第352話 ノイジーガールの復活

 夏のフェスから暁が復帰した。

 つい二ヶ月ちょっと前に出産を経験した割には、随分と早い回復である。

 これが若さか。

 実際の話、子供を産むのは早い方がいい。

 体力的にも若い方がいいし、母親が育児を手伝ってくれるなら、これもまた若い方がいいのだから。

 日本は女性の社会進出が進み、保育園での育児が当たり前のようになった。

 女性の社会進出などと言うと、いいように聞こえるだろう。

 だが実際のところは、父親一人で働いていては、一家を養うのが苦しいというのが実態だ。

 また少子化で労働人口が減っている。

 だから女性まで働かなくてはいけない、という面もあるのである。

 本質的には女性は、巣にいて子供を育てるのが、多くの生物の自然である。


 女性が社会で働いていては、男性もまた育児に携わらざるをえない。

 ただそうなるとバリバリと仕事をする、というのも難しくなる。

 結局男が働ける量が減ると、社会的には労働力は減るのではないか。

 こういったことは国家百年の計とまでは言わないが、学者が考えるべきことであるし、政治家が決断しなければいけないことである。

 昭和の日本は凄かった、と偉そうなことを言う。

 だが結局はバブル崩壊からの脱却には、完全に失敗している。

 戦争が終わってベビーブームが起こった時に、将来的には経済力が上がることは、本来は誰もが当然と思うべきであったのだ。

 先進国が少子化になるのは、あらゆる時代で当然であったこと。

 今だからこそ言えることかもしれないが、当時でもちゃんと今しか経済力の躍進はない、と見抜いていた政治家もいたのである。

 この年金や保険の構造を考えたのは、完全にその辺りで失敗している。

 何が問題化というと、これを解消するためには、票田となっているその人口が多い層に、不利益になってもらわないといけないということだ。

 当然ながら民主主義の選挙社会では、これが変わるはずもない。


 そこまでの話は社会一般の話であって、ノイズには関係がない。

 そもそも女性が芸能界にいた時代は、はるか昔から存在するのだ。

 また江戸時代に遡っても、普通に女性が働いていたりはする。

 ノイズにおいてはまず暁が、将来的な活動の停滞を、予測させることとなった。


 このあたりMNRを参考にすれば、ある程度は予測出来るだろうか。

 白雪は出産ではなく、病気のために一線を退くこととなった。

 だがレコーディングバンドとしてならば、まだ活動は可能である。

 その道も絶ったのは、自分が本当に長く生きられないと判断したからだろう。

 とにかく白雪には、死の匂いがする。

 どうにかまだ生きられるとは言っていたが、さほど生に執着しているというわけでもないように思える。

 あれだけの才能を持っていながら、と俊は思うのだが。


 自分が死んだ後のことを考えている。

 不思議なぐらいに、自然と死を受け止める。

 俊にはちょっと想像出来ないが、彼女はメンバーの死を経験している。

 恋人ではなかったそうだが、かけがえのない存在であったことは確か。

 だからこそその喪失は、彼女に深い影響を与えている。

 溶けてしまうような淡い歌声。

 かつてはサブボーカルとして歌っていたそうだが、今はメインボーカルとして通用している。

 だがMNRの活動をするまでは、ずっとコンポーザーとして活動していたのだ。




 暁のポジションをヘルプしてくれるギタリストは、かろうじて存在した。

 レコーディングに関しては暁がしたし、ライブでは紫苑がやってくれた。

 彼女の音は切り裂くような鋭さがある。

 暁にもあるものだが、暁の場合はもっと、演奏を破綻のぎりぎりまで攻めていく。

 紫苑の方はなんだかんだ言いながら、もっとお行儀のいいものであった。


 どちらがいいとか悪いとかではない。

 だが面白いのは暁の演奏の方であろう。

 もっともレコーディングになると、その演奏も控えめになる。

 ライブ感が必要なのは、間違いなく暁自身の問題だ。


 MNRもライブがいずれ出来なくなると、そう考えたから休止したのだろう。

 実際には今のところ、まだ白雪は手術を受けていない。

 少しでも早い方が、悪化の確率は避けることができる。

 しかし月に一度の検査をしておけば、ぎりぎりまで待てることも確かなのだ。

 それでも早くした方が、いいことは間違いない。

 死ぬことを恐れていないから、平気で延ばしているのだろうか。


 もしも今後、暁と同じような感じで、月子や千歳が抜けたとする。

 千歳の場合はどうにか、他のボーカルでフォロー出来なくはない。

 そもそも初期のノイズは、そういう構成でやっていたのだ。

 また今、俊が関わっている新しいボーカロイド。

 月子のものが完成すれば、それで上手くコーラスを入れることは出来る。

 もっとも生のコーラスには、今のところどうしても及ばないところだが。


 今後の技術革新によって、ボーカルさえも完全に、生の声のように使えるようになれば。

 それは本当の意味で、個性がなくなってしまうことになるのか。

 だが今は楽器でさえも、打ち込みで完全に合わせることは出来ない。

 正確なだけのものというのは、あまり感動を与えないのだ。

 不思議なことに人間は、不完全なものにこそ、より心地よさを感じるらしい。

 心情を揺さぶられると言った方が正確かもしれない。


 月子の代わりになるようなボーカルはいるのだろうか。

 単純に力量というだけなら、数人はいる。

 だがそれがノイズに合うのかということと、また事務所やレコード会社との関係で可能なのか、ということは別である。

 器用な白雪は、どうせステージには立てなくなる。

 他には花音という選択がある。もっともこちらはレコード会社からして違う。

 ただ以前に協力しただけに、不可能というわけではない。


 あとはイメージが大きく変わるが、彩という選択もある。

 これはレコード会社も同じであるし、貸し借りの関係があるので、案外成立はする。

 もっとも人間関係が難しく、そこをどうにかする必要がある。

 正直なところ現実的ではない。

 それをやるぐらいなら千歳をメインにして、コーラスした月子の声を流した方がいいぐらいだろう。

 個人的に一番俊が見てみたいのは、花音とノイズの組み合わせだ。

 フラワーフェスタが上手くいっているだけに、スケジュールの問題で難しくなっているが。




 夏のフェスに向かい、ノイズメンバーが泊り込む。

 暁の部屋ではなく、月子の部屋に三人だ。

「奥さん借りて行くよ~」

 千歳がそんな軽い声をかけていくが、男性陣は普通に栄二が自宅に戻っている。

 娘ももう小さな赤ん坊ではないが、母親も働いているのが西園家だ。

 そろそろ反抗期の傾向が見えるであろう娘には、出来るだけ距離を適切に保つ必要がある。

 また俊と信吾も、夜通し何かを話すということはない。


 ばっちりパジャマパーティーの格好になり、女性陣三人は話し合う。

 なお響君はシッターさんの管理による。

「赤ちゃん生まれてから、夫婦生活ってどう?」

「どうと言われても……」

「具体的に夜とか!」

 ぐいぐい来る千歳としては、そろそろ本気で彼氏がほしい。

 周囲に流されているだけとも言えるだろうが。


 夜の生活については、もう少ししたら再開しよう、という重要な話をしている。

「セックスって気持ちいいものなん?」

「いや、あたしもそんなにやってないし」

「夫婦なのに? 若いんだからもっとガッツリやってるのかと思ってたけど」

 食いついていくが、この年頃の女の子としては、仕方のないところもあるだろう。

 月子の場合は中学まで、いじめられた経験が長いので、あまり男子に好意的ではない。


 暁としてはあまり、話したいことでもない。

 ただこの集まりは、なんでも共有しても、大丈夫と思える集まりだ。

 それでも男性陣には、とても聞かせられないことであろうが。

「気持ちいいっていうか、俊さんがすごく上手いんだと思う……」

 のろけておる、この若妻。

「具体的に!」

「ええと……その、してるとやっぱり、何回かいっちゃうし」

 ムハー、と鼻息を荒くする千歳だ。


 初体験については、以前にも話している。

 痛いというよりは引きつって、圧迫されていくという感じだった。

 自分の体の中に、そんなの入るところあるのか、とびっくりしたものだ。

 だが圧迫感が快楽に変わったのは、確かなことである。

 その後に素面でやった時には、一晩で六回も頑張ってもらったりした。


「やっぱりこう! 頭の中がドカーンって爆発するような!?」

「いや、そういうのじゃなくて、触られているところから電気が頭にきて、それでびっくりする感じかな」

「爛れているなあ……」

「そんなことないよ。まだ20回もしてないし」

 へ? という顔をする千歳である。


 出来たのは明らかに、あの酔っ払った日のことである。

 俊が手際よく体を動かしてくれて、じわじわと気持ちよかった記憶がある。

 ただ二回目以降は、もっとはっきりしていたものだった。

「そっか、すぐに妊娠分かったし、出産後はそんな暇がないか」

 高校生や大学生のカップルでも、普通にこれぐらいはこなしているカップルが多いだろう。

 大学の友人などは、性に奔放な者もいる。


 あの大学はポップス部門の要素が強いためか、チャラい男も多い。

 それこそ信吾のようなタイプ、と言ったらいいだろうか。

 信吾もひどい風評被害だが、三股をかけている現在に、寄ってくるのをどんどん食っていた時代もある。

 今はもうそんなことはなく、昔からの付き合いだけに絞っているが。




 千歳に彼氏が出来ないというのは、確かにそこそこ不思議なことなのだ。

 全くモテないというわけでもなく、男友達もそれなりにいる。

 ただ分かりやすい女っぽさがない。

 カジュアルな服装を好み、アクセサリーもしないし、化粧も控えめ。

 それでいながらステージの上に立つと、圧倒的なパフォーマンスを見せ付ける。

 普段とのギャップが凄いのである。


 これがもうちょっと女の子らしくすれば、ギャップ萌えの男が引っかかるであろう。

 男には支配欲があるので、ステージの上ではあれだけ輝いている千歳を、組み敷いてやりたいと考える野郎がいてもおかしくはない。

 だが千歳にはいまだに、カリスマというものが欠けている。

 正確に言うと、ステージの上と普段とで、ギャップがありすぎるのである。

 あまりにも普通すぎる、とは俊も不思議に思っていることだ。

 ステージの上でだけは、しっかりと輝く人間なのだが。


 この夏には三つのフェスに参加が決まっていた。

 一つを終えて暁は、自分が随分と体力が落ちたのでは、と思ったりもした。

 妊娠中は栄養素が、赤ん坊を育てるために使われる。

 かなり食べる量も、増えていたのが暁であった。

 そして出産は、体力勝負の一大事だ。

 だが安産であったと言われるあたり、普段からステージなどで、体力を使っていたというのはあるのだろう。


 残りの二回、ノイズはヘッドライナーを務めることになっている。

 ただ最終日に関しては、外タレのレジェンドを呼ぶフェスの場合、指定席が決まっているのだ。

 妊娠中も暁は、作曲と編曲には積極的に関わっていた。

 ここは紫苑も口を出さなかったところである。

 出産からわずか二ヶ月ほどで、ステージに立つようになった暁。

 このあたりやはり、音楽に対する情熱が違うというところだろうか。


 子供は可愛いのだ。

 腹を痛めて産んだ子、とはよく言われる表現である。

 自分の中にいたのは間違いなく、可愛がっていることは可愛がっている。

 だが不思議と、自分とは違う生き物だな、と思える。

 子供を自分の分身のように、付属物化する母親もいる時代であるが。


 俊もそうだが暁も、思いいれが強くなりすぎないようにしている。

 子育ての中でもある程度を外注していると、そういう気分になるらしい。

 本当なら苦しかったり、辛かったりするのも子育て。

 だがほぼ同時に生んだ継母とは、あまり子育ての感想が合わない。

 働きながら子育てをするというのは、本当に大変なことである。

 しかしこの点は、保が既に暁を育てているのと、ある程度の時間を拘束される自営業なのが、より育児を大変にしていると言えようか。

 どうしようもない時は、渡辺家のシッターさんに一緒に頼んでいたりする。




 程よい距離感と言えるのであろうか。

 面白い生き物だな、とは確かに見ていても感じるのだ。

 間違いなく自分の子供だと、それは分かっている。

 ただ母には似ているが、自分にも俊にもあまり似ていないな、とは確かに思う。

 保が生後少しの孫を見て、そう言ったものだ。


 子供を育てるというのは、自分の原体験を追想するということでもあるのか。

 暁は正直なところ、自分にあまり似すぎては、社会で孤立しそうで怖い。

 まだ生まれてすぐであり、どんな性格なのかも分からない。

 ただ起きているときは、かなりうごうごと蠢いていることが多い。

 歩き始めたら大変になるかもしれない。


 そんな子供のことを、頭の片隅に押し込んでいく。

 そしてライブのステージに立つ。

 妊娠中にやっていたことの一つには、ピックアップや電装系の構造の勉強もある。

 いつかは作ると決めている、イエロー・スペシャル。

 そのための知識を、たくさん収集していたわけだ。


 ノイズの完全モードに戻った演奏は、ちゃんと前と同じ音を出せていた。

 だが同じ音ばかりではない。

 暁の体験したものは、音楽的な経験ではない。

 しかしギターの音というのは、人生で経験したものが、そのまま出るのだ。


 バラードの演奏においては、より柔らかい音が出せるようになった、と俊は聴いていて思う。

 これが母性か、と夫の身であるが不思議に思ったものだ。

 子供が生まれて、自分でもお風呂に入れたり、オムツを替えたりしていても、いまだに父親としての認識が浮かばない。

 そもそも暁との関係が、まだ夫婦っぽくなっていないのもある。

 もちろん仲が悪いわけではなく、普通に子供は可愛いのだが。


 親になった、という意識が未だに薄い。

 ただそれは響が、とても丈夫な子供であったことも、関係しているのだ。

 夜泣きもすぐにやんだし、不意に熱を出したりすることもない。

 おっぱいは盛大に飲んでいくし、げっぷも問題なく出している。

 シッターさんが見た中でも、かなり育てやすい子供だ、とは言われた。


 むしろ大変だったのは、暁の異母弟の方であろう。

 こちらは普通の子供であり、平均的にぐずったり熱を出したりした。 

 しっかりと育てているという点では、どちらも同じである。

 だが育てやすいのは、こちらであるのは間違いなかった。

「なんだか、あんまり親になった意識がないなあ」

 思い返せば自分と母も、あまり深い親子関係ではなかったと思う。

 むしろ離婚するまでは、父親の方と仲が良かったぐらいだ。


 父親に引き取られなかったのは、既にあちらに家庭を築かれたから。

 母の両親については、外国に住んでいるため、今でもあまり交流がない。

 こんな育て方でいいのかな、と俊は考える。

 だがそれ以上に、音楽に没頭しているのだ。


 ノイズの夏は過ぎていく。

 名実共に、今や日本のトップにたどり着いたと言ってもいいだろう。

 だがこのポジションを、ずっと守ることが出来るのか。

 フラワーフェスタがフェスの中で、どんどんと存在感を増している。

 それは白雪がフラワーフェスタに、関わることになったことも影響しているだろう。


 ガールズバンドであったので、紫苑が加わることには反対はなかった。

 そして頭の柔らかい、威圧感のない白雪が、ALEXレコードに出向してプロデュースを担当し始めたのだ。

 正確にはアドバイザー的なものに過ぎないが、同じ女性ということで、その言葉を聞いてもらいやすいらしい。

 そのあたりの融通が利かないのが、これまでのプロデューサーであったと言えようか。

 ずっと感じていた、後ろから迫ってくる気配。

 俊はそれが、すぐ背中にまで近づいているのを感じる。

 一つのバンドだけでは、巨大な化学反応は生まれない。

 フラワーフェスタが加わったことによって、大きなムーブメントは完成しようとしている。

 ここからが本当の、ロックスターの道であるのだろう。

 まだまだ先は、とてつもなく長いものである。




   第五章 了 そして最終章へ

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