14章 ドーム

第245話 作曲依頼

 八月の大規模フェスが終わっても、まだ九月にフェスがあったりする。

 もっとも学生の動員があまり見込めないので、規模としてはやや小さめになるのだが。

 ノイズの面々が参加するかどうかは、千歳の怪我もあって、辞退しているものもある。

 全治一ヶ月というのだから、その期間ぐらいは休んでもいいだろう。

 そもそも千歳は受験対策を、そろそろ本気でやらないといけない。

 成績をちゃんと保ったままで、さらに小論文や面接の勉強をしていく。

 現役のミュージシャンで武道館公演に、夏や冬の大規模フェス。

 こんな高校生が果たして、他にどれぐらいいることか。


 俊のおかげで千歳は、進路が楽になったと思う。

 音楽の知識は増えてきて、自然とセッティングなども出来るようになってくる。

 暁はギタリストとして活動しながら、同時にギター職人の道も目指すようになるという。

 もっとも暁は単純なコード進行からメロディまで作り、ある程度は作曲が出来るのだ。

 作詞に関しては、ちょっと洋楽の影響が見られたりもする、


 俊はこの時期、インプットに多くの時間をかけていくこととした。

 夏の武道館からフェス、そしてツアーにフェスで終わりと、随分と日程が詰まっていたものだ。

 ただ下手に暇を作ってしまうと、かえって悪いことを考えたりしてしまう。

 なので積極的に新しいことを吸収し、洩れてきたものを楽曲にする。

 洩れてくるまで、気長に待つことにしたのだ。


 歴史上の巨大なバンドであっても、大きなツアーが終了した後は、しっかりと休養の期間を入れる。

 ノイズが千歳の治療が終わるまで、活動を休止するぐらいなら、ちょっとした休みにしかならないだろう。

 いっそのことこれを機会に、色々と後回しにしていたことをやってもいいのではないか。

 たとえば月子などは、里帰りをしてみてもいい。

 彼女の故郷と言えるのは、出生地としては淡路島、実際に長く育ったのは山形、そしてようやく安定してきたのが京都になる。

 いっそのことその全てを、順番に回ってみても悪くはない。


 月子の読解障害と相貌失認は、自分がちゃんと分かっていれば、それなりになんとかなるものだ。

 もっとも出来れば仲のいい友人などが、一緒にいればいいであろうが。

 すると千歳は学校が始まるので、自動的に除外される。

「あたしは一緒に行ってもいいけど」

 通信教育の暁の場合、ネット環境があればその教育は、好きなときに受けることが出来る。

 ただ彼女は見た目が中学生に間違われるので、大人の女性もいてほしい。


 さすがに阿部に頼むわけにもいかないし、同居している佳代などもここで仕事をしている。

「まあ国内ならなんとか、二人でも大丈夫かな」

 俊としてはあまりに過保護になりすぎるのも、二人にとっては悪いことだと思うのだ。

 信吾などは少しの間が暇になるなら、仙台に戻って地元の旧友と会っておきたい。

 音楽の道を志しても、途中で脱落していった人間は多い。

 前にも正月には戻ったし、この間もツアーを行った。

 しかしある程度の時間を、一緒に過ごす余裕はなかったのだ。


 栄二にしてもある程度時間があれば、家族との交流を増やせる。

 この夏は本当に、忙しい夏であったのだ。

 なんなら土日にでも、実家に顔を出してもいいだろう。

 こちらで家庭を持って、埼玉なら帰ろうと思えばすぐ帰れるだけに、かえってあまり帰っていない。




 そんなわけでノイズは、半月ほどの休みとなった。

 だが俊にとっては、休みなようで休みではない。

 全ての趣味や楽しみを、音楽に還元するようになった、現在の俊。

 まさに音楽のために生きている存在だ。

 ここまで音楽のために全てを捧げても、その命が消えるわけでもない。


 むしろ音楽のためには、多くのことをさらに知っていく必要がある。

 音楽に対する欲望が、新たな音楽を作り出す。

 そしてそれは他人に伝わり、新たなる音楽を生み出させる。

 音楽の永久機関の完成だ。

 もちろんこれは、音楽だけに限ったわけではない。


 千歳のオススメのマンガやアニメなども、とりあえず見てみた。

 星姫様はいまだ放送中で、ひどい出来ではあったがOPだけは何度も見ることが出来た。

 娯楽だけではなく、新たな知識は学問にもつながる。

 元々俊は哲学や心理学など、そういった方面からも音楽を捉えている。


 一曲の音楽に最も近いのは、映画であるかもしれない。

 長さの違いもあるし、また表現も主に聴覚の他、視覚を一番大事にする。

 しかし優れた音楽のように、その中には物語が含まれている。

 この映画を音楽にするとしたら、どこを切り出してどこを残すべきか、色々と考えないといけない。

 すると自然と、新たな楽曲が生まれてくる。


 ハッピー・アースデイを作った時の感覚を思い出す。

 あれは作品を全て読んだ上で、特に前半部分の雰囲気を重視して、テーマなども拾っていったものだ。

 原作ファンの人間からも、OPは曲も映像も素晴らしい、などと言われている。

 逆に言えばそれ以外、本編の方はひどい出来なのだが。、

 失敗した作品と、既にこの段階で言われている。

 しかし他者の失敗からは、学ぶことが出来るものもある。


 俊は他に、ミュージシャンの自伝なども読んでみた。

 自伝ではなくても、伝記なども読んでみる。

 自分自身が考えていることと、他者から見た自分というのは、大きな違いがあるものだ。

 考えてみれば自分の人生など、自分自身では記憶していないことも多い。

 むしろ熱狂的なファンこそが、そういったものを記録したりする。


 ブルースに戻ってくる。ここがまずは原点だ。

 黒人の労働歌から発生したというブルース。

 その中には悲哀の感情が、多く含められていたはずだ。

 しかしそこからロックンロールに変化すると、ノリというものが生まれてくる。

 当初のロックというのは軟派なもので、恋愛沙汰の曲が多かったものだという。

 それこそビートルズにしても、愛だのなんだのと歌っている。

 反戦や反権力などといったものは、当時の世相から生まれてきたものだ。

 しかしそれはフォークの分野であり、ロカビリーへとつながっていく。




 また何度も繰り返して、原点から辿っていくのだ。

 ブルースに色々なものが加わっていくが、基本となるのは変わらない。

 魂を歌ったものであれば、それが一番の原点なのだ。

 ただ俊は、自分で歌うことが出来ない。

 脳内のイメージがちゃんと声帯に伝わらない。

 それでも君が代だけは歌えるように、とても頑張った。


「楽曲提供ですか?」

「そう。やってみる?」

 事務所ではなくリモートの会話で、俊は阿部と話す。

「スランプからまだ戻ってないんですけど」

「話を通すだけは、通さないといけないからね」

 確かにそれはそうかもしれない。


 俊は彩に楽曲提供をしたし、作曲のスピード自体はかなり早い。

 だが何も問題なく、次から次へと作っているわけではない。

 ノイズという集団の中で、メンバーを理解しているからこそ、作曲もスムーズにいく。

 逆に作詞のテーマから、音を作っていくこともあるのだ。

 彩に渡したのは、そもそも昔からの蓄積によるものだ。

 しかしあれで、俊はコンポーザーとしての腕を、見込まれてしまったらしい。


 もちろん俊としては、そんな方向に使う力の余裕がない。

 今こそどうにか、また一つ壁を破ろうとしている。

 他人への楽曲提供など、そう上手く作れるはずもないのだ。

 小手先で作ってしまうものならば、いくらでも作れるだろう。

 しかしそんなものを、相手が望んでいるわけがない。


 俊は相手を、理解することによって楽曲を作る。

 メロディから入ることもあるが、歌詞を作ればそれに相応しいメロディが必要になる。

 そこを上手く作ることが出来れば、あとは楽なものである。

 ただドラムのリズムについては、かなり栄二の助言を受けることがあるが。


 作曲のベースの部分については、確かに俊が作っている。

 だがそれに肉付けしていくのは、メンバーの全員であるのだ。

 特に大きく曲調を変えるのは、暁であることが多い。

 ハードロックの魂があると、どうしてもギターソロが入ってくる。

 印象的なリフを、ポンポンと入れてくる。

 もちろん実際には、これまでに存在した多くのリフを、上手く変化させている場合が多い。


 新たなギターリフなどというのは、そう簡単に出来るものではない。

 正確に言うならば、作るだけなら簡単なのだ。

 しかし後世に残るような、そんなリフはなかなか出来ない。

 それでも暁のギターリフやイントロなどは、確かなセンスを感じさせる。




 才能というのは執念も含まれる。

 過去に存在した多くの名曲を、分解して要素として記録する。

 それをどうやって組み合わせるか、多くの作曲はそれが重要だ。

 だが歌詞の方は、一曲を作れば自分を一つ削っていく。

 その削られたところを埋めるために、またインプットをしていくのだ。


 自分の人生経験だけでは、とても足りないものである。

 だが俊の作っている音楽は、私小説とは違うのだ。

 人間のイメージは無限である。

 それに単なる文章を並べても、実際に月子や千歳に歌ってもらえば、変化するところはある。

 また特に千歳は、この言葉では上手く伝わらない、という注文は出してくる。


 叔母が小説家ということもあって、彼女はアニメやマンガだけではなく、小説も読むのだ。

 ただその内容は幻想的なファンタジーが多く、いわゆる本格ファンタジーなどとさえ呼ばれるものもある。

 俊はそのあたり、あまり読まない人間である。

 彼が読むのは社会派小説であったり、青春小説であったりすることが多い。

 ただ青春小説というのは、そろそろ読まなくなってきてもいるが。


 広義の意味でのファンタジーは、かなり読むことがある。

 千歳の叔母の小説なども、本来は児童向けファンタジーのはずだが、かなり読んでいたりもする。 

 児童向けのはずが文庫化して、普通の棚に入っていたりもするらしい。

 ただ俊の場合は、基本的にまず図書館を利用する。

 そこで気に入った作品は、読み返すために買うのである。


 俊が基本的に読まないのは、WEB小説という類だ。

 全く読まなかったわけではないが、あれはギミックだけがその核にあって、キャラを際立たせるために全てが起こるのだと分かれば、読む必要がなくなった。

 千歳が面白いと思えば、薦めてくれるだろう。

 歴史小説の場合は、スケールの大きさが人間の生活とは違い、今の俊では消化しきれない。

 ただものすごく大局的に見れば、今の自分たちなど小さなものだと、そういう考えは知っておいてもいいだろう。


 自分の中に蓄積したものを、執念によって少しずつ組み上げていく。

 何度も繰り返していくが、到達点だけは見えていたりする。

 歌詞が先に出来上がっていると、それに合わせてメロディなどを作っていく。

 だが基本的にメロディラインは、コード進行に合わせて作っていく。


 ヒップホップは好きではない俊だが、韻を踏むというところでは学ぶべきものがある。

 ただ韻を踏むだけならば、日本語の方がよほど簡単だ。

 語尾をそろえるという手段も使えるが、単語の選択が日本語か英語かで、選択できるというのもある。

 舞台という言葉を、ステージということもあれば、会場だのライブだの、他の単語で言い換えることも出来る。

 そうやって自分の中に蓄積してきた、文章を引き出していくのだ。


 テーマが大きく変わるのは、それほどなかったりもする。

 人生のどの段階で、どんなことを考えるのか。

 俊は自分のことも考えるが、歌うボーカルのことも考える。

 月子の持っている、生きづらさについては今も、感じさせられるところがある。

 人間が使ってきた、文字というメッセージ。

 それが限定的にしか使えないという時点で、彼女は大きなハンディを背負っているのだ。




 苦しみの中から、音楽が生まれることはある。

 もちろん喜びの中から、音楽が生まれることもある。

 色々なところから生まれる音楽を、人生の彩りに加えよう。

 そんなことをそのまま、歌詞にしたりもする。

 楽曲提供を断ってしばらくして、今度は阿部はもっといい話を持ってきた。

 タイアップ曲の依頼である。


 星姫様は正直、俊自身はいい曲を作れたと思う。

 あのオープニングだけで、ノイズの音楽は一定の層にも届くようになったのだ。

 ただ作品自体は失敗で、今も盛大に負け戦を続けている。

 10月からはMNRにOPが変わるのだが、先に提供されていて良かったと思う。

 もっともMNRは逆に、自分たちの力でもって、ある程度は聞かせることが出来るのだが。


 霹靂の刻は、ちょっと特殊なパターンであった。

 だが今度は原作も連載中の、かなりの人気作のアニメ化である。

 スポンサーになるのも出版社以外に、色々と強そうなところが揃っている。

 もっとも原作がよくて、スポンサーが揃っていても、結局はどの会社のどのスタジオが担当するかで、その出来は変わってくる。

 一応保留はしておいたが、これは良さそうな話だ。


 問題は対象よりも、俊自身の問題である。

 スランプを脱したとは言えない今、原作のイメージを壊さない曲を作れるのか。

「サイキックバトルアクションと言うよりは、頭脳戦の要素が強いのか」

 千歳に「持ってるか?」と問えば「電子なら」という答えが返ってきた。

 彼女が面白いと太鼓判を押したので、紙で買ってきた俊である。


 俊の場合はこだわりがあるわけではないが、紙で買うことが多い。

 今時の若者としては、珍しい要素であるだろう。

 単純に俊の場合は、実家が広いので収納しておくスペースがあるからだ。

 それでもタブレットで読むのが、今では主流になるのかなとも思っている。

 案外スマートフォンを活用していないあたり、俊はちょっと珍しい人間である。

 基本的に作曲のためには、PCを使った方がやりやすいということがあるが。


 いまだに夏の名残が感じられるが、放送開始は来年の四月。

 随分と先の話になるのだなと思うが、逆にそれだけ準備期間がある。

 確実に売るための、出版社や制作会社の気合を感じる。

 すると星姫様はなんだったんだ、という話にもなってくるが。


 俊がアニメを見るのは、基本的に千歳の影響である。

 彼女がオススメする作品だけを、基本的には見ているのだ。

 なので男性向けのお色気重視作品は、基本的に手が届いていない。

 そのあたりは徳島と話したりすると、情報が出てきたりする。


 音楽を世界中に届けるのには、メディアミックスが効果的だ。

 これは今さらというべきもので、はるかに20世紀からされてきたものだ。

 しかしアニソンタイアップは、その作品への理解度が、以前よりもはるかに高いものになっている。

 それだけのものを求められているのだし、俊も星姫様については、ちゃんと作品を理解して作ったと言える。




 原作を読んでみて、俊は依頼を受けようと思った。

 確かにバトルがあって、頭脳戦もあるのだが、そこに心理戦が加わって、キャラクターの心理描写が巧みだ。

 何より人間関係が、複雑に絡み合っているのがいい。

 まだ10巻も出ていないのだが、昨今ではこの段階でアニメ化するのも少なくはない。

 売れる時に全力で売るというのが、売るための鉄則である。

 そもそもアニメが開始するまでには、もっと単行本も出ているであろう。


 メンバーに対しては、一応確認を取ってみる。

 これがラブコメ作品などであると、意外と嫌がる者もいたのかもしれない。

 だがこういうバトル系の作品は、基本的にスタジオ次第である程度は売れる。

 千歳が強くプッシュして、俊も頷いているのなら、あえて反対することなどはない。

 ただこういう作品の楽曲というのは、どういうイメージにすればいいのか、むしろ俊が大変ではないかと思われた。


 俊は作れると思わなければ、そもそも受けたりはしない。

 ダークな雰囲気と、スタイリッシュな構成。

 それでいてどこか、哀しみも感じさせる楽曲。

 イメージだけはあっという間に作られた。

「分割2クールだから、相当の力を入れてるんじゃないかな」

 そう千歳に言われたが、そのあたりの区別は分からない俊である。


 星姫様は2クールもあった。

 正直あの内容で、どうして作ることが許されたのか。

 業界の内部事情は知らされたが、今度もまた俊は事前に、情報を収集している。

 若手監督が担当するが、前の二作はかなりの高評価を得ている。

 スタジオの評判もいいし、ラインがしっかりと確保されているらしい。


 事前にしっかりと準備もされている。

 スタッフを揃えるということが、どれだけ重要かは俊も分かってきた。

 資本、土地、労働によって生産は行われる。

 だがアニメの場合はその労働に、かなりスタッフのセンスが反映されるのだ。

 また加えてスケジュールというものが存在する。

 時間がなければどれだけのスタッフを揃えても、さすがにいいものは作れないのだ。


 楽曲についても今回は、コンペではなくノイズを名指しだ。

 霹靂の刻に加えて、星姫様でしっかりと作ったことが、業界内では評価されているらしい。

 どんなやっつけ仕事の中にも、きらりと光る何かはある。

 見る人は見ている、というのは本当のことなのだろう。

 だが必ず見てもらえるわけではないので、どんな状況でも手を抜くわけにはいかない。


 時間も充分に、年内を予定されてはいる。

 しかしリテイクが入る可能性というのも、ちゃんと示唆されていた。

 プロデューサー、監督、音響監督、音楽などとの顔合わせも予定される。

 前回に比べると、まるでやり方が違っている。

 それだけ失敗できない企画なのだな、ということが伝わってきて、むしろ俊は嬉しかった。

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