 だが聞く耳を持っている人間には、イマイチと思われても仕方がない。

 そして暁は結果オーライという性格ではない。

 そもそも最初のライブから、倒れるほどに全力であったのだから。


 千歳にしても、今日の出来が悪かった自覚はある。

 ただ、今の全力で歌ったのは確かなのだ。

 パフォーマンスがいまいちだったのは、練習不足とかそういう問題ではない。

「あたしだって……調子の悪い日はあるし……」

 女の子の日だったのか、と思いついた俊であったが、それを口に出さない賢明さは持っていた。


 ただ暁も、自分の感情を吐き出すだけの人間ではない。

 ここしばらくの千歳の不調は、しっかりと感じ取っているのだ。

 それに単なるミスというなら、彼女自身もギターの弦を切るというミスはしている。

 事前にちゃんと替えているのに切れてしまったので、さすがにどうにもならなかった。

「環境の変化はあるだろう。大学でインプットもしているだろうし、それが消化しきれていない場合はある」

 俊としても大学入学時、変わったことはあったのだ。

 もっとも彼にとっては、プラスの方向の変化だったが。

 そこはややこしくなるので、ここでは告げない。


 千歳は確かに足踏みをしている。

 だがそれに対する暁も、まだ未熟と言えるだろう。

 むしろ暁の方が、対人関係では千歳よりも幼い。

 月子は千歳の不調を、単純な堕落だなどとは思っていなかった。

 また信吾や栄二にしても、やや遠巻きに見ているところがある。


 暁が言葉にしてしまうのは、彼女自身も若いからだ。

「ここのところ練習にしたって、ずっと何か考えてるし。それにツアーまではそんなことなかったじゃん」

「千歳がただ流しているような演奏をしてたら、俺も叱っていただろうけどな」

 俊の目からすれば、様々な選択に阻まれて、苦しんでいるように見える。

 作曲が上手く行っていない時の自分と、同じような感じだ。

 だが俊と違って千歳は、普通に生きていくこともしなければいけない。

 暁のようにシンプルな生き方になっていれば、それだけ楽にもなるのだろうが。




 暁と千歳の間の空気が悪い。

 おろおろするのは月子であるが、これはおそらくどうしようもない部分なのではないか。

 千歳のボーカルは彼女の心が、そのまま表現されるものだ。

 ここのところはソウルフルではなく、もどかしさが声から感じられる。

 そこに気づいてやれない暁にも、問題はあるのだ。

 ノイズはこれまでずっと、壁のないような拡大をしてきた。

 俊個人としては、作曲で悩んだ時間が長かった時もあったが。


 ノイズのそんな様子を、同じ楽屋を使っていたバンドが、遠巻きにして見ている。

 盛り上がってトリをやっていたのに、それに満足していない。

 プロ意識が自分たちとは全く違う。

 当たり前の話で、今回のライブにしても、ノイズが出るからチケットは簡単に捌けたというのはある。


 前のバンドと比べても、演奏や歌唱が悪かったとは思わない。

 千歳のどこか苦しむような歌声は、むしろ刺さるものがあったのだ。

 最低限のレベルには達している。

 その上でどれだけの表現力があるのか、という問題なのだ。

 期待しているからこそ、むしろ怒ってしまう。

 いや、怒ると言うよりこれは、もどかしさであろうか。


 千歳が何かを考えて、考えすぎの頭でっかちになっているのは、同じ大学に通った俊としては分かるのだ。

 これは通過儀礼として、おそらく必要なことである。

 ただ栄二はともかく、信吾もどうにかしないと、とは思っているらしい。

 月子は基本的に、苦しんでいる側の味方である。

「打ち上げで反省会をしようか」

 俊はそう言って、対バンしていたバンドなども誘ったのである。


 居酒屋では今日の反省会などもするが、今の音楽界について語り合うこともある。

 だが今日に限って言えば、暁を宥めることと、千歳のケアが重要である。

 月子と信吾はアルコールを入れたが、20歳未満の二人に加え、俊と栄二も酒は飲まない。

 その分食べて、腹を満たして語り合うのだ。

 もっとも言葉で解決する問題なのか、俊としても微妙に思ってはいるが。


 ミュージシャンであるなら、音楽で語れ。

 ただ先に言葉で語り合って、それでもまだ駄目なら音楽でやり合えばいいとも思うが。

「大学は忙しいのか?」

「忙しいっていうか……今までとは全然、生活が変わった感じがする。ほら、高校と違って自分で選ぶことが多くなったから」

「ああ……そうか、そうだな。俺もそうだった」

 機嫌が悪い暁よりも、先に千歳に話しかける。

 まずは彼女の状態を、メンバーで共有しないといけない。

「周りの人間もバンドとかやってる人多くてさ。ギターだけならあたしより上手い人間、いくらでもいるし」

「ああ、俺もそうだったなあ」

 このあたり後輩になるので、千歳の気持ちは分かる俊である。

「下手クソでもプロになれるとか、ちょこちょこ言われたりもする」

「ああ……」

「何それ」

 俊ではなく暁の方が、先にプチ切れした。

「千歳みたいに歌えるならギターボーカルならともかく、ただのギターが言っていいことじゃない!」

「まあ落ち着け」

 栄二に肩を叩かれて、ふんすと息を吐く暁である。




 音大に入って最初の一ヶ月は、まさに状況の変化に驚くばかりであった。

 それにライブやツアーのことを考えていて、そんなことも耳に入ってこなかったのだ。

 しかし実際に大学での演奏で、千歳のギターボーカルを聴いた学生が多かったのだろう。

 ゴールデンウィーク明けから、そんなことを言われるようになったのだ。

「……何それ」

 暁の拳が怒りに震えている。

「あんなのギターはともかくドラムとベースは合ってなかったから上手く歌えなかったんじゃん。即席のバンドとノイズの音楽を比べたって、千歳の力が分かるわけないし」

「まあそうだな」

「千歳もそんなこと言われたって無視していいのに!」

「でもあたしが下手なのは確かだし」

「それは! あのさ!」

 がしっ! と千歳の手を握る暁である。


「千歳があたしより下手だとか技術がないとか、そういうのは練習してきた時間が圧倒的に違うから当たり前。他の人とだってそうだよ。高校に入ってから始めたんだから」

 もちろんだからといって、下手でいいというわけではない。

「でも千歳はコツコツコツコツ、ずっとちょっとずつ上手くなってきてた。この一ヶ月を除いては」

 人が何かを上達するのは、どうしてであろうか。

 それは認めてほしい人に、認めてもらうためである。

「そいつらが本当に上手いとも限らないし、別にギターだけが千歳の魅力じゃないでしょ。今までだってディスられたことあるのに、どうしてそんな――」

「近くの人間だったからだろ」

 俊の指摘に、千歳はコクコクと頷いた。


 環境の変化は人間に、いい影響も悪い影響も与える。

 大学入学当初は、間違いなくいい影響が大きかった。

 しかしコミュ力の高い、そしてボーカルとして誉められることの多かった千歳は、ギターはまだまだと言われることに慣れていた。

 それはそう言うのが、ずっとキャリアも上の、音楽業界で食っている人間であったからだ。

「同じ学生が、満足なパフォーマンスでもなかったライブを一回聴いて、そういう感想を言うことはある。俺は逆の立場になったこともあるしな」

 ?マークを浮かべる二人に、俊は説明する。

「公開されてるボカロ曲について、どこをどうパクっていてひどい曲だ、と匿名で書き込んだりした」

「え……」

 俊の肩に、栄二がそっと手を置く。


 実際にそれは他の曲を、集めて再構成したものと言えた。

 だが他の曲だっておおよそは、元になる何かが90%以上を占めているのだ。

「ただの嫉妬だ。上手く行かない経験をしていれば、多分誰だって、一度はそう思う」

「確かにな」

 栄二としても頷くが、俊のやったことを肯定するわけにもいかない。

「だけどそんなことをして、誰かを引きずり下ろしても、自分が高みにいけるわけじゃない」

 パイは限られているが、足を引っ張るぐらいならば、自分の力を伸ばすべきなのだ。

「建設的な批判ならともかく、ただ気に入らないだけならもう、何も言わない方がいいんだ」

 俊としても後悔していることはあるのだ。

 パクリは今の自分だって、ある程度はやっているのだから。


 模倣からの創造、あるいは換骨奪胎と言ったほうがいいか。

 最初は誰もが、コピーバンドから始めるものなのだ。

 それどころかメジャーデビューしてからも、堂々とパクリを公言する人間はいる。

 またパクリとは言えないが、DJなどは既に存在する曲を、どう使うかがセンスになっている。

 ジャンルを変えればクラシックのコンサートなど、かなりの部分は自作曲ではないだろうに。




 俊は今はもう、いくらでもパクリと言われる立場になっている。

 ゴートや白雪と話した時は、これはあれの影響だな、などと話していて楽しかったものだ。

 千歳の場合はそうではなく、技術の問題である。

 しかしどのぐらいの演奏技術で、千歳のことを語っているのか。

「それは、わざわざ確認なんてしてないけど」

「今のお前はプロだからな。そんなつまらないやつらの演奏を、わざわざ聞いている暇はないだろ」

 既に圧倒的に実績が違うのだ。

 そしてまだまだ先を行くミュージシャンたちはいる。


 生活環境の変化に、人間関係の変化など、色々と変化は多すぎた。

 千歳の土台を形成している部分が、揺らいでしまったというのはあるだろう。

 これはもっと早く、俊が話を聞くべきことであったか。

 いや、俊も忙しすぎたので、それも無理であったと思うべきか。


 誰でもいいから、それこそマネージャーの阿部でも、千歳に声をかけるべきであった。

 それが少し遅れただけで、一ヶ月ほども足踏みすることになってしまっている。

 揺らいでしまうのは、まだ10代の人間なら仕方がない。

 千歳にだって自分の歌を残したい、そういう気持ちはあるはずなのだ。

 死んだ母と歌っていた、千歳の歌声。

 それはおそらく昔の千歳のものとは、違うものであったはずなのだが。


 ただこういった苦悩というのも、糧にしてしまえばいい。

 そこまで前向きに考えるのは、なかなか難しいものなのだろうが。

 この世界では精神的に、タフでなければ生き残れない。

 耐えられなくなった人間は、女性関係が破綻したり、薬物に手を出したりする。

 酒に逃げるならまだ、安全な方であろう。


 ともあれ千歳の状況は分かったし、暁もそれに納得した。

 あとは千歳の音と歌を、元に戻せばいい。

 だが戻すのではなく、さらに突破させることは出来ないだろうか。

 随分と経験豊富なように見えて、千歳が初めてのステージに立ってから、まだ三年も経過していない。

 才能と言うよりは、訴えかける力であるが、それはまだまだ変化していくものであろう。


 足踏みをしてしまったのは確かだ。

 だが高く飛び上がるためには、一度深く屈み込む必要がある。

 負の感情もまた、爆発させるための燃料にはなる。

 今の千歳のために、俊は相応しい曲を作ってやるべきだ。

 いや、この場合は歌詞であろうか。


「まあそんなつまらないやつらのことなんて、酒飲んで忘れろよ」

「まだ飲んじゃ駄目だろうが」

 既に酔いが回ってきた信吾に対し、俊が突っ込む。飲酒年齢と成人年齢が違うので、そこは注意すべきである。

 もっとも俊も20歳になる前に、普通に酒は飲んでいたが。

 女性の飲酒はあまりイメージが良くないので、そこは注意する俊である。

「まあそういうことを言われたら、すぐに話してくれればいいんだ。俺は忙しくしてたかもしれないけど……」

 そのあたりメンバーのメンタルケアは、リーダーのすべきことの一つではなかろうか。

 そこまでとなるとむしろ、マネージャーの仕事なのかもしれないが。


 阿部は阿部で、人件費がかからないように、営業などで頑張ってくれている。

 今までなら高校の友人に、そういった愚痴もこぼしていたのだろう。

 しかし単純に、千歳は忙しくなりすぎた。

 それも集中しきれていない理由の一つではあるのだろうし。


 夏まではノイズのスケジュールは、かなり詰まっている。

 ただこのままさらに仕事を増やすと、練習の時間が足りなくなるだろう。

 なんとか秋ごろには、少し時間を作りたい。

 それまでに免許も、どうにか取ってしまうべきだろう。


 雨降って地固まると言うべきか。

 人間は成長していけば、それぞれの道が分かれていくものだ。

 同じバンドメンバーであっても、常に音楽のために一緒とは限らない。

 それでもこの集まりは、音楽の戦場で共にある仲間なのは間違いない。

 馴れ合いはダメだが、相談などはするべきだし、ミスがあればフォローすべきだ。

 大阪での公演の時も、千歳はフォローしたのだから。


 ノイズも結成から、もう少しで丸三年になる。

 バンドの解散というのは、する時にはあっさりとやってしまうものだ。

 だがノイズの場合はまだまだ、やりたいことがいくらでもある。

 俊は己のエゴを実現させるため、まだまだこのメンバーが必要なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る