第284話 アリーナ
武道館でのライブもやったし、ワンマンではないが東京ドームも経験した。
しかしアリーナというのはまた別物である。
たとえば彩などは、武道館よりもアリーナの方を好んでいた。
花音の母親もまた、アリーナ公演をドームよりも好んでいたらしい。
単純に俊としても、演奏するだけならばアリーナの方がいいと思っている。
なにしろ武道館も東京ドームも、最初から音楽の演奏を意識したものではないのだ。
その点がアリーナとは全く違う。
設営の人間に聞いても、やはりアリーナは最初から音響などが計算されている。
俊としても本当に、ドームなどよりアリーナ公演の方がいい。
そもそもドームはレンタルに加えて、諸々の費用がかかりすぎるのだ。
立地としては間違いなく、ドームも武道館もアクセスがしやすい。
ただ少しばかりチケットを安くしたとしても、設営などの費用がかからなければ、アリーナの方が黒字が大きく取れる。
スクリーンもあるので、そこにMVなども映すことが出来る。
演奏をしっかり録画して、後からMV風に編集することも出来るだろう。
日本ではライブなどは、基本的に撮影禁止のところが多い。
だが海外はむしろ自由に、撮影をさせて拡散させたりもしている。
それだけ個人の持つ情報の発信力を、強いものと感じているのだろう。
俊の場合は原則として、ノイズのライブは撮影を禁止している。
ただこっそりと撮影するぐらいなら、黙認もしているのだ。
実際のライブでもって冷めてしまうのは、音楽を聴かずにスマートフォンなどを向けられる時。
そして日本人というのは、赤信号であっても皆が渡っていれば、自分も渡ってしまうものなのだ。
おそらくカメラばかりを向けられたら、他の誰より先に暁が切れる。
普段はおとなしいと言うか内向的な人間なのだが、ステージでは性格がロックになる。
ギター破壊などはやらないが、そのうちダイブぐらいはするかもしれない。
そのためギターにはちゃんと、有線タイプのシールドを使っているのだ。
二日間で四回のステージ。
武道館よりもおおよそ、五割り増しの客数。
それがしっかりと埋まるのだからたいしたものだ。
しかしそういった数字は、宣伝の対象としか考えない、それが俊である。
もっとも阿部がそのあたりは、同じように考えてはいる。
重要なのはしっかりと、客席が埋まること。
チケットが完売することも重要だが、アリーナであるとちゃんとそこに人がいないといけない。
武道館も大きく感じたが、このアリーナはそれ以上に大きく感じる。
いや、収容人数は実際に、武道館よりも多いのだが。
音響に関しては、武道館よりも良い。
そして演出にしても、スクリーン以外の設備もある。
もっともそれほど極端なことをするつもりもない。
音楽自体で勝負する、などという幼稚な考えなわけでもない。
単純に下手な演出で派手にするより、演奏だけの方がよほど華麗に見えるものだ。
ただ暁のアクションは、地味ながらもしっかりとムードに合わせる。
他には衣装にしても、昔からずっと変わらない。
スタイルを変えないというのは、重要なことである。
だが逆に、変えていかないといけない、ということもある。
ノイズの変えていないスタイルとは、音楽第一主義。
そのためにファッションは、最初に固定化されたもののままだ。
金を無駄にかけない、というポリシーは貫いている。
それに服自体を全く変えない、というわけでもないのだ。
暁は洋楽バンドのTシャツばかりを着ていたが、最近はMNRにもらったTシャツを着ていたこともある。
邦楽になったのか、と微妙に騒がれたこともあったが、あれは貰い物なのだ。
ただ普通ならばパイの食い合いも起こる、MNRのTシャツは着ないだろう。
もっともそれは、気にする方が面倒という話にもなる。
暁がMNRの紫苑を意識している、というのは確かにある。
同じ女性ギタリストで、その技術もほぼ互角。
ただ紫苑はまだ、正確すぎるな、とは思う暁である。
ポピュラーミュージックの中でもライブなどは、正確さが必ずしも重要なわけではない。
むしろどれだけ、崩れる限界まで外していくか、それを楽しむところはある。
暁の場合はそれを、過去の洋楽のギターヒーローから学んできた。
紫苑は白雪から教えられたという。
その白雪は、確かにフィーリングタイプの演奏も出来た。
しかし正確さやスピードでは、弟子の紫苑の方が上。
微妙な関係だな、と珍しく暁も二人の比較などをするものだ。
俊と信吾のジャケットにスラックスというスタイルも、微妙に変えてきたりはするのだ。
季節的なこともあれば、演奏するセットリストにもよる。
ステージ用の衣装は基本的に、必要経費として計算していて、普段使いには使わない。
もしも普段使いで着てしまうと、それは経費で落ちなくなるのだ。
その点では月子の衣装は、完全に普段使いなどは出来ない。
ステージ以外ではパーティーや、なんらかのフェスぐらいでしか着ることはないのだ。
そして千歳は完全にカジュアルである。
なので彼女の場合、経費で衣装代を落としていない。
その分普段も使えるので、お得なところはある。
ドレスアップが必要な時は、暁も同じく貸衣装で済ましている。
もっともノイズは、ラフな感じの飲み会はともかく、しゃちほこばった雰囲気のパーティーには無縁のバンドである。
そんなところに呼ばれたら、むしろ変に意識をしてしまうだろう。
売れるためにはいくらでも、大衆性は追及する。
しかし変に上流階級に媚びようなどとは、欠片も思っていないのが俊である。
それでも阿部などは、レコード会社や芸能界の大物に、それなりにつながりを持っているのだが。
俊の場合はそれが、父親とのつながりから存在する。
ALEXレコードの針巣なども、本来なら真っ先に頼るような伝手だ。
だが売れるために全力を尽くす俊だが、その手を握りに行こうとは思わなかった。
インディーズで売れるというのが、その大前提であったからである。
ノイズのライブ会場には、当然ながら業界人も来ている。
阿部が招待した人間もいれば、自分でコネを利用してチケットを手に入れた人間もいる。
もちろん普通に買った人間もいるが、こういうコンサートは特別に席が確保されているものなのだ。
一日目の昼などは、特に関係者であれば、事前の準備さえ見ることも出来る。
ノイズのセッティングの風景を、二階席などから見下ろしたりもする。
「海外からのオファーがあったとはね」
「ええ、さすがにシカゴの方は、準備期間も短く既に予定も入っていたので」
「そこでブラジルか。規模は確かに大きいけど、箔付けにはそれほどじゃないでしょ」
「ただ、海外の雰囲気を感じるには、丁度いいぐらいかと」
「そうだけどねえ」
ブラジルのフェスへの参戦というのは、リスクがあまり高くない。
そこまでの格式はまだないものの、動員も相当の数にはなるものだ。
まずは空気を感じるという点では、悪いものではない。
それに日本の音楽というのは、今はかなり評価が高まっている。
俊もさすがに、この先の成功のロードマップは、作れていない。
そのために阿部は、国内のみならず海外にも、コネクションのあるプロモーターに声をかけたのだ。
こうやってセッティングの段階で、ノイズの様子を見せているのも、その営業の中の一つである。
「デビューから一通りの音楽も見たけど、本当に節操がないね。いい意味でも悪い意味でも」
「売れることを大前提に活動してますから」
「失敗の経験が足りないんじゃないの?」
「それはそうなんですが、もうここまでの規模になってしまうと、失敗するのも難しくて」
ノイズはグループとしては、確かに失敗らしい失敗がない。
俊がそれだけ、慎重に動いていたからではある。
彼自身には失敗の経験は多くある。
バンドを組んでも失敗したし、ボカロPとしてもなかなか弾けなかった。
またメンバーの中でも、月子は地下アイドルとして、自分が売れていないと感じている。
挫折感としては、個人的には他にもある。
「ただ怖いもの知らずでそのまま走っていくというのも、場合によってはあるかと」
「それだと長くは売れないかもしれないよ」
「一瞬でも、海外で大きく売れませんか?」
「……う~ん」
売れるか売れないかというのは、なかなか難しいものだ。
ただ金と時間と労力をかけてプロデュースすれば、ほとんどの場合は売れる。
問題はそのコストに見合ったリターンがあるか、という部分だ。
ノイズの場合は今のままの契約などだと、そのあたりが難しい。
「力量としてはおそらくある。いろいろな色を出せるからね。ただ問題はそれを、うちに還元してくれるかどうかというところで」
インディーズ契約のままであると、とにかくノイズに金が入る。
そしてその状態であると、他の部分にあまり金が入らない。
原盤権を持っている限り、ノイズはメジャーのアーティストよりも、よほど儲かるのだ。
俊はともかくとして、他のメンバーも同じぐらい売れるミュージシャンより、10倍はもらえる計算になる。
もっともノイズはメンバーが多いので、そこまでになるのは総合を比較した場合だ。
「俊君とは信頼関係が出来ていると思います。条件次第ですが、説得する自信はあります」
「まあ、今日のステージは見せてもらうよ。そちらも大変だろうから、返事は九月に入ってからでいい」
「ありがとうございます」
阿部はここで頭を下げる。
ノイズはここまで、本当に上手くやってきた。
インディーズレーベルなので、資本投下は少なかったが、しっかりと売ってきたのだ。
ただこのあたりでさすがに、もっと大規模に宣伝を打っていく必要がある。
阿部はそのために、今のノイズを見てもらう約束を取り付けた。
国外でそれなりに、成功している日本人アーティストはいる。
むしろあちらに活動の拠点を、移してしまっているのだ。
俊と話していても、確かに海外にも売っていくという話はした。
だがそれは大々的なものではなく、タイアップなどで自然な浸透を目指していた。
昔の日本のアーティストと違って、今は海外へのルートがちゃんと存在する。
ノイズが通じるかどうか。
阿部としては自分の目標を、達成するための相棒がノイズなのである。
一日二回のステージで、へとへとになっている。
だがアリーナのオーディエンスの反応は、上々のものであった。
これまでに発表してきた多くの楽曲に加え、カバーも色々とやってきた。
四回のステージではあるが、どれもセットリストは微妙に変えたものであったのだ。
メインとなる楽曲は、それぞれ同じである。
ノイジーガールから始まって、業へと至る売れ筋の楽曲。
ただカバー曲に関しては、本当に色々なところから持ってきた。
古い洋楽などでは、ミニー・リパートンのLovin' Youをそのまま月子に歌わせた。
高音域が出せるという点で、まさに本領発揮と言える曲である。
ストーンズの曲もやったし、マイケル・ジャクソンまでやった。
そして国内ではアニソンもやったのだ。
そもそもアニメタイアップをしているのだから、古いアニソンをやっても問題はなかったろう。
実際にしっかりと受けていた。
最後の公演が終わると、メンバーは全員がソファーにどっかりと座ったり、床に寝転がったりもした。
俊は他のメンバーほどは、体力的には疲れていない。
だがシンセサイザーを使い、EDMもやっていたので、頭のほうはかなり使った。
それだけにしっかりと疲労はしている。
「え~と、お疲れ様」
その様子を見ていて、阿部はそうとしか声をかけられない。
もう何度も、大きなステージは経験している。
しかしそれごとに、しっかりと全力を出している。
変にステージ慣れすることなどはない。もしもそんなことをすれば、俊よりも先に暁が怒る。
演奏に妥協を許さないという点では、暁の方が上になってきている。
俊の場合はレコーディングで妥協を許さないが、そもそもレコーディングは何度も録音するものだ。
これで八月は残り、フェスのステージ一回だけである。
大きなステージはもう、今年は入れていない。
ただ10月からは、サバトを使ったアニメが始まる。
またテレビへの出演オファーが入ってくるかもしれない。
それにまた紅白へも、出演のオファーがあるだろうか。
もっとも今年のノイズは、年末の予定については、年越しフェスに出るつもりでいる。
アリーナでの演奏は、確かに届いた。
俊は演奏の細部を、少し調整しただけである。
フェスなども熱狂はあったが、やはりアリーナでの演奏は、単純な熱量だけのものではない。
音がしっかりと、建物の中で響いていた。
ぐったりとしている月子は、とりあえず春菜の手も借りて、ステージ衣装から着替える。
他のメンバーも一応、着替えは持ってきているのだ。
「月末のフェスが終われば、休みながらレコーディングするから」
「完全な休みじゃねーんだよな」
俊の言葉に対して、信吾が恨み言のようなことを言う。
今日の演奏は、最高であっただろうか。
少なくとも全力を出して、空回りもしていなかった。
ただ困ったところと言うと、千歳の指が久しぶりに、マメで潰れてしまった。
月末のフェスにはまた、助っ人を呼ばなければいけないのだろうか。
確かなことは、一番いい会場において、しっかりと力を出し尽くしたということだ。
そう考えるとやはり、やれるだけのことはやった。
あとは撮影されていてビデオなどを、確認すればいいことだ。
この映像はMVなどにも、使われる予定であるのだから。
まだ上がっている、と俊は感じている。
現状維持ではなく、まだまだ上があるのだ。
そのために俊は、また楽曲を作っていかなければいけない。
そしてそれが、凡作であることは許されない。
もっとも次にやるのは、アニソンカバーアルバムである。
ノイジーガールの英語版は、おおよそ翻訳も完了した。
そちらも含めて、自分たちのペースで出来る仕事である。
夏休みが世間様で終わった後、自分たちは少し休める。
瀕死のメンバーたちを見て、阿部はちょっと苦笑してしまったのであった。
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