第294話 四年目の終わり

 ミュージシャンという仕事は、売れていても売れていなくても、忙しい場合が多い。

 売れているならいくらでも仕事が入ってくるし、売れていなくては他のことで金を稼がなければいけない。

 もっともプロというのは、音楽だけで食っていける人間のことを言う。

 ただそのプロであっても、果たして長く続けていけるかどうか。

 俊の知っている限りでも、音楽で稼いだ金を元にして、不動産経営や飲食店経営をやっている人間がいる。

 飲食などは10年後の継続率は低いものだが、それでも音楽業界に比べれば、ずっと長い平均値を誇る。


 音楽でずっと金を稼いでいくのは、とんでもない情熱か、あるいは守るべき何かが必要になる。

 単純に一般的で安定した生活のためなら、まともな業界に移ればいい。

 そもそも音楽は、プロなど存在しなくても、世の中にはありふれているものなのだ。

 そこで飯を食うというのは、とんでもなく難しいのだと、理解しておくべきだろう。


 最初はただ好きだ、という感情だけで食べて行けるかもしれない。

 だがやがて音楽ではなく、それに付随したあれこれで、音楽自体が嫌いになる。

 何十年も音楽で食っていくというのは、ポップスに多いものではないだろう。

 クラシックなどは長生きが多い気がするが、逆に大きくマスコミに取り扱われることが少ない。

 時代の流れを意識するほど、音楽は変わっていく。

 そして変わっていくことを苦しいと感じれば、もうこの世界からは去っていくべきなのだ。


 モチベーションを維持するのは、自発性である。

 もしくはそもそも根本的に、音楽以外に何もないものであるか。

 呼吸をするかのように、自然と音楽に触れている。

 なのでノイズの中でも、俊と暁は死ぬまで、アーティストであり続けるかもしれない。


 才能や技術自体は、多くの人間があるものなのだ。

 もっともライブはともかくレコーディングは、下手すぎてスタジオミュージシャンに演奏してもらう、バンドというのも珍しくないが。

 音楽業界は志望する人間の多くが、確実に食っていけるパイではない。

 それがずっと続いていて、本来なら進むべき才能さえも、消えてしまっていた。

 その状況が大きく変わるのが、DAWとボーカロイドの出現。

 特にボーカロイドは、ボーカルがいないのに歌えるという、革新的なものであったと言えよう。


 ネタ曲を楽しみで、趣味として作っていく人間がいる。

 またメンバーに恵まれない地方の人間もいる。

 ネットの発達によって、中央と地方がそのまま、つながるようになってきた時代。

 ボカロPがここまで、メインストリームの一角を占めるようになるなど、20世紀に考えた人間はいないだろう。

 そもそも20世紀では、ネット回線の速度がまだ遅すぎる。


 思えば遠くにきたものだ、と考える老人たちもいる。

 俊たちはほぼ、ネットネイティブの年代ではある。

 しかし子供の頃であればボカロは、よく分からないが機械に歌わせるもの、という認識であった。

 それが人間関係に疲れて、一人で音楽を作るようになって、ボーカロイドを使うようになった。

 生の人間のようにはいかないが、間違いなく新たな技術。

 そしてそこから、新たなユニット体制などが生まれてきた。


 巨大資本が宣伝を打って、それで売り出すという時代ではなくなったのだ。

 もちろん今でも、最初から資本を投入して、成功させる路線はある。

 しかしそれは限られた者にしか、存在しないものである。

 またネットによる配信というのは、客の視線を気にせずに済むという、ありがたい効果も生まれている。




 時代によって、新しい形が生まれてきたのだ。

 流通の形態が、完全に新しいものになっている。

 しかし半世紀も前から、変わらない発信媒体は存在する。

 それはラジオの音楽放送だ。


 いまだに車の運転などをしていると、ラジオの音楽番組を流していたりする。

 家でパソコンを使っていたり、移動中にスマートフォンを使っていると、それでも音楽を聞くことは出来る。

 ラジオの音楽放送は、いまだに駆逐されずに残っている。

 自分の好きな音楽だけを聞くか、流行の曲や懐かしの曲を聞くか。

 そういう選択肢が、今ならばあるのだ。


 サブスクでも今は、完全に自分の限定した音楽を聞くわけではない。

 同系統の音楽を流す、そういうものも存在する。

 ただ70年代の音楽を聞いていて、最新の流行につながってくるわけでもない。

 昔は音楽の有線放送は、どこの店でも流していたものだ、とも言われる。

 そういう喫茶店は今でもあり、ただし有線ではなく、アナログなLPを流していたりもするのだ。


 LPの時代はまさに、コンセプトアルバムの時代だったのだろう。

 俊の場合は自分たちの音楽の他に、とにかく新しい音楽を見つけようとする。

 そこから自分たちの音楽を、新しくしていくきっかけを見つける。

 クラシックやジャズからでさえ、新しいものは見つけようとするのだ。

 オペラなどにゴスペルと、学ぶべきものは大量にある。


 それなのに民謡に手を出さなかったのは、不思議な話である。

 ポップスとは遠い部分と、思ってしまっていたからかもしれない。

 そもそも演歌でさえ、わずかに取り入れることが出来る。

 わざとメロディーから外して歌う技術などだ。


 12月に入っても、ノイズは普通に活動を続けている。

 来年の全国ツアーのハコを、海外の大規模フェスとかぶらないように、調整して考える。

 さすがにこれぐらいは、俊の手を離れた仕事となる。

 ただフェスの予定というのは、直前でも変わることは珍しくない。


 国内のフェスであれば、ある程度は都合がつく。

 夏場の大規模フェスには及ばないが、ある程度のフェスは日本のあちこちで、それなりに開催される。

 ドサ回りというわけではないが、そういうところにも顔をつないでいくべきだ。

 特に福岡などは、今回のCDもたくさん発注してくれたCDショップがある。

 CDショップはなくなっても、今は通販がある時代だ。

 しかしどうにかレンタルのショップを残せないのは、音楽の拡散という点では、悔しいものなのである。




 都市部にはごくわずかだが、まだレンタルショップは残っている。

 ただそれも、レンタルだけで成立しているわけではない。

 CD販売にしても、かなり減少している。

 そもそもシングルなどは、特典目当てに買っていくのが大半だ。

 このシステムを作り出したのは、キャバクラやホストクラブと、同じような思考であったのだろうか。

 アイドルを手の届かない偶像から、会いに行けるものに変えてしまった。

 もちろんそれによって、音楽の寿命が少し伸びた、ということは言えるのだろう。


 CDショップにしても、今はもう何か特典がなければ、通販でいい時代になっている。

 ノイズのライトなファンは、SNSのフォローを見る限りでは100万人を突破している。

 だがコアなファン層は、三万人もいるかどうか。

 そう考えると90年代は、コアではないファンであっても、平気でCDを買っていたのか。

 今よりは安いとはいえ、シングルもアルバムも1000円や3000円はする。

 それを普通に買っていた人間が、今よりもずっと多かった。


 これは日本が貧しくなったのか、それともCD以外、音楽以外の趣味を持つ人間が多くなったのか。

 おそらくは後者であるというか、CDで音楽を聞く必要がなくなった。

 例外もあるがおおよそ、過去の音楽もサブスクで聞けるようになった。

 さらにCDを置く場所には、限りがあるというものだ。

 これはCDだけではなく、マンガ本なども同じことが言える。


 さらにはゲームにも同じことが言える。

 今はパッケージではなく、配信でゲームをやっていることも珍しくはない。

 そもそもネットでDLして、バグ修正などをするのが日常となっている。

 とにかくネットワークの存在が、人間の社会を変えたのだ。

 これがいいことなのか悪いことなのか、それは両方の側面がある。

 しかし選択肢が増えたというのは、悪いことのはずがない。


 世界全体で見れば、悪いことではない。

 だが国内を見れば、いいことばかりではない。

 アメリカの持つ巨大なプラットフォームが、利益の多くを奪っていく。

 サブスクで聞かれても儲からないというのは、多くのミュージシャンが言っていることだ。

 もっともそういった人間の多くは、90年代の狂騒を知っている人間であったりする。


 ビートルズの曲は今も、巨大な利益を生み出し続けている。

 マイケル・ジャクソンも同じである。

 だが2000年代に入ってからは、おおよそ爆発が停滞している。

 ヒップホップ隆盛の時代である。

「今日のフェスもヒップホップ、それなりにいるなあ」

「俊さんはヒップホップ嫌いだねえ」

「嫌いというか、畑が違う」

 千歳の言葉に、そのように応じる俊である。




 年末のフェスには、ヒップホップは少ない。

 海外、特にアメリカなどでは、今がヒップホップの最大流行期なのであろうが。

 日本でもそれなりに大きくなっているのだがメインストリームにはなりきらない。

 なぜかというと、それは日本人の反骨心が、あまりないからと言えるだろうか。


 そもそも日本の音楽は、ロックをポップス化している。

 難解な音楽であっても、理解出来るものなのだ。

 俊からしてみれば、アメリカのヒップホップは、日本のアイドルソングのようなものである。

 別に悪口ではないが、到達の頂点はともかく、敷居が低い。

 ラップなどはまさに、お互いをディスるばかりではないか。


 あのラップバトルというのは、日本人の感性には合わないと俊は思っている。

 ただ海外から入ってきた文化は、とりあえず楽しんでしまうのが日本人だ。

「ダミ声ラップ嫌い」

 フェスの楽屋は、全てのバンドに一つずつ用意されているわけではない。

 仲の良さそうなところなら、一緒にしてしまったりする。

 今回のノイズの場合、MNRと一緒であった。


 白雪もやはり、ラップは嫌いであるらしい。

 実際に彼女の曲に、目だったラップなどはない。

 ヒップホップ自体は、そもそもストリートカルチャーが嫌いであるという。

「まあ、やりたい人はやればいいんじゃないかな」

 私はやらなくても売れる、という自信が彼女を支えている。


 永劫回帰は時々、曲の間奏にでもなるタイミングで、ラップを入れてきたりしていた。

 ギターソロの場合もあるが、ラップの場合もある。

 ボーカルのタイガの声が、それだけで魅力的ということもあるのだろう。

 実際に俊としては、もしもやるなら千歳の方がいいなと思っているし、実際にそれをサバトに入れてみた。

 ただ90秒で終わるヴァージョンには、その部分は入っていない。


 ヒップホップに対して、俊の場合は消極的な嫌悪。

 白雪の場合は無関心。

 ゴートの場合は適切な利用。

 徳島などは不要となっている。


 メロディーだけで勝負出来るから、そんなものはいらないのだ。

 ゴートはそれで受けるのなら、充分に使っていく。

 俊は新しい要素を出すために、わずかに使っていった。

 徳島は今のところ、必要と感じていない。


 コンポーザーは他にも色々といる。

 ただヒップホップの場合は、DJによる技量が大きい。

 既存の曲から持ってきて、それを上手く使っていくのがDJの仕事。

 そのあたりどうも、俊の感性とは本能的に合わないのだ。




 ノイズはトリ前の出演となっている。

 MNRはさらにその一つ前だ。

 海外進出に関して、俊は少し白雪と話をしておきたい。

「そういうのはゴート君が詳しいだろうに」

 それは確かにそうなのである。


 白雪は確かに個人としての能力は高く、それだけで会社を動かすことが出来る。

 しかしゴートの場合は、生まれ持った上流階級の力が、彼の背後を固めている。

 俊のようなちょっとしたお金持ちではなく、財閥レベルの背景だ。

 その永劫回帰とは、本日の楽屋が違う。


 永劫回帰のタイアップした曲も、随分と海外では聞かれている。

 海外志向はゴートもあるのだ。

 そしてその手段としては、かなり真っ当なものである。

 普通にプロモーションをしていくという正攻法なのだ。

 もちろんネットを軽視するわけではないが。


 屋内フェスではあるが、メインステージには一万人以上が入る。

 そこでノイズは演奏をするのだ。

 もうしっかりと安定感のある演奏にはなってきた。

 スタジオで練習を知る限りは、100点が出せている。

 そしてステージでは、100点以上を出さなくてはいけないのだ。

 自分たちの演奏だけではあ、とても届かない部分がある。

 それをオーディエンスと一体化することで、より高みを目指していく。


 アーティストであり、パフォーマーであるということだ。

 ただそこに派手なだけの、無意味なことはしない。

 出来ないのではなく、あえてしないという選択をしている。

 ノイズは基本的に、音楽で勝負する。

 しかしパフォーマンスに派手なことをしないのは、本当に音楽だけで勝負するということだ。

 それはむしろ、とても厳しいことであるのだ。


 MNRのステージなども見た。

 やはり白雪が中心とはなっているが、ギターとドラムの存在感が大きい。

 ただ俊の眼から見ると、何かおかしいなと思わないでもない。

 それがはっきりと、言語化できるものではないのだが。




 MNRはその白雪が入っていた、ヒートと比較するとよく分かる。

 ボーカルの持っている力が、とにかく違いすぎる。

 白雪もサブボーカルとして、ギターを弾きながら歌っていた。

 しかしメインボーカルの力が、あまりにもステージでは印象的過ぎる。


 記録に残った映像はたくさんある。

 だが活動期間は、わずかに一年ほどなのだ。

 短く終わってしまったからこそ、伝説になるということはある。

 しかしヒートは短かったがゆえに、まだ全力を出し切れていなかったのでは、と多くの人間が思っている。

 ボーカルの死去という、マジックアワーとの共通点はある。

 だがヒートの方がより、ショッキングではあった。


 早死にしてしまえば、多くの人間は天才と思われる。

 ボカロPの世界でも、早世した人間はいる。

 もっともその楽曲は、はっきりと評価されてはいる。

 下手な忖度の入らないのが、ボカロ曲のいいところだろうか。


 俊としてはずっと、音楽の頂点を目指している。

 だが早死にするつもりはない。

 もっと休めとは言われるが、若いうちにやっておきたいことがある。

 時間はまだまだあっても、若さというのは有限だ。

 俊はこの若さからの無茶なパワーを、楽曲に残しておきたいのだ。


 圧倒的なパワーを、ステージの上で演奏する。

 アーティストというのはステージの上でこそ、完成すると言っていいだろうか。

 レコーディングで作る音源は、商品としてデコレートされている。

 ライブでの演奏というのは、もっと魂の入ったものだ。

「そろそろ準備か」

 MNRが終わってから、30分ほどの時間がある。

 そこで最後の微調整をして、今年最後の演奏を終える。

 明るい来年が見えている今。

 ただし光が強いところにこそ、影もまた濃くなるのであった。

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