第70話 ステージスタート

 暑い。

 八月も下旬といっても、全く暑さが消えることはない。

 ここのところ秋があまりなく、夏から一気に冬になる、などとも言われていたりする。

 それはあながち間違いでもない。

「水の準備いいか」

 俊の質問に、全員が頷く。

 とにかく夏のフェスは、野外であれば暑さとの戦いである。

 日本などは特にひどい酷暑であるのだが、それでも夏にしか長い休みは取れない学生は多い。

 年末などにもフェスはあるが、夏には巨大なフェスが二つもある。

 ロックバンドと言うよりは、ロックもやるバンドであるようなノイズだが、とりあえずの目標をのヘッドライナーとするのは、悪いことではない。


 風もなく、音響としては悪くない。

 だが暑さはそこにこもってしまう。

 おそらく何人か、倒れている観客もいるのではないか。

「1000人ぐらいしか集まってない?」

「それぐらいかな」

 千歳の感性はおそらく、この中では一番一般人に近い。

 その千歳にとっては、明るい夕暮れ前に1000人の前で歌うのは、おおいに緊張するものであるだろう。


 いよいよ前の組が終わった。

 1000人というのはかなり多い。

 二人の通っている高校が、一学年でおよそ400人弱か。

 つまりほとんどの生徒を集めて、ようやくこの人数に達する。

 そう思うならば、充分に多い人数であるのかもしれない。


 意外なほどに緊張と言うか、勝手の違いを体感しているのは俊だ。

 暑さがここまである中で、そしてこれほどの明るさで、この人数を前に演奏する。

 もっとも俊のパートは他に比べれば、特にフロントの三人に比べれば、重責はないとも言える。

 だが打ち込みなどで作ってある音楽を、どのタイミングで入れていくか、その操作にはある程度の技術がいるし、合わせるタイミングも重要だ。


 セットはある程度、会社が使っているものをそのまま設置してある。

 ただドラムなどでも、西園の使っているものには足りないものもあるし、場所も調整する必要がある。

 昨日の時点でそれらは分かっているので、スタッフが動いてセットする。

 さすがにこういったものには、慣れた動きをしている。

 地方にツアーにでも行くと、こういったセットをある程度自分たちもやらなければいけない。

 もちろん専門のローディストを雇うこともあるが、ある程度はノウハウが必要になってくる。




 自分たちでもある程度、やっておく準備はある。

 俊の場合は観客から向かって一番左、そこにシンセサイザーを置いてある。

 そしてそれとノートPCを接続してある。

 準備は問題ない。

 その右には信吾が立ち、ベースのポジションとなる。

 奥には西園のドラムが設置され、最後の微調整は自分で行う。


 真ん中に立つのは月子であり、そして右にマイクスタンドのある千歳。

 そして一番右端には、暁というポジション取り。

 今日の流れは、タフボーイ、アレクサンドライト、ノイジーガール、そしてネット公開はしてない「二人歩き」があり、またカバー曲で〆る。

 そこでアンコールがあれば、もう一曲という具合である。

 基本的にはアップテンポの曲とバラードを、交互にやっていく構成になっている。

 二人歩きはバラードというより、シリアスなバラード・ロックとでも言うタイプだが。


 元々ノイジーガールも、曲調や歌詞は、単にアップテンポというものではないのだ。

 特にノイジーガールなどは、最初の打ち込みだけのものから、アルバムに入った曲になるまで、かなり変化している。

(ワンマンをやるには、まだ曲の数が少ないな)

 俊がメンバーにも隠している、あの曲を使えば足りるが、あまりにバンドのイメージと違う。

 サーフェス名義の曲は、はっきり言って質が悪い。

 ただ月子と違って千歳は、表現の幅が広いので、サリエリ名義のものも歌えるか。


 セットの時間がかかっている間、信吾と西園がリズム隊だけで、音の遊びをしていたりする。

 そしてステージから見ると、明らかに観客が増えてきている。

(かなり……倍ぐらいになりそうか?)

 出演が決まったのが、かなり最近であったため、集客は少ないかと思ったものだが。

 事実前のグループは、観客が聴けるスペースがそれなりに空いていた。


 ちなみに状況からして、メンバーの衣装はいつもとそれなりに違う。

 俊は普段とあまり変わらないが、シャツは最初から半袖で、ジャケットも脱いである。

 信吾や西園はTシャツであるし、月子は露出がそれなりにあるタイプのドレスだ。

 ちなみに日焼け防止のため、必死で日焼け止めを塗っていた。

 千歳はさほど変わらないが、スカートの丈が短い。

 暁はジーンズがホットパンツになっている。




 準備は完了か。

 それぞれが視線で合図してくる。

『どうも、ノイズです』

 ステージが始まった。

『普段は東京のライブハウスでやってますけど、今日も知ってる顔がそこそこいて、少し安心しています』

 基本的に真面目なMCは、俊が担当している。

 ただ意外と千歳が喋ることも多かったりするし、信吾も盛り上げ方は知っている。

 西園はそれを後ろから見守る感じだが。


 やはり人数が増えている。

 アルバムが売れたことといい、ノイズがなんらかのムーブメントに乗っているのは、やはり可能性として高い。

 だがそのムーブメント自体が、どういうものなのか、本人たちにさえも分かっていないのだ。

 一つには実力が、もちろんあるとは思うのだが。

『今日はオリジナル三曲、カバー二曲やる予定です。カバーの方は今日が初めての演奏です』

 これに対して歓声が上がってくるのだから、ノイズのカバー曲にはかなりの期待がされているのだ。


 そしてシンセサイザーのゆったりとした音が流れていく。

『もうライブの定番になっちゃってるんですけど』

 ギターの演奏が始まる直前、千歳が叫ぶ。

『TOUGH BOY!』

 ギター演奏が始まるのと同時に、歓声が大きくなった。


 お客さんのノリがいい。

 初めての野天であるが、これならやりやすい。

 ギターの演奏に合わせて、オーディエンスも叫ぶ。


 ドゥデデッデッデデーデーデデー

 ドゥデデッデッデデーデーデデー

 ドゥデデッデッデデーデーデデー

 ドゥデデッデッデデーデデデデ

『HEY! HEY! HEY!』

 ドゥデデッデッデデーデーデデー

 ドゥデデッデッデデーデーデデー

『HEY! HEY! HEY!』


 そこから月子のハイトーンの、しかし耳に残っていく歌が始まる。

 千歳のギターもよく、この短期間で最低限のレベルにまで上達したものだ。

『TOUGH BOY! TOUGH BOY! TOUGH BOY! TOUGH BOY!』

 二人の声がハーモニーとなると、また歓声が大きくなる。

 この暑い中、そこまで熱くなって大丈夫なのか。

 俊はこの熱狂の中でも、一人冷静さを失わない。

 冷めているのだが、初めてのフェスの熱狂に、自分も持っていかれそうになる。


 これがフェスか。

 大規模なライブの経験も、俊にはない。

 だが少なくとも、月子と暁は飲まれていない。

 千歳がやや弱いが、暁が動いていく。

 千歳の横、レフティのギターが丁度、対象になるような位置へと。

(おおお! ジョンとポールのポジションだ!)

 冷静なまま、俊は興奮している。




 一曲目が終わった。

 そういえば今日は、暁が最初から髪ゴムを外している。

 最初からペースを考えず、飛ばしているのだろう。

 だがさすがに西園は、リズムを守って体力の消耗を控えている。

 このリズムによって、演奏全体が走りすぎるのを止めているのだ。


 MCが入る。

 人が両手を上げていると、なんというかこれは、まるで海のような動きに見える。

(2000人でこれか……)

 確かにライブビデオなどを見ると、その客席の盛り上がりも分かったりする。

 だが実感とは違うのだ。

(見る側と演る側では、全然違うんだな)

『二曲目の前に、改めてメンバー紹介します。まずはハイトーンの声を持つエースボーカルのルナ!』

 これにも歓声が返ってきて、拍手や口笛の音も聞こえる。

 こちら側からだけではなく、あちらの反応も普段よりはっきりしている。 

 やはりライブハウスの、薄暗い映像とは違うからだろうか。


『ギターボーカルのトワ、ギターはまだ五ヶ月の初心者だけど、声はものすごくいい天才!』

 ちょっと事前の打ち合わせにはなかったことを言っているが、これは俊も熱に浮かされかけているからか。

『リードギターはアッシュ! ほとんどの人は彼女のギターを最初に聴いたときびっくりするから、傍で見ていても面白い!』

 パワフルでヘヴィなリフをかましてくるので、これは間違いがない。

『フロントが走り過ぎないよう、コントロールするリズム隊は、ベースが元アトミック・ハートの信吾! ドラムは元ジャックナイフの栄二!』

 なんだかんだ言って、ノイズの顔はフロントの女性陣三人。

 だが今日も月子は顔見せなしである。

『一応リーダーの便利屋サリエリの六人で、次はアレクサンドライトいきます』


 アレクサンドライトは、ギターに早弾きの場面もあるが、基本的にはバラードだ。

 宝石のように、一つ一つの音を磨いていく。

 月子のハイトーンの声と、暁のアルペジオがよく合う曲だ。

 ハンドマイクを持つ月子は、空いた左手を自分の体に回して、その掌を天にと向けていく。

 こういった振り付けに関しては、特に俊の指示が入っているわけではない。

 伊達にアイドルのステージに何度も立っているわけではないのだ。


 千歳のコーラスの声が、まるでギターに対するベースのように、しっかりと月子を支える。

 この二人は全く別のように聞こえたりもするのだが、実際に歌わせると完全に合ってくれる。

 ハーモニーだろうがバックコーラスだろうが、ほとんど意識もしていないのに、自然と合ってしまうのだ。

 二人の声が出会ったことこそ、本当の奇跡なのかもしれない。

(思えばこのメンバー、訳の分からない出会い方が多いな)

 暁と信吾は、向こうから来たものであるが。




 アレクサンドライトが終わる。

 比較的演奏の少ない俊でも、かなり消耗している。

『暑いね。オーディエンスが多いから、もっとエキサイトしてるよ。水分補給忘れないで』

 信吾と西園はともかく、他の三人は忘れていたのか。

 次もまた、演奏カロリーの大きな曲だ。

 俊が少しMCで間を作る間に、ペットボトルから水分を補給するメンバー。


 それを確認して、俊は次の曲を述べる。

『三曲目! このバンドを象徴する曲でもある、ノイジーガール、行きます!』

 ギュイーンと暁のギターが始まる。

 リズム隊がそれに追随して、今時の曲にしては、やや長いイントロ。

 そこに月子の歌が入っていく。


 最初は月子を象徴していた、ノイジーガール。

 だが今では、この歌はノイジーガールズと改称すべきだろうな、と思っていたりもする。

 ギター以外には孤独であった少女、孤独な環境になってしまった少女。

 二人分の力が、この曲に加わるのだ。


 一番歌うのも、演奏するのも慣れた曲。

 だがそのたびに発見があるし、毎回暁は即興でちょっと変えてくる。

 オーディエンスのノリに合わせて、激しくしたりゆったりしたり。

 今日は本来なら、少しゆったりするべきなのだ。

 しかし開放感が、より激しくする。

 ソロの場面の激しさが、普段よりもずっと爆音で鳴らされる。

 そこから返された月子も、負けず劣らず自分を解放していく。


 初めてライブで演奏した時のように、二人が共鳴し合っている。

 だが今は、二人だけではない。

 支えるドラムとベースが、土台となってくれている。

 そして千歳がコーラスを入れてくる。

 ハーモニーの中で、一気に歓声が爆発していく。


 熱狂がここにある。

 ライブハウスの中では、感じられなかったレベルのものだ。

 もちろんテンションの違いというものもあるのだろうが、普段よりも上のパフォーマンスを出している。

 まだノイズは発展途上だ。

 この先の世界に、いったい何が見えてくるのか。

 それこそが俊の見たかった世界ではないのか。

(俺はライブがやりたかったのか?)

 今さらながら、自分のこだわりがどこにあるのか考える。


 この優しさばかりではない世界で、少女たちは奏でる。

 傷つけられながら生きていく。

 ぶつかりながら歩いていく。

 なぜならば、生まれてしまったから。

 この世界に何かを残すために、自分は生きているのだろう。

 激しい雑音として、感情を刻み付けろ!


 ノイジーガールの演奏が終わった。

 残りはアンコールをやったとしても、アップテンポな曲は一曲しかない。

 わずか三曲で、特にフロントの三人はバテている気がする。

 ワンマンライブをするには、体力増強が必要だ。

 もっともこのライブの激しさが、普段よりも体力を奪っているのだろう。

 次は「二人歩き」だ。

 月子と千歳、あるいは暁と千歳、もしくは月子と暁。

 主に二つのラインが、交互に出てくるという曲であり、ライブでやるのは初めてである。

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