第256話 The Time
イベント名は「The Time」と名付けられた。
時間などとは言っているが、実際のところは時代の要素が強い。
前日リハも無事に済んで、そしていよいよ公演の日を迎える。
何度かバンドの入れ替えを行うので、その間にトイレ休憩が取りやすい。
やはりファンの人数は、永劫回帰が一番多いのだろう。
ただ演出などに関しては、他のバンドも楽しむことが出来る。
なぜならそれぞれ、他のバンドの代表曲も一曲、選んで自分たちで演奏するからだ。
開場よりもはるか前に、メンバーは全員が揃っていた。
最大で14人がステージに立つが、ドームの設備を考えれば余裕だ。
俊としてはよほどのことがない限り、東京ドームを使うことなどは考えていなかった。
レンタルするのに金額が、相当にかかるからである。
また人工芝の養生や、電気代なども考えると、二億円ほどはかかると見ておいた方がいい。
三日連続でやるからこそ、どうにかペイする。
これが一日だけだと、設営の準備と撤去でも前後の日を借りるので、一日だけ満員にしてもペイしないのだ。
ALEXレコードとしても、国内のアーティストでこれを埋めることは、不可能なのである。
今回のように人気バンド三つと、花音という存在があってこそ、ようやくチケットが捌けた。
今後のことを考えると、ノイズとしてもおそらく、東京ドームを満員にするような興行は、することが出来ないであろう。
かつてはアイドルグループのライブコンサートで、イベントまで加えたことで、ようやく採算が取れたらしいが。
これが外タレなどを持ってくると、チケットが高くなるので、むしろペイはしやすくなる。
もっとも日本の舶来信仰も、近年では薄れてきた。
今が人気のアーティストよりも、70年代から80年代のレジェンドの方が、ありがたがる人間は多い。
今のテレビCMなどで使われる曲も、大昔の洋楽が多かったりする。
アメリカの人気ラッパーなど、日本人で知っている人間が、ものすごく少なくて向こうでは驚かれるらしい。
確かに日本ではラップなど、あまり人気とまでは言えない。
相手をディスる文化というのが、日本人には合わないのかもしれない。
セッティングは前日にやっているが、最終的なチェックも行う。
ノイズは時間よりも早くやってきていたが、MNRは到着した時もまだ、白雪が眠っていた。
彼女は寝起きがとても悪いことで、業界内では知られている。
なので早い時間帯に仕事があると、紫苑が泊り込んで寝坊を防いでいるのだとか。
俊はそのあたり、やや夜更かしといった程度であろうか。
もっとも作曲などが佳境に入ってくると、ほとんど徹夜になったりもする。
インスピレーションはいつ湧いてくるか分からない。
小手先で器用に作ってしまうことも出来るが、基本的には苦しんで作った方がいい曲になる。
ノイジーガールなどはインスピレーションのままに、かなりのスピードで完成したものだが。
大学を卒業してからこっち、昼夜逆転の生活を送ったりもする。
だがその時間がまた逆転して、早朝に目覚めていたりもするのだ。
ハウスキーパーがいなければ、果たしてどうなっていたことだろう。
もっとも地下のスタジオだけは、ちゃんと自分で掃除もしているのだが。
大切なものとそうでもないものとで、全く扱いが変わってくる。
俊はそれが極端で、そういった性格のクセなどは、天才どもにも共通したものである。
最終的なチェックも終わり、あとは開演を待つだけ。
ただ一部の人間は、衣装やセットなどをしっかりとする。
このあたりのビジュアルに一番こだわっているのは、永劫回帰であろうか。
基本的には黒一色という、ちょっと難しいファッションだ。
だがワンポイントでシルバーのアクセサリーをしていたり、スカーフを巻いていたりと、わずかな主張がある。
MNRも実は、ちゃんと衣装にはこだわりがある。
白雪は白、紫苑は紫、紅旗は赤と、それぞれの衣装の基調色が決まっている。
そのあたりノイズは、それぞれの方向性がバラバラだ。
ただ方向性自体は、ブレることなくずっと続いている。
俊と信吾はジャケットで、暁はオルタナかハードロック路線、月子だけはドレスアップして、千歳はカジュアル。
もっとも紅白だけは、少し衣装が変わる予定だが。
時間の経過が、早くも遅くも感じる。
武道館でやった時のような、あれにつながるプレッシャーか。
フェスの時はむしろ、そういうプレッシャーはなかった。
あちらはお祭り騒ぎの要素が強く、野天で行われていたということもあるのか。
俊はこのステージ、武道館よりもずっと大事なパートを多く担当する。
彼の演奏する楽器が、コロコロと変わったりもするのだ。
またそれは花音にも言えることだ。
鮮烈なデビューを飾り、また楽曲もたくさん発表している花音。
だがフラワーフェスタ以外での活動は、ネット配信に限っている。
これが二度目の、大きなステージとなる。
もっとも彼女は、それに対して何か、プレッシャーなどを感じてはいないようだが。
ゴートと白雪は、むしろそれが不安要素だ。
天才に特有の、プレッシャーを感じる機能がついていないのか。
確かに最初のケイティとのコンサートも、堂々としたものであった。
しかしあれはケイティに対する信頼と、彼女のフォローがあったからではないか。
もちろん二人は花音をフォローするつもりだ。
しかし決定的に崩れてしまえば、フォローするのも不可能だろう。
才能自体は間違いなく、とんでもないレベルで持っている。
だが人格は接触していても、子供のような大人のような、不思議と安定していない感じがある。
「まあなんとかなるよ」
俊も含めたバンドリーダー三人の集まりで、白雪はそう言う。
「ヒロさんなんかは、プレッシャーとは無縁そうな感じでしたよね」
「そうでもない。あの人はどんな小さなステージでも、しっかりプレッシャーを感じていた。でもそれを認めて向き合ったからこそ、いいパフォーマンスを発揮できた」
どんな大スターでも、ステージの前では緊張するのか。
俊はそう思ったが、ゴートと白雪は双方、共に緊張していないように見える。
「緊張している時はね、こう考えるんだ」
白雪は淡々と、コツを教えてくれる。
「失敗しても死ぬわけじゃない」
ヒロはその後、27歳になる前に、病気で死んでしまった。
楽屋は大部屋において、全員が揃っている。
トップバッターであるのは永劫回帰で、これは一番人気を最初に出すということで、まずオーディエンスの反応を見るのだ。
そしてMNR、ノイズと続いていって、あとはそれぞれがバラバラになって演奏をする。
普段は慣れていない人間同士が、このステージに向けて合わせてきた。
それなりのレベルの演奏にはなったが、時間があればもっと、しっかり合わせていったであろう。
正直不安要素は強い。
大きな舞台であるので、失敗すれば印象も悪くなってしまうだろう。
永劫回帰はともかく、MNRとノイズはまだ、信者とも言えるファンの絶対数を、そこまで増やしているわけではない。
ただノイズの方は、演奏をフォローする人間が多い。
誰かがミスをしたとしても、他の五人でどうにかする。
六角形はあらゆる形の中で、最も強靭であるのだ。
まだ開演までに時間がある。
だからといって何か、特に出来ることなどはない。
別に外に出ようが、何かが起こる可能性などは低い。
だがその何かが起こっては不味いので、楽屋にいるしかない。
「暇だね~。何かゲームでもする?」
ゴートが余裕たっぷりといった感じで言うが、それぞれ何かをしている人間もいるのだ。
白雪などは普通に、分厚い本を読んでいたりする。
他のメンバー二人を、完全に放置している。
「つっても何も用意してないっしょ。人数も多いし」
「人生ゲームなら持ってきてる」
タイガの言葉にゴートは返して、そしてキイがため息をつく。
どうやら永劫回帰は、そういう感じのグループであるらしい。
ゴートはリーダーであり、しっかりとメンバーのメンタルにも配慮している。
彼自身が能天気に見せることで、緊張をほぐしているのか。
「やりたければ混じっていいよ」
「ルールを知りませんから」
MNRの方は白雪が超然としていることで、これまた他のメンバーを安心させているのか。
その意味ではMNRも、プレッシャーに対する耐性は強いのか。
ノイズもノイズで、それなりに安心している部分はある。
紅白が決定したし、それ以上に千歳の大学の合格が出た。
音大は医大の次に授業料が平均して高く、実際に俊も少し迷ったことがあったのだ。
千歳の場合は両親が、亡くなる前にかけていた保険金と、自分で稼いだ金によって、普通に四年間は通うことが出来る。
ただミュージシャンとして忙しくなれば、休学なり退学なり、そういう選択もあるだろう。
また暁の方は、アルバイト先というか、仕事先を決めている。
ギターのカスタムやリペアをする店で働くのだ。
いずれは自分で、自分の使うギターを作るのかもしれない。
暁のギターは一般的には、特徴などが微妙なギターとも言われる。
実際にアメリカなどでは、あまりギタリストが優先して使う機種ではないのだ。
レスポールであっても、スタンダードやカスタムが、ギターヒーローには多いだろう。
ジュニアならまた、逆に音が特徴的になり、スペシャルは本当ならかなり、微妙な評価のギターなのだ。
それが暁のスペシャルだけは、ピックアップの性能が少しおかしい。
一応は同じタイプで、違うメーカーの出しているギターも、予備として持ってはいる。
だが出てくる音というのは、完全にタイプが違うのだ。
甘いメロディアスな音と共に、テレキャスにあるような尖った音。
この二種類は普通のレスポールのピックアップでは、出ないはずの音なのだ。
レフティであるから、何か間違って作られたのか。
暁の手にしているのは、ギブソンが一時的に、スペシャルをラインナップから外す、少し前のギターなのである。
レフティであるからこそ、売れずに残っていたとは言える。
演奏のイメージに、没頭している人間もいる。
レスポールを持った暁の指は、少しだけぴくぴくと動いている。
今さら演奏などは出来ないが、頭の中でしっかりとイメージしている。
一応は東京ドームの広さというのを、リハでは体験しているのだ。
今日の演奏においては、ギターボーカルではありながら、ほぼボーカルに専念するのは千歳である。
もっともノイズの演奏においては、やはりギターを弾く。
他のバンドと絡んでいく中では、彼女はほぼボーカルとしての役割が多い。
バンドボーカルとしては、タイガと絡む部分が多くなるだろう。
男女デュオのツインボーカルというのは、俊も実はやってみたかったことだ。
もっとも組ませたいと思うようなタイプは、タイガとはかなり違うものであったが。
やがて時間のゆったりとした経過は、その時にやってくる。
開場しオーディエンスが、流れ込んでくる音。
わずかな振動ではあるが、それが伝わってくる。
人間という熱量の塊が、五万人以上も集まる。
トップバッターの永劫回帰は、一番最初に準備を始める。
それぞれのバンドが、他のバンドのカバーを、一曲ずつやることは決まっている。
ただノイズの場合はシンセサイザーもあるしギターもリズムギターがあるので、そのままでは演奏出来ないものが多い。
そんな中でMNRは、素直にハッピー・アースデイを選んだ。
同じ作品のOPを担当したこともあり、馴染んだ曲ではあったのだ。
永劫回帰は本当は、霹靂の刻をやりたかったらしい。
だがあれは間違いなく、三味線の音が必要になる曲だ。
リズムギターまではタイガも、どうにか弾ける。
しかしシンセサイザーを担当する者が、他のバンドにはいないのだ。
もっともゴートなどは、使えないわけでもない。
ドラムを打ち込みにしてしまって、シンセサイザーを担当する。
そういうことを考えていくと、ノイジーガールを演奏しようという考えになったらしい。
バンドに合わせたアレンジも、考えられはしたのだ。
しかしノイズの強みというのは、その音の多彩さにある。
他のバンドは大変だなと思うが、ノイズはノイズでもまた大変なのだ。
なぜなら永劫回帰もMNRも、基本的にはシンセサイザーを必要としない曲にしている。
実際は打ち込みや、バックミュージシャンをそれなりに使うのだが。
お互いにそれぞれ、色々とアレンジをしている。
もちろんこれは、相互に許可をしてのものである。
ノイズとしてはハッピー・アースデイとノイジーガールを演奏されてしまうと、人気の高い曲がもう演奏されてしまうことになる。
もっとも一番特徴的な、霹靂の刻が残っているので、どうにかなるとは言いたいが。
永劫回帰の曲も、MNRの曲も、それなりにアレンジして歌う。
永劫回帰の曲は千歳が、MNRの曲は月子が、それぞれ合うタイプの曲を選んでいる。
演出の問題でもあるが、どうしてこうも面倒なイベントを、選んでしまったのだろうか。
もちろん東京ドームで公演、という箔付けのためには、これに参加するのも悪いことではなかった。
だが自分たちの演出だけでさえ、色々と考えるのは難しい。
しかしそれに、バンドを合わせて演奏するとなると、とんでもなく難しくなるのだ。
せっかくギターが何本もあるのだからと、アレンジをどんどん加える。
するとそれに負けないために、ボーカルも強くならないといけない。
下手に音を多くしすぎると、単純に技術だけを見せているような、そんな浅い音楽になってしまう。
もっとも普段は出来ないようなアレンジを聴ければ、それはそれでオーディエンスは満足なのかもしれない。
楽屋からまずは、永劫回帰の演奏を見る。
30分の間に、六曲ほども演奏してしまう。
自分たちの曲もやるが、二曲はカバー。
かなりの知名度が高い曲を、どのようにしてアレンジするのか、それだけでも見物である。
永劫回帰はキャリアが長いだけに、持っている曲も多い。
もっともノイズもそのキャリアの割には、かなり持ち歌は多いのだが。
MNRの場合は白雪が、以前から持っていた曲などを、そのまま演奏させることが多い。
ただボーカルのタイプが全く違うので、ヒート時代の曲はやらない。
しかし今日の合同演奏においては、そのヒートの曲も持ってきている。
変に過去に縛られている、というわけでもないのだろう。
だが彼女にとっては、あまり他の人間には見せたくない、大切な思い出であるのは間違いない。
永劫回帰はまず自分たちのライブで、普段から定番で演奏している曲をやった。
それから二曲目に、ノイジーガールを持ってきたのである。
タイガが歌うとそれはまさに、ノイジーガールではなくノイジーボーイになる。
バンドミュージックとして、かなり完成度の高い楽曲。
シンセサイザーの部分などは、省略してしまったところもある。
MNRの音楽についても、無難なところをピックアップしていく。
ただポップス調ではなく、バラードに近い曲をあえて選んだ。
MNRは白雪の声が、かなり特徴的なものなのだ。
これを男声で歌うというのは、かなりイメージが変わってしまう。
いっそのこと、というわけでバラードを選んでみた。
するとイメージが全く変わって、これはこれでいいのでは、と思ってもらえるのだ。
「よし、行こうか」
最初の30分で、会場は充分に暖まったはずだ。
二番目はMNRである。
この交代の時間は短いが、トイレに行くことが出来なくはない。
もっともまだ30分だけであるのに、ここでトイレに行くのも早すぎるタイミングだろうが。
永劫回帰がメタル系に近いロックをやったので、MNRはポップスから入る。
もっともMNRの楽曲はロックともポップスとも、分類しにくいものである。
正確には色々な曲があって、だからこそ分類しにくい。
その中に一つや二つは好みに合う曲があるので、支持されやすいということはあるだろう。
ハッピー・アースデイを歌うのにあたっては、打ち込みを利用している。
無理にスリーピースバンドに落とし込んだりはしなかった。
独特の演奏などはないが、ギターの早弾きのアレンジと、ドラムの重さが原曲とは違う。
技術的には栄二の方が上なのだが、紅旗のドラムはとにかく音が大きく、そしてリズムパターンも器用に演奏する。
CMなどで使われている曲もあり、MNRも楽曲の知名度は高い。
はっきり言ってこの三組の中で、一番知名度で劣るのが、ノイズではあるだろう。
メジャーシーンでの売り方をしてこなかったため、どこかで聴いたなという楽曲は一番少ないのだ。
このあたりライブやCDでの売上を重視してきたため、一般への知名度は低いと思われても仕方がない。
なので一番最初から、知名度の高い曲をやっていく。
「行くか」
MNRが終わって、ノイズの出番となる。
出来るだけ交代の時間は、短く済むようにはしている。
だがそれでも五分ぐらいは、かかってしまうものなのだ。
フェスでならばもっと、バンドとバンドの間に、時間を作ることが出来る。
しかしこのドーム公演でそこまで時間を空けてしまうと、空気が冷えてしまうことは間違いない。
ノイズが一番に持ってくるのは、霹靂の刻。
ステージから見る聴衆は、やはり武道館と比べても圧倒的に多い。
あの五倍の人数が、今日は見ているわけである。
無駄なMCはここまで、他のバンドもしていない。
最初はまず、音の魅力だけでどうにかする、という考えなのだ。
俊としてはここで、しっかりとノイズの認知度を上げておきたい。
少しでも音楽を聴く人間ならともかく、一般的に全く聴かない人間にとっては、ノイズの知名度は一番低い。
ファンを増やす絶好の機会ではあるのだ。
自分たちの演奏は、明らかに他の二つと比べられる。
円熟しつつある永劫回帰や、スリムに構成されたMNRと違い、ノイズは色々と出来る代わりに、色々と雑音も多くなる。
それでもエレキ三味線を、音楽に取り入れることが出来るのは、ノイズだけなのである。
(頼むぞ)
まずは暁のギターと、月子の三味線で、オーディエンスの注意を引かなければいけない。
そして三味線の、わずかにチューニングをしていく音が、ドームの中に響いていく。
現代ポップスではない、その奇妙な始まり方。
だからこそそれは、多くの人間の耳に届いたのだ。
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