第257話 音が花開く
ノイズの演奏が始まる。
まずは世界的な規模で見ると、一番知られている霹靂の刻。
あくまでも偶然ではあったが、これがノイズの評価を高めるきっかけとなった。
作曲したのは月子であるが、根底となる部分は既に、じょんがら節として存在している。
編曲した俊の役割が、大きいとは言える。
だがそれでも、作曲者は月子となっているのだ。
エレキ三味線とエレキギターが絡み合う、現代と伝統の融合。
だが基本的にはメロディアスなロックではあるのだ。
そしてその中には、真のブルースが秘められている。
月子のバックボーンがあるからこそ、この曲を作ることが出来た。
また演奏についても、その10年間の蓄積が、技術となって備わっている。
ただ漫然と過ごした10年ではない。
祖母が確認した上で、才能があると判断して、厳しく仕込まれた10年だ。
自分は必ずこの子よりも早く死ぬ。
だから一人で生きていくためにも、特殊な何かを残しておく必要がある。
そうやって育てられた月子は、家事全般がしっかりと出来る。
三味線と民謡で生きながら、あるいは家政婦なども出来るように。
また誰かと結婚でもした時には、確実に家事をしっかりと行えるように。
厳しく教えられた。
甘やかす方がずっと、楽であったろうに。
本当の優しさというのは、厳しく接することに表れる。
それを月子がようやく理解してくるようになったのは、ノイズとしてデビューして、そのシンガーとしての技術を評価され、そして三味線での作曲をしてからだ。
幼少期は確かに甘やかされた。
だがよく思い返してみれば、祖母もほんの最初の頃は、優しかったような記憶がある。
彼女の知識などからは、月子は単純に頭が悪い子供に見えたのだろう。
また素直に相手を信じすぎるところなど、美点だが欠点にもなるところであった。
その月子が、10年蓄積したものを、自分の感性のままに解放したのだ。
俊の最高傑作であるノイジーガールに、匹敵するか上回るかしても、おかしくはないのだ。
ノイズが永劫回帰の持ち歌から選んだのは「流浪」という曲である。
それなりに初期の名曲で、さらにアレンジの余地が多くあった。
ゴートがこれを作ったのは、永劫回帰が結成される前であったという。
ただ彼にしても、DAWを全く使わないというわけではなく、楽器を多く使ったバージョンも持っている。
参考にさせてもらって、打ち込みを足した上で、俊はマスターを作成した。
少しだが古い曲なので、イントロがやや長く、ギターソロがそれなりにあったりする。
そこで暁の、おかしなレスポールが上手くマッチする。
もっともマッチしていなくても、しっかりエフェクターでセッティングするのが暁である。
俊と暁の場合は、サラブレッドと言われることもある。
なにしろ親が、マジックアワーの一員だったのだ。
特に俊の場合は、父が一時代を築いたほどの人間である。
ただし東条高志は、その晩年を汚した人間でもある。
俊は長らく、自分の父親については語らなかった。
ただこういったものは自然と、どこからか洩れてくるものである。
そして取材を受けた時も、質問されて俊は素直に頷いた。
暁が加入する過程が、それによって明らかになるからだ。
暁の父の保は、まだ現役のミュージシャンである。
スタジオで弾くこともあるし、バックミュージシャンとしても弾くし、ツアーにも同行する。
純粋に技術だけであるならば、まだ暁よりも上であるのかもしれない。
ただ若さに任せた、パワーに溢れた演奏というのは、もう出来なくなっている。
そもそもバックミュージシャンが、そんなに目立ってはいけないのだ。
永劫回帰の流浪は、人生を旅路に例えたような曲だ。
古典的なハードロックの色調が濃いが、それだけに訴えかける部分も強い。
世界に居場所がないという、そういう青春期の勘違いを、そのままに歌った曲である。
これは明確に、テーマ的には月子に向いていた。
ただ楽曲としては、千歳の方に向いている。
それに千歳も、最も安心できる居場所は、もう失ってしまっていた。
だからこそこの曲に、しっかりと感情を乗せていけるのだ。
人間は誰でも、帰れる場所がほしいものだ。
やがては自分自身で、帰る場所を作るのかもしれないが。
ノイズの中では栄二のみが、その段階に達している。
この曲は今の千歳なら、確かに歌えるものだ。
永劫回帰の中でも、ゴートが集めてきたメンバーには、ある程度の共通点がある。
両親と上手くいっていないか、もしくは両親のどちらか、あるいは両方がいないか。
タイガはパワフルに歌うボーカルであるが、実はもう天涯孤独であるらしい。
遠い親戚はいたそうだが、両親は早くに亡くなり、育ての親である祖父も高校卒業頃に亡くなった。
信吾と同じ仙台出身で、年齢もさほど離れていないが、ジャンルが違う。
タイガは元はヒップホップや、あるいはダンスミュージックで、踊っている人間として有名であったのだ。
純粋な歌唱力という点では、タイガは突出して上手いわけではない。
だが彼の声に込められた力は、凄いと表現出来る。
パワーという点で言うならば、男だからというだけの理由でもないが、彼が一番である。
ただし花音の声になると、パワーなど意味のない、イメージの世界になってくる。
孤独が人を強くさせるのだろうか。
そんな単純な話でもないが、タイガは地元ではそれなりに、悪い仲間との付き合いもあった。
だが半グレなどとは無縁の、お子様がそのまま成長したようなもの。
高校卒業を期に、東京にやってきた。
そこからはゴートに指導を受けながらも、バンドボーカルとしての素質を磨いてきたのだ。
パワーと言うよりは、もっと原始的に暴力性と言おうか。
これは月子には、歌えないタイプのものである。
だが千歳ならば、歌うことが出来る。
彼女は無機質な暴力を、身近で感じている。
オーディエンスを自分の力で熱狂させるという、強い信念を感じさせるのだ。
間違いなくノイズの中では一番伸びて、さらにまだ伸び代があるメンバーである。
MNRの楽曲の中からは「Snow Fairy」という曲を選んだ。
白雪の作る曲は、どこか悲しい曲が多い。
だが同時に雪のように、柔らかな冷たさも感じさせる。
東北出身と言ってもいい月子には、この曲のイメージが合ったのだ。
ただ原曲で歌うと、白雪の声はもっと、溶けるようなイメージがある。
月子の声も透明感はあるが、白雪ほどの儚さはない。
なんだかんだ言いながらも、一人で東京に出てきて、地下アイドルなどをやっていた月子だ。
身近な人間を亡くしてはいる。
だがそれよりも自分自身が、一人で生きていくのに大変だったのだ。
ある意味で月子の歌は、自己中心的である。
もっともミュージシャンなどは、エゴがあってこそという面もある。
俊はそういったところまで計算して、月子に合わせて楽曲を作る。
千歳の場合は案外、自分のパワーだけで楽曲に合わせてしまったりするのだ。
曲に対する解釈が、かなり違うボーカルになった。
月子の声は透明感はあるが、硬質なところもある。
白雪や、また花音のような、柔らかく包み込むものではない。
どちらがいいというわけではないが、どちらも出来るような表現力はほしい。
それは今後の課題となっていくのであろう。
まずは三つのバンドが、それぞれに演奏した。
次に花音が歌っていく。
彼女の声を完全に活かすための、楽器演奏が比較的少ない楽曲。
既に世間で知られている、名曲を持ってきている。
演奏するのは俊がシンセサイザーをピアノの音にして使ったり、あるいはキイがギターだけを弾いたりといったところか。
三つのバンドの中で、一番安定して表現出来るのが、永劫回帰のキイである。
暁の場合はどうしても、自分の音が出てしまうのだ。
ジミー・ペイジほどではないが、どうしても自分らしさを出してしまう。
しかし花音の声には、そんな伴奏は邪魔なのである。
暁もそれは分かっているのだが、ノイズの内部で演奏するのなら、月子も千歳もそれに合わせて共鳴してくる。
それによってより高い表現に到達するのだが、花音とはそこまでの関係ではない。
またバンドミュージックというものでもないので、やはり暁の個性はここでは使えない。
むしろリズムを取るのに徹する、千歳の方が安全であったりもするのだ。
母が娘に残した楽曲は、基本的にピアノで作曲されたものが多い。
なので伴奏としても、ピアノが多くなる。
あとはジャズと一緒に演奏したり、ということも多かったのが彼女だ。
それにストリングスなども、楽曲の中では使われていた。
ゴートも白雪も、そこそこピアノを弾けたりする。
だがここでは俊が、完全に任されてしまう。
やることが多いのだが、それでも俊が一番合っている。
加えてストリングスも、俊はヴァイオリンをそれなりに弾いている。
電子音を使った楽曲の打ち込みもしたりと、俊は本当にやることが多い。
これで加えて明後日には、紅白の本番があるのである。
ただ花音の伴奏をするのは、意外と簡単であった。
彼女の邪魔さえしなければ、勝手に成立してしまうからだ。
完全にソロシンガーの才能である。
それなのにバンドを組みたいというのは、いったいどういうことなのだろうか。
現在のアメリカでは、バンド音楽というのはかなり廃れている。
既に有名であるバンドなどは、その人気があるために、安定して稼いでいたりはする。
だが今ではもう、新規バンド全体が、売れなくなっているのは確かだ。
だからこそジャンヌやエイミーは、まだバンドミュージックが残っている、日本に来たのではと俊は考えることもある。
しかしそのために花音を巻き込んでいるのでは、彼女の才能の無駄遣いではないのか。
もちろんやりたいことをやるのが、一番いいのだとは思うのだが。
企画としてはこの組み合わせは、けっこう難しいものがあった。
他の三つのバンドに関しては、聴かせるバラードなどもあるが、基本的にはグルーヴ感のある曲が多い。
しかし花音の場合は、しっとりと聴かせるタイプの曲が多いのだ。
テンポの早い曲で、ノリのいい曲もある。
だがここでいったん盛り上げたステージを、落ち着かせてしまう。
確かに三時間もあるのだから、ここで休憩になるような音楽にするのは、一つの手段ではある。
人間は普通のバンドでも、二時間をぶっ通しで激しく聴かされるなど、無理があるからだ。
ここで少し長めの休憩が入るのは、トイレにでも行ってもらうことも考えてのものだ。
残りの一時間半ほどは、おおよそ全開でこちらは演奏をする。
ただ14人もいるため、演奏は順番に行っていくことが出来る。
ドラムなども三人いれば、逆に音が重なりすぎてうるさくもなるだろう。
もっともそのドラムなども、ゴートは他の二人に任せて、他の楽器を演奏したりも出来る。
彼はかなりのマルチプレイヤーであるからだ。
一度全バンドと、花音が楽屋に戻ってくる。
なかなか悪くはないスタートだと言えた。
ただここまでは基本的に、それぞれのバンドが対バンを組んでいたのと、同じような展開である。
問題はここからの、それぞれが合わせていく楽曲なのである。
基本的にはカバー曲が多くなる。
それも邦楽だけではなく、洋楽も多く演奏されていくことになる。
もっとも洋楽のバンド全盛期と言っても、せいぜいメンバーは三人から五人といったところが多い。
一番多いのは四人であろうか。
だがここからはまさに、この人数がいなければ出来ない、というような演奏を聴かせていくわけだ。
まさにバンドと言うよりは、交響曲のようなパート分けになっていくであろうか。
その中でメインボーカルは、花音と月子の組み合わせ、タイガと千歳の組み合わせ、というのが多くなる。
声の質の問題で、この組み合わせになるのだ。
と言うよりもタイガの声に、千歳以外のボーカルがあまり合わない、ということが言える。
そして白雪は、基本的にコーラス部分で、歌えるところに合わせていく。
彼女の場合はベースの演奏も、それなりに重要になってくるのだが。
「五分前です」
スタッフの呼び出しに、全員が立ち上がる。
30分ずつのステージであったので、それほどの疲労はない。
ただここからの演奏は、息の合った同士だけではなく、普段は合わせていない相手と、上手く合わせていくしかないのだ。
それも単に合わせるのではなく、引き上げるほどの力がいる。
薄暗くなった照明の中で、またそれぞれの位置へ。
ダンスなどがないのは、幸いと言えば幸いであるか。
ただ永劫回帰のボーカルのタイガなどは、ギターを演奏しない曲の場合は、複雑なステップを間奏の間に見せたりする。
ボーカルとしてよりも、あるいはダンサーとしての素質の方が高いのではないか。
そんなことも言われるのだが、彼の声には間違いなく個性がある。
14人もステージの上に立って、ちゃんとそれぞれの個性が発揮されるのか。
そもそもそういうことが、疑問視されていたのだ。
下手な演奏をしてしまうと、むしろマイナスになるだろう。
そうは言ってもこのメンバーだと、誰かがフォローする余裕がある。
まず最初に歌うのは、それこそ洋楽であった。
シンセサイザーを使った音と、そしてギターからなる。
アルペジオから始まる、圧倒的に有名な楽曲。
最初にこんな曲を持ってくるのかとも言われそうだが、レッドツェッペリンの天国への階段。
ここのギターを弾くのは、暁なのである。
そしてボーカルは、タイガでも月子でもなく、花音。
英語の発音が上手いという意味でも、彼女に任された。
しかしこの曲は、今の流行の曲と比べると、とてつもなくイントロが長いと感じるだろう。
それに本来ならアコースティックギターとリコーダーから始まる。
それをエレキギターと、シンセサイザーに変えてしまっているわけだ。
花音がメインに歌いながらも、彼女の声の質を邪魔しない、月子と白雪がコーラスを歌う。
ギターに関しては四人もいるので、12弦ギターを使う必要はない。
ただドラムが一人で充分ではないか、という要素は確かにある。
三人で分け合えば、より簡単に演奏は出来る。
だがそこまでするほど、ドラムが難しい曲ではない。
この曲はリードギターと他のギターで、はっきりと印象が変わる。
ジミー・ペイジはレスポール・スタンダードを使っているが、四人のギタリストの中で、同じ機種を使っている人間はいない。
ただ同じギブソンで、しかも音の質が似ているのは、暁のおかしなレスポール・スペシャルである。
エフェクターでの音作りに関しては、おそらく一番若いながらも、一番のこだわりがある。
彼女のギターを伴奏に、あるいは交互に主役となりながら、花音は長い曲を歌い終えたのであった。
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