第128話 霹靂
三味線の中でも津軽三味線において、一番重要と言っていい曲は、おそらく津軽じょんがら節である。
ただ俊も調べて難しい顔になったのだが、正しい楽譜というものがない。
正確にはじょんがら節は、何度か楽譜が変わっている。
もっとも盲目の人々によって伝わった歴史の長い曲は、楽譜などは必要なかったのであろうか。
そこまで詳しくは調べなかったが、日本の確実な伝統音楽である。
じょんがら節は唄の部分を除いた、演奏だけの部分も独立して成立している。
この場合は多くが即興演奏を含み、この即興の部分にこそ芸が出るとも言われる。
撥を使って演奏する、弦楽器であることは確かなのだが、俊の感覚としてはアコースティックギターよりも音が鋭いと思った。
ただかつて月子が歌ったように、チェリーなどのバラードの伴奏を弾くことも出来る。
別に鋭い音を出すだけが能なのではなく、それも一つの要素というだけなのだろう。
ピアノでメロディラインをおおよそ作ったが、これでは月子の作った部分が上手く再現出来ない。
津軽三味線はギターにまだしも近い。
そして一応音階はあるのだが、ギターのようにはっきりとはしていない。
ただ特にエレキギターはまだ、演奏中にもわずかにチューニングを変えることがあるため、出せる音としては楽器として近い。
「というわけで、ギターで上手く合わせてアレンジしてほしい」
「出来るかなあ」
「俺もかよ」
暁と信吾も、さすがに困り顔である。
千歳はおよそ一年間しかギターを弾いていないのに、かなりの腕前となった。
それは傍にいる人間が、とんでもなく上手い者が多かったからである。
見て盗む、というわけでもないが、いいお手本となっていたのだ。
もっとも暁は下手にお手本にすると、ちょっと初心者の心を折ってしまう。
よってたまに俊や信吾に、ギターの指導は修正してもらっていたが、彼女ではまだアレンジするほどの技術はない。
暁は一部で「下手うま」という評価を得ているジミー・ペイジなどもコピーする。
リッチーやギルモアなどもコピーしているため、そこからアレンジが生まれてくるのだ。
信吾はそこまで大それたことはしていないが、普通に作曲のノウハウを自分なりに持っている。
そして月子の即興曲は、一応は楽譜ともなっていく。
もっともこの曲は、楽譜どおりには弾けないものである。
「しっかし激しい曲だな。腹の中にたまったものが、こんな感覚なのか?」
信吾はベーシストであり、基本的に重低音を好む。
ベースラインというのは激しく弾いても、ここまで突き刺さる音にはならない。
これまでに月子は、一応三味線の音で曲に参加したことはある。
だが本気で弾くと、ここまで激しくなるものなのか。
彼女の生涯を思えば、それも無理はないのかとも思う。
両親の死から、環境の大変化、東北の地では風習も違っただろうし、読解障害への理解もなかった。
叔母に引き取られるまでの、およそ10年間が、彼女の子供時代である。
10年間も、そんな環境で生きてきたのだ。
(そりゃあ、アキとはまた違った、才能になってもおかしくないよな)
月子は基本的に、楽譜は読める。
読解障害というのはその程度が色々と、人によって違うのだ。
月子の場合はひらがなにカタカナ、そして分かりやすい漢字は読めるという、かなり軽度のものである。
最初から分かっていれば、もっと生き易かったろうに、田舎の無理解がただの「頭の悪い子」にしてしまった。
丸一日ほどをかけて、おおよそ曲として成立するようにはなった。
ただこの曲に関しては、普通の五線譜の楽譜では、出すことが出来ないであろう。
わざとチューニングを少し外した音を、必要とする曲。
エレキギターなら歪みなどとする音とも、もうちょっと違う気がする。
だが暁のリードは、どうにか月子の演奏に合わせることが出来るようになった。
「あたしまたボーカルのみ?」
千歳はそう言うが、月子は三味線にストラップをつけて、歌うということに慣れていない。
座った状態でしか上手く演奏が出来ず、すると声の方が上手く出ないのだ。
もちろん軽くコーラスをする程度は出来るであろうが。
キラーチューンが生まれた。
ただこれでまだ、曲が出来ただけである。
「問題は歌詞か」
これまでのノイズの曲は、作曲は他のメンバーが行っても、俊がほとんどの歌詞を作ってきた。
もちろん曲のイメージに沿って、他のメンバーの意見も聞いている。
だが使う語彙の豊富さや適切さが、俊が圧倒的に優れているのである。
読んできた本の量が違うとも言える。
俊の場合は洋楽の歌詞を、自分なりに翻訳しようとした時にも、色々と言葉を選ぶ訓練をしていた。
遊びのつもりであったが、今思えば立派な訓練であったのだ。
気づいたのだが英語の歌詞をそのまま翻訳しても、その裏には色々な教養がないと意味が分からないものがあるということ。
もちろん単純な感情をストレートに歌ったものもあるのだが、ジム・モリソンの歌詞などは意味がある。
彼は詩集まで出していた詩人であったのだ。
歌詞を作るのは、本当なら作曲した人間がやった方がいいだろう、と俊は考えている。
音の連なりにはイメージがあり、そのイメージを表現するのは、やはり言葉であるからだ。
ツインバードもバーボンも、やや俊が助言することはあったが、それはメロディに上手く乗せるために語彙を変えたぐらい。
だがこの曲に歌詞を付けるのは、月子には難しいだろう。
序盤はやや不穏なマイナーコードから始まるが、やがて激しい三味線の旋律が響く。
月子のイメージとしては、この季節の突然の雷をイメージしたものらしい。
「春雷か」
ただそれではボカロP出身の有名歌手が、既に同じタイトルの曲を発表している。
まあ歌のタイトルなどというものは、それなりに同名のものがあったりはする。
とはいえ分かっているのなら、出来れば変えた方がいい。
突然の雷。
「そういうの、なんて言うか、あっただろ」
「霹靂一閃!」
「いやそれは違う」
栄二の言葉に千歳は元気良く答えたが、普通にただ霹靂と言えばいいだけである。
「へきれき……」
「けれどそれも、タイトルとしては使われてるんだよなあ」
これまた俊は知っているが、どちらもそもそも一般用語なので、別にかぶってしまっても悪くはないのだ。
ただあの超名曲「鳥の詩」には、音の読みでは同じ「鳥の歌」という隠れたアニソンの名曲があったりする。
やはり区別がつきやすい方がいいであろう。
「そういえばプリテンダーでそういう勘違いあったね」
懐かしいことをいう月子である。
タイトルは「霹靂の刻」と変更された。
あとは歌詞であるが、これは月子のイメージから出た言葉を俊がつなげていくしかない。
月子はこれを、大自然の中の風景として、そのままイメージを告げたのみである。
だがこれだけでは、歌詞に人間の感情がない。
別になくてもいいのだが、ありとあらゆる自然現象は、人間が観測してこそ意味がある。
日本では雷などというのも、神が鳴る、という意味を含んでいたりする。
そもそも自然現象が神の力であり、稲妻は豊饒を約束する、などといった信仰もあったりしたのだ。
そのあたりを考えて、月子の告げる山形の風景に、心情を上手く落とし込む。
雄大な空の動きに大自然。
そしてその中で生きる生命。
人々の営みというのは、その中ではささやかなものであるのだ。
「なんだかエモい感じになった!」
千歳の言葉が、一番素直な感想であったろう。
「曲としても、途中で上手く三味線のソロが入れられたしな」
これまでのノイズの作ってきた曲とは、明らかに色が違うものである。
だが印象度は、かなり高いことは間違いない。
これでマスターアップ、とはならない。
実際に演奏してみて、微妙に合わないところは出てくるだろう。
月子が初めて作った曲でも、そこに遠慮はないノイズのメンバーである。
「そもそもわたしが作った要素が、あんまりないような……」
俊のアレンジに、暁と信吾のギターとベースを組み合わせたため、確かにかなり違ってはいる。
「それは違う。そもそも俺が今までに作ってきた曲だって、ほとんどはこれまでに聞いてきた曲の、リフだのサビだのイントロだのから、膨らませて生まれてきたものだし」
真に新しいものなど、そうそう生まれるはずもないのだ。
西洋絵画などだと、印象派は完全に新しいようにも思えるが、日本の浮世絵の影響があったりするという。
現代アートなど、本当にアートなのかどうかも分からないが、それでも基になる何かはあるのだ。
音楽などもそうで、クラシックとロックには断絶があるが、黒人音楽にクラシックの要素を加えて、現代のロックが成立しているような部分もある。
ボヘミアン・ラプソディなどはロックとクラシックを組み合わせた曲以外の何者でもない。
「そもそもじょんがら節は、即興の要素が大きいと書いてあったぞ」
わずかには知識を得ているが、俊はまだまだ民謡に関しては、勉強が足りていない。
だが今の流行に、新しい要素をぶち込むとしたら、日本のブルースである民謡に対する理解は、必要だと思っているのだ。
ともあれこれで、ミニアルバムに収録する五曲が完成した。
ガールズ・ロックンロール、狂い遊び、ツインバード、バーボン、霹靂の刻の五曲である。
これまでのノイズのロック系、バラード系がそれぞれ一曲に、残りは俊以外が作曲したというもの。
あとは作曲をしていないのは、栄二だけということになる。
「ドラマーが作曲をすることは少ないからなあ」
栄二はそんなことを言うが、ビートルズのリンゴ・スターは作曲もしている。
有名なドラマーによる曲だと、QUEENのロジャー・テイラーによる「RADIO GA GA」があるだろうか。
これはあの伝説のLIVE AID でもフレディが熱唱した曲であり、オーディエンスの反応がすごい映像が、普通にネットに転がっている。
まあQUEENは全員が作曲をやっていたし、テイラーはマルチプレイヤーでもあったので、純粋なドラマーとするのは違う気もする。
しかしそれを言うなら栄二も、ギターとベースはちょぼちょぼと弾くことは出来るのである。
日本人は楽器に限らず、スポーツでも一つの競技に集中することをよしとする傾向があるが、欧米では多くの楽器やスポーツを行うことを、よしとする傾向がある。
どちらがいいかはともかく、表現力やイメージの幅を広げるためには、多くのものに接した方がいいのは確かだろう。
日本の場合は職人気質といっていいのか、一つのものに集中することがいいように思われるが、実際の一流の職人などは、色々なものを見た方がいいのだ、と言ったりしている。
いずれは栄二も曲を作るのか。
この作曲とアレンジの中でも、確かにアイデアは出していた。
こっそりと温めた曲を、いつかは出してくるのかもしれない。
それはそれで楽しみだな、と俊はその時を待つ。
そしてノイズは、レコーディングに入る準備を始める。
日常では普通に、ライブの予定がしっかりと入っていた。
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