第13話 天才を育てる環境

 レコーディングは無事に終了した。

 あとはこれをミックスしてマスタリングするわけであるが、これは一応パソコンがあれば普通に出来る。

 本物の設備を使えれば、それにこしたことはない。

 だがボカロ曲を作って主にミクさんとGUMIさんに頼っている俊としては、むしろこちらの方が手馴れてはいる。

「二日で終わったか……」

 音の調整をしながら、俊は月子の手続きまで確認する。


 俊はYourTubeを主戦場に、三つのチャンネルでボカロPとしての活動をしている。

 そのため投下のためのチャンネルを作るまでは、もうそこそこ慣れたものであるのだ。

 そして「ノイズ(仮)」のチャンネルも、俊の仕事ではある。そこまでやってプロデューサーであるからだ。

 しかし歌い手「ルナ」のチャンネルについては、セキュリティ管理は月子にやってもらわないといけない。

「そもそもカタカナのルナでいいのかアルファベットにするのかという問題もあるような」

「それはカタカナでいいけど」

 二人が会話に使っているのは、例のごとくレッスンスタジオである。

 ただ俊が来たときもまだ、彼女たちはレッスンの途中であった。


 俊はレコーディングの時に、かなり月子に注文をつけた。

 楽曲への理解、そして解釈からの表現。

 自分には出来ないことであるが、言語化して説明することは出来る。

 まさに評論家の作業であるが、月子には重要な教師でもあった。

 天才の教師が天才である必要はない、ということなのだろうか。


 レッスンの終盤を、俊は見ていた。

 そしてより月子がパワーアップしているのが分かったし、メイプルカラーも月子を明確に武器にしている。

(そろそろメジャーレーベルが接触してきてもおかしくないかもな)

 聴く者が聴けば、もう月子の歌唱力が周囲から、完全に突出しているのは分かるはずだ。

 アイドルという枠で収まるものではなかった。


 俊もまた、月子の力を必要としている。

 ただ月子が、同じように俊を必要としてくれるか。

(一度メイプルカラーをメジャーデビューさせて、数年かけてからソロに持っていくとか)

 そんな気の長いことを、果たしてメジャーのA&Rが考えるだろうか。

(俺と組むのが、一番いいと思ってほしい) 

 ただ月子を完全に囲い込むための手段が、俊にはない。


 まだ見つかってくれるな、と思いながら俊は確認する。

「それで、一度京都の叔母さんという人に会いたいんだけど」

「わたしはもう成人してるし、あんまり心配もかけたくないんだけど」

「自分が扶養に入っているかどうかも知らない人間は、まだ大人じゃない」

 俊としても必要に迫られなければ、こんな知識は手に入れなかっただろうが。

「それで、その叔母さんには、さすがに直接会った方がいいと思うんだが」

 忙しい俊であるが、こういうことは直接顔を合わせるというのが重要だと、そういう価値を否定はしない。

「何をしてる人なんだ?」

 別に普通の質問であったろうに、月子の視線は泳いだ。

 そして言いにくそうに、顔を近づけてくる。

 何か面倒の予感を感じながらも、耳を寄せる。

「小説家なの」

 それは別に、珍しいが問題ではなさそうだが。


 俊はそこで、月子の名字と京都在住ということから、知識をつないだ。

「……久遠寺優か?」

「それはペンネームだけど、知ってるの?」

「何冊か読んだことがある」

 かなりの有名作家であり、純文学の賞を取っていながら大衆小説で人気がある。

「なんだかなあ、そういうことか……」

 この俊の反応は、月子の想像していたこれまでのものとは違うものであった。




 才能とは何か、と俊は考えることがある。

 遺伝というものは、間違いなくある程度関係する。頭のいい人間からは頭のいい人間が生まれるし、身体能力に優れた人間からは、身体能力の優れた人間が生まれやすい。

 違う環境で双子の人間の学力や身体能力を計測したところ、あまり変わらなかったという身も蓋もない調査があったらしい。

 だが芸術的才能というものは、果たしてどの程度環境が影響するのか。


 芸術的才能というのは、本質はひどく非生産的なものだ。

 歌や絵画がなくても、人は死なない。

 だがはるか太古から、人類はこれを必要としていた。

 そしてこれは、先天的なものか後天的なものか。


 俊が考える限り、後天的なものである。

 もちろん声質などは先天性のものがあり、こればかりは確かに才能と言えるだろう。

 だがボイストレーニングなどの必要性を考えれば、後天的な要素は必ずある。

 つまり才能と言うよりは、素材と言った方がいい。

 ならば才能というものは、いったいなんであるのか。


 没頭する集中力が、才能の一つだと言われることもある。

 学習障害の一つに、特定のものに没頭しすぎるというものがあるが、これがプラスに働くと、とんでもない天才を生み出すことがある。サヴァン症候群の例はよく耳にするだろう。

 直感と並んで、集中力は天才に特有のもの、と思われることがある。

 ただ集中力であれば、別に俊であっても、没頭して時間を忘れるということはしょっちゅうあるのだ。


 また天才は、その育成環境が複雑である場合が多い、などという研究もある。

 月子の場合はこの、成長過程での環境の変化などが、精神的な不安定さと共に、複雑な表現力をもたらしたのではないか。

 これまでは生きていく上でそれが、ずっとマイナスに働いてきた。

 しかし距離感がおかしなところなど、それはスターになればエキセントリックとして捉えられる。

 逆にそれでメンタルをやられる可能性もあるが。

(急速にスターになると、昔のロックスターみたいなことになるかもしれない)

 それは絶対に防ぎたい俊である。


 叔母に会いに行くと俊が言うと、月子は渋った。

「なんで?」

「だって男の人なんて連れていったらなんて言われるか」

「いやいやいや」

 なんでそういうことになるのか。

「ひょっとしてアイドルやってることも、伝えていなかったりするのか?」

「……」

 これは困ったものである。




 俊自身も経験しているが、環境が変わるというのは、人格形成に大きな影響を与える。

 そして普通なら経験する社会常識が、環境の断絶で身についていないことがある。

 俊の場合はなんだかんだ言いながら、環境は変わっても人間関係はそれほど変わっていない。

 岡町などの父の戦友が、今でも目をかけてくれている。

 だが月子の場合はまず、田舎の人間関係で生きていく、という本来の精度とは違う生き方が祖母によって教えられている。

 奇妙に自虐的と言うか、引っ込み思案なのはそれが原因なのであろう。


 そして祖母の死により、山形から京都へと。

 京都では田舎の方ではなく、京都市内の暮らしで、またここで環境が変わった。

 ディレクシアによって自分の中のコンプレックスも、ある点では解消された。

 ただ自分が、普通に出来ることが出来ない人間だと、判定されてしまったショックがある。

 このあたり俊は、常に優等生であったと言っていい。

 もっとも一部の教師には、大変に受けが悪かったが。


 月子が京都で朽ちていかなかったのは、放任ではあったがそれでも、他人に興味を示すタイプの小説家であった叔母のおかげであった。

 また思春期の人格形成に、最後の影響を与えたと言っていいだろう。

 京都まで行くのは大変だが、これは必要な出費だ。

 それに俊には、まだ確認しておきたいこともあったのだ。

 月子の才能は、歌にははっきりと表れている。

 では楽器の演奏はどうなのか、ということだ。


 叔母との面会は、向こうの都合もあるので、ここですぐに決められることではない。

 俊はこれから、ルナとしての歌い手の活動と、ノイズというユニットの開始のタイミングも相談する必要がある。

「そういや他にユニット名の候補はあるかな?」

「別にいいんだけど、なんでノイズなの? 雑音って意味でしょ?」

「まあそもそもノイジーガールが直感的に思い浮かんだものなんだけど、最初はもっとパッションとかエモーションとか、そういう名前にしようかと思ってたんだ」

 そう、本来の俊の感覚では、その名前は付けるはずもなかった。


 あの夢が全ての原因だ。

 思い出して箇条書きにしてみたが、あの本物のノイジーガールの演奏には、あと四つの要素がまだ足りていない。

 ただそこまでは、まだ説明する必要もないだろう。

「二曲目のノイジーガール、騒々しかっただろ?」

「ポップスって言うよりロックの感じがした」

「そう、騒がしくてやかましくて、雑音としてそこに存在する、もっと確固としたもの。そういうイメージがあったんだ」

「ふうん」

 こくこくと頷いた月子は、名称問題にしてはそれで納得した。

 ただ彼女も、あの二曲目のノイジーガールを聞いて、ふと思ったことがあったのだ。

「ひょっとしてあの曲、バンドで演奏するものなんじゃないの?」

「……演奏できる人間がそろわないだろうな」


 ミクさんとGUMIさんを使ったコーラスに、ギターソロの増加。

 本来ならもっと多いメンバーでやる曲ではある。

 ただ今の時代、単に演奏するだけなら、コーラスも含めて打ち込みでやってしまえる。

 大きなライブでもするならともかく、いや普通のライブハウスであっても、打ち込みで充分だろう。

 もっともあの二番目のノイジーガールは、打ち込みでは再現出来ないとも思う。

 出来るものならせめて、あのギターイントロとソロが入ったバージョンはやってみたいが、あれは機械ではあそこまでしか出せなかったものだ。

 技術的にはプロでもおかしくない朝倉が、単純にした譜面を弾くのがやっとだったのだから。




 いよいよミックスしてマスタリングもして、おおよその準備は整った。

 そんな俊に、月子から連絡があった。

 今度叔母が、東京にやってくるので、その時に会えるというものであった。

「それなら、ちょっと訊きたいんだけど」

 ずっと俊は気になっていたのだ。

「三味線って、手元にないのか?」 

 そう、月子の三味線というのを、まだ俊は聞いていない。


 三味線というのは実はそこそこの分類がある。

 月子の習っていたのは津軽三味線で、その名の通り青森県を中心として普及したものだ。

 また三味線と唄は別のものであり、そもそも三味線だけの演奏と、唄の伴奏として存在するものがある。

『一応叔母さんに預かってもらってはいるけど……』

 あれは捨てたものではないが、置いて来たものだ。

「武器になりそうなものなら、何でも手元に置いておくべきだ」

 月子にとっては、あまりいいイメージはないのだろう。

 だが表現の幅が広がるなら、それは使うべきなのだ。


 俊の中には、音楽性へ美学がある。

 ただそれ以上に、世界中の音楽に対する興味がある。

 それなのに自国の音楽にあまり触れていないのは、単純にシーンの主流ではないからだ。

 しかし三味線を用いた邦楽は、それなりに増えているというか、あえて取り込んでいるというところがある。

 純粋に勉強するには時間が足りないが、知っている人間が近くにいるなら、そこから吸収すべきだ。

 貪欲であることも才能だと、俊はまだ知らない。


 後に叔母に確認したところ、時間は作れるとのことであった。

 なんとも忙しくなってきたな、と俊は感じている。

 だがこの流れを逃してもいけない、と感じている。

 PCとDAWを使い、マスタリング作業を続けていく。

 あの自分で考えた、最初のノイジーガール。

 とりあえずこちらは完成した。

 しかし月子の歌を、二番目のものに乗せると、完全に浮いたものになってしまう。

 ちゃんと二番目のもので収録すれば、そんなことはないのだろうが。


 いずれ作り直したいが、月子の言葉を思い出す。

 本来の曲のポテンシャルは、バンドでやってこそ引き出せる。

 ただライブなどをするのは、今の音楽の世界で、そして俊の現在の状況では、戦略から外れる。

(ライブをやりたいのかな?)

 月子はアイドルなどをやっていた。

 目立ちたがりなわけではないようにも見えるが、本当に目立つのが怖ければ、アイドルなどやるはずもないのだ。




 夏休みまでには完成させたい。

 俊の目標は前倒して達成された。

 あとは順次、公開していくだけである。

 だがそれより先に、まずは筋を通しておかないといけない。

 月子と待ち合わせた上で、二人が向かったのは新宿である。

 月子のために、こちらに一泊していくという叔母は、ペンネームを久遠寺優、本名を槙子といった。


 指定された喫茶店にいたのは、ユニセックスな服装をした長身の女性。

 月子と似たところは、その体格だろうか。

 ただ顔立ちはあまり似ておらず、どことなく男性的な雰囲気で、服装もそれに合わせたものであろう。

「やあ」

「久しぶり、叔母さん」

「元気そうだね」

 二人の間には、気兼ねのない雰囲気がある。

 放任されていたとは聞いたが、月子の発達障害に気づき、適切な学習環境を与えたという時点で、充分に保護者としての役割を果たしていると思うのだ。


 微妙な緊張感はあるが、お互いを厭うという雰囲気ではない。

「それで、そちらは? 彼氏?」

「いえ、彼女とは仕事仲間になる渡辺俊です」

 友人ではないし、まだ仕事をしたというほどの成果も上げていない。

 だが単純な仕事仲間というのも違うと思うのだが。

「仕事仲間?」

「ええ、それでお願いしていた三味線は」

「持ってきたけど、またこれを弾く気になったんだね」

 槙子の月子に向けられた視線は、柔らかいものであった。


 月子が過去の自分を否定する必要はない。

 強制されたように感じたものでも、それが身に付いた技術なら、遠慮なく使えばいいのだ。

 声などについても、間違いなく唄の練習によって、さらに鍛えられている。

 明らかに声量や、高音での伸びなど、練習しなければ出ないものだ。

「僕が聞きたいと言ったんです」

「それで君は、何をしてる人なの?」

「音楽を」

「……OH……」

 槙子は呆れたような視線を、俊ではなく月子に向けた。


 音楽をやっています、というのはつまりカタギではない、というのとほぼ同じである。

 もっとも槙子は、文章を書いているという、これまたカタギではない仕事をしているので、ある程度は理解はあるつもりだ。

「まさか歌手でも目指すとか言わないよね?」

「先生は彼女の歌を聞いたことはないんですか?」

「ない。うちに来た時は、もう三味線も歌も嫌ってたから」

 そこは少し不思議だ。一度音楽を嫌いになって、そしてまたスカウトされたとはいえ、アイドルなどをするというのは。

 人間はおおよそ、強制されたものは上達しないのだ。

 あるいは歌に対して執着していなかったからこそ、グループでも歌のパートに執着がなかったのか、とは思うが。

「叔母さん、ずっと言わなかったけど、わたし今、地下アイドルやってるの」

 その言葉で、槙子はさらに顔をしかめた。




 アイドルというものに対して、日本人が持っている固定観念や偏見は、それなりに強いものだろう。

 特に地下アイドルなど、存在としてはご当地アイドルなどと共に、周知されるようになってきた。

 だがその内幕を少しでも知っていれば、全力で止めるのが普通の保護者の立場だろう。

 実際、現代では芸能人というのは実家が太くないと、やっていられないという場合が多い。


 月子の説明の後に、俊が説明をするわけであるが、むしろ俊のやっていることは、地に足がついたものである。

 地下アイドルなどというのは、特に月子のレベルでは、かかっているコストやリスクに対して、リターンが少ない。

 だが俊の場合は、とりあえず月子にはコストに対するリターンを払って、リスクはないようにしている。 

「まあ確かに、ボカロPの中からメジャーシーンに登場してる人はいるけど、それは本当に頂点の一部だけだね」

 そんなトップに、俊が立てるというのか。

「僕一人だと、なかなか難しかったと思います。ただ良かったら聞いてみますか?」

 俊のスマートフォンには、完成したマスターの「ノイジーガール」が入っている。

 USBメモリでもあるのだが、単に聞いてもらうならこちらの方が早い。


 頭の固い保護者ではなく、自分もまた芸の世界に住んでいる。

 それだけに逆に、この世界の厳しさも知っている。

 だが槙子は月子の、普通に生きていくことに向いていない性質を知っている。

 悲しいながらこの世界には、普通に生きていけない人間が一定数いる。

 物書きもそうであるし、ミュージシャンもそうだ。

 だからといっていつまでも、それを目指して生きていくのにも限界があるし、才能や運はある。


 俊のスマートフォンから、イヤホンでノイジーガールを聞く槙子。

 その表情に驚きの色が浮かぶのを、俊ははっきりと察知した。

 誰が聞いても、これはいいと分かる曲というのは、確かに存在するのだ。

 全く届かない人間というのも、確かに一定数はいるのだが。


 これは間違いなく、受け入れられるものだ、と槙子には分かった。

 このクオリティの曲が継続して出せるなら、それは間違いなく可能性はある。

 それに俊の作った歌詞も、月子を確かに理解しているものだ。

 だからこそこうやって、声に感情が乗っているのだろう。

「なるほど……」

 聞き終えて槙子は、しばらく目を閉じたままであった。

 なるほど確かに、才能はある。

 そしてこの二人の組み合わせも、間違いなく才能を高めあっているものであるのだろう。


 しかし槙子は、才能があってもいい作品であっても、売れることがない場合を知っている。

 文芸の世界であるが、そういう人間はいるし、また一発屋というのもいるのだ。

「分野は違うけど、物書きっていうのもまあ、難しい世界なんだ」

 一応は成功者とはされているが、書き続けなければいけない。

 肩書きだけでもある程度、仕事を受けることは出来る。

 だが真に小説家でありつづけるということが、とてつもなく難しい。

「やってみるといいさ」

 失敗しても、まだやり直せる。それは俊を見て思ったことだ。

 そして月子に関しては、こういう世界でないとおそらく、生きていくことに後悔するだろうと思ったのだ。

 これまでの人生で、月子は苦しいことが多かっただろう。

 ただここには、人生の収支を合わせる機会が存在する。


 人は何者かになりたい。

 普通であることに耐えられない人間は、必ずいるのだ。

 月子はむしろ、せめて普通でいたいと思う人間であろう。

 だがその素質は、彼女が普通であることを許さないようであった。

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