第175話 業界事情

 音楽業界というのは随分と前から予定が詰まっている割に、急に予定が空いて、またそこに予定が入ることがある。

 音楽業界というか、芸能界がそういう世界だと言えるであろうか。

 ノイズは九月こそ四度のライブを行うことが出来たが、10月はタイアップ曲の作成や、その前の無茶な作曲依頼により、二度しかライブを出来なかった。

 そしてハコの規模の問題は解決していない。

 1000人規模のホールでやった方が、動く金は大きくなるだろう。

 下手なライブハウスと違い、ホールはそもそも音響を考えて作られている場合が多い。

 もちろんライブハウスも、しっかりと機材や設備はあるが、音を聞くと言うよりは、フィーリングを届けるという場所であると言った方がいい。


 12月にはまた、大きなハコのワンマンを予定している。

 そして年末には、埼玉で行われる年越しのフェスに参加の予定だ。

 しかし今となっては、やはりブラックマンタからの誘いを断ったのは、もったいないことであった。

 実際に今は、当初の予定でもどうにかなるようになっている。

 もっとも曲のリテイクがあるかもしれないと考えると、少し余裕を持っておかないといけない。

 11月にも三度はライブを行う予定だが、300人規模のハコであるともう、限界がくる。


 世間ではほとんど知られていないけれど、少しでも詳しい人間ならほとんど知っている。

 そんな奇妙な状況に、ノイズはなりつつある。

「ヴェルヴェットアンダーグラウンドみたいになりつつあるなあ」

 栄二はそんなことを口にするが、俊としてはこの現代社会においては、売れないということがそのまま悪であるということを理解している。

 資本主義において人間は、金という絶対的な相対的価値を手に入れた。

 そして個人が情報を発信出来るネット社会になったことで、ある程度の情報は必ず伝わるようになった。

 ただここからはいい作品を作り出すだけではなく、それを上手く宣伝するという、総合的なプロデュースの力が必要になった。

 現時点ではノイズは、まだまだ着実にファンなどを増やしていっている。

 だがやはり大きなイベントなどがないと、その拡散力は地味なものになっているのだ。


 現在の日本社会を形成する上で、最大のものは選挙であるが、あれは要するに人気投票である。

 とんでもない愚か者がなぜか票という人気を獲得して、議員になっていたりする。

 一つには比例代表制というシステムが、欠陥を持っているということもある。

 だが結局選挙というのは、知ってもらっている者が勝つ、というものなのだ。

 ただし日本の投票率は、国会議員を選ぶものであっても、50%に満たないということがある。


 悪名も美名も名声は名声。

 極端に言ってしまえば、美辞麗句やその反対の極論を言うことで、選挙の票を取ることは出来る。

 ならば音楽はどうなのであろうか。

 サイケやパンクは過激なものであったし、ロックは不良の音楽だ、などという時代はあった。

 俊の場合は売れなければいけないという意識はあるが、そこに自分の美意識を持っている。

 また音楽鑑賞をする側も、ある程度は聞く耳を持っていると思いたい。

(でも今は鑑賞じゃなく、消費のターンになってるとは思うんだよなあ)

 スキスキダイスキが、ノイズとして活動する前の俊の作曲の中では、一番受けたものであった。

 あの失敗して欲しかった成功体験があるのが、俊に己に対する客観視をもたらしている。




 人間の欲求の段階というものがある。

 食欲や睡眠欲とは違う、マズローの提唱したものだ。

 これは人間が、他の生物とは圧倒的に違う、社会性を持つ生物であることの説明にも使われる。

 食欲や睡眠欲に加え、排泄などの生理的欲求が最初の段階。

 この上には安全の欲求があり、簡単に言うと安心して生きていたいという、当たり前にも聞こえるものだ。

 もっとも現実を見れば、紛争国家などではこの欲求を満たすのはそれなりに難しいことが分かる。


 三段階目は社会的欲求であり、ここいらからは人間独自のものではあるが、社会性のある生物は他にもいたりする。

 単純に言うとなんらかの集団に属したいという欲求であるが、これはそれによって心理的な安定、安全の欲求と密接に関わってもいる。

 さらにこの上にあるのが、承認欲求というものだ。

 社会に認められたい、金持ちになりたい、あるいは名誉や権威がほしいというものになってくる。

 ただこれは最後の五つ目の段階と絡み合っている。


 自己実現の欲求。

 それが人間の究極の欲求であるが、全ての人間が貪欲であると、社会は破綻する。

 俊はそれを理解した上で、自己実現を求めている。

 極端に言い換えるなら、成りたい自分に成る欲求である。

 身の程を知るならば、多くの人間がほどほどの段階で欲求を満たすことが出来る。

 ちなみに他人に身の程を知れ、などという人間は間違いなく人格が破綻していると思ったほうがいい。


 承認欲求が全て認められた状態が、自己実現が果たされている、と思えるかもしれない。

 確かにそれはある程度、間違いのないものである。

 ただ人間は社会的な動物なので、ほどほどの幸福でちゃんとこれを満たすことが出来る。

 そういう人間こそが、本来ならば幸福であるのだろう。

 現代においては、情報化社会の弊害というものがある。

 別に日本に限った話ではなく、全世界的に見ても分かるものである。


 セレブに限った話ではないが、一般人が情報に簡単にアクセス出来るようになってしまった。

 その結果に生まれたのが、果てしなく肥大していく承認欲求である。

 金、地位、名誉、認知度、賞賛、パートナー。

 こういったものが全て満たされていて、初めて承認欲求が満たされる。

 情報化が発展していなかった頃は、せいぜいが「うちはうち、よそはよそ」で済んでいたのが、簡単に上級国民の生活というのが見られるようになった。

 ただ自分が満たされた生活を送っていると、わざわざ発信するような人間は、結局のところ満たされていないのだ。

 賞賛の声が、ネットを通じて簡単に手に入るようになった現在、「いいね」を集めるために無理をする人間が増えている。

 本当に満たされている人間は、SNSなどは素直に、連絡や告知ぐらいにしか使わない。


 隣りの芝生は青いというのと同じことだ。

 かつて国民の幸福度が世界一であったブータンが、情報伝達が拡散するようになった現在、一気に順位を落とした。

 人間は比較していないと、自分の幸福を感じられないのか。

 ならば比較できない環境にある人間は、幸福を感じやすいのだろう。


 


 俊の自己実現の欲求は、おそらくほとんどの人間よりも巨大なものだ。

 父のような社会的成功、母のような上流層との社会的交流。

 基本的にはそれが俊の成功の基準ではあるが、やや芸術に偏ってはいるが凡俗な欲求である。

 ただ俊は本質的には、芸術家肌なところがある。

 他人の評価などは気にせずに、自分の理想を追求してしまうことだ。

 幸いなのはその方向性が、世間の嗜好とはそれほどずれていないことだろう。


 今回も俊の狙った音楽は、相手の求めるものとマッチしたらしい。

 OP主題歌バージョンにカットした霹靂の刻に、合わせて作った雷と、どちらもリテイクはかからなかった。

 それはもちろん幸いであるのだが、空けておいた予定が無駄になるということでもある。

 その時間を俊たちは、タイアップコンペに出す曲を、さらに洗練させることに使う。

 一応はそれなりの曲は出来たものの、期限はまだまだ先なのだ。

 もしもこのコンペに勝つことが出来たら、これまで届かなかった層に、ノイズの音楽が届くことになる。

 作品世界に合わせて曲や歌詞を作るというのは、これまでも小説などを参考に行ってきたことだ。

 現実として今の日本の音楽シーンは、アニメタイアップが大きな宣伝効果を持っている。


 とりあえずの及第点の曲は作った。

 マジメにやれと言われない程度の曲は作ったので、あとはどれだけ自分がこだわるか、という問題である。

 作品世界は基本的に、明るさの中に急にシリアスをぶち込むというものだ。

 根暗と言うほどではないが、さほど友達もいない主人公が、一見すると明るいヒロインに手を引かれて、バトルの世界に引きずり込まれるというもの。

 序盤は普通の能力バトルなのだが、主人公が弱いためにある程度の頭脳戦になっている。

 だが強力な味方が登場し、それに修行をつけてもらう中で、人生自体に未来を感じ始める。

 しかしその序盤の転換期が、師匠と敵との相討ちであり、そこから登場人物の掘り下げが始まる。


 新たなる仲間の登場や、敵の謎の解明など、バランスのいい展開で物語は進んでいく。

 その中でほのかに恋愛要素が持ち込まれたりするのだが、もう付き合っちゃえよ!となるところでその一方が殺されてしまったりする。

 コメディの要素がしっかりあるのに、容赦なく唐突に味方が死んでいくこともある。

 まさかこいつがという場面で死んでいくので、リアルタイムで読んでいればもっと面白かっただろう。

「ん~?」

 三度ほど読み返してみて、俊は気がついた。

「これ、原作の全部をやるのか?」

 全10巻というのは、1クールでやるには長すぎるのではなかろうか。


 昨今のアニメというのは、ほとんどが1クールとなっている。

 そこから半年ほど空いてもう1クールや、あるいは第二期という形で放送されることが多い。

 オリジナルで2クール出来る作品というのは、もうほとんどないのではないか。

 あまりそのあたりの事情を知らない俊である。


 ともあれ感じたのだが、原作の前半と後半では、明らかにシリアス度が違っている。

 世界を滅ぼす敵と戦うと言いながらも、前半はコメディ成分が多く、純粋に頭脳戦の要素があるバトルを楽しむことが出来る。

 ただ後半になると味方の死亡や世界の滅亡の現実的な形、そして過去に行われてきた同じような戦いが明らかになり、ヒロインの抱えるものも重さを増していく。

 前半ではノリのいい曲をそのまま使っていけばいいのだが、後半ではもっと壮大なスケール感や、切迫したイメージを持った曲へと変化した方がいい。

「つーかこれ、2クール作品なのか?」

 どうも俊には分からない。そもそもアニメ制作のスケジューリングなどが、どうなっているのか知らないのだが。

 そんなわけで俊は、少し知り合いに尋ねてみることにしたのだ。




 アニメーション制作会社MAXIMUMは、霹靂の刻のMVを依頼した会社である。

 この霹靂の刻のMVが目に止まったため、アメリカのアニメーションで使われることになったのだから、俊としてはありがたいと思うべきなのだろう。

 もっとも条件が無茶苦茶であったので、MAXIMUMはともかくオリバー・ウィンフィールドに感謝する気には全くなれない。

 別に今回の話をするだけではなく、俊は次にMVを作る時にも、またアニメでやってもらおうかな、とは思っていた。

 実写でやるのは、条件にもよるが費用がかかりすぎることもある。

 ノイジーガールのMVなどは、時間や労力はともかく、費用は自分たち持ちであったので、あまり意識しなかったのだが。


 そもそもボカロP出身であるならば、アニメをMVに使うというのは、普通に誰もが考えている。

 過去の有名作を見てみれば、ほとんどが一枚絵や簡単なアニメーション、そして金をかけたアニメーションとなっている。

「星姫様か……」

 MAXIMUMの社長の藤枝とは、都合よく時間が合って会うことが出来た。

 そして俊から話を聞いて、苦い顔をする。

「やっぱりやること自体はもう、業界では知られてるんですね」

「そりゃあ今のアニメ制作は、かなり先まで予定が埋まってるからなあ」

 本来は1クールで終わるはずだった作品が大好評で、第二期が決まる。

 しかしそれを作った会社の予定が空いていないため、ずっと先にしか作られないというのは、日本のアニメ制作の悲しい現状である。

「2クールでやるとは聞いてるが、あまりいい話は聞かないな」

 それは俊には意外である。


 原作つきの大人気作ならともかく、今は1クールアニメが多いと、千歳は言っていた。

 しかし2クール作られるというのは、期待度が高いのではないか。

「完結している作品だから、そのラストまで持っていく予定になってるんだ」

「それなら最初から、もっとちゃんと金をかけるべきでは?」

「日本のアニメは世界で大人気などと言われるが、全てがそうじゃないのは分かるよな?」

「そりゃあ。上澄みだけでしょう」

「ただある程度の数をこなしていかないと、スタッフを食わせていくことが出来ないし、どんなアニメーターも最初から上手いわけじゃない」

 それはそうなのだろうが、俊にはよく話が見えない。


 放送されるアニメの作品数は、膨大なものである。

 だがマンガなどに比べると、その数は圧倒的に少ないのも分かるだろう。

 チャンネル自体はネット配信で増えても、作れる手がマンガよりは少ないのだ。

 それなのに作っていかないと、アニメ業界全体が先細っていく。

「どうにかスポンサーを引き出して制作して、それで他の作品とも一緒に、抱き合わせで販売していくんだ」

「そんなのオリジナルアニメでやればいいでしょうに」

「オリジナルだと企画が通らないんだよな」

 どうやらそういうことであるらしい。


 アニメの市場を維持するために、一定数以上の作品を作り続ける。

 その中にはまだ未熟なアニメーターが作る作品も混じってしまうということだ。

 裏事情は分かったが、それは原作ファンや原作者が気の毒ではなかろうか。

「そうなんだけどなあ……」

 食っていくためには、不本意なこともやっていかなければいけない。

 このあたりなんだかんだ言いながらも、俊はお坊ちゃんなのである。


 妥協の出来ない人間は、やはり成長していくものだ。

 もっとも俊も最初に作曲をした頃などは、まず反応が見たくて公開していた。

 そして辛辣な評価をもらえるなら、まだマシと言えるだろう。

 本当に駄目ならば、ボカロPは反応さえされない。

「アイドルグループの中に、数合わせの人間が混じっているようなもんかな」

 数合わせではなくても、そのバリエーションを増やすために、同じ系統のメンバーは入れない、ということはある。 

 俊はまさにその中から、月子という逸材を見つけたのだが。


 それにしても、嫌なことを聞いてしまった。

「まあそれでも、実際に関わる人間は、ベストを尽くすしかないんだけどな」

 そのあたりは商売でやっているのだから、綺麗ごとだけではどうにもならない。

 俊にしても最初のアルバムは、過去に自分の作った中で、マシな曲を選んではないか。

「自分のベスト……」

 少なくとも、主題歌だけはよかったといわれる作品を作る。

 後ろ向きになりかけながらも、俊はそういう前向きな考えを引き出していったのであった。

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