第357話 北の記憶

 過去の自分の記憶と向き合う。

 それは月子にとっては、おおよそ苦痛を感じることだ。

 だがああいうことがあったから、京都では自分が生きるために頑張ることが出来たし、そして東京に出てくる決心もついた。

 売れない地下アイドルをやっていても、そしてその中でも売れなくても、心が折れることはなかったのだ。


 失敗は成長の糧でもある。

 傷つくことは、そこから強くもなれる。

 だが一つ失敗したり、ちょっと傷ついて動けなくなれば、それが本当の失敗とも言える。

 また失敗や傷つくことを恐れてしまえば、そこに人間の成長はない。

 最初から挑戦することなく、安全な範囲で戦うこと。

 俊もかなり自分には、その傾向があることを自覚している。


 ただ音楽などというのは、何が受けて何が受けないか、本当に分からないものなのだ。

 あのスキスキダイスキ以来、俊はそう開き直ることが出来た。

 多くの社会的な成功者は、それまでに何度も失敗していることが多いとも聞く。

 つまり致命的な失敗にはならない保険はかけて、どんどんと挑戦していくこと。

 それが人生には重要なことなのであろう。


 月子が里帰りすると言った時、俊は心配したが、最終的には背中を押すしかなかった。

 もっとも作戦は立案して提供したし、さらに保険をかけていったが。

「え、一緒に来るの?」

「悪いのか?」

「なんだか保護者が一緒についてきているような……」

「暁と響と一緒に、家族旅行のついでだ」

 そうは言っても絶対に、これは保護者の感覚であろう。


 山形には果たして、観光するような場所があったのだろうか。

 地元民であると逆に、思いつかないものであるらしい。

 ただそこそこの温泉地はあるし、神社仏閣もある。

 また自然が豊かな地方であることも間違いはないらしい。

「なんだか上杉謙信を祭っている神社とかあるらしい」

「へ~」

 俊としては純粋に、月子の育った環境を、巡るだけでもいいのだ。


 ただ子供連れとなると、確かに行動範囲は狭まる。

 向こうでレンタカーを借りて、それで移動することにはなりそうだ。

 電車やバスはどうなのかな、と俊は考えたものだが、田舎を甘く見てはいけない。

 バスが二時間に一本もあれば、まだマシな方。

 一日に二本しかない、という地方もある。

 もっとも観光地を巡っていけば、それなりに移動することは出来るだろうが。

 

 俊は基本的には都会っ子である。

 子供の頃は長期休暇に、軽井沢などに避暑に行ったものだ。

 ただ両親が離婚してからは、本当に都内で生活するのがほとんどとなった。

 もちろん修学旅行などは、あちこちに行っている。

 だが本当の田舎の暮らしというのを、体験していないのも確かであった。

 一応は海外も行っているが、それは旅行や公演のため。

 実際に暮らしてみるなら、海外の都市部よりも、まだ日本の田舎の方が便利で安全、などと聞いたりもする。

 さすがにニューヨークやロンドンはそうでもないのでは、と思っている。

 しかし治安のことなどを考えると、外国の都市部は危険である。




 今ならばむしろ、東南アジアの方がいい、とは言われる。

 旅行だけではなく、暮らすことについてもだ。

 それこそドバイなどは、完全に資産を形成した人間は、快適な暮らしが出来るとも聞く。

 もっとも全ては金があってこそ。

 本当に金があるなら、東京に住んでいても問題はないだろう。

 都内で都心まで近いのに、あんな大きな家を持っているという点で、俊は親ガチャに勝利しているのだ。


 ツアーにおいては、関西から北九州までは、それなりに行ったことがある。

 またなんとなく、想像も出来るのだ。

 北海道も逆に、舞台にしたマンガなどの作品はある。

 だが東北は比較的抜けているな、と失礼な思考もしている。


 月子の音楽のルーツを考えるに、東北地方の民謡を巡るのは悪くない、と俊は思っている。

 それはかつてアメリカで、ロック黎明期において、南部の黒人音楽を巡ったのと、似ているところがあるからだ。

 そう、ロックの有名な人間は、かなりの部分が白人であり、今の黒人音楽はヒップホップなどが多い。

 見せ掛けだけのストリート、などとひどい言われ方もするが、ロックは黒人音楽を源流としている。

 そもそもブルースというのが、黒人音楽なのであるが。


 まあこれは別に、ロックは白人が発祥、とでも言わなければ別に問題はない。

 ジミヘンなどはネイティブアメリカンの血も継いでいたし、それでいながら白人のギタリストも、彼を神と言っているのだ。

 日本人の魂の源流は、本来ならば民謡である。

 演歌は案外歴史が浅いのだ。

 ただ今の日本では、欧米から輸入されたポップス系のロックなどが、メインストリームを形成している。

 ノイズはそこに三味線を持ち込んで、それがアメリカで受けたのが、大きな分岐点の一つではあったろう。


 日本は三味線に限らず、和楽器をある程度積極的に、民俗音楽として保護はしている。

 考えてみれば京都などでも、三味線の演奏をする場所はあった。

 もっともあちらは同じ三味線でも、種類が違ったりするのだが。

 俊はこの三年、人気を安定させることに努めてきた。

 しかしそろそろ、また新たなカラーを入れていく必要があるのかもしれない。

 そのためのインプットを、日本人の原風景に求めるのは、間違いではないと思うのだ。


 月子に三味線を教えた中に一人、ちゃんと月子が顔を識別出来る人間がいた。

 月子は顔だけを記憶するのは無理だが、それを何かと紐付ければ、どうにか認知することが可能なのだ。

 習った中では一番、三味線が上手かったという老人。

 それに連絡を取ってもらって、この帰郷のついでに色々と話を聞かせてもらうことにしている。

 和楽器というのはそれなりに、一般人でも聞いていたりする。

 神道や皇室の行事に使われるのは、昔からの楽器である。


 なお平安時代のイケメンの条件の一つには、笛が上手く吹けるというものがあったらしい。

 ただ平安時代は、女性の場合髪の毛の美しさがそのまま、女性の美しさとなっていたとかいう話もある。

 どれだけフェチなんだ、という時代もあったものだ。

 こういうものは抑圧されていたりすると極端に走り、キリスト教全盛のヨーロッパでは、足を見せるのがエロくて不健全ということで、テーブルの足まで隠すようになったらしいが。

 雑学混ざりであるため、どこまでが本当なのかは謎である。




 そういった楽しいことは、後回しである。

 まずは月子の同窓会だ。

 中学校時代の月子の写真は、見ただけでもルックスだけならば、充分に見られるものだ。

 それがかえって女子からは、イジメられる原因になったのだろう。

 京都に引っ越してからは、ほとんど没交渉。

 先に日中には、墓参りなどをしていた。


 月子の祖母が入った墓は、大叔父にあたる人が、今も墓守をしているらしい。

 ただその子供や孫が、どうしているかまでは月子の叔母も知らなかった。

 叔母は結婚こそしないが、今は同居人がいる。

 彼女が同性愛者と言うか、トランスジェンダーだと聞いたのは、あまり昔のことではない。

 確かに普段から、ユニセックスな格好はしていた。

 自分が女であることに、ずっと疑問を感じていたのだ。

 だから京都では大学で、そういうことも色々と学んだ。

 月子のことに対応出来たのは、そういう下地があったからだ。


 彼女が小説家として成功したのは、そういう内面の素養があったからだろう。

 まさに不幸であること、不運であることが、才能を育てている。

 もっとも俊はアメリカの場合は、ものすごく簡単に自分のセクシャリティを変えているな、と不信感を抱いている。

 LGBT活動はともかく、トランスジェンダーの人間が、女子競技で無双するというのは、あまりにもバカらしいことであった。


 そういう意味では日本は、かなりまともな方なのだろう。

 そして日本の田舎であれば、保守性はさらに高い。

 逆にセクハラの文化などが、強固に残っていたりもするが。

 ただ当の女である月子に言わせると、女が逆に弱くなったからこそ、それを平気で受け流すことが出来なくなったのでは、という意見もある。

 このあたりは叔母も、フェミニズムに対して懐疑的であるため、そういう意見になるらしい。


 女が逆に弱くなったかどうかはともかく、田舎はまだ田舎のまま、というのは確かだろう。

 そんな場所に月子は、乗り込むことになったのだ。

 こんな田舎でも座敷のある飲み屋はあるのだな、と失礼なことを俊は考えたりした。

 暁と響は普通に食事をさせるが、俊は付き添いで最初だけ月子についていく。

 数十人が集まっているという座敷に、月子は向かっていく。

 今日のファッションは、さすがにドレスなどではない。

 ただ取材などを普通に受けるときのような、モード系ファションである。

 完全に東京の人間、という感じのスタイリッシュなものだ。


 月子は元々、背が高いので良く似合う。

 最近は太ったというが、それでも元がアイドルをするぐらい、絞っていたのだ。

 バンドボーカルになってからは、そこまで極端に絞ってはいない。

 だがルックスというかスタイルは、そもそもずっとよかったのが月子なのだ。

 胸の大きさでは暁に負けているが。




 東京で働く芸能人、という感じの人間が現れて、座敷はしばし静まり返った。

「ここ、三年三組の集まりで合ってた?」

 サングラスをかけていた月子が、素顔になってそう問いかける。

 メイクの仕方もナチュラルな感じではあるが、しっかりと学んだものである。

 完全に存在感が、他の人間とは違っている。


 みにくいアヒルの子。

 俊が感じたのは、そういうものである。

 あるいはシンデレラというものだろうか。

 実際に売れない地下アイドルをしていた頃から考えると、月子はまさにシンデレラガールなのだ。

 それは東北の地方でイジメに合っていた頃から比べると、まるで別人のようなものである。


 この垢抜けた美人はいったい誰だ、とほとんどの人間が場違い感を覚えただろう。

 月子としてもあれから10年以上、大人になった同級生の顔など、判別できるはずもない。

 判別出来なかったからこそ、イジメに遭っていたとも言えるのだ。

「ええと……」

「高校からは引っ越したから分からないかもしれないけど、久遠寺月子です」

「「「ええええ!」」」

 まさに女性の変身願望を、体現したかのような月子の姿であった。


 これをやるにあたり、千歳は笑っていたものだ。

 今の月子は完全に、社会的に成功した人間だ。

 まさに「ざまあ」ではあるのだろうが、見返すだけで復讐をしたりはしない。

 幸福になることが、人間にとっては大切なことなのだ。

 それを見せ付けて溜飲を下げるのは、あまり上品な行為ではない。

 上品ではないが、やりたくなる気持ちは分かる。


「ルナ、それじゃあ終わる頃には連絡をくれ」

「うん、分かった」

 俊はここまでであり、親子三人で食事をする。

 だがこれもまた、見せ付けるという目的はあったのだ。

「え、今のダンナ?」

「ううん、仕事仲間。今は東京で音楽やってるから」

 果たしてこの人は誰だったかな、と思い出せない月子である。

 名前自体は何人か、ちゃんと記憶してはいるのだが。


 ああ、と少しだけ納得する人間もいる。

「久遠寺、そういえば三味線やってたもんな。そっち方面?」

「ううん、一応はロックバンドになるのかな。ノイズって言って、一応紅白とかMスタにも出たんだけど」

 最近は全くテレビを見ない、という人間も確かにいる。

 田舎であってもネットはあるから、そちらを見る人間は多いだろう。

 それでも田舎の方が、まだまだテレビは見られている。


 この後の騒動は凄いことになった。

 ノイズの知名度は、今の日本ではかなり高い。

 相当にヒットした曲もあるし、名前自体もかなり知られているだろう。

 それに月子の場合は、公共放送で番組の特集まで作られた。

 彼女の知名度は、本当に高いのだ。

 ただし顔出しはしていなかった。




 こんなものだったのかな、というのが月子の感触であった。

 立場が全く変わってしまったというのもあるが、月子に変な当たりをしてくる人間はいなかった。

 ただ妬みや嫉みといった感情は、ある程度向けられる。

 それはもう仕方がないかな、と逆に割り切っている。


 見返してやりたい、という気持ちは確かにあったのだ。

 それに京都で世話になった人間には、前に会って挨拶などもしている。

 自分がなぜ生きにくいのかという原因が分かれば、それだけ予防して生きやすくなる。

 そういった環境になかったのが、月子の中学時代までの不幸であった。


 本物の芸能人であり、しかも日本を代表するようなバンドのボーカルで、アメリカでも活躍しているとなると、もう世界が変わってくる。

 成り上がりという点で見るならば、完全にこれが最高潮だろう。

 普通にノイズのライブに行ったことが、ある人間もいた。

 ただしあまりにも世界が違う、という感じで捉える人間もいる。

 芸能界に対して、変に斜に構えて見る人間もいる。

 また中には既に結婚していて、子供も生まれているという同級生もいた。


 東京の結婚年齢からすれば、月子はまだまだ普通に独身でいてもおかしくない。

 そもそも芸能界というのが、そのあたりは特殊な世界であるのだ。

 ただ結婚して子供を産んで、それでようやく一人前という社会が、日本の中でも形成されている場所はある。

 田舎に行くほどその傾向は、顕著であると言ってもいい。

 それでもそういったローカルな価値観で、今の月子を殴ることは、ちょっと不可能であったが。


 それよりは素直に憧れや、どういう生活をしているのか、ということの方が気になる。

 質問を多く受けて、月子はその場の中心となった。

 田舎にいても普通に、都会に憧れることは、一度や二度はあるだろう。

 ただそれが、クラスでもみそっかすであった人間となると、どうしても素直に認めたくないものはあるのだろう。


 別に普通に生きていて、働いて税金を納めていれば、立派な人間であるのだ。

 さらに結婚して、子供の三人でも作っていれば、この少子化社会では立派な責任を果たしたと言える。

 しかし逆に、人生で一度も希望を持ったことなど、ないという人間も珍しいだろう。

 月子は自分から動いて、東京に行ったのだ。

 京都で自分の状態を知ることまでは、確かに叔母の助けがあった。

 だがそこから東京に出るということは、勇気がなければ出来ないことであった。


 京都は京都で古い芸能があるので、そこに溶け込むことも出来たのかもしれない。

 もっとも京都の人間というのは、本当に根が暗いいけずが多かったりもするが。

 月子は自分の人生で挑戦をした。

 そして運もあったが、自分の力で成功者になった。

 今ではそういった成功を、社会に還元する活動をしている。

 ここまでになるともう、完全に人間の欲求を、満たしてしまっていると言ってもいいだろう。


 社会の中で尊重されている。

 自分のなりたい自分になれている。

 名声を持ちつつも、尊敬さえされている。

 生来のハンデを持ちながらも、それを成し遂げたのだ。




 月子自身は、こんなものだったのだろうか、という気分になっていた。

 昔の自分はもっと、恵まれていなかったように思っていたのだ。

 これは自分が変わったからこそ、周囲も変わったと言えるのだろうか。

 確かに月子は変わったが、周囲も大人になっている。

 ひどく冷静に考えてみれば、色々と手順も悪いし、人の顔をも憶えない月子は、学校社会の中では浮いて当然であったのだ。

 イジメというよりは、排斥に近い。

 バカにされはしても、直接的な損害はほとんど生じていない。


 自分が変われば世界が変わる。

 なんともそれらしい言い方であるが、実際にそれはそうなのであろう。

 暁にしても友人が出来なかったが、音楽業界の中では友人が出来た。

 俊も成功したからこそ、周囲に尊重されるようになっている。

 そんな中でも月子は、謙虚であることを忘れることはない。


 自分は本当に運が良かったのだ。

 叔母が理解してくれなければ、そのまま京都で何か働いていたかもしれない。

 東京に出てきたのは、本当に月子の勇気ではあった。

 しかしこの顔とスタイルは、両親が残してくれたもの。

 ハンデキャップばかりが、月子に残されたものではない。


 そして俊と出会った。

 もちろん俊も、月子との出会いを重視している。

 二人の出会いから、自分たちの世界は大きく動き始めた、と言ってもいいだろう。

 ただしノイズとしての成功を感じるには、大きなフェスのメインステージで歌うようになってからだろうが。

「あんな大きなステージで歌うってどういう感じ?」

 やはりこういったことは、聞いてみたいものなのだろう。

 月子としては、実はあまりプレッシャーは感じない。

 いや、昔からずっと、プレッシャーとしては感じていたのだろうが。


 普通に生きるだけでも、月子には難しいものがあった。

 アイドルとしてキラキラの世界で生きるのにも、かなり難しいものがあった。

 顔を少し隠して、そして歌うことは、それに比べれば楽なことだったのだ。

 月子の人生は、まだまだ絶頂期が続いていく。

「芸能界だと、いい男に会うことない?」

「会っても顔を憶えられないからなあ」

 こういう自虐ネタも、平気で言えるようになっていることに、自分の強さを感じる月子だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る